Valkyrie(ワルキューレ)

by もも

Episode 1 <Missing Children>


出ましょうか、

白い便せんを畳み直しながら、ジュンが白っぽくなった顔をあげた。
「ああ」
ジョーが、伝票をつかんで立ち上がると、
「駄目。コレはあたし」
手入れのよく行き届いたローズ色の爪がさっと伸び、
「そのかわり、ちょっとつきあってよね」
人差し指と中指ではさんだそれをひらりと揺すって、ウインクした。

外は、雨。
夕暮れ時を迎えて光を落とした町が、煙りのように立ち上がって浮かんで見え
た。
店に入ったときは、すこし傾いてきた日差しの、それでもまだ昼間の街々は、
ビルとビルとの端境に黒い影をくっきり落として明るかったのに。

「健」
車のエンジンがかかったのと、ジュンが助手席でつぶやくように言ったのは、
ほとんど同時だった。
「貰い手不在のチョコレートを毎年買ってんじゃない、って」
ジュンの声は不思議なくらい静かだった。
「ありがとう、さようなら…って…」

健のことを忘れたことなど無いと、ジュンが声をあげて泣いたのは数日前。
ジョーは、ジュンのチョコレートをひったくった。
そして、健に渡した。
ジュンが健に渡すことのできた、最初のバレンタイン・チョコレート。
「ありがとう、さよなら…って」
そして、最後のバレンタイン・チョコレート。
「どういうことなの、"さよなら"、って」
どういうことなの、どういうことなの、ジュンは繰り返し繰り返しつぶやき続
けた。泣くこともできなくて?泣くことのかわりに?
否。むしろ嗚咽すら押し潰して。

−(ジョー、これを)
その日、椅子から腰を上げかけたジョーを珍しく健が引き止めた。
−なんだい?
健は妙に澄んだ瞳をして、いつになく真面目な貌つきでジョーに白い四角い封
筒を差し出した。
−(ジュンに)
この間、チョコレート、もらったから…
と唇が動いた。

病院を出てすぐに、ジュンを夕食に誘った。
−…。ジョーがあたしを誘ってくれるなんて、どういう風の吹き回し?
受話器の向こうのジュンは一瞬言葉を探したようだったが、おなじみの明るさ
で応えた。
−もちろんOKよ。今夜ね。何時にどこ?…ああ、あそこね、懐かしいわ。了
解。あなたのおごり?!…。やったぁ。忘れないでよ、今の約束。…。じゃ、
あなたの気が変わらないうちに切るわね。

失恋したら、飯どころじゃないって聞くからな。
俺はジュンにはこんなことしかしてやれないし、とジョーは携帯電話をポケッ
トに戻しながら溜息した。今夜はせいぜいカロリーをとってもらうさ。

封はしていなかった。
担当医にもらったのだろうか、何のそっけもない、ビジネス箋とビジネス封筒。
今の健にとっては、手紙を書くのもエベレストに無酸素で登るのも変わりない。
万にひとつも、恋人同士の無邪気な戯れ言がしたためられているわけはなかっ
た。言葉に巧みにオブラートをかけて行間を読ませることなんて、根っからで
きる男でもない。

ジョーは、ダッシュボードに顔を埋めてしまったジュンを見下ろした。
健のやつ、箇条書きにしやがったな。
バックシフトを入れ、車を出す。
貰い手不在かよ。ハッキリ言いすぎだよ。馬鹿野郎。
ジュンは石になってしまったように、身じろぎひとつしなかった。

こんなに静かに泣くこともできるんだな。

「送るよ」
静かに静かにシフトチェンジし、そうっとアクセルを踏み込んだ。

車を走らせる間に、糸のような霧雨は大粒の、文字通り叩き付けるような豪雨
になった。アパートメントの前に、派手に水飛沫を上げながら車を寄せて停め
た。ジュンはそれでも顔を上げない。
「ジュン」
1度めはいつもと変わりないようにいつもと同じ調子で、
「ジュン」
2度めは少し声を落として、自分でもよくこんな声が出せたなと思うほど優し
げに、
「着いたぜ」
人差し指の第二関節で、ジュンの頬を艶のいいセミロングごしにそうっとなで
た。
「…ってよ」
顔は伏せたまま、細い指がジョーのその人差し指を思いの外力強く握った。
「ジュン?」
「つきあってよ、まさか」
ジュンがジョーをゆっくりと見上げた。
「このまま帰っちゃわないわよね?そんなことしたら、あたし」
ジョーの指を間接が白くなるほどの力で握ったまま、
「死んじゃうから」
唇がもっと何か言いたげに震え、けれど言葉にはならず、噛み締められた。

10分後、ジョーはジュンと並んでソファに腰掛けていた。
「よかった。ジョーがいてくれて」
何か呑むでしょ?とジュンは目配せする。
「なんだ、けっこう平静なもんじゃないかよ。人を脅しといてよ」
「あれくらい言わなきゃ。帰っちゃうでしょ。あなたは」
スコッチのいいのがあったんだったわ、と座り込んでキャビネを覗き込む。
ボトルを引っ張り出しているのだろう。ガラス器のぶつかる音がした。
「まぁ。それは…」
「ほら。でも、本当に死んじゃったかもしれないじゃない?人助けしたってこ
とで。どう?」
「今のは脅しの続きかよ」
ジョーにしてみればどんな顔をしていいのかも分からない。
ロックよね、とジュンはグラスを掲げて見せた。
ああ、うん、と曖昧にうなずく。
「失恋してヤケになってる女の子の相手なんて。どう考えても俺の領分じゃね
え」
「そうかしら。ジョーって口や顔ほど冷たいひとじゃないわよ」
「大きなお世話だよ」
「えぇえ、褒めたのに。気に障った?」
「褒めたようには聞こえないっての」

この夜のジュンはよく喋った。変な駄洒落、上司の悪口、女友達の噂話、他愛
のないこと、誰も傷つけないように?誰も悲しくならないように、どうでもい
いことばかりを延々と。
ジョーはグラスのふちを舐めながら、これも茶々を入れたり、あてこすったり。
ふたりで笑って、笑って、笑って、呑んで、呑んで、呑んで、夜が更けた。

やがて、ジュンが意味ありげに含み笑いした。
「言っちゃおうかなぁ」
ジョーに横目を呉れる。
「何だよ」
「どうしようかな。誰にも言わないで墓場まで持って行こうと誓ってたんだけ
どぉ」
ジョーはジュンの心中を測りかねて眉を顰めた。
「また、物騒なこと言い出したな」
「ジョーならいいかしら」
「おう、俺ならいいぜ」
何のことか分からないまま、行きがかり上、かなり無責任に請け負ってしまっ
う。ジョーにとってはただの会話の流れだった、この辺りまでは。
「じゃぁ、言っちゃおうっと。ジョー、何があっても」
ジュンはすとんとジョーの肩に凭れ掛かった。
「あたしのこと、殴らない?」
「馬鹿、女の子、殴ったりなんてできるかよ」
「蹴らない?」
もしかして相当酔っているのか、ジュンは歌うように繰り返した。
「蹴らないって」
「殺さない?」
「殺さない、殺さない、」
「よーし。じゃ言うわよ」
ジュンはジョーの腕をかかえるようにして、ひときわ高い声で宣言し、その次
はつぶやくようにこう言った。

「あたし、ジョーと健のむにゃむにゃって、見たことあるんだぁ」
ジュンは本当に楽しそうにけらけらと笑った。
反射的に手が動く。が、既にジュンに抱え込まれていて、動かせなかった。
「むにゃむにゃぁ?なんだそりゃあ!」
頬が上気してくるのが分かる。
「はっずかしくって言えな〜い。それよりなぁに、コレは。殴らないって言っ
たくせにぃ。やっぱ手が出てんじゃないのよう」
「この酔っぱらいが。いつだよ、それ!」
「んーと。むかし」
「むかしって、いつ」
「まだ戦争してたとき。健が」
ハイパー・シュートを初めて失敗したころ、

とジュンは急に笑うのを止めて、遠い目をした。
実際にはほんの少し、けれど無限に感じられる静寂が流れた。

「あたし、あのときはまだ、健が病気なんて思いもよらなかった。失敗だって
することある、ってくらいにしか思ってなかったわ」
つぶやくように言って、ジョーの腕に頬を埋めた。
「でも、健は自分の体がもう普通じゃないって分かってたのよね。あの日を境
に健自身がどう繕っても繕いきれないくらい、ナーバスになってしまった」
それなのにね、ジュンはうすく笑った。
「あたし、内心チャンスだって思ってた。健が弱みを見せるなんて、それまで
には考えられないことだったから。よし、ここであたしが、ってね」
ホント、全然わかってなかったの、バカよね、
「だから、健がひとりっきりになるのをね、知らんぷりしながら、そりゃぁも
う全身全霊で待って待って。これで落とさいでか、って狙ったの」
夜だった、とジュンが言った。
「ISOの最上階に、展望室があるでしょ、ソファが並んでるとこ。あの日は
月がとっても明るかったわ。健はひとりで腰掛けてた。膝に肘を載せて俯いて
た。チャンス到来、とばかりに、あたしは健を呼んだ、健、って」
でも、とジュンはくすっと笑った。
「健、あたしには気づかなかった。ふふ、でも、」
と今度はジョーをちらっと見上げてまたくすり。
「そのすぐ後よ。ジョー、あなたが反対側のエントランスから入って来て、
"健"、って。こんなところで何してるんだ、って」
あたし反射的にソファとソファの間に隠れちゃった、とまたくすくす笑う。
ジョーはといえば、表面で平静をよそおいながら裡では記憶を必死に手繰り寄
せていた。
「健ったら、あたしにはぜんぜん気づかなかったくせに、あなたの声にはすぐ
に顔をあげたわ」
探したぞ、帰ろうぜ、ってあなたは言った。でも、健は黙って首を横に振った。
ジョーは本当に健を心配してたんだ、ってあたしはちょっぴり自己嫌悪しちゃ
った。だから余計に出ていけなくなってしまった。
「あたし、今だからあのときの健の言葉が分かる、そのときは理解できなかっ
た、彼、"俺、もう駄目なんだ"って聞いたこともないような心細い声で言った
わ。"きっと今になにも分からなくなるんだ"、でも、あのときのあたしは、何、
泣きゴト言ってるの似合わない!って思っただけだった」
あたし、健のこと鈍い鈍いって言ってたけど、ヒトのこと言えないわね、とジ
ュンは息をついた。
「あなたは健をのぞき込んでソファの肘に手をかけていた。何か言ってたけど、
忘れたわ。健はあなたを見上げてた。あたしの知らない健だった。傷ついて、
蒼ざめて、やり場の無い瞳をしていた。…。そう、健からだった。あたしから
見ればいきなりあなたの首に腕をまわして、あなたを強引に引き寄せた。それ
から…」
ジョーの中でも間違いのない記憶がフォーカスされた。
「なんの迷いもないくちづけ、だった。あたし、ああ、そうだったんだ、って
思った」
ジョーにとっても忘れようの無いあの日。
あれが、ジョーが健に触れた最期の夜だった。
「ショックとかカナシイとかクヤシイとか、なかったな」
でも、腰抜けちゃって立てなくなって、
「セキュリティーにひっかかる時間になって。本当に動けなくなっちゃったの
よ。あたし。朝までそのまんま。もう、やってらんないでしょう?」
視線を落とすと、ジュンと目が合った。ジュンはわざとおどけてちらっと舌を
出して見せた。
「あれから、健と寝たの?」
ジョーはジュンの瞳を見下ろしたまま固まった。
「おまえね」
ジュンの顔が正視できない。
「そういうことを、あけすけに聞くもんじゃないぜ」
「やっぱり、寝たんだ」
ジュンはジョーの首に腕をまわし、頬に手のひらを滑らせた。
「あなた健にどんなことしたの?」
半ば無理矢理ジュンに首を引き回されると、緑色の瞳は、もうすぐそこにあっ
た。
「どこにキスしたの?額、頬、唇、首筋にも、肩にも?」
ジュンの膝がジョーの腿を割った。
「よせよ」
「いやよ。止めないわ。健を抱いたの?抱かれたの?あなたは、あなたしか知
らない、あたしの知らない健を知ってるんでしょう?」
ジュンの唇が、ジョーの唇を覆った。
「よせったら」
「あたしに健とおんなじことして」
「何言ってるか分かってるのか?」
「もちろん。分かってるわ」
「ジュンらしくないぞ」
ジュンの両肩を掴んで引き離す。
「あたしらしくない?」
ジュンはその手をふりほどこうと、肩を揺すって藻掻いた。
「何が、あたしらしくない?」
どこからこんな力が出るのか、逆にソファに押さえ込まれてしまった。
ジュンはジョーの下腹の上で、ジョーをきっと見下ろした。せわしない息遣い。
「ジョー、あたしのこときらい?」
急にぱたぱたと涙が零れ落ちてきた。
「ジョーがあたしのこと嫌いだから、健もあたしのこと嫌いなの?」
「…」
ああ、とジョーは全身から力が抜けていくのが分かった。

どうしようもないんだよな、ジュン、
女ができたんなら怒鳴りこんで行くことも諦めることもできる、いっそ亡骸を
見せ付けられたのなら時が忘れさせてもくれる、でも、
健は生きていてまだ戦っている、たったひとりで、誰にも知られず、誰のこと
も知らないで。
だから、そう。どうしようもないんだ…

「大好きだぜ、ジュン」
ああ、俺たち、似たもの同士だったんだな、すぐそこにあった一番大切なもの、
知らないうちになくしてしまっていた、
「そんな恐い顔して睨みつけるもんじゃない」
ジョーはジュンの腰に手をまわして、ゆっくりと引き寄せた。
「目、瞑んな」
長い長い接吻。

暗転。
やがて、ソファが激しく軋み始めた。テーブルに何かがぶつかる。ボトルが倒
れてゆらりと転がる。スコッチのグラスが耐えきれずに滑り落ち、甲高い音を
たてて、砕けて散った。

**

携帯電話のアラートの音に反射的に飛び起きたら、強烈な頭痛に返り討ちにあ
った。こらえきれずに枕に頭を埋めて呻く間も無く、次には追い立てるように
猛烈な吐き気。
まるで油の切れたブリキの木こりさながら、躰じゅうの間接が悲鳴を上げてい
る。言いようの無い痛みの中で、今朝方までの記憶がゆっくりと甦っていった。
思っていたよりずっと細かった腰、華奢だった肩。目が開けられないから返っ
てその分、ジュンの四肢の記憶は鮮明だった。

ジュンは居なかった。よく出かけられたものだと、酸っぱい唾液を飲み込む。
かすんだ視界の中、やっとの思いでナイトテーブルにへばり着き、携帯電話を
探り当てた。
片目で見ると、留守録が3件。
額を抑えてベッドに倒れ込み、電話を耳にあてた。
−…8時55分… "ジョー、やっぱまだ夢の中?"
ジュンの明るい声が突き刺さってきた。悪夢だよ、耳から大脳を貫通されて低く
呻く。
−昨日はつきあってくれてありがとー。あたし、もうオフィス。あったまくら
っくらでげろげろで死にそう。シャワーも冷蔵庫も勝手に使ってね。いつまで
寝ていてもいいわよ。じゃねー。
2件目もジュン。
−まだ寝てるの?重体ね。あたしも今日は仕事にならないわ。もう3回も吐い
ちゃった。えー、と鍵はテレビの上にあります。閉めたらポストに入れておい
てください。嫌じゃなかったら持っていて。あたしは構いません。
そして3件目も、ジュンだった。
−もうお昼よー。別にいいけど。…そうそう、健に伝言をお願い。『この恨みは
一生忘れないわよ!この次会ったときには今より百万倍いいオンナになって、
すっげー男前の御曹司のカレ連れて、後悔させてやる。「俺のこと信じて待って
ろ」って、言っときゃ良かったってぜーったい言わせてやるんだからねー!』
以上、ヨロシク。

ジュン、おまえ、最高の女だぜ、

破れ鐘頭の眦に、涙が滲んだ。



Episode 2 <BMW R100RS 或いは 水曜日の立ちゴケ>


太陽が黄色い。

地下鉄にすればよかった…。
ジュンは二重に滲む町並みを、妙に安全運転していた。
ジュンの単車は通常なら彼女くらいのサイズの女性の乗るモノではない。よく
立ちゴケしないよな、と同好の士に言われる。それは彼女のライディング・テ
クニックによるからなのだが、本当はジュン自身も高速のサービスエリアや赤
信号を見ると、緊張を強いられるのは確かだった。
特に今日のような、手ひどい二日酔いの、朝などは。

吐き気とともに、これもひどい状態のはずのジョーを思い出した。
あとで、電話しておこう、
そのとき、目前の信号が黄色に変わり、明滅しはじめた。
行ける。そう、いつものジュンなら。が、アクセルが開けられない。信号が赤
に変わる。
行っちゃえ、…でも、え、なんで、わ、やだ!
みじめに失速して、単車は傾いた。足が着かない、止められない、倒れる。
叫びたかったが、頭が痛くて声が出ない。

鈍い金属音とともに、愛車の1000CCは道の真ん中に寝っ転がってしまっ
た。それも、丁度隣に滑り込んできた不運なライダーを巻き添えにして。
「すみません!!」
「あつぅ…」
オレンジのジャケットに黒パンツ黒メットの彼は、ジュンと自分との単車に足
をはさまれていた。ジュンは焦って単車を起こそうとするが、力が入らない。
「焦らなくて大丈夫。この時間、ここいらじゃそうそう車は来ないから」
少しずつ足をずらして引き抜き、彼はまずジュンの単車を起こして道路脇に止
め、次に下敷きにされた愛車を引き起こした。
シルバーのBMW R100RS。外車だぁ…とジュンは思った。一コケ、一体
いくらくらい掛かるんだろう…

「足、大丈夫ですか?単車も。あの。修理代払います。連絡先…」
「気にしないで。自分で診られるから。きみこそ大丈夫?」
彼は、フルフェイスのグラスを持ち上げた。
黒い髪、切れ長の黒い瞳。
「うしろから見てて、なんかずいぶんおっかなそうに乗ってるなぁ、とは思っ
たんだ。こっちも考え事してたから、避けられなかった」
東洋系だな、とジュンは思った。
「具合悪いの。顔色悪いよ」
背は健くらい、と思ったところだった。
「え、そ、そんなことないです」
慌ててしまう。とってつけたような笑顔。
「?」
彼は怪訝そうに小首を傾げた。
「大丈夫、本当に大丈夫です。ちょっと休んだら行けますから、あたし」
「無理しないでね」
じゃ、
と彼は愛車に跨った。軽く右手をあげてから、信号を見上げる。
ああ、こういうの、端正な横顔っていうんだわ、
と見蕩れているうちに、一陣の旋風が鼻先をかすめ、吹き抜けていった。
「あの、連絡先!」
思い出して叫んだときには、後ろ姿も見えなくなっていた。

オフィスに着いてからも、ジュンは強ばった顔つきのまま、デスクにへばりつ
いていることしかできなかった。あんたでも二日酔いするのぉ?と同僚に笑わ
れる。誰が相手してくれたのよ、きっと今頃冷たくなってるわよその人。
ジュンは曖昧な笑顔を返して、またデスクにへばった。ああ、ジョーに電話し
なきゃ、とバッグに手を突っ込む。携帯電話はどこに入り込んだかなかなか出
てこない。いらいらしてくる。頭痛いのに。吐きそうなのに。ああっ!もう!!

