PC−JOE9
-コンドルのジョーはBBSする-

by もも




 秋の雨はことさらに物寂しく、郷愁めいたものを思わせる。
 肘をついて、頬を凭れさせると、強い雨脚が幾筋もの涙を大ガラスに伝わせていた。
 理由もなく心細くなる。ああ、俺らしくも無い。どうしちまったっていうんだ。

 ああ、ここはどこなのだろう。なぜ、俺はここにいるのだろう。

 ふと視線を落とすと、肘の下敷きになって、A4の文書が皺になりかけていた。

“下記の始末書。速攻、提出のこと。 Ken”
 さすが、事務能力にまで長けたG1。始末書一覧表は、9Pの小さな文字でびっしり
と、やっと用紙に納まっていた。
−ああ、ここはどこなのだろう。なぜ、俺はここにいるのだろう。
 コンピュータが苦手なのではない。メカは好きだし、コンピュータだってアーキテク
チャに関しては人後に落ちない。デスクワークが嫌いなのだ。報告書なんて最低だ。任務
なんて、敵をやっつけて仕舞いだ。それでいいじゃないか。

 でも、実際、それでは良くないらしい。

 ジョーはエディターを最小化して、半分も片づいていない始末書仕事を放り投げた。
 ブラウザを起動し、ブックマークを物色する。「えっちな壁紙どっとこむ」、やら、
「科学忍者隊非公式ファンクラブ」やら。そういえば、こないだネットサーフィンしてい
て、ニケのファンクラブを見つけた。航空隊のファンクラブなのだから、どーせ、でかい
カメラ抱えたヲタクばかりだろうと思ったのだが、けっこう女の子の書き込みもある。

カキコ:・・TVのニュースで、ライズ少佐が亜麻色の髪のきれいな女性将校と下車して
きましたよね。緊張感が返っていい感じで素敵で・・
レス:・・その女性は統合参謀本部付けのどっかの将校でしょう。ISOの近くでもとき
どきお見受けします・・南部長官とも・・
レス:・・いいなぁ、バリバリのキャリアウーマン、憧れます。

 これってリサのことか、と目にとまった。
 リサとは軍統合情報部中佐リサ・シーン。健やジョーにとってはITの師匠で、付き合
いはローティーンの頃にまで遡れる。軍の人間ではあるがISO絡みの任務が多く、近頃
は特にしょっちゅう来庁している。今日も、つい1時間ほど前に小言をくらったばかり
だ。人差し指打法でダラダラちみちみ打鍵していたからだった。
「マジメな振りくらいしなさいよ。健の胃に穴が空くわよ。長官が白髪になってもお気の
毒でしょ」
 なんでい。俺の報告書ノイローゼはどーでもいいのか、と、うら寂しい秋のせいか、
ジョーは(ガラにも無く)少々拗ねていたのだった。

