Valentine Simulation

by もも

日差しは春、風は冬。

シティ郊外の小さな飛行場。
その日、そこに立ち寄ったのは突然の思いつきだった。
数日来の寒波がおさまったひさびさの晴れ間だったからか。
季節がまた1つ巡ったような気がしたからか。
けれど、結局は、病院にまっすぐ向かうには、あまりに気鬱な顔をしていたからか。

滑走路わきに小さな家がある。
ことさらゆっくり車を寄せ、ため息までついてから、ジョーはそこに下り立った。
預かりっきりの鍵をズボンのポケットから引きずり出し、またひとつ長く息をつく。
そこでやっと、ドアの前に誰かが蹲っているのに気がついた。

「あら」
無造作に流したセミロングの髪。困惑気味の緑色の瞳。
「よう」
とっさに微笑したつもりだが、少しひきつっていただろう。
「久しぶりだな」
「久しぶりね」
ぴったり同時に口をついて、今度はふたりとも小さく吹き出した。
「どうした、今日は仕事、休みじゃないだろう?」
差し出した手を握って、彼女は「よっ」と立ち上がった。
土ぼこりになったジーンズをはたきながら、ふふんと鼻を鳴らす。
「仕事休んでどうこうなんて、あなたに言われる筋合い無いわ。第一、」
「はいはい。俺だってふらふらしてますって」
「まったく。自分のことは棚に上げて」
「まあ、待てよ」
手のひらをあげて、制する。
「会っていきなり、そんなぽんぽん言うことないだろうが」
−変わっていないな−
覚えず、体の中をじんわりぬくもりが広がっていく。懐かしくて。心地よい。
肩の力が抜けていくような安心感。
もう少し浸っていたかった。が、このひとことでこの世に引き戻されてしまった。
「ねぇ、それ、ここん家の鍵?」
あげた手のひらの指にひっかっかって陽をはじいていた。
ジュン、やはり変わっていない。細かくて目敏い。
「あ、」
ジョーから一瞬前まであった心地よさが引いていった。
同時にジュンの瞳がまた陰を帯びる。
「うん」
素知らぬそぶりで視線をジュンから外し、鍵を鍵穴に突っ込んだ。

ドアは低く軋んだ。
家具も何もかもそのまま、主だけが不在の家。

「たまには風通しておいてくれって、健に頼まれててさ」
預かってるんだ、とジョーは鍵をズボンのポケットにつっこみなおした。
「ふうん」
ジュンは玄関先に突っ立って家の中をのぞき込んだ。
「片づいているじゃない」
ちらかすヤツがいないのだから、と思ったのか、慌てて付け足すように言う。
「これなら、健がいつ帰ってきても平気だわ」
「だろ。俺もそう無意味にふらふらしてるわけじゃないってことさ」
「なるほど。ジョーにしては上出来じゃない」
すこしの間。
その後、ジュンが何か決心したように、顎を持ち上げた。
「ね。健は元気?」
こう聞かれるんだろうと予測はしていた。でも。
「あ。そう、そうよね。入院しているひとに”元気”はないわよね」
答えが無い。ジョーが言い澱んでいるうちに、ジュンが一人で喋ってしまう。
「ええと。その、つまり、具合はどう?ていうか。治療のほうはうまくいってるの?」
どんどん一人で喋っている。
「会いに行きたいんだけど。ほら、健って見栄っ張りじゃない。病気でげっそりして
るとこをあたしなんかに見られるのは、堪らないんだろうと思っちゃって」
うつむいたまま、両の手がジーンズを握りしめていく。
「健に一番近いひとだから、あなたになんかとても聞けないし。…博士には何度か
聞いてみたんだけど」
「何て言われた?」
ジュンはとっさに唇をきつく結んで、小声の早口でまくしたてた、
「夏に聞いたら、今の気温は病み上がりにはよくないから退院は秋かなって。秋に
聞いたら、冬を越えて暖かくなる頃には、って。」
でも、とジュンは口籠もり、
「…だから、あたし。もう、健のこと、博士には聞けないな、って」
語尾が掠れて消えた。

風に揺られてドアがまた軋んだ。蝶番が赤黒く煤けている。
ジュンは戸口に佇んだまま、途方にくれたように視線をあちこちにさまよわせた。

「入れよ。寒いだろ」
「ご、ごめんなさい」
ジュンが寒くはないのか、と思って言ったのを、彼女はジョーが寒いのだと思ったら
しい。
慌てて、戸口をくぐり、ドアを閉めた。
しかし、今度はそのドアの真ん前に突っ立ったまま動かない。
「どうしたんだよ」
ジョーは先に椅子を引いて跨いだ。
健に行儀が悪いって言われる、あの座りかた。
「なんども来たことあるじゃねえか。勝手知ったるナントヤラだろ?それとも」
椅子の背のうえで両腕を組んで、顎を乗せ、ジュンを上目遣いに見上げる。
「俺に襲われるとでも思ってんのか?」
「馬鹿」
ジュンやっと自分も椅子を引き、ジョーの正面に浅く腰掛けた。
「ねえ。本当のこと教えて」
ジョーを見据える。
「健、どうしてるの」

あの戦争が終わってチームが解散してから、今では健と接触のあるメンバーは
ジョーだけだった。
メンバーそれぞれの生存が奇跡だったが、なかでも健が生きのびたことは奇跡
ちゅうの奇跡といわれた。ガラスケースの中で何本ものチューブを通され、いろい
ろな色や太さのコードやケーブルが体中を這い回り、いくつもの医療機器の山に
埋められた健。他メンバーの健への記憶はそこで停まっている。
メンバーを健から離していったのは、最初は、南部の配慮だった。
確かに最初は。
しかし、その後は?
健はあれからずっと白い壁の中で、健の戦争だけ、まだ終わっていない。
健ひとりだけ。