ジョーは電話に出なかった。
まだ9時前。前後不覚で眠りこけているに違いない。ことさらに元気を奮って
留守録した。ジョーが電話にでてこなくて良かった、と正直思った。
携帯電話を放り出すと、堪えきれずにトイレに走った。

畜生。
わーっと大暴れできたら、どんなにスッキリ楽になれることか。
仕事がはかどれば気も紛れようが、ただディスプレイを睨み付けたきり、実際、
何にも手がつけられない。同僚は、そんなジュンを見てみないふりをしていた。
−どうしたの、カノジョ。
−さぁ。こんなこと初めてよ。昨日は張り切ってフレックスしてたけど。何が
あったんだか…よっぽどだったんじゃない?

そうよ、よっぽどだったのよ。
ジュンはデスクに放り出したきりだった携帯をとりあげた。
ジョーは出ない。2度目の留守録。
あたし何しに会社にきたのかしら。トイレで懺悔して、ジョーのケータイに留
守録して…。今朝の素敵な彼にも、連絡先、教えることも聞くこともできなか
った、あたしとしたことが…。ああ、自己嫌悪。

昼に誘われたが、とても食べ物を口に入れる気になれず、席に残った。
3度目のジョーへの電話もやはりつながらず、留守録。
冷たくなっていないでよぉ、と頭を抱える。
健への伝言は、半ば本気だった。何よ、この悪寒は!あたしをこんな目にあわ
せて、許さない!
と、隣の席の女の子がジュンの肩をたたいてきた。
「これ、落ちてたわよ」
あの封筒。
「あ、ありがとう」
慌てて受け取る。携帯電話を探したときに落としてしまったのだろう。急に遣
る瀬なくなり、バッグの奥につっこもうとした。しかし。
健はどんなふうにしてコレを書いたんだろう、
バッグのふたをあけた中途半端な状態で、ジュンは停まってしまった。
自分は彼の負担でしかなかったのだろうか、待っていたかっただけなのに、別
にただそれだけでよかったのに…
ふと、昨夕と手触りが違うことに気が付いた。
あの豪雨のなか、バッグに雨水が沁みて濡れてしまったのだろうか。拙い。こ
んな大切なものを…。
手紙を取り出してバッグを机の下に放り込む。便箋を引き抜いて、広げる。
破れたりはしていない、とジュンは安堵の溜息をついた。

−さようなら
の文字ばかりが、やたらに大きく目を射た。そして、さようなら、の斜め下に、
健の署名。"SPRING Ken_Washio"。
何かおかしい、と未だ消え残っているG3が告げた。健の仲間内の文書やメモ
は、無記名か署名しても"Ken"か"G1"だ。ましてや、ファースト・ネームとセカンド・ネ
ームの間をアンダースコアで繋げるなんてことは…。
昨日は動転していて見過ごしていたのだ。これは、何。なんのこと。
どっと記憶が甦って来る。そうよ、"SPRING"よ。
デスクのPCに向かい、ISOのサーバ・ログイン用の画面を立ち上げた。酔
いも吐き気も吹っ飛んでいた。サーバ名、"SPRING"。ファベットの羅列
を打ち込み、ログインした。
−The permission is denied
権限不足ではじかれる。ジュンは、ログインできたはずのプロファイルを思い
出せる限り全て試してみた。どれもこれも、存在しないとエラーが返ってくる。
ISOのセキュリティがそんな甘いわけないか。
手紙を握りしめ、ISO長官室を目指して、席を立った。

留守がちな南部が在席していたのは、本当にラッキーだった。
秘書に通されたジュンを見て、南部は
珍しいじゃないか、ランチはとったかね?
と沁み入るような微笑を向けた。
ジュンは言葉少なに南部に健の手紙を提示し、署名の部分を指さした。
「"SPRING"は長官のサーバでしたね?昔、あたし達も文書の保管用に使
っていたやつで、それぞれのフォルダ名が、"名_姓"になってる…」
「うむ。マシンも環境もそのまま残っている。ログインしてみたかね?」
「あたし、ログインできなかったんです。長官、アドミニストレーター権限、
持っていらっしゃいますね?」
「いや、私ももう最高権限は無いんだよ」
セキュリティ専門の部隊が、その辺はすべてコントロールしているんだ、
と南部は言った。
「しかし、フォルダを覗くことくらいは無論可能だ」
南部はデスクに戻って立ったまま走り書きし、メモを千切った。
「やってみたまえ」
ジュンは南部に勧められて、大きな長官席に腰掛け、長官端末を引き寄せた。

ログインはあっさりできた。
"Ken_Washio"でフォルダを検索する。数秒後、フォルダの存在位
置と、フォルダ内容が表示された。几帳面な健らしく、文書を種別にフォルダ
化してある。ジュンはフォルダの最終更新日時に注目した。健が何か操作した
なら、その日付だけが新しい筈だから。
果たして、あの戦争中の年月日が並ぶ中に、新しい日付がひとつだけ目に入っ
た。反射的に、内容参照しようとダブルクリックした。
−The file has been crashed
まさか、健が壊れたフォルダをわざわざこんな形で知らせてくるわけがない。
一度コピーして…エラー。回復できるか…エラー。
「どうだね?」
南部が背後からディスプレイを覗き込んだ。
「いけないようだね」
と南部はひとりごちた。緊急だな…
南部が電話をとりあげる気配を感じながら、ジュンは空しく孤軍奮闘を繰り返
していた。何をやってもエラー、エラー。
−リサ?いてくれてよかったよ。実はね−。…。…。…。いやそれで相談に乗
って欲しいんだ。至急こちらに来てくれないか?

ほどなく、高い靴音が長官室に早足で響いた。
「失礼します。長官、それで、ブツはどれですか?」
ジュンは顔を上げると、亜麻色の髪をショートカットにした黒のパンツスーツ
姿の女性が立っていた。南部は彼女に黙って端末を指し示した。
ジュンが何か言う前に、彼女はジュンの横にまわりこんで、ディスプレイを見
下ろし、ジュンに微笑みかけて言った。
「はじめまして、わたし、セキュリティのシーン。リサ・シーンっていいます。
ごめんなさいね。お嬢さん。椅子、ちょっといいかしら?」
あわてて席を譲った。リサと名乗ったその女性は、さっと腰掛けると同時に、
ディスプレイをスクロールしながらふーんと鼻を鳴らした。
「一応のことは全部やってみたんですね。ユーザがみなこんなだと、うちの残
業もかなり減るのだけれど」
やおら、その指が猛烈なスピードでキーボードを叩き始めた。
ジュンが見たこともないようなコマンドがコマンド・オプションが並んでいく。
「破壊されているのではありませんね。何かこれは意図的に… …って、誰?
こんなややこしいことできるの。久しぶりですね。こんな…」
手応えのあるのは、とリサはうすく微笑んだ。ジュンは南部と並んでリサの指
とディスプレイを食い入るように見つめていた。そして、
「開いた」
と同時に叫んだのは、ジュンと南部だった。
ファイルが3つ並んでいた。HS1、HS2、HS3。
「喜ぶのはまだ早いですよ」
リサはにこりともしなかった。
「肝心のこいつらが」
エラー。
「読めないことには」
エラー。
「参ったな…。長官、これ、当然、緊急なんですよね?」
リサがディスプレイを睨みながら言う。
「うむ」
南部の表情が硬く強ばる。
リサは唇を噛んで、キーボードを叩き続けた。
「了解しました。あ、…と」
不意に、ぽんとファイル内容が表示された。南部とジュンは反射的にディスプ
レイに貼り付いた。しかし、ジャンクした意味不明の文字列が画面を埋め尽く
しているばかりだった。
「は…」
リサが目を丸くする。本当に手強い坊やだこと。
読めなければ、話にならない、ジュンは泣きたい気持ちになってきた。
急がなきゃいけないのに。どれくらいの猶予があるかも分からないのに。
「長官、こうなったらわたしでは時間がかかりすぎます」
リサは電話をとりながら南部を見上げた。
「…あの、彼、呼んでもかまいませんか?それとも、わたしひとりで処理しな
いと拙いですか?」
「勿論、構わない。君の部隊の口の堅さには全幅の信頼を置いている」
ありがとうございます、とリサは笑った。
「オダくんいる?…ああ、オダくんか。長官室に大至急、猛ダッシュして来て
くれない?全速力で、よろしく」

リサは椅子を立って、今度はジュンを振り返った。
「そんな顔しなくても大丈夫。絶対なんとかしますから。ところで」
あなたは?
そこまで言われて、やっと名乗ってもいないことに気が付いた。
「失礼しました。わたし、国際部のジュン―― です」
「ジュンね。国際部にこんなファイル、か」
リサはディスプレイを一瞥した。
「世の中まだまだきな臭い、ってことなのかしらね」
誰も答えず、南部は壁の時計を仰ぎ見た。と、

そこに、
「失礼します。長官」
と、長い人影が大股で飛び込んできた。
「なんですか。リサ。全速力って」
枯葉色のソフトなスーツ。
あ、と小さく声を上げたのはジュンと同時だった。

姿は異なっていたが紛れもなく、それは、シルバーのBMWの彼だった。
「何、知り合い?」
リサは彼を長官席に招きながら言った。
「知り合いってもんじゃ。ほら、今朝話ししたじゃないですか」
「ああ!」
リサがぱぁっと華やかに微笑んだ。
「あなたが、その、立ちゴケの彼女」
顔から火がでるのが分かった。
南部だけが状況が読めず憮然としている。リサが気づいて南部に向き直った。
「長官、ランチされました?」
「いや、まだだが」
「では、ご一緒しませんか?」
南部は困惑したように、ディスプレイをちらりちらりしている。
「ここは彼に任しておけばいいですよ。不明点が出たら、ジュンに説明しても
らえばいいでしょう?」
じゃ、何かあったら携帯ちょうだい、とリサは半ば無理矢理南部の腕を取った。
「じゃね」
振り返ってウインクする。ドアが閉じられると、彼は肩を竦めて見せた。

「ったく。ま、偉い人に囲まれてると遣り辛いしな」
席につくと、いきなりディスプレイをスクロール・バックしていく。
「…ははあ、これね。と。俺、セキュリティ室のオダです。はじめまして、じ
ゃなかったか」
口調は軽いが、目は流れていく文字列を追いかけている。
ジュンもリサにしたのとまったく同じ自己紹介をした。
「座ったら」
手はもうキーボードの上を滑っており、ジュンには一瞥も呉れない。
「は、はい」
部屋のすみにある、予備の椅子を引きずってきて、腰をおろした。
独り言も言わない。
ディスプレイはオダの発行するコマンドを受けて、すさまじい勢いでスクロー
ル・アップしていく。
ジュンはぼうっとオダを眺めた、このひと、スーツもワイシャツもタイも完璧。
自分を良く知ってるんだ。…どんな色や形、髪型が似合うのか。
健とは違う。
オフは殆どTシャツとジーンズ、ネクタイを嫌っていて締めているのを見たの
は数えるほど、髪は無造作に伸ばしっぱなし。それで素敵ではあったけれど。

「…あの、寝てるの?きみ?」
「はいっ」
跳ね上がってしまった。自分の声まで頭に刺さる。
「HS1だけ解読できたよ。2と3はまだ。ちょっと手強そうだね」
オダはディスプレイからジュンに向き直った。
「これから長官と上司、ってリサだけど、連絡をとって、このファイルをセキ
ュリティのサーバにコピーしていいかどうか確認する、こいつより」
と、ディスプレイを親指で示す。
「パフォーマンスもいいし、コマンドもツールも沢山使えるから」
いずれにしても、と彼はちょっとディスプレイを睨む真似をした。
「リサがお手上げになったってとこで、イヤな予感はしていたんだが、こいつ、
ちょっと時間かかりそうだ。デッド・エンドはいつ?」
ジュンはデッドという響きに身を堅くした。
「分からない、んです。でも、今かもしれない…」
オダは、その言葉を推し量ろうと黙ってジュンの瞳を見つめ返してきた。厳し
い眼差し。しかし、次の瞬間、彼はふんわり微笑んで受話器をとった。
「厳しいね。もう少し負けてくれないかな。んん。まぁ…」
要はASAPってことね、と唇が動いた。

−あ、オダです。あの、長官のブツなんですが、HS1だけほどけました。…
2と3はさっぱりピーです。もっと武装したサーバに持っていかないと… は
い、はい、…そうです。あんな面倒なエンクリプションできるヤツまだいたん
ですね。是非一度お会いしたいですよ。

何もできない自分が悲しくて悔しかった。歯痒かった。
なぜ健はあたしにこれを託したの、なぜジョーじゃなかったの、なぜあたしが
これに気づくと思えたの。さよならって言ったくせに。
横からはオダの軽いキーストロークの連続音が、再び響きはじめていた。
吐き気も頭痛も朝からずっと。そろそろ泣きたい気持ちになってきた。

「よし、準備OK」
不意にオダが長官席から立ち上がった。
「どうもありがとう。ここは解散だ」
「え?」
座ったまま、見上げている。さぞ間抜けな顔だろう、と思う。
「俺はこれからセキュリティに戻って作業の続きを行う。何か分かれば報告は
リサに上げる。きみにはそのあと何らかの指示が上から来ることになる。い
い?」
「そんな、あたし…」
ここで置いてきぼりにされる気は毛頭無かった。
「冗談じゃない、立ち会うわ。ちゃんと」
「うちのコンピュータルームには一般社員は入れない。知らなかった?」
知ってはいた。
「でも!」
「これを読めるようにするのが、俺のミッション。読めるようになってからが、
きみのミッション。きみが立ち会ってくれたところで、今のきみに現段階で出
来ることは何も無い」
ぐっ、と詰まった。言い返す言葉が見つからない。
「立ちゴケしないていどには体調を整えておくのが当面のきみの仕事じゃな
い?長官が今日は帰宅して待機するように、って言ってるそうだよ」
じゃ、お疲れさま、
とオダは踵を返し、この部屋に入ってきたと同じくらい足早に去っていった。
振り返りもしなかった。
涙でも怒りでも無く、酸っぱい胃液がこみ上げてきた。

席に帰ったら、南部からは仕事のオーダーが既に正式に上司に届いており、緊
急通達がいつ入ってもいいように、携帯電話は常時オンにしておくように指示
された。ただ、ハイ、ハイとしか応じないジュンに、所属長は、早く酔いを覚
まして下さいよ、と微笑した。失恋したんだろう?と職場の雰囲気が出来上が
っていた。そして、確かにその通りなのだった。
最悪。ジュンは身も心もすっかり意気消沈して、帰途についた。

でも、とジュンは朝以上の安全運転をしながら思った。
あんなふうに言われたこと、初めて。
女だからと思われるのが嫌さに、随分と突っ張ったものだった。結果も出せて
いた。今の仕事も要求以上にこなせている、という自負がジュンにはある。そ
れなのに、今のきみに、現段階で出来ることは何も無い。
あそこまで言い切られるとは。
その口調を反芻するにつれ、ムラムラと悔しさが突き上げてきた。
あたしを誰だと思ってるの。そりゃ、あたし、立ちゴケしちゃったけど。ちょ
っとカッコいいからって、特別なシゴトができるからって、そりゃ、あんたの
言ってることも本当のコトなんでしょうけど。偉そうに…!!ムカツク。腹立
つ。大嫌い。あんたみたいなタイプ!ダイキライよ!