 やおら、復讐心が頭を擡げた。

『その彼女は、確かに、遣り手だしちっとは美人だが、ただのおっかないおばさんです。
胸なんか、肩胛骨かと見まごうほどです。きっとみんなのほうがかわいいぜ』

 と「UP LOAD」ボタンを押したとき、健の叫びが耳をついた。

「何やってるんだーー!」
「え?」
 投稿ありがとうございます、とメッセージが画面で明滅していた。
「BBSや掲示板での誹謗中傷は犯罪だぞーっ。消せ〜」
 んなこと言われても、お前が大声出すから押したようなもんなんだぜ?
(他人のせいにするな↑)
「削除パスワード入れるの忘れた」
 よくある話しだ。でも、これで困るヒト、わりと居るのだ。
 みなさまも、削除パスワードはお忘れなきよう‥。
「こ、こ、こ‥」(通訳:この野郎)
「大鷲が鶏になってどーすんだよ。平気だよ。分かりゃしねーよ。誰が書いたかなんて
さ」
「またそんなことを。誰が書いたかなんて、すぐに分かるんだよ」
「名前も住所も電話番号も書いてねーぜ?デートの目印だって書いてねえのに」
 だって、出会い系掲示板じゃねえもんよ。なぁ。
「じゃなくて、ウェブ・サーバのログに、どこの端末が、いつどこのサイトのどのページ
に入ってきたなんて、ぜ〜んぶきれいに残ってるんだよ」
「へ?」
「屁、って言ったか、今?」
 健はふんわりと微笑むと、ジョーの顎を指先で持ち上げ、その瞳を覗き込んだ。
「IPアドレスの話し、昔、天然がしてただろう?HPに入ってきたPCのIPアドレス
は分かる、ついでにプロバイダも分かる。お前のケースの場合は、ISOから来たヤツ
だって分かる。ISOのサーバを調べれば、その時間、そのアドレスがどのPCに割り当
てられていたか分かる。お前のPC、‥お前は、そこで、御用、だ。ジョー、運用マニュ
アルにあるだろう?こんなこと、しちゃいけない、…って。俺がお前のために2日徹夜し
て作ったのに、読んでくれていないのか?」
 ちなみに、プロバイダのサーバー・ログからは、端末のアドレスだけではない、使用し
ているOS・そのバージョン、ブラウザおよびそのバージョン、さらにどこからリンクし
てきたかなど、その他もろもろが判明する。
 例えBBSや掲示板の管理者には分からなくても、そのログにはこれらの記録が残り、
プロバイダや企業の担当者はログを当然解析できる。またそのログの保存は法的にも定め
られているのだ。
「BBSの管理人がこいつは拙いと判断するか、リサがこの書き込みに気付いてBBSの
管理人にクレームを付けるかすれば、通常はBBSの管理人がこの書き込みを削除する
が、それでも収まらないくらい悪質なものだったら‥。まぁ、犯人を捜し出す手だてなん
ていくらでもあるわけだ。実際、分からないと思いこんで酷い書き込みを続けていて、お
縄になってるバカな野郎もいるしな」
「だ、だって、こんなのおちゃめなもんじゃねーか」
 ジョーがリサを姉さんみたいに思っていて、これも愛情表現のひとつなのだとは、健に
は分かる。ジョーの鼻先で、健の青い瞳が眇められた。形の良い唇の端に舌先が覗き、小
さく吐息が漏れる。口づけを強請っているようにも見える、それは‥、しかし。
 ああ、なぜこんなに怖いのだ。
「加害者はおちゃめのつもりでも、被害者はそうはとらないもんだよな」
 健の言うとおりである。ジョーのこのケースに限り、リサが『被害者』というのがしっ
くり来ないだけだ。

「お前、リサがさ、胸が小さいの、気にしてるの知らなかったのか??」
 ジョーがすっくと立ち上がった。まだ悪ガキだったころ(今でもだが)、南部博士はグ
ラマー女性が好きなのだと言って、リサを強か落ち込ませたことがあったのを思い出した
のだ。
「セクハラだぜ、これは」
健の言葉を背中にジャケットを掴む。
「俺の仕業って分かるまでにどんくらいかかるもんなんだ?」
 上着に腕を通し、煙草をポケットにつっこむ。財布のありかを確かめ、雑誌を抱える。
「そりゃ、普通は例え統合情報部が出張っても、何日かはかかるさ」
「そうか。じゃ、まだ間に合うな。‥ちょっち姿くらますからよ。なんかあったら適当に
バックれといてくれや。任務のときは仕方ねえ、アラート鳴らしてくれ」

 健としばらく逢えないのは辛いが、健なら面白がってリサに告げ口するのに決まってい
る。リサは根に持つタイプでは無いから、じきに忘れてくれるだろう。そう、ほんの何日
間か隠れていられれば‥。

 オフィスのドアに手を掛けた途端、ドアのほうが勢いよく開いてジョーの鼻を抉って
行った。
「うおっ」<鼻血
「ちょっと、ジョー、あなた。逃げるつもり?!」
 血相を変えたリサに襟首を掴まれる。つい鼻血を抑えていたものだから、反撃ひとつで
きず、ジョーは廊下に引きずり出された。

−誰の胸が肩胛骨ですって?!今日という今日は南部さんにもしっかり‥。
 リサの怒号。
−健〜、何日か掛かるって言ったじゃね〜か〜。
 ジョーのふがふが‥。

 数秒後。オフィスには、雨が窓を叩くぱらぱらという音だけが満ちていた。

 普通は、って言っただろ?と健はゆっくりと席に戻った。
 あんなの、別にサーバ・ログ調べなくっても、すぐにお前だって分かるじゃないか。

 時計を見れば午後5時を回っている。
 ひとりでまっすぐ暗い部屋に帰るなんて、こんな冷たい雨の夜にはできればご免した
い。
でも、今晩は、ジョーはいない。
 健は微かに含み笑いすると受話器を上げ、内線番号をプッシュした。

−天然、飯喰いに行かないか?


END − PC−JOE9



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