ジュンの隣に、ベッドに半身を起こしている健の姿がうかんだような気がした。
「健は」
ジュンはジョーを見つめたまま言った。
「あたしのこと、怒ってる、いえ、憎んでるんでしょう」
唇の端が歪んだ。
「自分ひとりになにもかもみんな押しつけて、閉じこめて、知らん顔して、忘れてし
まったって」

そんなことはない、
とは言えなかった。
「ジュンが最後に会ったときより、だいぶんよくなってる。ちゃんと起きられるし、音
楽聞いたりもしてるし」
「あたし、健のこと、一刻だって忘れたことない」
「確かに、退院はまだちょっと難しいだろうけど、ジュンが思ってるほど悪い状態
じゃない」
「ずーっとずーっと健のことばかり考えてた」
「すこし痩せちまったけど。任務で九死に一生ってさ、命からがら生き延びられたっ
て時くらいにゃ元気だぜ」
「ねえ!聞いてよ!!」
涙が溢れ出た。
それきりジュンは何のてらいもなく、声を上げて泣きじゃくりだした。

ジョーは黙って、泣かせておいた。
ジュンの言うとおり、口にこそ出さないが、健は自分ひとりが取り残されたと思って
いる。
 
 そう、そんな孤独の檻に健を封じ込めてしまったのはジュン、おまえだ。
 そして、俺だ。
 誰もかもみんな、共犯だ。

やがて、子供のような激しい泣き声は、ひきつったようなしゃくり上げになり、鼻と
目をぬぐいながらのすすり泣きに落ち着いていった。
「ごめん。こんなところでジョーにあえると思わなかったから。つい興奮しちゃって。
子供みたいなこと…困らせちゃったわね」
「いや。いいさ。早く洟ふけよ。美人が台無しだぜ」
「馬鹿」
ジュンは無理矢理ほほえんで見せ、大きな音をたてて椅子に座り直した。
「本当にごめんなさい。でも」
嘘じゃない、とかすれた声で言い切った。ぜんぶほんとうのこと。

窓が鳴り始めた。いつの間にか風が強い。
気がつけば、陽が傾いてきている。
「ジュン、バイクか?」
「え?そうだけど」
あの、いつもどおりの気の強そうなジュンの顔。
「送るよ。今日は天気よかったから冷え込むだろ」
「そんなのどうってことないわ。気にしないで」
それよりも、
と、つぶやいて、ジャケットのポケットのジッパーを下ろすと、包みを1つ取り出し
た。
「なんならジョーもつきあってよ」
テーブルの真ん中に、花とリボンでラッピングされた包みが大切そうに載せられ
た。
「去年も…。いつもはここん家のドアの前でやってたのよ」

ジュンは背筋をしゃんと伸ばして、涙顔のままだがにっこりとっておきの笑顔を見
せた。
「健、バレンタインおめでとう。今年はここでチョコレート渡せてよかったわ」
瞬間、ジョーはフリーズした。
「今年はね。いつものじゃなくて、新製品にしてみたの。すっごくおいしいって評判
なの。行列して買ったんだから。ね、食べてみて」
ジュンは俺のほうを向いている。
「甘いもの苦手ってのは知ってるけど。今日くらいいいじゃない。1年に1度っきり
でしょう」
さっとジュンの手が伸びて、包みのリボンをほどき始めた。
微笑がどんどん崩れていく。
きらきらした包みが破り広げられ、箱のふたがむしりあけられ、コロコロしたチョコ
レートのかたまりが行儀よく並んでいるのが見えた。ジュンの指がそれを続けざま
に口にほうりこむ。
「おい、ジュン」
とまらない。あっというまに半分かたなくなってしまった。
「待てよ。−−待てったら」
ジョーはリボンや包装紙ごとチョコレートの箱をてのひらで抑えて、ジュンの手から
遮った。
「変だった?」
ジュンはふふんと自嘲気味に言った。
「変よね。おかしくなったんじゃないかって、思ったわよね」
ジョーの手の下にあるくしゃくしゃのチョコレートの包みを見た。
「バレンタインデーにはここに来て、健といる気になって、チョコ食べて家帰ること
にしてるの」
「去年もって、毎年?」
「そう。健は元気になるいつかはあえるチョコも渡せる映画だって一緒に行け
る、って」

シミュレーションしてるのよ、

ジュンはそう言うと、背中を丸めテーブルに肘をついた。
ジュンの願い。その相手には憎まれていると言いながら。

「これ、俺に預からせてくれよ」
こんなこと言って、どうするつもりだ、
言った当の本人のジョーにもそのときは分からなかった。
「分かったわ」
ジュンは髪をうしろにかき上げて、椅子を立った。
「あなたにあげる。食べちゃって。おいしかったわよ」
あたし、帰るから、ときびすを返した。
ジョーもつられるように立ち上がった。
ジュンが戸口で振り返る。
「これから健に会うんでしょ?」

思い出してしまった。
ジョーがここに来たのは、それがあんまり気鬱だったから。

答えは聞かず、ジュンは唇だけで「じゃ」というとすうっとドアをすり抜けて行った。

遠くにエンジン音を聞きながら、ジョーはほどけた紙包みを無理矢理上着のポケッ
トに押し込んだ。
錆びた蝶番の軋むドアに鍵をかけ、車を出す。病院に向け、ハンドルを切る。
ジュンの声は深い澱の底にいる今の健に届くのだろうか。もう、届かないのだろう
か。
届いてほしい、と心の裡のどこかで祈っていた。
幽かでも。ほんの少しでもいいから。
と。






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