信号無視をしていたことも、制限時速の3倍のスピードが出ていたことにも気
づかぬまま、ジュンはアパートに、無事に、辿り着いた。
部屋の前まで来ても、口の中で、ダイキライ、ダイキライと繰り返していた。
そして、その勢いのまま、常の彼女には無い乱暴さでドアを開けた。

ドアのポストがちりんと小さく金属音を立てた。
「ジョー?」
反射的に、今朝分かれたきり話しもできていないことを思い出した。
ポストを開けると、あの鍵がころんと滑り落ちてきた。拾い上げて握りしめた。
「いないの?」
部屋に駆け込んで、灯りを点ける。
「帰っちゃったの?」
部屋は冷たく乾いていた。リビングも、ベッドルームも、一人暮らしのジュン
のいつものまま。気配ひとつ残していない。
「女の家に泊まった証なんか、残さない、か」
つぶやいてベッドに倒れ込んだ。
そういう男だ、と知っていたはずだった。

長い吐息を漏らすと、ゆっくりと体を縮めていった。頭を両腕に包み込み、小
さく堅くなって、動かなくかった。
冷蔵庫のかすかな稼働音。隣室のエアコンの低い響き。どこからとも分からな
い遠くのクラクション。

ジュンは、胎児のように丸まって、眠りに墜ちていった。



Episode 3 <UNKNOWN SOLDIERS>


…酒臭くない、よな。
ジョーは病院のエレベーターの中でもう一度、掌に向かって息を吐く。
大丈夫、だよな。
昨日は、丸1日たっぷり懺悔に費やした。酒気を帯びている状態では健の病室
に入れてもらえない。しかし、哀しいことに、酒の匂いが残っているかどうか
など、自分自身で分かるものではないのだが。

果たして、10分後には、いつもと変わりなくジョーは健のベッド脇に座って
いた。
「渡してきたぜ。ラブ・レター」
健の唇が、ありがとう、と動いた。
「返事を預かってきたぜ」
銀のトレーに載っている携帯電話を取り、あの伝言を呼び出す。
ジュンの第一声を確認してから、ジョーは電話を健の耳にくっつけた。
健は、まず、えっというように目を大きく見開き、それから、すっと目を細め
呼吸も押し殺した。そして、悪戯そうな愛おしそうな微笑を漏らすと、ジョー
を見上げた。
「あちらさんのほうがお前より1枚上だったな」
(うん)
急に、健はまぶしそうに瞬いた。唇がまた何かもの言いたげに震えた。
「何?」
健の顔を覗き込む。
(…出たい)
今度はしっかり言葉が紡ぎ出された。
(…ここから、出たい… みんなに、会いたい…)
青い瞳が、同じ色の冴えた空を分厚いガラス越しに透かした。
ジョーは、返す言葉を探しながら、幼子にするように健の前髪を撫でた。
「そうだぜ。元気になるここから出る、って思い続けるのが一番大切なんだ」
健は小さいがしっかりと頷いた。瞳に力が宿り、あの、有無を言わさぬ眼差し
で、ジョーを視た。
「すっげー男前の御曹司に盗られちまう前に、何とかしないとな」
(馬鹿野郎)
健はハッキリこう言って、本当に楽しそうに笑った。
ジョーにとって何より大切な、当たり前の健だった。しかし、そう長居もして
いられない。健を疲れさせてしまう。
「今日はこれで行くわ、俺」
健が、子供のような瞳で、立ち上がるジョーを追って来た。
「南部長官から呼出し喰らっちまってさ」
どんな用だか知らねえがなぁ、と小首を傾げて見せた。
「じゃ」

部屋を後にするジョーの背中を、健はいつにない透徹された面差しで見送った。
…ジュン…
ごく小さな溜息をするように幽かに、唇が動いた。

**

南部からこの前呼出しがかかったのは、いつだったか。思い出せないくらい久々
だった。ジョーはISOのパーキングに車を滑らせながら、天にむかって屹立
した白い威容を見上げた。指示された時間にはまだ間がある。久しぶりに竜に
声かけて、早めの昼飯でも一緒に食うか。
地下駐車場で車を回しながら、目のすみにシルバーのBMWが入った。R10
0RS。へえ…、珍しいな、綺麗に乗っていやがる。
丁度そのとき、エントランスからふらりと人影が現れた。健とよく似たシルエ
ットに、ジョーは一瞬瞠目した。
それは駐車場に降りる階段で僅かに蹌踉めいて、立ち止まった。
健であるわけはない。しかし、見覚えがあった。迷わず窓を開け、身を乗り出
して叫んだ。人影は気付かぬ様で、BMWに歩み寄った。舌打ちして、パッシ
ングとクラクションを喧しく呉れる。胡散臭そうにこちらを向き、目を細めた
ところに、
−そこのハンサムなカレシ、どこ行くの?
ジョーは大きく手を振って笑いかけた。

「相変わらず、何にも見てない聞いてない、だな」
「徹夜明け。帰宅命令くらった。明け休」
「で、単車で帰るってか?」
「これが俺の足だもん」
「リサに電車で帰れって言われたんじゃないのか?…どうせ、リサもセットで
ここにいるんだろ?あんたらの上官、いや上司で」
「鋭い」
「やっぱりな。と、すると、お前が帰って単車が無いとなると、次にリサに会
ったときに」
「多少、面倒、かな」
「多少じゃねえだろ」
少しは安全管理とか健康管理とかに配慮してくれないかしらね、
「…オダくん!」
とジョーは彼の女上司を巧みに口真似た。
「送って行くから、道を教えな。俺、昼過ぎまでにここに戻れればいいからさ」
「サンキュ」
オダは心底疲れたというように、溜息をつき、ジョーに住所を言った。
「正直助かる。地獄に仏、だよ」

「目と耳、やっぱ辛いのか?」
ジョーは今来た道を戻りながら言った。
「うん、まぁ。最後に会った頃より…、少し悪くなってる。左はうっすら。右
は視力は出るけど、いわゆる視野狭窄」
耳は、とオダは淡々と喋った。
「これも左はほぼダメ。右に補聴器」
右耳を示した。この男だと、プラチナのピアスにしか見えない。
「おまけに近頃は足の古傷まで痛み始めて、天気悪かったり、疲れが溜まった
りすると、もう堪らない。今や文句なしの身障者」
「あの状況で命があったんだ…」
ジョーのことばにかぶせるように、オダは小さく言った。
「そう思うように、してる、って」

皆が戦争は終わったと思い始めた頃だった。
統合情報本部が突然の激しい爆撃を受け、ジョーのチームも緊急指令で救助に
駆け付けた。辿り着いたときは、炎の海に累々と屍が横たわっていた。悉くの
電子情報をストレージし、処理していた本部。戦い半ばで叩けば、一時は戦局
を塗り替えることができただろう。しかし、あの段階では最早、八つ当たりの、
ただの大量虐殺に過ぎなかった。
「無線ごしに、リサが、お前があそこに行ってるんだ、って半狂乱で」
足がなくっても腕がなくっても命だけあればいい、お願いだから連れ戻してく
れ、何でもするから、ってな。
ジョーがリサに何かを"お願い"されたのは、後にも先にもあれっきり。混乱に
取り紛れて、結局何にもして貰っていない。軽い悔恨と奇妙な甘さと共にある、
もう遠い思い出。
オダは前髪を掻き揚げ甲を額に当てると、窓に肘をついた。
「ジョーは俺の命の恩人だよ。お陰で足も腕ももげないで済んだ。」
「いや。お前の運さ」
オダはおそらくは最初の爆風で部屋の隅まで吹き飛ばされて意識を失った。そ
の上に同僚達の体と大型コンピュータ群が折り重なり倒れ込んで、続く爆撃か
ら彼を守った。ジョーが見つけたときには血塗れだった。搬送に耐えられるか
どうかも判断しかねた。しかし、彼は息を吹き返した。

「あれから…、辞めた、って聞いてたぜ」
とジョーはオダを横目で見た。ISOで何してるんだ?
「辞めたさ。ずっとふらふらしてた。去年、リサが熱心に誘ってくれたんだ。
もう一度、一緒にやらないか、って」
−もう爆弾は飛んでこないから
って。
先月1日付けで入社したんだ、とオダは小さく息をついた。
「シゴトはまたテクニカル・エンジニア。バカの一つ覚えのブロック専門」
「いつまでたっても忙しいんだな。おたくは」
「ま、ね。俺たちの戦争はあの頃からずっと変わらない」
目が赤い。痛むのか、オダは眩しそうに瞼を閉じた。睫が長く影を落とす。
「爆弾が飛んでこないだけ、マシ、か」
「そういうこと」
「ま。あんた達なら何があってもなんとかするよ」
「リサに伝えておく。喜ぶよ」
ところでさ、とオダから話題を変えた。
「まだ時間いいよね。送ってくれるついでで悪いけど、俺さ、昨日から何も食
ってないの。どっかでブランチ付き合って呉んない?」
「いいね」
ジョーは二つ返事でアクセルを踏んだ。オダの横顔をちらちらと眺める。
−今日は本当にいい日だぜ

* *

ジュンは携帯電話に叩き起こされて遅い朝を迎えた。
−酔いは醒めたかね?
驚いたことに、南部本人。ジュンは反射的にベッドに正座し、背筋を伸ばした。
「はい、おかげさまですっきりしました。もう平気です」
−よろしい
「あ、あの、なんで私が二日酔いってお分かりになったんですか?」
−あれだけ酒臭ければ、誰にでも分かると思うが。
「も、申し訳ありません」
思わず最敬礼。
−いや。構わんさ。…ところで昨日からの件だが、午後1時から長官室で報告
会を行う。きみも出席してくれ。
「はい」
緊張が走った。

気が付けば、顔も服も昨日のまま。両手で覆うと頬がざらついているのが分か
った。時計は8時。半日以上、眠りこけていたらしい。
熱めの風呂に浸かっている内に、体が徐々に覚醒してくるのが感じられた。い
つもの自分。昨日までの、あれは悪夢。今日からはまた…。

風は多少冷たいが、そう強くは無い。空はうっすらと雲を流して、青々と晴れ
渡って遠かった。最高の単車日より。ジュンはアパートメントの前庭に、愛車
を引っ張り出して、昨日の傷をチェックし始めた。
カウルが凹んで塗装が若干禿げていた。近いうちに修理屋に持って行かないと
まずいな、と唇をとんがらせた。ただ、走行には問題無い。
−BMW、どうしたかしら…
ふっと相手の単車が思い浮かぶ。グランド・ツアラーの逸品。痛みがひどくな
ければいいがと、とふっと心が軋んだ。

いつもより念入りに洋服を選び、お気に入りの靴を並べ、化粧を丹念に施した。

「よし。完璧。美人ライダー!」
それでも余分にかけ声が必要だった。行くぞ!
ちらっと過ぎった、電車にしようか、と思いを振り切ってアクセルを開けた。

途中、行き着けのカフェでサンドイッチとカフェ・オ・レのブランチを摂る。
ISOの地下駐車場に滑り込んだときは、丁度昼時だった。
単車を駐車場奥に乗り入れる。エントランス付近のBMWが目に入った。
ジュンは愛車を横に止めると、BMWの横に蹲り左脇をチェックし始めた。
−うわぁ…っちゃあ…
こちらも、走行には問題無い。しかし沁み一つ無く磨き上げられたボディに無
惨な亀裂が、数カ所。
−古典美人の愛娘の顔にキズつけちゃったのよね。あたし。
部品は今でもちゃんと手にはいるのかしら、自分で診るって言ってたけど、そ
んな時間あるのかしら。
暗澹とした思いで、それでも、もっとよく診よう、と鼻面を突っ込んだ。と、
「何やってんだよ」
見れば、ジョーが車のキーを弄びながら腰に手をあてて立っている。どうした
の今頃?と、咄嗟に口をついて出た答えがこれだった。
「長官の会議に呼ばれてるの。1時からの」
刹那、ジョーの眉が顰められた。戦後、いわば南部個人の傭兵だったあのチー
ムは解散し、それぞれ普通のヒトになった筈だった。言うなれば、現在南部の
私兵として動くのはジョーひとり。ジュンが自分と同じ会議になぜ?とジョー
は思った。しかも、勤務時間中に。が一応は素知らぬ風に言葉を繋いだ。
「そら俺もそうだが。答えになってねえ。いくら単車が好きだからって。人様
のもん弄くり回してんじゃねえぞ」
「それが…実は昨日、この子に立ちゴケして、傷つけちゃったの」
「えええ?」
ジョーも並んでしゃがみ込む。
「ああああ。いってんな。かわいそうに」
「本当に悪いことしちゃった…。どうしようかと思って」
「まあ。こいつのパパは部品も修理もなんとかするだろ」
「え?」
今度はジュンが腰に手をあてて突っ立ってしまった。
「知り合い?まじ?」
「すらっとした、ちっと東洋入ってます系美人のパパだろ?」
「うん」
「セキュリティのオダ」
「それ。でも、なんで?」
「世間は狭いな。俺、だいぶ前からあそこのチームとはけっこう縁があるんだ。
とりあえず、このお嬢のことはパパに任せておけばいいと思うがね、俺は」
しかし、と言いながら、ジョーはくっくっと笑った。
「お前が立ちゴケするとはね。鈍ったもんじゃねえか。平和っていいねえ」
「あんまり言わないでくれる?」
我知らず、眉根が寄り、口が尖がる。
「はは。昨日は俺も酷かったからな」
弾みを付けて立ち上がると、行こうか、という風にジョーはエントランスを親
指で示した。
「大丈夫か?」
小さく、付け足すように言う。
「え?」
BMWからジョーの声に視線を移したら、目が合った。ヘイゼル・グレイの瞳
が、いつもの冷やかしたような笑みを浮かべていなかった。
「ええ。そりゃあ大丈夫よ。あたしは」
行きましょ、とジュンはジョーを追い抜いて階段を駆け上がった。
「あ、そうそう」
ジョーはふっと笑ってジュンの背中に言った。
「言っとくがな…オダは御曹司じゃないぜ」
「何、言ってんのよぉ。まったく」
間抜けな声で振り返って、拳を握って見せる。
「いや。健にあの伝言、確かに伝えた、ってさ」
ジュンは笑顔を凍てつかせたが、
「何て言ってた?」
と冗談めかして返してきた。
「大笑いしてた。それから」
「大笑いぃ?まったく。どいつもこいつも」
踵を返し、階段を昇りきって、重いドアを両手で押し開ける。
「あたしを誰だと…」
大きく開いたエントランスから飛び込む。
「みんなに会いたい、って言ってたぜ」
閉まりかけのドアの隙をすり抜ける。
「…」
「弱みを見せたくない、ってのと、早く幸せになってほしい、ってのと、正直
自分は精一杯だから解放してくれ、ってのと。全部本当で本音なんだぜ。ジュ
ン」
ジョーはジュンの肩に手を回した。並んで歩き始める。
「分かってやれよ。ヤツは、ギリギリのとこで踏ん張ってる」
「うん」
「だから。お前も精一杯自分のことをやればいい。今、できることから順番に」
ジュンは鼻を啜って、顎を上げた。
「いいこと言うんだ、ジョーって」
「俺、立派なオトナだもんよ」
「そうね」
期待した突っ込みが入らず、ジョーが苦笑。
「やけにあっさり言ってくれるじゃねえか」
「ジョーって大人よ」
健にとっても、あたしにとっても、一番大切な。
とは、さすがに言えなくて止めた。
「気持ち悪い」
「居てくれて、ありがとう」
「止めて呉れ」
「お礼を言いたい気分なんだもん。いいじゃない。」
「ジュンと話してる気がしないぜ。勘弁してくれよ」

同時にどっと笑い飛ばした。

**

長官室の応接に通され、ジョーはまた強ばった。やはりISOの職員である筈
の竜、そして、よりによって大学生である筈の甚平。
「なんだよ?全員集合じゃん」
「なにがあったんじゃい」
南部の部屋にこの面子が揃うのは、解散を命ぜられた日以来だった。4人がそ
れぞれ、尋常で無い雰囲気を嗅ぎつけていた。
ジュンは黙って健からの手紙を広げ、ジョーに示した。ジョーの表情が固まる。
他の二人が口を開こうとしたときに、南部が入ってきた。
ぴん、と緊張した空気が流れた。

「全員揃っているね。…とりあえず、掛けてくれないか」
南部は全員の顔を順繰りに見回した。4人はそれぞれ、座り心地の良い革張り
のL字型のソファに、腰を落とした。
南部が最後に、残った一人がけの椅子に落ち着いた。
「今日、このような時間に、諸君に集まってもらったのは…」
全員が全員、改めて南部に向き直った。
「いわば、私の職権濫用である。…私は嘗て同じ部屋で、君たちに、戦争の終
結とメンバーの解散、そして、私からの特殊任務指令は二度と無いことを宣言
した」
南部は言葉を句切った。
「しかしその舌の根も乾かぬうちに、私は本日ここで諸君に特殊任務を依頼す
る。全責任は私にある。ただ、念を押すが、強制では無い。ここでこれから聞
くことに関しては厳重に守秘してもらいたいが、拒否権は諸君にある」
ここで南部はまた言葉を切った。
「くどいようだが、断じて強制ではない。いいね?」
全員で、はい、と頷いた。
「では、説明する」

* *

長官室の大窓の外を、隼が急降下していった。
日は今、中天に、ある。



a dummy <An extra story of Valkyrie>


南部に渡されたカードをチェッカーに通し、掌をスキャナにあてると、乾いた
声が暗証番号を促してきた。
やっとドアが開いたと思えば、目の前にはエレベータが2基。ジョーがホール
に足を踏み入れた途端、背後でドアが閉まり、1基のエレベーターのドアが開
いた。乗り込むと、勝手にドアを締め上昇を始めた。

ISOの電算室の運用管理棟。ここに、セキュリティ室があり、リサ率いる部
隊が配属になっている。
エレベータのドアが開くと、今度は硝子のドアごしに、パーティションで細か
く仕切られたオフィスが目に入った。

「久しぶり」
豪く無機的な風景とは異質な、揶揄うような声がスピーカから耳に入った。
内側からドアが開かれた。
「リサから話しは聞いてる。入れよ」
明るい声、同様に明るい茶色の髪、同じ色の瞳、
「またいろいろ面倒かけるぜ。よろしくな」
−アレックス、
とジョーは右手を差し出した。リサの部隊の実質的なナンバー2である。
「もう電車も無い時間だってのに、ここだけは盛況だなぁ」
「ほめられた話しじゃないがな」
と、職柄に全く似合わない厳つい男はからからと笑った。
「5人でぶん回して24時間体制さ」
「じゃ、今夜はあんたが留守番ってことか」
「イエース」
「ま、挨拶に来るにはちぃっと遅かったか」
「全員そろって居ることはないから、ぼちぼち顔だしてくれたらいいさ。誰か
いる」
「強烈な勤務状況だね」
アレックスはわざと大袈裟に肩を竦めてみせた。
「そうだ。マシーンルームにオダが居るから声かけてやってくれないか?」
「あん?」
今朝、会ったときに明け休だって聞いたぞ、と応えると、アレックスは急に萎
れて、それがだな、と声を落とした。
「夕方単車を取りに来たんだよ…リサに捕まってキー没収されちまったの。修
理は責任を持ってディーラーに出す、医者に行け、体調の回復が確認できたら、
キーを返す、ってな」
オダ自身はこれといって反抗的な態度は何らとらず、素直に従ったらしいが…
「3時間くらい前に、パラレル・サーバがエラーだしてさ。本体を見てくるっ
て行ったきり出て来ねえ。もう回復処理はとっくに済んでるんだ」
アレックスは、オダの精神構造には昔からけっこう手を焼いている。
「−なんていう細かい事情は知らんぷりしてさ、頼む」
拝まれてしまった。
「俺、マシーンルームに入る権限なんか無えぜ」
「んなもん、いくらでも入れてやる」
部屋の奥の、分厚い扉のロックの外れる音がした。背中を叩かれる。
「よろしくっ」
暗い部屋に放り込まれると同時に、扉が再びロックされた。

窓もない、一年中同じ環境の、空冷とマシン音に閉ざされた、通称『穴蔵』。I
SOの頭脳の中枢を担う、コンピュータ群が格納されている。
黒々と影になった筐体が墓石のように連なって、心なし、ジョーを押し戻した。
「オダ、居るんだろう?」
目が慣れてくるのに、少し手間取った。
「帰ろうぜ、って聞こえないか…おーい」
と、目の前に亡霊のように、黒いシルエットが浮かび上がった。
機械シグナルを浴びて、小さな光を照らし返している。オダの後ろ姿。
似ている、でも違う。頭では分かっていたはずが、体が反射的に動いた。

オダにしてみれば、背後からいきなり羽交い締めにされたも同然だった。腕と
胴、首をとられてしまっている、声を出そうとしたら、掌で口を押さえられて
しまった。首を必死に捻る。
「…よう」
ジョーがうすく笑んでいた。

何も考えないうち、だった。しかし、幽かな麝香の香りが鼻孔を擽り、目の前
にあるのは漆黒の髪だった。腕の下で、心臓が悲鳴を上げていた。半ば恐怖に
見開かれた黒い瞳が、目に入った。
やっとの思いで、平静を取り戻し、腕をはずし、体を引きはがした。
「呼んでも、知らん顔してやがるから」
「驚いた…お手柔らかに頼むよ」
オダは、ほんの少し上気した顔で、それでも微笑した。

アレックスの
−お疲れさん。オダ、明日はちゃんと医者行けよ
に見送られ、冷たい汗を背中に感じながら、ジョーはオダと連れだってオフィ
スを後にした。

「単車、没収されたって?」
「ああ」
「恐い上司だな。相変わらず」
「部下の安全管理ってとこだろ?でも、いいや」
丁度よかったんだ、
と独り言のような、ないような。
「止めようと思ったところだったから」
「止める?レースは?」
「また大昔のことを。…もうとっくに…」
ジョーは次の言葉が出ずに、オダの話すに任せた。
「あの、カノジョの立ちゴケ」
オダのセンテンスは短い。
「真横に居たのに、目に入るどころか、悲鳴も気配も分かんなかった」
こんなんじゃなかったんだ、と声が少し掠れた。
「もう乗れない。誰かに怪我させてからじゃ、遅いだろう?」
だから丁度よかったんだ、これは完全に独り言だった。

高台の高級アパートメント。
「今日は2度も送ってもらっちゃって」
とオダの微笑がウインドウ越しに見えた。
「ごめん。気を付けて」
手を小さく挙げるのに、一度は低くクラクションを鳴らして応え、ゆっくりと
車寄せを離れた。ルームミラーに見送る姿が映った。アクセルを踏み込もうと
した。が、惹かれるように背後を振り返ってしまった。月の光を浴びた、白い
細長い影。

−ジョー、正義って何なんだろうな

次の瞬間、思い切りバックシフトを入れていた。

ジョーが車を停めるのを、オダは呆気に取られたように突っ立って眺めていた。
ドアをロックし、キーをズボンのポケットにねじ込むと、その手でオダの腕を
掴んだ。
「部屋は?」
途方に暮れたような瞳が、ジョーを計りかねていた。
オダはそっとジョーの手を腕から外し、黙って前に立った。

**

海が綺麗に開けて見える、高層階。広い家は、妙にすっきりしていて、住人の
気配も浅薄だった。
「適当に掛けてて」
いったんキッチンに消えると、缶ビールを持って来て、ジョーに渡す。
「あとワインとチーズくらいかな」
低く呟きながら、オダは一番眺めの良い、大きなガラスの窓際にジョーに背中
を向けて立った。月が明るい。またシルエットになる
「…そんなの」
どうでも良かった。。
「おい」
肩に手を掛ける。影が影のまま黙って振り返る。
「こんなとこに、突っ立ってんじゃない」
「何故?」
影がくすっと笑う。
「日頃、穴蔵暮らしだから、塒くらいは、って頑張ったんだぜ」
「うん。それは分かる。良い部屋だよ」
喋り続けていてくれれば、少しは紛れるかと、ジョーは無理矢理言葉を継いだ。
「ISOって給料いいんだな」
またくすっと笑い声が聞こえる。
「まさか。普通でしょ。怪我して軍を辞めるときに、補償が沢山出ただけ。俺、
佐官だったから」
「はたちそこそこで佐官かよ」
「出世は早かったよね」
まるで他人事。
「軍に入ったとき10代だったから。そんなもんでしょ」
ジョーは初めて会った頃のオダを思い出す。有名大学を三級だか四級だかスキ
ップして卒業した上に博士号まで取得している、という鳴り物入りの経歴だっ
た。先に噂だけが耳に入ってきて、どういう鼻持ちならないガキだろう、と健
と噂しあったものだった。オダを最初に見付けたのは健だった。
−ほら、
南部を護衛して情報本部に出掛けた日だった。長い待ち時間に退屈しきった頃、
ジョーの脇腹を突いて、健が囁きかけた。
−若いね。彼。
入隊して間もない、下級将校の礼服姿のオダだった。それが" 鼻持ちならないガ
キ"とは、そのときは思いも寄らなかった。
二人の目の前を歩き過ぎていく。
−掃き溜めにナントカ…
健はさも感心したように、含み笑いして背中を見送った。
−見ろよ。剥ぎ取ってくれ、って書いてある。

あのころの健と、今のガラスの中の健を重ね合わせるには無理がある。
手を伸ばせば届く処にいて、五感で捕らえることのできる存在、感情を表出し、
愛したり憎んだりする存在。
今の健は…。もう違う。
健は、ガラスの中で呪縛する。ジュンを、そしてジョーを。
目の前にある肩を捻って引き寄せた。顎に指をかけ、顔を上向かせる。
何も見ないまま、接吻けした。反射的にその顔が逃れるように、背けられる。
「どうしたんだよ」
ジョーの手が腰に回され、今度は体ごと引っぱられる。
「待…っ」
ジョーは、抗う手を簡単にねじり上げ、体を簡単に抱え上げた。明け放れたド
アのひとつから、起き抜けのままの乱れたベッドが見えた。

軍で多少の訓練を受けた程度では、ジョーを相手には赤子も同様。ましてや実
戦経験など全く無い。オダは、ベッドに放り出され、反射的に壁際に後ずさっ
た。
これから何が起こるかは分かっている、でも、と唇が震えた。
「何故」
最初は、酷似したシルエットのせい。
「何故?分かってるだろう?」
酷薄とまで評される美貌のせい。
「分かんないから尋いてるんだよ」
誘ってくれと言わんばかりに隙だらけだった、せい。

それだけか。それだけではなかった。とにかく、逃れたかった。壊したかった。
ベッドに押し倒して、顔を仰向けさせる。それでも、躰を捻ろうとするので、
喉を抑えた。激しい噎せ返りとともに、眦に涙が滲んだ。
山猫が手の内の獲物を見下ろすように、咳が治まるのを待つ。窒息させぬよう
に、そして、動けぬように。
喘ぎながら、黒い瞳がジョーを冷ややかに睨め付けた。見たくない、次の瞬間、
ジョーの左手が一閃した。

欲しいものは…なに?

**

牡の征服欲そのまま。声ひとつ上げない木偶のような躰を、ジョーはひたすら
に貪った。同じしなやかで強かな躰でも、触れれば筋肉の造作も違う、返って
くる戦慄きも違う。触れるほどに思い知らされ、それなのに幾度も押し寄せる
大波に弄ばれた。滴る汗とは裏腹に、泣きたくなるくらい寒かった。

気が付いたら、天井を睨み付けている自分がいた。ベッドはその痕跡をはっき
りと残しており、が、ジョーひとりだった。
月は沈んだのか、今度は星が明るい。やけに冷える。
軽く衣服を身につけ、リビングに出た。

カーテンが踊るように舞い上がって、冷たい風の通り道を示していた。

サッシがベランダに向かって小さく開いていた。
広く開けて、寒々とした広いベランダを見渡すと、オダが壁に崩れるように寄
りかかってしゃがんでいた。
声を掛けても、聞こえない。妙に光りを帯びている髪に触れた。濡れていた。
凍てつくほどに冷たかった。バスローブ1枚纏っただけで、一体どれくらいこ
こにいたのか。
「ごめん」
謝らなきゃいけないような抱き方をするな、と言われたことが確かにあった。
「ごめん」
肩を、今度は静かに包み込んだ。
「頼む。何とか言ってくれ」

「いいよ」
オダがぽんと言った。
「別に、初めてじゃないし」
振り向かない。ジョーの手を肩から解き、押し戻して、小さく頬を埋めるよう
に座り直した。
子供じみた苛つきを感じて、オダの正面にまわりこんで腰を下ろした。涙の後
も残っていない、静かな面持ちだった。右頬を濡れタオルで押さえている。非
の打ち所の無い筈の顔が、無惨に腫れ上がっていた。
「朝までには引くよ。大丈夫」
また、他人事のように言う。
「だいじょうぶ、だって?」
何が大丈夫か、と、タオルと一緒にそれ以上に冷たい指を掌で包んだ。
「出庁できる」
「仕事に行くつもりかよ。これで」
「こんな痣だらけで病院には行けないし。みんなにばかり負担は掛けられない」
「待てよ」
「することはちゃんとしないと」
何を言ってるんだ、こいつは、と思った。
「待てよ!ちゃんと俺を見ろよ。…他に言いたいことがあるだろう?」

「気は済んだ?」
悽愴な微笑。
「首を絞めてても、殴ってても、上の空だったろう?」

静かだった。
「あんたのこと、少し好きだったよ。仕事でも何でも、俺と組んでセクシャル
なこと、しもしない言いもしないってひと、珍しかったし…」
うちのチームとあんたんとこくらいだった。とオダは睫を伏せた。
「凄腕のコマンドだって、ちょっとだけ憧れてた。仕事が一緒になると、嬉し
かった」
−機密本部の爆撃のときも、
「熱くて、苦しくて、ああもうここで死ぬんだ、って諦めたときに、引っ張り
出してくれて…」
だから、と、それきり顔も伏せてしまった。
「気が済んだんなら、帰れよ」
「済んでねえよ」
「…」
「聞けよ」
肩を抱き寄せて、瞳を覗き込んだ。
「今日、いきなりこんなことしたのは、お前の言うとおりだ。上の空だった…
ってのも否定できない。…お前、頭良いから嘘吐けねえよ」
二月の風。
「でも、俺はお前が思っているほどストイックじゃ無え。女はみんなそれなり
にかわいいって思うし。男も、…気に入れば…欲しくなる、そういう俗なヤツ
なんだ、俺は。」
聞いてるな?と糺すと、吐息だけ、うん、と聞こえた。
「ただ、相手が助けて貰わなきゃならないようなプロの場合、ましてや長く付
き合っていきたいヤツの場合、普通は慎重になるだろう」
冬の星座。
「…初めて見たときから、ずっと、気になってた…お前のことは…」

今日のお前、隙だらけだったからな、
とジョーは囁いた。いつもは0と1しか無いようなお前が…。

ジョーはゆっくりと立ち上がりながら、前屈みになった。
「…立てるか?」
腕に触れると、痛みがあるのか、眉を顰める。
「とにかく、中に入ろうぜ。風邪を引く」
抱きかかえるようにして、リビングに戻り、しっかりとガラス戸を閉めた。
「仕事、行くなよ」
抱きしめる。髪を撫で、耳朶を軽く噛んだ。
「お前、今も隙だらけだぜ。そういうところを…、あんまり他のヤツには見せ
たくないね。俺みたいな野郎は、けっこう居るからな」
「でも…」
と言いかけるのを、唇で塞いだ。舌を入れる。ややあって、ためらいがちに、
ジョーの首に腕が回され、舌が絡み付いてきた。

肌の木理の細かさは同じだな…


Episode 4 <The last mission>


−君たちの任務は、

「1プロジェクトを丸ごと無かったことにすること、である」
南部が口を開いた。
「一昨年から、ISOの機密データが盗難される、という事件がしばしば起き
ている。竜、君は関わったな」
「ええ。一昨年、うちの最新鋭爆撃機のデータの一部が第三国に漏れた、っち
ゅうやつですね」
「うむ」
南部は両手を組んで、少し、間を置いた。
「その件が銃爪となって、セキュリティ・リソースの増強を計った。ソフト、
ハード共に、だ」
口が重い。
「その中で、内部的にも機密データのリークが行われている、という疑惑が出
てきた」
竜とジュンが顔を見合わせる。
南部はまたここで、言葉を句切った。

「諸君はハイパー・シュートを、覚えているね」
忘れるわけがない。全員が息を呑んだ。
「私は、戦後、ハイパー・シュートの研究開発をすべてストップした。どう、
理屈を付けたところで、あの技術は人を幸福にするべく使われるものではない、
と心身に沁みたからだ。全データは封印し、すべての関連プロジェクトは凍結
した。しかし」
今になって、と苦しい息が漏れた。
「あの技術が持ち出されようとしていることが、最近になって判明した」
「持ち出す?!どういうことです」
ジョーが膝を乗り出した。
「ヒトとモノの両面併せて技術を売る、ということだ。科学者の業とでもいう
のか、どうしてもあの研究を仕上げたかったのか。スタッフたちは、私の開発
したものとは異なる発展版を開発し、理論上は完成させている節がある。電子
データと被験体、これらとともに、国外へ逃避、亡命」
「ちょっと、待ってください」
ジュンが思わず、口を挟む。
「被験体って何なんですか、長官」
「ストレートに言おう、ジョー、君だ」
「俺?」
「健を人質にとれば、君を被験体にすることは容易だと、彼らは考えている」
「健は、躰を治すために、入院しとるんじゃないんですか、長官」
竜がいや皆、動揺を隠せない。
「私は昨日、健からあるメッセージを受け取った」
南部はちらりとジュンを見た。
「健は、かなり以前からその動きを察知していたようだ」
南部は、ゆっくり立ち上がって、窓に向かう。
「ジョー」
「はい」
「健が、今のガラスの滅菌室に転室になったのはいつだったかな」
混乱して思い出せない。南部はそのまま続けた。
「以前、健の病状が進行して徘徊がひどい、との報告があった。自分のしてい
ることが理解できているときと、できていないときがあり、その境界が非常に
曖昧で危険だ、とね」
窓際に立つ。空を見上げる。健が訳の分からないところで発見される、という
話しは病院のスタッフからジョーも聞いたことがあった。
「健は、どこをなんのために徘徊していたのだろうか。否、徘徊している振り
をしていたのだろうか」
「…振り?ですか?」
ジョー。声がひっくり返っている。
「健の報告の最終更新日付が、その徘徊の報告を受けた頃、言い方を変えれば、
今の病室に転室になる頃と、ほぼ一致しているのだ」
健は、と南部は額の汗をハンカチで抑えた。
「調査し判明した事柄を、転室になる前に私のサーバに隠していた」
誰も、何も言えずに唇を引き結んだ。

「一方、セキュリティ室から妙な電子メールのやりとりがあることが報告され
ていた」
庁内の電子メールにはプライバシーは、無い。諸規則に銘記されている。
「子供じみた素人の暗号のようなものを使っている。始めは対象が明確になら
なかったのだが、健の報告との符合で、発展版ハイパー・シュートの売買のや
りとりの一部だということが判明した」
「で、おれたち、何をするんですか」
待ちきれず、甚平が必死の形相で南部に齧り付いた。

「諸君の任務は、健の救出と、健の病棟の完全な破壊、だ」
南部は敢えて"救出"という表現を選んだ。
「でも、健はあそこから出て、本当に大丈夫なんですか」
ジョーにとってはそれが全て。どうしても、健が"振り"をしているだけとは
思えない。
「健は彼らの手の内だ。私には正確な健のデータはまだ入手できないでいる。
これは現在進行形でセキュリティ室采配で調査している。しかし、現状を鑑み
るに、時間的に非常に困難かと思われる。ネットワークから侵入できるサーバ
には保管していないのではないかという報告が、つい先ほど上がってきた」
「健を、あそこから出して、それでも大丈夫だって話しは、ないんですか」
「私が一番危惧しているのは、健の肺機能だ。救出した健を搬送するのにはヘ
リを用意する。ヘリには簡易的にではあるが、健の生命を維持できるだけの器
機を装備する。あの部屋からヘリまで、健の肺が保てば、…大丈夫だ」
3人が一斉にジョーを視た。ジョーは髪をかきむしりながら、頭を横に振った。
「ダメだ。俺には判断できねえ」
呼吸装置を付けた状態でも、無理に動かすとショック症状を起こすのではない
か、ジョーにはそうとしか思えなかった。

「改めて言うが、諸君の任務は健の救出と、健の病棟の完全破壊だ」
「他の」
ジュン、
「データとかの破壊はどうなるんですか?誰がやるんですか」
「それから、その、スタッフの逮捕とかは」
竜。
「ハイパー・シュートのスタッフに関しては司直の手に委ねる。それだけの物
証は近いうちに上がって来る。電子データに関してはプロに任せる。ISOの
メイン・サーバ、3箇所のバックアップセンター、そして彼らの研究用サーバ、
それだけ潰してしまえば、もう研究は続けられない」
「でも、あの」
甚平が口籠もる。
「おいら、よく分かんないんですけど、その、どこに何が入ってる、って分か
ってるんですか」
「健の報告にあった。ただ、タイム・ラグがあるので信憑性の評価はやはりプ
ロが現在行っている」
南部は再び、ソファに腰をかけて。全員の顔を順番に凝視した。
「ここまでで、何か質問は」
「電子データの破壊っちゅうんが、ミソじゃと思うんですが」
竜がいかにも言いづらそうに、口を開く。
「うちのセキュリティ、玉石混淆じゃあないですか。アテになるんですか」
南部はここで初めて微笑んだ。
「言うのが遅くなった。済まない。この件に関して動いているセキュリティ室、
即ちプロだが、それはすべてリサのメンバーだ」
「ああ」
竜が頷く。甚平が困惑してジュンを見上げる。ジュンが唇だけで、あとでね、
と囁いた。

「手伝ってもらえるだろうか」
南部が決心して口を切った。
「ちょっと待ってくれ」
ジョーが溜まらないというふうに、割って入ってきた。
「健が本当に、大丈夫っていう保証が無いなら、俺は…」
「分かっている。私もそうだ。しかし、ここで我々が動かなければ、健がひと
りで動きかねない」
ジョーが瞠目した。
「健のメッセージは、非常に微妙なルートでもたらされた。君に託しても、君
が健の躰を案じて彼らの要求を呑んでしまう、と判断したのだろう」
南部は、ジョーの説得をしているのだろうか、むしろ、自分に言い聞かせてい
るように、ジョーには聞こえた。
「現在の健には、電子情報の現状の詳細確認などはできない。動いてもリスク
が高すぎる。中途半端に終わり命も失いかねない。健だけではない、最悪、君
も、だ。健は、しかし、動くと、私には思えてならない。君はそうは思わない
かね?」
自分を損なった研究がヒトを殺す道具を作る。また戦争がどこかで始まる。
健なら、自分のことは顧みず動くだろう。健なら。
「分かりました。よく、分かります」
ジョーは静かに溜息した。
「私は、誰の命も失わずに、ハイパー・シュートを無かったことにしたいのだ。
諸君。…手伝ってもらえるだろうか」
一瞬の間をおいて、なぜか全員が全員、こう応えた。
「ラジャ」
南部の頬にわずかに赤みが差し、
「感謝する」
4人に向け、深く一礼した。

「データ破壊・削除、それからヘリに搭載する医療機器の準備、にはまだ時間
が必要となる。前述したが、電子データ方面はリサに任せておけばいい。医療
機器は私が自身で采配を取る。ただ、ヘリの装備は、竜」
「はい」
「鴨技術長と連携して、君も行ってくれ」
「了解しました」
「先方には話しは通しておく。明朝早速行ってくれ」
竜は、はい、としっかり頷いた。
「甚平は竜の補佐を。ただし」
南部はすこし笑って見せた。
「学業をおろそかにせぬよう。レポートはきちんと仕上げなさい」
「なんで知ってるんですかあ」
一同にさざ波のように笑いが湧いた。
「ジョーはこのあとここに残ってくれ」

とにかく、と南部は念を押すようにゆっくりと言葉を運んだ。
「敵は内部にあり、不可視の部分も未だ多々あると思われる。各自、言動には
十分留意するように。そして事は急を要する。準備には4週間。細かい最終調
整はこちらの調査を今しばらく待って欲しい。追って、連絡をする」
南部は、改めて4人の顔を見つめ直し、解散を告げた。
「あの、長官、あたしは」
何も言われなかった、
「ジュンは、しばらく通常業務を行っているように…。"普通"を装っておいて
くれ。いずれリサやジョーから色々言って来るようになる。そちらの対応を」
「はい」
ジュンはちらっとジョーの顔を見た。ジョーもふっとジュンの緑の瞳を見上げ
た。
「失礼します」
3人の影が慌ただしく流れ、部屋には南部とジョーの二人が残された。

にわかに静寂が流れた広い部屋に、南部の声が低く響いた。
「健に、全て承知した。詳細には今しばらく時間を要する、短気を起こさず1
ヶ月待て、と伝えてほしい」
ジョー自身はまだ困惑していた。返事ができない。

「ジョー」
南部は眼鏡をはずして、ハンカチで拭きながら言った。
「君は、よもや健が、また世界平和のために戦っている、と思ったのではある
まいね?」
南部の口から出たとは思えない言葉だった。
「健は起こるか起こらないか分からない戦争を止めたかったわけではない、と
私は思う。健は」
眼鏡をかけ直す。
「君を被験体にしたくない、それだけだったのではないかな。絶対にそうでき
ないように、全てを確実に止めるために、我々にメッセージを寄越したんだ」
ジョーは健を救えるのなら、自分のことは殺してしまえるだろう。
健もまた。
「自分単独では遂行仕切れないとの健の判断、そして、賭けだったのだろう。
君への、そしてジュンへの、だ。君がジュンにあのメモを手渡す、ジュンが隠
しメッセージに気付き私へと行動を起こす」
南部は小さく息を吐いた。
「偶然ではない、健はやはり君たちと共にいるのだな、と私は思った」

洞察力、統率力、判断力。ジョーは絶対健には敵わない。最強のリーダーで、
優しい幼なじみ。
「分かりました。その旨、確かに健に伝えます」
腹に力を入れた。

「それと」
南部はポケットから、名刺大で真っ白のカードを取り出した。
「セキュリティ室のある、運用棟へのチェック・カードだ。リサたちとの繋ぎ
は君にやってもらいたい。セキュリティ室には、一般社員は私とはいえおいそ
れと立ち入れないのでね。君が入れるのはリサの部隊のオフィスだけだが、面
倒なので紛失しないように」
南部はジョーに向かってテーブルにカードを滑らせた。
手に取って見ると、左すみに黒い三角形が小さく印刷してあるだけ。
「リサの発案だ。真っ白なら、何処の誰が何に使うのか、ちょっと分からない
だろう。チェッカーにあてて、三角方向にカードを滑らせればOKだ。済まな
いが、君の指紋は私のデータから登録させてもらった」
後で、使用できるかどうかやってみたまえ、と南部は時計を見上げた。
「では、次の連絡まで待機していてくれ」
「はい」
ジョーは、一礼して席を立った。
部屋を出ようとして、思い出し、振り返った。ソファ越しに南部の背が見える。
「今朝、健のところに寄ったんです」
「うん?」
「健、あそこから出て、みんなに会いたい、って言っていましたよ」
南部は、一瞬答えを探したようだった。そして
「そうか。…そうか」
低く、繰り返した。

「じゃ、行きます」
ジョーは今度こそ、長官室を後にした。

庁舎を出ると、日はすっかり傾いて、西の空が終わりかけの茜色を曳いていた。

−死なないよな。生きて、あそこから出るんだよな。

健は実際には見た目よりずっと元気なのだ、秘密の漏洩を恐れたスタッフにガ
ラスの部屋に監禁されているだけで、本当は外気に触れても異状を呈すること
はないのだ、と繰り返し言葉を引きずり出しては紡ぎ直した。

でも、

今日2度目の見舞いに行こうと、思念を振り切ろうと首を振った。

すっかり痩せて、
−だからそれは、見た目よりは大丈夫なんだ
遠くばかり見ていて、
−みんなが動き始めたって聞けば、きっと元気が出る

ジョーが二人居て、終わりも見えず、言い争っていた。



Episode 5 <FOUR WEEKS>

<1>

「オダ、まだいる?」
その日、ジョーは殊更に苛々とリサのオフィスに乗り込んで行った。
「いるわよ、まだ。打ち合わせ、なんだったわね」
リサがデスクで目配せした。
「悪いんだけど、まだ出られそうもないの。今、ちょっと」
ジョーはリサのデスクに歩み寄り、リサがつんと顎でしゃくった方を見た。
パーティションの上にオダの横顔が見える。目線が忙しく動き、何事か早口で
応答しているのが分かる。
「取り込み中かよ」
「例の調査ね。佳境ってとこ」
「声、掛けちゃまずいか。みんなを待たせちまう」
「掛けても良いけど。噛まれるかもよ」
リサが、ディスプレイに視線を戻して言った。
「近寄ったら、溶けるぜ」
アレックスが、これは手元のファイルを繰りながら。
「いいけどよ」
ジョーは苦笑しながら、オダの横顔を目指した。

すぐ横のパーティションに肘を付き、オダともうひとりのスタッフ−これもジ
ョーとは顔見知り−を見下ろした。
「オダさん、お迎えっすよ」
正面を向いて、マウスを操作しながら。
「あと3センチ、スクロール・ダウンしろよ。そこ。そいつ。cp云々のとこ」
オダは腕を組んで立ったまま、ディスプレイを凝視している。
「マークしておけよ。…あと5センチ…。それ」
「了解。で、この、スクリプトはこれでOKでしょ?」
オダさん、とこの部隊で最新参の赤毛青年は、マウスからもキーボードからも
手を下ろして言った。
「お迎えですってば」
「え?」
オダがやっと顔を上げた。きょとんとしている。
「俺、ちょっと前から居たんだぜ。地味すぎっか?」
ジョーがくつくつと笑う。
「そーれはないっしょ。俺が気付いたんだから。それ以上派手にする必要は無
いと思います。でも」
とその青年は立ち上がって、ジョーに微笑みかけた。
「お懐かしいです。元気そうっすね」
「お前さんもな」
右手を差し出すと、握り返してくる手が温かい。
「さささ、ここはあとは俺がやるんで、可及的速やかに連れてってください」
「サンキュ」
ジョーがオダの腕を取る。
「続きは、携帯で報告入れますね」
バイ、と赤毛はさっさと座り直して、マウスを取った。
オダはまだ少しぼうっとしている。ジョーが腕時計を示すと、俄に我に返り、
「うわ。…ごめん」
デスクとロッカーに走った。しかし、こういうときに限って内線が鳴る。
オダが立ったまま電話を受けているのを眺めながら、リサが寄ってきた。
「終わりかけで良かったわね。噛まれなくて済んだじゃない」
「声を掛けるのは、ちょいと憚られたけどな」
「もう30分早かったら、いいもの見れたのに。ホントのオダ」
思わずリサに向き直ってしまった。
「紙にしたら厚さン十センチの、ストレージの現状詳細、ン千ステップのスク
リプト、何もかも全て、もう彼の頭に入っているわ。あの子はうちの最強のス
パコン。で、ちょっとお願いがあるんだけど」
リサのお願いは、ちょっと恐い。
「CPUがビジーになると、本当にマシーン化しちゃって、寝ないわ食べない
わ、口も殆ど効かないわ。恐いったらないのよ。でも、彼も一応生き物だし、
それじゃ続かないんで」
なんでもいいから食事させて、できればお酒でもちょっと入れてやってくな
い?、とリサはウインクした。
「添い寝は?」
「そこらへんからは個人のプライバシーの問題になるから、私には何とも言え
ないわ」
でも、とリサはあの華やかな微笑を見せ、
「あの子に妙なことしたら、あなたの銀行口座のひとつやふたつ…。なんの痕
跡も残さずに空にしてあげる」
分かるわね、と席に戻ってしまった。
「肝に銘じて」
顔では笑って、冷たい汗が背筋を伝った。と、
「申し訳ない。お待たせ。行こう」
コートを引っかけたオダがドアを引いていた。

**

「おっそいねー」
ジョーのアパートメントのゲスト用パーキング。甚平が車の後部座席で口を尖
らせ、貧乏揺すりしている。
「何かあったんじゃないかのう。リサんとこは忙しいから」
竜、運転席で欠伸。
「こないだからのテロ関連とか?」
ジュン、助手席から竜に向く。
「あるかもなぁ。要求を呑むまで政府関連施設を爆破していく、っちゅう声明
を発表したってニュースで言うとったからな」
「あのさ、うち、っていうかISOも関連施設扱いなのかしら」
「微妙なところじゃが、入っとっても不思議じゃないわ。連中、そう細かいこ
と考えとらんじゃろし」
竜はまた欠伸。だいぶ根を詰めているらしい。
「ねえ。お姉ちゃん」
甚平が座席の間から、顔を出した。
「その、リサってひとの、さ。セキュリティがどうのこうの、って。おいら、
こないだの長官の話しんときも、よく分からなかったんだけど」
「あたしもよくは知らないの。竜は仕事したことあったんでしょ」
「おお。甚平、リサは大人の女性で、べっぴんさんじゃぞ」
ジュン、かくっ。
「なんつーか、その、ネットワーク経由のテロとか犯罪とかに滅法強いんじゃ。
長官がISOのブロック堅めに引っ張ったのが…いつだったけなぁ…」
「ジョーが今日、連れてくるのがそのリサなのかい?」
「いや。そこのスタッフのにーちゃん」
そうなんだ、と甚平はもごもごと口籠もった。
「いいなぁ。セキュリティのプロかあ。色んな事知ってんだろうね」
「もちよ。プロなんだもの」
長官室でのリサとオダを思い出す。
「おいらさあ、レポート、そっち系のがいっこあって大変でさあ」
「こないだ長官がちゃんと仕上げろ、って言ってたやつ?」
「うー…。明後日までなんだ。もう泣いちゃおうっかなぁ、って思っちゃって」
「今日の様子を見て、教えてくれって頼んで見りゃええじゃろ」
竜が甚平を振り返った。
「だって、そのひと忙しいんだろ?」
「お前の学校の宿題くらい、どうってことないじゃろ。優しそうなにーちゃん
だし」
「あれがあ?優しいってえ?」
ジュンが即座に応えたので、竜が驚いたように振り向いた。
「もー、ぽんぽん好きなこと言って呉れちゃってさあ。ムカツクったら」
「お姉ちゃんに、ぽんぽん…」
甚平が萎縮していく。
「まぁ。ごもっともですってことばかりだったけどお」
竜がからからと笑った。

その時、3人の顔をヘッドライトが明るくなぞった。
「やあっと、おいでなすったぞお」
小さくクラクションの応酬。
5つの影が、立ち上がった。

* *

「とりあえず、コーヒー、淹れるわね」
ジュンがキッチンに立つ。ジョーと竜がソファをずらし、テーブル周りのスペ
ースを広げる。

オダは部屋の入り口に立って、3人が動くのを眺めている。
優しいっていうより、やっぱ恐そうだな、と甚平はそのオダを観察している。
ん?恐そうなんだけど…あれ?…
「ようし。できた。おいオダ、その格好、窮屈じゃねえか?」
「え?」
「ビジネススーツ」
単車通勤を止めてしまったので、通勤着もスーツになってしまっている。
「スエット貸すから、着替えろよ」
「俺は別に」
「いいから来な」
寝室のほうへ行ってしまう。

「ジョーにしちゃ、豪く気が利くのう」
整備場から直行してきたので、作業着の竜。
「うん。あのひと、ちょっと兄貴に感じが似てる、から、かな」
甚平。
「ああ。背格好が、な、似とる似とる」
「うまく言えないけど、他にも、何となく感じが…」
2人は腕組み。

「徹夜続きの上、飯も食ってないって?」
箪笥の引き出しを漁りながら、ジョーはオダに背中で言った。
「そんなことないよ」
「リサから聞いた」
ジョーがその胸に着替えを押しつける。
「ほら。とにかく楽な格好しろ」
オダは簡単に黙ってしまう。ジョーは、幾分疲れの色の残る目元を指の背で撫
で、前髪を軽く弄んだ。顔を背けて後ずさるのを、腰を抱き寄せる。接吻けよ
うとしたら、頑固に顎を引いてしまった。ジョーは苦笑して、それでも力を入
れて引き寄せ、抱き締めた。あの麝香の香りが鼻先を漂った。
「無茶はするな」
髪に顔を埋め、耳元に囁く。
「着替えたら、来なよ」

頬を撫で、ドアを閉じた。

**

部屋には淹れ立てのコーヒーの香りが満ちていた。トレーナーにスエットとい
う姿のオダが現れ、全員が揃った。
「初めまして。甚平って呼んでください」
オダは幼さの残る悪戯そうな青年に笑いかけられた。
「--大の1回生です。よろしくお願いします」
「ISOのオダです。こちらこそよろしく。--大なら俺の後輩だよ。専攻は?」
「情報関係をやりたいなって思ってるんですけど」
甚平は、ふわっとした微笑を返されて肩の力が正直抜けた。なんだ、優しそう
じゃん。
「それじゃ、本当に後輩だ。情報の何?」
「頭が付いて行かないから、悩んでるんです。おいら間違えて入試パスしちゃ
ったから」
ジュンがコーヒーのマグを勧める。
「すみません。弟なんです」
自然に恐縮してしまう。ジュンにとっては、オダは、難しい相手。
「弟さん?」
オダが聞き返すのと、ジョーが、オダ、はじめるぞ、こっち来い、と呼ぶのと
が重なった。

竜と甚平の間のスペースに、オダは割って入った。全員、床に思い思いに座り
込んでいる。立膝で座ってから、コーヒーを一口啜った。芳醇な香りが口内い
っぱいに広がった。
「うまいね、これ」
そのままを口にしたら、正面のジュンがやけに嬉しそうに微笑を浮かべた。
「そっち、どうなってんだ?」
斜め前に座を占めているジョーが、にこりともせずに口を切った。
「データの破壊は既に進行中だよ」
オダはすこし睫毛を伏せて話しを始めた。
「カートリッジによる外部媒体のバックアップを現在、破壊というよりは改竄
終了した段階だ。各所から全てのバックアップのカートリッジを回収し、ター
ゲットとなるデータだけを書き換えて、再び各所に戻した。決行日一週間前か
らは、デイリーのバックアップの改竄にも入る」
「何か問題は?」
「外部媒体バックアップに関しては無い。稼働中のコンピュータ内にあるデー
タだけど、バックアップセンターとうちのマシンルームのメインフレーム全て
は、ファイア・ウォールの中だから、何とでもなる。問題は、現場の病棟地下
にあるサーバ群。こいつらはうちからは直接は繋がっていないから、現場に入
り込んで操作するのが無難だね」
ファイア・ウォールの中、すなわち内部からなら、ISOセキュリティの殆ど
を意識せず操作できるということである。最も手強そうに見えた、ISOの巨
大コンピュータ群は案外に与しやすいようだ。となると、やはり、問題は…。
「敵のお膝元じゃねえか」
「そう」
「リモートで繋いでっていうのはできんのんかい?」
「それは簡単だけど、どうもそこのサーバがあちらのメインのようでさ。繋げ
られるってのは向こうからも切れる、ってことだからね」
「そうかあ」
「いきなりリジェクト掛けられたらお手上げ。やっぱりローカルでやらないと」
ネットワーク防御に多少強いものが居れば、IPアドレスを拾われ、簡単に切
断されてしまう。失敗もリトライも許されない作業は不可能だ。
「その病棟の地下のサーバって、どれが何してるって分かってんのかよ」
「うん。こないだうちの連中と見てきた」
「へ?」
「固定資産の調査、とかなんとか言ってさ」
「お、前」
ジョーが急に気色ばむ。
「危ねえだろ。リサもなんで俺に言わ無えんだ」
「大丈夫だよ。むこうはすっかり平和呆けしてて、こっちの動きも察知できて
ない。今回の件だって、俺たちは最初は電子メールから掴んだんだ。学者バカ
ってのもあるだろうけど。杜撰なもんだ」
「そいじゃけど、ごりごり調べものしてたらバレやせんのか?」
竜が心配そうに、オダの横顔を見やる。
「ごりごりじゃないもの、さささっと流し見するだけだから、絶対バレない」
−ホントのオダ
リサの言葉が脳裏を過ぎる。
「んで、頭に入れてきた、と」
「そういうこと」
一同溜息。やっぱり恐いかもしんないな、とは甚平。
「じゃあ、相手のサーバに近いうちに出かけていって、あらかじめトラップを
仕掛けておく、ってことになるのかよ」
ジョーがこめかみを指で掻く。
「ストレージとシステムを破壊するだけなら、トラップで済むね。でもそれに
も問題がある」
オダの声だけが、淡々と響いていた。
「最後のロックを開けるパスワードの件。これは以前は一定時間ごとに変更に
なっていたらしいんだけど、現在はランダムなんだ。30秒から10分の間」
「最後のロックって」
ジュン。
「長官は病室のキーだと言っていたけど」
オダ。しらっとした物言いとは対照的に4人には緊張が走った。
「うちで色々試したんだけど、こればかりは異常にガードが強くて。外からア
クセスしたのでは、どうしても遮断されてしまって探れない。そのパスワード
は、ローカルでなければ、入手不可能だ」
要するに、とオダは俯き加減のまま言い切った。
「当日、ローカルに俺がいないと、ロック解除できない、ってこと」
ローカル、即ち敵のお膝元。
「危ないわ」
「そいつは拙い」
ジュンとジョーの言葉が重なった。二人が顔を見合わせる。
「建物を破壊するから、地下の各所には爆発物をセットすることになるわ。設
置はあたしと甚平がやって、時間設定が終わり次第、ジョーと上で合流する予
定になってる」
「建物の土台を崩すってことだよね」
オダ。
「そうなの。時間設定する、あたしたちが上に行く、ジョーと合流する、それ
までにはジョーは連邦警察と病棟のスタッフを逮捕・避難させている」
「ロックを外すパスワードはその次のポイントで必要になる、ってことは、分
かるだろ、お前」
「爆破時刻設定済みのダイナマイトに囲まれて、俺が地下に残ってる、ってこ
とでしょ」
やはりここでも他人事。
「爆発するまでに、パスワードをあんたたちに伝えて、ロック解除を確認でき
ればいいんでしょ」
「お前が避難する時間も入れろよ。俺達は屋上伝いに本棟にさっさと逃げちま
うけど、お前のすぐ横で爆発するんだぜ」
「それに、なにかアクシデントがあって、スムーズに地下からでられなくなっ
たらどうするの」
「アクシデントは考慮外だよ。そんなこと考えてたら何もできないよ。パスワ
ード入手自体は簡単なことなんだ。ヒトの動きだけシミュレーションすれば、
十分な時間が設定可能だと、俺は思う」
それしか遣り様ないでしょ、とオダが言い切った。
「俺はISOの本物のセキュリティ担当者で、正規のアドミン権限でマシンル
ームに入って、サーバを操作するんだ。警備網に引っかかることもない。当日、
現場は連邦警察が包囲してるってことだし。いよいよアクシデントがあればそ
ちらに任せればいい」
「お前の言ってることは、よく分かる。しかし」
「爆破時刻の設定はスタッフの逮捕・避難が終わってからでしょ?それくらい
の猶予があれば、準備には充分だから、俺はあんたたちにリクエストもらった
段階で、パスワード読み上げて解除確認して終わり。映画みたいなスリリング
な状況には陥らない。これで、いいよね」
オダは顔を上げ、自分の当番分は終わった、と言わんばかりに立ち上がると、
背後のソファに移動してしまった。

「最終打ち合わせまでに、総員の動きを要確認だな」
ジョーは、ソファに身を沈めたオダを睨み付けながら、声だけは平静のまま言
った。
「竜、ヘリは?」
「お、おお」
オダの動きを追いながら、こちらも少々毒気を抜かれた模様。
「医療器材が重くて、長官が苦労しとる。ま、こっちのほうは長官に任せてお
くしかないんじゃが。問題があるといえば」
ガサガサと紙をテーブルに広げる。健の病棟と本棟の見取り図。
「健の病棟の屋上にはヘリを着陸させるスペースは無い、これは分かっとった
が。本棟の屋上な、これがしょぼいんじゃ。着陸は無理。ヘリをホバーリング
させなならん」
「本棟の屋上もそう余裕があるわけじゃないわね」
「狭いな」
「俺もメイン・パイロットを何年もやっとったんじゃ。そらどんなことをして
も下ろしてみせるが。そうそう長い時間待っとられん。天候にもよるが、せい
ぜい…」
「了解」
ジョーが口の中で、パスワード、ヘリとのランデブー、と呟く。パスワード…
「警察との調整はどうなってるの?」
ジュンがジョーを突っつく。
「ああ。こっちのほうは問題無いな。当日、こっちとスタッフ自宅を包囲。同
時に警察が飛び込み逮捕。主犯が4人、他は雑魚。いずれにしても、学者先生
方は、今も何にも知らないで平和にやっていらっしゃるようだぜ。ジュン、お
前らは?」
「建物を爆破する爆弾のほうは、長官経由で調達終了したわ。あとはあたしと
甚平でちょこちょこっと、ね。問題なし」
ふうん、とジョーは見取り図を眺めながらテーブルに肘を付く。
「今日は、とりあえずこんなもんか」
3人が頷く。
「そうと来たら買い出しいこうよ。おいら腹減っちゃったよ」
甚平。竜を引っ張る。
「悪いが、俺はもう眠うて敵わん。運転は勘弁してくれえ」
「食い物買いにいくのに?」
「ピザと牛丼とおにぎりとサンドイッチな、よろしく」
車のキーをテーブルに置くと、その場に寝っ転がってしまった。
「じゃ、ジョー行こうよ」
「あたし行くわ」
ジュンが竜のキーを握って腰を上げかける。
「お姉ちゃん、食い物のセンス無いから」
と、甚平はジョーの背中を押す。
ジョーは甚平に押されて歩き始めながら、気配も消してしまっているオダを見
た。俯いた顔は前髪が掛かって、表情は読み取れない。

「あたし、留守番?ねえ、いやよ、ちょっと、一緒に」
ジュンはといえば、玄関口まで二人を追いかけたものの、置いてけぼり。
「もう」
唇と尖らせて、リビングに戻った。
と、オダがリビングの隅で何かごそごそ…
「どうしたの?」
「これ、弟さんの?」
A4の紙を集めながら振り返る。アクリルケースが倒れて、中身が零れ出てい
たらしい。
「そうなの。甚平ったら持って歩いてはいるんだわ」
ジュンも一緒になって拾う。教科書、ペンケース、ノート、未完成レポート…
「絶対間に合わないから泣き入れる、って言ってるの」
「ふうん。期限はいつ?」
「明後日だって」
オダはジュンが拾った分と合わせてきれいに揃え直し、パラパラと捲った。
「これか。惜しいね。いいとこで破綻しちゃってる。面白いこと考えてんのに。
これじゃ、あの教授には単位はもらえないな」
オダはジュンに書く真似をした。−何かない?
ジュンははっと甚平のペンケースを渡した。
「ああ、でも、書き込んじゃったらまずい?」
「いっいえ、全然問題無いと思います」
教えてくれないかって言ってたくらいだもの、とジュンはしっかり応えた。
オダはそのまま壁を背に、甚平のレポート束を膝に載せて座り込んだ。
「ごめんなさい。疲れてるのに」
「俺だけじゃないよ。みんな疲れてる」
眼はレポートを追ったまま、ペンの背で竜を指す。大鼾だ。
「このミッションのせいで、レポートが後回しになったんでしょ。ここまでや
ってるのに、可哀相だよ」
ジュンはそろそろと這って、オダの手元を覗いた。
「字もきれい」
「え?」
間近でオダと目が合い、ジュンは妙にどぎまぎした。オダはふっと微笑すると、
「ごめん。俺、こっちは目も耳も不自由なの。だから、話し掛けるときは」
こっちのほうからよろしく、と前方から右手をペンで弧を描いて示した。
「えええ?!あたしの立ちゴケせい?!」
あんまり大声だったから聞こえたらしい。オダは吹き出して笑い声で言った。
「まさか。あの程度でこんなにはならないよ。戦争の後遺症」
立ちゴケでは怪我してないよ、とさらり。目はレポートに戻っている。
ジュンは、オダの聞こえるほう、に這って行って座った。さらさらとペンの滑
る音と、竜の大鼾。
「本当にごめんなさい。あたし、その」
「二日酔いだったんでしょ」
手は書き込みしている。
「嗅覚は鋭いんだ、ってあれぐらい凄けりゃ誰でも気付くか」
「面目ないです」
書き込みしながら笑いを噛み殺している。なんだ、こうしてると可愛いじゃな
い、このひと。
「失恋しちゃってヤケ酒ガンガン、って。もうあの日は1日酷かったわ」
「失恋か。そりゃきつかったね」
「あら、聞いたふうなことを。あなたみたいなひとでも、失恋の味知ってるの?」
ちょっと興味が湧いてきた。
「けっこう、自信あるよ」
「何?あなたが頑張って陥落しない相手がこの世にいるの?信じられない」
「どうしてかな。分かんないけど」
ここで、ちょっと顔を上げた。またすぐレポート。
「君は、失恋して、ヤケ酒して、どうすることにしたの」
「どうもしないことにしたの」
「?」
「私の好きなひと、難しい病気なの。だから今はあたし、何にもしないで、た
だ好きなだけでいて、待っていようと思ってるの」
オダの手が一瞬とまった。
「みんなに内緒にしてれば、あたしが諦めてないって彼にはバレないでしょ?
だからここだけの秘密にしておいて。この話しは」
「分かった。仕事がら口は堅いから安心して」
強いね、とオダが呟いた。
「え?」
「だってさ、待ってる間に心変わりされちゃったりするかもしれないし」
「頑張るもの。私」
「何をどう?」
「彼が元気になって、…ライバルが現れたら」
ジュンは口調を強めた。
「素敵なひとだから、十分在り得るわね。でも、本当に究極の事態になったら、
あたし、駄目モトでも頑張るもの。あたしずっとずっと待ってた、あたしだけ
を見て、あたしだけに触れて、って囓り付いて離れないもの」
「でも、ライバルを選ばれちゃったら?」
「うううん。ヤケ酒して暴れて。畜生ってもっといい女になって、極上のカレ
見つけて後悔させてやる、かな」
立ちゴケはもうしないわよ、とジュンは笑った。
「本当に、強いね。羨ましいくらい…」
揶揄うようではまったく無かった。
「あなたはどうするの?」
「俺?」
ジュンはオダの目を見つめた。
「相手の心が他のヤツのところにあるって分かったら。何にも、しないな。俺
から降りちゃうな」
「へ?なにそれ」
「できれば会わないし、口も効かない」
「ちょっと。諦めが良すぎよ、それ!」
「だってさ。それって、俺のこと好きじゃない、見てない、ってことでしょ」
「違うわ。ひとの心って揺れるものだし、変わるものよ」
オダは手を止め、ジュンをまじまじと見た。
「だから悲しかったり、綺麗だったりするんじゃない。…ダメよ。オダさん。
こんなに、…素敵なんだから。あたしが百回やんなきゃいけないとこ、あなた
だったら3回くらいでOKよ」
「さんかい…」
苦笑。
「そ。ほら、やってみてよ。練習させてあげるから。いい?"俺だけを見て、
俺だけに触れて、俺だけを好きでいろ"って。言って言って」
「…」
「1回やったら2回目からはけっこう平気だから!」
って、何度もあるのも困るけど…。あら、そういえば、居たわね、そういう奴。

少しの間があった。オダの瞳が部屋の灯りをはじいた。ジュンを見つめる。
「…俺だけを見て、俺だけに触れて、俺だけを好きでいろ…」
低い低い囁き。柔らかい余韻。自分から急かしてやらせておきながら、ジュン
は心臓が高鳴って頬が上気してくるのが分かった。
「か、完璧!その調子で頑張るのよ」
真剣に言ったのに、オダはもう溜まりきれないというように吹き出し、レポー
トの束に顔を埋めて笑い出した。
「ね、もう平気でしょ?」
ひいひい言いながら頷いているのが見える。噎せながら、またレポートの添削。

にわかに玄関が騒がしくなり、甚平とジョーの話し声が帰ってきた。
「みんな、めしめし。あーーー。それーーー」
甚平。オダを見て絶叫。
「もうちょっとで終わるよ、あとでレクチャーするから」
「すみませんっ」

ジョーとジュンがテーブルにあれこれ並べているところに、寝惚け眼の竜がも
そっと寄ってきた。
「ジュン、俺、さっきな、実は目え覚めとって、タヌキしとったんじゃ」
「まあ」
「お前、どきどきしとったろ」
「う、うん」
実は、今も尾を引いている。
「俺もじゃ」
2人で爆笑。ジョーが、いかにも胡散臭そうにそれを眺める。

ピザに、フライドチキンに、サラダ、サンドイッチ、寿司…
良い匂いが、部屋に満ち満ちていく。

<2>

窓の外は薄曇りで、木っ端がしきりに窓に打ち付けられていた。
「今日は風が強いよ。いや参った」
南部は捻れたタイを直しながら微笑した。
(急にどうしたんです?)
自分が蒔いた種がどう育っているのか、ジョーから聞いて知っている。それだ
けに、多忙な南部が何故、今、ここに、と健は思った。
「いや。たまには顔もださないと、と私だって思っているのだよ」
南部は微笑したまま、僅かに−健だけにしか分からぬほど僅かに、目配せした。
ガラスの外。

スタッフの白衣に混じって。濃紺のビジネススーツが異彩を放っていた。よく
は見えないが、胸にはISOの社員証が付いているようだ。メインのスタッフ
が持っている、ハンディ・ターミナルを手にとったりしている。かと思うと、
天井から床にかけて、視線を走らせ、この部屋のロックに一瞥を呉れている。
(あれは…)
「憶えていないかね。君は彼とは仕事を一緒にしたことはなかったかな?」
(…ああ…)
「インフラのチェックに来るというのに出会したので、一緒に来たのだ」
健は、ガラスの外に目を凝らせた。濃紺の軌跡を追う。眉根が曇る。
(長官、彼を、ここに)
「うん?話したいかね?」
(はい。ぜひ)
「よし、声を掛けておこう。私は帰庁するが、…大事にするのだよ」
南部は立ち上がり、ガラスの扉の向こうに吸い込まれた。スタッフ達に声をか
けている。

「オダくん」
南部は、健がジョー以外の人間に会いたがるというのが、殊の外嬉しかった。
「今日は多忙かね。彼が、君に会いたいと言っているのだが」
「いえ、多忙というほどでは」
「じゃあ、いいかね。区切りが付いたら、行って遣ってくれるかね」
慈父のような、とはこのことだな、とオダは思った。断る道理もない。
「もう終わりましたから、これから伺います」
オダがエア・シャワーを浴び、あれこれ滅菌処理を受けるのを、南部は立ち去
らないで待っていた。最後のガラス扉に招き入れられ、健の枕元に立つ。ガラ
ス越しに南部に会釈するのを見届けて、南部は病室を後にした。

「…こんなところに…」
オダは、先ず、目を瞠って立ち竦んだ。
「書類も見たし、話しも聞いてたんだけど、あなたのこととは…」
(元気そうだな)
声が出せない、オダは咄嗟に察して健の唇を追いかけた。よく見ようと、椅子
を引っ張ってきて腰掛け、覗き込んだ。健が口元を綻ばせる。釣られるように、
オダも幽かな微笑を浮かべて見せた。
(怪我は?)
「左目と左耳を持って行かれた。あと天気が悪いと痛む古傷が少々」
健の手がオダのスーツの腕を引いた。右手の人差し指がシーツに何か小さく書
いている。今度は目の端でその指先を追いかける。
−ここ数日、スタッフの出入りが増えてる、イヤな目つきの奴もいる
顔は健の目のほうに向けたまま。
−セキュリティの動きが読まれたようだ
「あなたも、随分ワリ喰ったんだね」
微笑したまま会話を続ける。
−おそらく、追けられている
−俺が?
素知らぬ振りで、健の手の甲に走り書きして返す。
健は、これも微笑を貼り付かせたまま、頷いた。
−もう、ここには二度と来るな
「俺も普通に生活できるようになるのに、1年くらい懸かったんだ。気が付い
たら、あなたは消息不明になってた」
−自宅も危険だ
「ダメだったのかと、思ってた」
−今はここに
「良かった。やっぱり…あなたはあなただね」
−今日はジョーが来ると言っていたから

(済まない。俺の我儘のせいだ)
「え?」
健の唇が急に動いたので面食らった。青い瞳が気懸かりそうにオダを見上げた。
「何言ってるんだか」
ふわっと微笑する。
−これは、俺の、仕事。た、だ、の、シ、ゴ、ト
と健の手の甲に書いた。と、
「おう。どういう組み合わせだい?」
いきなり、ジョー。
健がすばやく、目線を走らせる。ジョーが横目でガラスの向こうを見やる。
「前来たときより、気分良さそうだな、健」
(うん)
オダの隣に立ちながら、健の瞳を覗き込む。
(彼。引き留めたから。送ってってくれないか)
二人の間で視線のやりとりが、また、瞬時、あった。
「そうだな。俺はしょっちゅう来てるし。オダ、行くか」
ジョーがオダを振り返る。口元は綻んでいるが目が笑っていない。
「うん。じゃ、お言葉に甘えようかな。…じゃ、また」
今度は外で会おう、とオダの唇が動き。健は小さく頷いて返した。

何事も無かったかのように、スタッフに挨拶し、エレベーターに乗った。
病棟を出るときは駆け足だった。
「こっち来る途中、リサから"今どこ?何やってるの?"なんて変なケータイ
入るわ、南部長官の社用車とすれ違うわ、なんかイヤな感じでよ。一体、何や
ってんだ、こんなとこで」
「トラップ仕掛け。と、ロックのハードの確認」
「だから、長官まで担ぎ出したのかよ」
「パスワードが」
オダが言いかけたところで、ジョーが車のキーを開け、助手席にオダを放り込
んだ。自分も運転席に回る。
「パスワードが、サーバで生成されてからスタッフに届くまでの間に、他の形
に変換されてたらまずい、って思い付いちゃって、長官にシステムの確認をし
たんだ。そしたらビンゴ。でも、回りくどいことしてる時間無いし…」
車ががくんとバックする。シートベルトしな、とジョー。
「長官と行けば、スタッフのハンディ・ターミナルと、ロック本体が見せても
らえると思ってさ」
主任スタッフは、病室のロックを操作するための超小型のコンピュータを携帯
している。ハンディ・ターミナルとは、その器機のこと。
「ったくもう。なんで俺に言わねえんだ」
車が研究センターをゆるくカーブしながら後にする。
「ジョーとだったら、いかにも、って感じになるじゃない」
「目付きの悪い、嫌な人相のスタッフが増えてやがった。お前、追けられてる
んだぞ。ほら」
白いセダンが横道から、背後に付いてくる。
「ほんとだ」
「ちっとは用心しろっての。健と俺がいなかったらどうなってたと思う?奴ら
ただの痴漢じゃねえんだぜ」
「いや、前振りはあったんだ。実は」
「えええ?」
「今朝リサが。何か来たら、こっちに引き寄せておけって」
「なんだってえ?」
思わず、アクセルを踏み込んでしまう。
「セキュリティのネット犯罪対応に引きつけておくってこと、でしょ。そのほ
うが、あんたたちや長官が動きやすいっていう判断じゃないの?」
「お前、囮っていうんだぜ、それ、知ってっか?」
「そう、だ、っけ」
ジョーは溜息しながら、オダを見た。
「運転中はよそ見するなよ」
「うるせえ」
オダは前髪を掻き揚げながら、シートベルトで皺になった上着を伸ばす。
「敵は、機密売買がセキュリティ経由で露見した、としか認識してないんだ」
「もしかして、リサがわざとリークしたのか?」
「俺はそこまでは聞いていないけど。まあ、無い話しじゃないね」
ジョーは口の中で、−あのアマ。
「何か来るっていうなら当然、目立って動いてる俺が的になる。そのほうが、
うちとしても他の作業が捗っていいっていうの、あるからね」
とにかく時間が無くてさ、とオダは括った。
「リサと連絡とれるか?」
「ん」
携帯をプッシュしている気配。
「オダです。…はい。ジョーが話しがあるって…」
ジョーの耳元に差し出してくる。ひったくる。
「俺だ、リサ。さっきは思わせぶりなケータイ寄越しやがって。今、あんたん
とこの大切な最強のスパコンな、…ああそうだ…」

−学者先生ってよりは、顧客が勘付いたみたいね。
「やっぱわざと、だな」
−とんでもないわ。人聞きの悪い。
この女狐、
−何か言った?ま、もう、あなたが一緒なんでしょ。安心ね。あなたも、私や
アレックスあたりならいざ知らず、オダを守るためになら体張れるでしょう?
「そんなこと言ってっと、本当に、体張るぞ」
本当に、のところに力を入れたつもりだったが、リサはほほほと笑い飛ばした。
−とりあえず、オダの自宅に行ってちょうだい。
「絶対、何かあるぜ」
−それを逆手に取りたいの。何かがあったら連絡をちょうだい。よろしくね。
切れた。
「お前もとんでもねえリーダーの下に付いたもんだな」
携帯をオダに戻す。
「リサは俺たちを危険に晒したまま、放っておいたりは絶対しないよ」
信頼関係か、諦めか。オダはやはり他人事。
俺も計算に入れられてるってえことか、ジョーは苦笑い。
「…で、パスワードが何だって?」
「あ、サーバで生成されたものが、スタッフの手元にあるハンディ・ターミナ
ルでやっぱり変換されてたんだ」
「サーバで入手したパスワードをそのまんま入れても開かないってことか」
「そう。変換アルゴリズムは抑えたから、今度こそ大丈夫」
「俺たちはお前が言ったとおりを入力するぞ。暗算なんてしねえからな」
それは俺がやるからしなくていいよ、とオダは笑う。マジ暗算かよ、とジョー。
「ついでに、あの部屋の配線とか空調の設備も抑えられた。ちょっと無理した
けど、行って正解だった」
「長官も、よくやるよな」
オダはくすり、と笑った。
「あんな優しい顔するんだな、長官」
「え?」
「長官さ、彼が俺に会いたいって言ってるって、すごく嬉しそうだった。俺が
ベッド脇に立つまで、にこにこしながら待ってるの。飛んで帰らなきゃいけな
いのに」
健がなぜオダを呼び寄せたか、きっと南部は気付いていない。
「健が誰かに会いたい、なんて言ったこと無かったのさ」
オダがまた遠くに行って黙ってしまう。ジョーは引き戻そうと口調を変えた。
「ま、あの眺めは長官ならずとも、にこにこできちゃうぜ。うん」
オダが、引き戻されて、怪訝そうな顔をする。
「さーて、お家が見えて来ましたよ」
オダの高層アパートメントが、曇天の下に沈んでぼやけていた。

**

エレベーターホールも、廊下も階段も、いつもと変わりは無いように見えた。
ジョーがドアノブに手を掛ける。オダに下がっているように目配せする。ドア
をそうっと押し開ける。ポケットのタバコの箱を弄り、1本、指先で弾いて放
り入れる。その刹那、
「伏せろ」
部屋から足下に轟音が響いて、爆風と共に、建材の欠片が吹き飛んで来た。
ジョーはオダを庇って階段の陰になだれ込み、肩先で旋風を受けながら、吐息
した。
「やってくれるな」
埃を払いながら立ち上がる。
「結構なプロだな。人ひとりだけ吹き飛ばす分、ちゃんと量ってやがる」
−携帯かしてくれ、
オダは避ける時に打ち付けたのか、後頭部を抑えながら、ジョーに電話を渡し
た。それを、リダイアル。
「リサか?俺だ」
−何かあったわね?
「ドアから入った途端、どかん、ってな」
−了解。救急車を派遣するから、一緒に乗ってきてちょうだい。オダは瀕死の
重傷。あなたは付き添い。よろしく
さっさと切れる。
「お前、重体患者の役だってよ」
「はあい」
スーツの埃を払っている。あーあ、と口の中。
「ICUかな」
「霊安室かもしんないぜ」

何時の間に掛かったか、薄く垂れた霧をついて、サイレンの音が近づいて来た。

**

ジュンは、日ごろは足を運ばない町の、よくあるチェーン薬局の前で、もう、
2往復目だった。こんなところで、こんなことしている場合ではない、と頭で
は分かっているのに、心が割り切れない。3往復目の途中で思い切って足を踏
み入れた。

大きな店の最奥の棚に、並んでいるのを、さっと掴んだ。それから、歯ブラシ
に歯磨き粉、要りもしない花粉症マスクを鷲づかみにし、キャッシャーに駆け
込んだ。

疚しいことでもしたかのように、店を飛び出して、単車に取り付いた。ヘルメ
ットを被ろうとしたときに、携帯が鳴った。

−ジュン、大変じゃ

「どうしたの。今頃」
−オダがやられた。自宅が爆破されたんじゃ。ジョーが間一髪ってとこで間に
合わんかったんじゃ。
「…ええ??」
−一命は取り留めたっちゅーことじゃが、ICUで…
「た、確かなの、それ」
−長官から聞いて、リサと連絡とったんじゃ。ジョーは一緒に病院に行っとる
らしくて連絡がまだ取れん。長官は予定は何も変えんっちゅーとる。
「わ、分かったわ」

何か分かったらまた連絡する、

と電話は切れた。

**

とりあえずの塒に帰って、シャワーを浴びて、借り物のTシャツとスエットに
なり、ウィスキー入りのホットミルクを一口啜って…。
くつろいでいくにつれ、オダは次第に疲れた表情を濃くし、ジョーが最後にピ
ザトーストを勧めたときは、顔色まで悪かった。
「あのまんま病院に居たほうがよかったんじゃねえか?しっかりしろよ。喰わ
ねえから、体力無いんだぜ、お前」
「よく言われる」
くしゃみを続けて3回。
「風邪なんか引くなよ。頼むぜ」
寝室へ立つ。箪笥から厚手のトレーナーを引っ張り出す。と、何か蛍光灯の光
を受けて光った。拾い上げる。
「社員証か」
スーツを吊したときに、ポケットから落ちたものか。

「ほい、トレーナー」
放り投げる。社員証を眺める。こんなもんまで美形に映ってるな、と写真を見
て変に感心した。そして、
「J、u、l、i、u、s」
ファースト・ネームを読み上げながら、オダに社員証を掲げて見せた。
「え?あ…」
「こういうもんって、失くすと煩く言われんじゃねーのか。ジュリアス?」
「ユリウス」
オダはソファの背に肘を載せ、頬を預けてけだるそうに応えた。
「そういやファースト・ネーム名乗ってなかったろ、お前」
テーブルに社員証を置き、ジョーはオダの隣に座った。
「仕事のときはね」
「ユリウス…。ユーリ…」
「家族にはそう呼ばれてたな」
「呼ばれて、た?」
過去完了形。
「もう居ないもん」
ジョーはその実、オダのことを殆ど知らない。仕事で一緒になっても、オダは
ジョー達の投げたデータを分析し終わってから、その結果を持って颯爽と登場
して、さっさと退場してしまう役割だった。仕事が近いときは、食事をしたり、
酒を呑んだり、たまには騒いだりすることもあるにはあった。が、実際に働い
ているところも、生活しているところも、殆ど、見たことはない。
「久しぶりだったな。今の響き。そんな名前だったなあ、って感じ」
「ダチには?」
「俺、友達少ないからさ。…姓だね、呼ばれるのは」
「恋人には?」
「…忘れちゃったよ。恋人居ない歴何年になるのかな」
「居るだろう。今は」
「居ないよ」
言下に答える。
「俺は?」
睫を指の背で撫でる。その指先を頬から項へ滑らせる。
「今のお前にとって、俺は、そうじゃねえのか?」
「今、俺にとってのジョーは、用心棒で居候先の大家かな」
「素直じゃねえぞ。お前」
顔を覗き込むと、視線を避けて俯いてしまう。負い目も感じているから、余計
に頭に来た。
「お前ね、あの日は仕事行くなって言ったのに、いつの間にか居なくなってや
がるし、こないだはキスもさせねえし。一晩中甚平の宿題やって、朝には竜に
送らせてさっさと帰っちまったろうが」
「だって、竜は通り道だったから丁度いいからって、甚平のことにしても、何
がそんなに気に要らないわけ?」
「俺を避けてるだろう、お前」
何を叱られているのか分からない子供、そんな顔で、オダはジョーの剣幕をま
ともに浴びた。
「怒ってるのか?」
「なんで?怒ってなんかないよ」
「じゃあ、何だよ。とことん嫌で、仕事だけでしか付き合いたくないっていう
んなら、今はっきり言え。俺も割り切るから」
と、口にしてから、後悔した。オダが急に表情を強ばらせ、緊張しきって、立
ち上がってしまったのだった。

これ以上無い、というタイミングで電話が鳴った。反射的に受話器を掴む。

−ジョー、この馬鹿。携帯の電源くらい入れとかんか!
竜。
「済まねえ。つい今しがた戻ってきたんだ」
−オダの容態はどうなっとるんじゃ。
竜まで引っかけられていたことに、この時点でやっと気が付いた。
「ああ。ちょっと待ってろ」
オダ、と受話器を上げる。竜から。
オダはまだ少し顔を歪めたまま、受話器を耳に当てた。
−おい、ジョー、もーしもし
竜。
「あの、オダです」
−なんじゃー?!
「重体患者の役。竜も嵌められた口みたい、だね」
−リサ、じゃな
「ジョーもそう言ってるし、俺もそう思う」
−本当になんともなかったんか。現場に行ってみたんじゃが、酷いことになっ
とったからの
「…現場まで?…今、一番忙しいのあんただろう…」
−そんなんはなんとでもする。ほんっとうに、怪我はなかったんじゃな?
「かすり傷一つ無い。うん…ジョーが一緒に居たから、助かったんだ。心配か
けてごめん」
脱力したようにぺったり床に座り込んでいく。
「うん。ジュンや甚平にも、申し訳ないって」
ジョーにはオダの唇が歪んで、幽かに震えるのが見えた。
「切れちゃったんだけど」
「用はお前のことだけだったんだろ」
オダは膝立ちして受話器を戻した。膝立ちしたまま、肩がどっと波打った。

忘れてた、とジョーは舌打ちし、苦い自嘲を噛み殺した。
こいつ、下手するとジュンより年下じゃねえのか。周りが年寄りばっかだし、
なまじ仕事しやがるから、錯覚しちまうんだ。
こいつは、

「前言撤回。俺、やっぱ割り切れねえ」
来いよ。
抱き寄せる。ソファに埋める。抱き締める。

…健じゃない…

抱き締める。抱き締める。抱き締める。



Episode 6 <COMPLETE>

<1>

温暖なこの街には珍しいみぞれ混じりの風。
白い息を吐きながら、4つの影が街灯をはじいた。

**

ズボンの腰にねじ込んだ38口径リボルヴァーの感触を確かめ、皮の手袋を引
っ張りあげる。襟元の小型送受信機本体、耳へ続く受信機、口元に伸びる送信
機を指でなぞり装備をチェックする。
「オダ。これ」
ジョーの左手に小型のオートマティックが乗っている。
「いいよ。使えないもの」
「お前、射撃は得意だったじゃねえか」
「実戦で撃ったことないし…第一、殺すなって…」
南部から、生存状態での逮捕を厳命されているのだ。
「殺しちゃダメだとは、言われてるさ。しかし、それはそれ、これはこれだ。
…女子供でも使える超初心者向けのだ。間違っても怪我なんかしねえ」
「防弾チョッキだけでも、肩張っちゃって参ってんのに…」
「持っててほしいな。あたしも」
ジュンが近づいてきてジョーと並んで立った。
「コイツのおかげで命拾うような仕事ばかりだったから…。あたしたちのお守
りだと思って、お願い」
ジュンの言葉に、オダはしぶしぶジョーの手から銃を取った。
「俺が一緒に行きたいんだが…」
ジョーは、銃の無くなった左手で、そのままオダの肩を握った。
「ジュン、こいつのこと、頼んだぜ」
「任せて。何があっても守るから」
この会話に、当のオダは溜息を付いて、甚平を振り返った。甚平は、肩を竦め、
ニッと笑んで見せた。
「こら、溜息なんかついてんじゃねえ。使わずに済みゃ一番なんだ。でも、本
当にヤバイと思ったら、相手が何でも撃つんだぜ。いいな」
「分かった」
それしか答えのしようがなく、オダはジョーを見上げて微笑した。

夜陰をついて、黒っぽい車が3台。音も立てずに4人めがけて乗り込んできた。
「さて、お迎えだ」
ジョーが腰に手をあてて背筋を伸ばした。車が止まり、先頭のドアから特殊部
隊服の男が降りてきて、ジョーに向かって敬礼をした。
「よし、最後尾のに甚平、真ん中のにジュンとオダ。無線の周波数は合わせて
るな、今からオープンにしておけ」
ジョーが左手を軽くあげる。皆がやはり手をあげて応え、散った。

−健。みんなで、行くぜ。
ジョーは携帯用の呼吸補助装置を背負い上げ、最後に後部座席に乗り込んだ。

**

ジュンはオダと後部座席に落ち着いた。

ジュンは先ずオダと共に地下のコンピュータ・ルームに行き、オダの背後を援
護する。パスワードのリクエストをジョーから受け取った段階で、上層階の病
室に移動、ジョーの援護をしながら、ジョー・健と本棟に移動する。

オダは、ジョーのリクエストと共にパスワード取得、変換、サービスを行い、
ロック解除確認の後、連邦警察の車にて撤収。

「ねえ、あなたは健を知ってるの?」
最終打ち合わせの席で年下と分かってから、話しがし易くなったらしい。
「知ってるよ。軍の任務で一緒になった」
「へえ」
「1回だけ。俺にとっては大変な仕事だった。世話になったよ」
それとね、と呟く。
「任務終了した日が偶々俺の誕生日でさ。お祝いにって、戦闘機に乗っけて貰
った」
「そんなこと、あったんだ」
「うん」
お返し、まだ、してないんだけどね、とまた呟く。
「もう、いつでもできるわよ。ね」
ジュンが少し意識的な微笑みを見せた。

甚平は病棟の地下の各所に爆弾を設置。ジョーからのパスワードのリクエスト
とともに、爆発時刻を設定。本棟の屋上へ移動。ヘリを誘導する。

竜は、パスワードのリクエストとともに、整備場を離陸。本棟上空で待機。甚
平の誘導に従い、本棟でホバーリングに入る。ジョー・ジュン・甚平そして健
を回収後、南部の別荘に飛ぶ。

南部は既に、新しい主治医とともに、別荘で健の受け入れ態勢を整え、待機し
ている。

連邦警察は、研究本棟・健の病棟並びに主犯自宅を包囲の後、襲撃。スタッフ
の逮捕・退避を行う。ジョーはその特殊部隊と共に病室に走り、病室の全制御
権をスタッフから奪取する。
最終打ち合わせの席で、オダから提出された報告が気懸かりだった。
−あの病室は、空調・気圧全て人為的にコントロールされている。配管や配線
の細かいチェックができたわけじゃないから断言はできないけど、酸素量等の
細かいコントロールまで可能みたいだ。だから、部屋ごと環境を変えられてし
まうと、彼が危険だ。押さえなきゃいけないのは、ロックと酸素吸入器だけじ
ゃない。

**

−ハロー。
受信機にリサの声が飛び込んできた。
−こっちは準備万端OKよ。予定通りあなた達のゴーの瞬間に最終処理をスタ
ートさせるわ。
メインのコンピュータ及びバックアップ機へのデータ改竄そして削除、である。
−じゃ。グッドラック。
被さるように、南部の声。
−諸君。
ジョーがジュンが甚平が、条件反射で耳を澄ませた。
−私から言うことはもう何もない。諸君がこちらへ来るのを待っている。…諸
君の、成功を祈る。

黒い樹影を透かして、鈍い灰色の研究棟が蹲っていた。包囲は既に終了してい
る。

決行時間は午前4時ジャスト。

−いいか、秒針を合わせてから、ゴーだぜ
ジョー。
−10,9,8… …0。ゴー。
4人の指が腕時計で小さく動くのと、影が走るのと、同時だった。

**

ジュンはオダとともに横手の非常扉に回り、ロックを銃で破壊して、下り階段
に飛び込んだ。
−待って!
−何?
オダ。ジュンの肩越しに地下廊下を見下ろすと、警備服姿の男が仰向けに倒れ
ていた。ひとり、ふたり。ジュンが駆け寄り、しゃがんで頸動脈に触れる。首
を横に振る。
−いきなり、不測の事態だわ。
−どうした。
ジョー。大捕物の最中か、音声が騒々しい。
−警備員が二人殺られてる。詳細不明。
とにかく、地下のコンピュータ・ルームを目指して走る。廊下は薄暗い。
目指すドアに取り付く。オダがポケットからセキュリティチェックのカードを
出す。チェッカーを通そうとして、止まった。
−停止されてる。
−え?
−チェッカーが止められてる。ああ、だから警備員が…。
ジュンが扉に耳を押しつける。
−だめだよ。分厚いから少々の物音は漏れてこない
−分かったわ。あたしの影に隠れて、壁に貼り付いていてちょうだい。開ける
わよ。
取ってを掴む。ゆっくりと捻る。
−絶対撃つなよ。パスワードを生成しているサーバが万が一イカレたら。ロッ
クが解除できなくなる。
−了解。
重いドアを、蹴りとばした。

二人の鼻先を掠って、銃声が数発。
−ジュン。
−ジョー、お姉ちゃん。
ジョーと甚平の声が突き刺さる。
−今、地下の自販機コーナーにいるんだけど、先客があったみたいなんだ。
−何だと?
ジョー。
−爆弾が、置いてあるんだよ。10分後にセットしてある。
4人が4人とも、最近盛んに報道されているニュースを思い出した。

…テロ組織**は、要求が呑まれるまで、政府関連施設を順次爆破していく旨
を発表…

−ハチ合わせかよ。
無線越しにジョーが連邦警察と早口にやりとりしているのが聞こえた。
−甚平、とりあえず起爆装置の解除だ。これから連邦警察からプロが派遣され
てくる。それまで頑張れ。ジュン、そっちは。
−こっちは、手も足も出せてないわよ
キュンと甲高い音がして弾の横顔が見える。
−ただ、人数はせいぜい二人で、しかも、銃も大したもの使ってないわ。まっ
とうな戦闘は想定してなかったんじゃない?
−そりゃ。俺たちも曲者だからな。一人で大丈夫か。
−平気よ。
ジュンはオダに向き直った。
−例のサーバはどこ?
−左手奥。弾道からは逸れている。
−連中は右手奥に居るわね。あと10分で爆発するんですもの。相当焦ってる
はず。外へ出たがってるわ。あたしが動いて部屋から外に出すから、その隙に
入って操作してくれる?
−了解

ジュンが廊下の蛍光灯を点ける。ドア口の真ん中に立つ。ジュンを目掛けて銃
声が響く。彼女は軽くステップを踏んで反転すると、来た廊下を駆け足でとっ
て返した。すると、ドア口と壁の僅かな隙間で息を殺しているオダには気付か
ず、いかにも、の風体の男が二人、つられるように飛び出してきて、ジュンを
追って廊下の向こうに消えて行った。
唐突に、蛍光灯が消えた。非常灯だけの灯りの中で銃声が2発。静かになった。

ジュンは階段脇の陰に倒れ、息を潜めて2人の男が走り去るのをやり過ごした。
−OK。科学忍法死んだフリ。
あとは、外の警察に任せればいい。跳ね起きて、再びコンピュータ・ルームを
目指す。ドア口から覗く。駆け込む。左手奥だと言ったはずのオダが見えない。
−オダさん、どこ?!
−ここ。あんたの真後ろ。
−何やってるのよ。
オダがしゃがみこんで、中型サーバの本体に齧り付いていた。
−こんな筐体、前来たとき無かったんだ。
−筐体?ああ、そのコンピュータ本体のハコのこと?でも、正常稼働のランプ
が点いているじゃない。
−でも、IOの音もファンの音もしないんだ。畜生。鍵かかってる。
たかがパソコンでも、サーバクラスのマシーンなると、安全のためにフロント
パネル保護用のドアが付いていて、施錠できるようになっている。鍵が無いと、
開けられず、内部は確認できない。
−マイナスドライバ貸して。
−はい。
オダはマイナスドライバを筐体のドアの隙間に突っ込んで捻り上げた。メキッ
というような音がする。そのまま少しずらして、ねじり上げ、また少しずらし
て捻りあげ、徐々に隙間を広げて行った。最後にドア前面の留めを力任せにね
じり上げてこじ開けた。ドアがゆらりと開かれる。
−は…。
−やだ…。
何キロあるか見当も付かないダイナマイトの塊を背負って、何色ものケーブル
がのたくっていた。
−任せて。
ジュンが顔を突っ込んだ。
−必ず止めてみせるから。
−よろしく。
オダはドライバをジュンの手元に置き、パスワードのサーバに走った。

−ジョー。コンピュータ・ルームにも先客のお土産があったわ。
起爆装置から繋がるコード群を指で追う。
−こいつを仕掛けた奴らは今頃逮捕されてるだろうけど。そっちは?
−自宅とこことで、主犯格3人は逮捕されたとよ。ひとり見つからねえ。それ
も親玉が。
−そいつ、ここにいるの?自宅?まさか別宅なんてことはないんでしょうね?
−ここに居るはずらしいぜ。どっかに潜んでやがるんだろう。…畜生。
−何?
−病棟の廊下が封鎖されちまってよ。思ったより頑固で…。
スタッフが防火シャッターでも閉じたのか。受信機ごしに銃声が響いた。
−よし。開いた。
−手荒ねえ。
苦笑。返事はない。
−ジョー、お姉ちゃん、お土産の起爆装置は解除できた。こっちの爆弾の設置
を開始する。

ジュンは掌の汗をジーンズの尻で拭った。緑の瞳が瞬きもせず、スパゲッティ
を解いていく。額に次第に汗が浮かぶ。唇はどんどん乾いていく。小型のペン
チを腰から引き抜く。
まずはこいつ。パチンと小さくコードのねじ切れる音。
それからこいつ。パチン。
起爆装置はまだカウントダウンを続けている。あと1分。
これ。パチン。
こいつでどう?…パチン。 カウントダウンは止まらない。
−ええ?
思わず、体を起こす。
待って。ジュン、落ち着くのよ。こんなこと今までいくらでもあったじゃない。
あんたは爆発物のプロなのよ。
少し、体を引いて改めてコードを追いかける。
天井を見上げて、呼吸を整える。目の端にオダの背中が目に入った。
畜生。こんなところで…
再び顔を奥まで突っ込んでコードを手繰った。
そう。これよ。
パチン、の音と共に、カウントダウンが停止した。

−起爆装置の解除OK。
息を吐いて、手の甲で額を拭った。

−ねえ。どう?
オダの後ろに立つ。オダは膝立ちして、ディスプレイを睨んでいる。
−こっちは当初の予定通り。パスワード取得準備OK。
−コンピュータ・ルームは準備完了よ。ジョー、そっちは?
−親玉が見つからねえってよ。俺は今…、
また銃声。
−よし。病室の手前のスタッフルームまで辿り着いたぜ。病室の環境制御はど
こでやってんだ。これか?よ…し。…甚平、爆弾の設置は?
−もうちょっと。でもさ。めっかってないだけで、他にも先客のお土産がある
んじゃないのかい?
−現在、警察のプロが当たってる。お任せするしかねえ。
−今まで発見した爆弾の起爆時間は過ぎてるわ。もう無いんじゃない?
−だと、いいけどさあ〜。

と、鈍く地響きがあって、コンクリートの壁が震えたような気がした。天井か
ら、筐体の上から、埃がふわふわ舞い降りてくる。
−今の、って爆発?
−どこだい?小さかったけどさあ。
ジョーが警察と激しいやりとりしている気配がある。
−本棟中央付近の北西の端で爆破だ。小さい。こっちからは遠いぜ。焦るな。
−親玉の逮捕を待たなきゃいけないの?どこが爆発してくるか分からないじゃ
ない。
−急がないと。爆発でネットワークが切れたら、ロック解除不可能になるよ。
オダの一言でジョーの腹が決まった。
−健の病室を開けるのが先だ。よし。パスワードのリクエストだ。オダ、暗算
やってくれ。
−了解。全部で22桁ある。間違えないで。
ジュンはオダにぴったりくっついて背中合わせに立ち、背後に目を光らせた。
数字とアルファベットを読み上げる声が響く。
−#を押して、エンターボタン。以上。どう?

ジョーの目の前で、ガチリと金属音が響き、ロックがゆっくり開くのが見えた。
−よし、ロック解除確認OK。オダ、撤収しろ。
−OK。
−ジュン、オダの撤収を確認したら、こっちに猛ダッシュだ。
−OK。
オダの後ろを走る。廊下を抜け、階段を駆け上がった。入ってきた非常扉で、
オダは一度立ち止まりジュンを振り返り、右手をほんの少し上げ、
−バイ。
健そのもののシルエットが、闇に吸い込まれる。

思わず追いかけて戸口に立った。
樹影に呑みこまれる後ろ姿が、一瞬、把えられただけ。

−こちら竜。何か大変なことになっとるの。今離陸して、整備場上空じゃ。そ
っちに向かうぞ。

受信機の竜の声に我に返った。
踵を返して、階段を2段とばしで駆け上がる。
息が苦しい。苦い笑みが漏れる。

鈍ったもんね。このあたしが。

最後の登り階段を、歯を食い縛って上り詰めた。ドアは施錠されていてフロア
の外からは開かない。
病棟・本棟の設計構造は頭に叩き込んである。
ここが健の病室があるフロア…。
銃を構える。ドアのロックに向かって、1発、妙に厚みがある、2発。

取っ手を掴み、渾身の力で引っ張る。

ゆっくりと扉が開かれた。

<2>

部屋全体が僅かに身じろぎする、そんな振動が体に伝わった。
当直のスタッフがスタッフ・ルームで慌ただしく動き出すのが見える。
電話を取って、会話しながら盛んにこちらの方を指さしている。

−来た。

健は、視線を暗い天井に向けて呼吸の間隔を大きく、深くした。時々横目でス
タッフ・ルームを見る。必ず一人は常駐しているはずの人影が、見えなくなっ
た。避難したのか、それとも死角で何かしているのか。この喉のチューブから、
いつ何が注入されるか分からない。硬化というよりは石化が進み、もう殆ど膨
らまなくなっている肺に、とにかく酸素を送り込んだ。

明るかったスタッフ・ルームの明かりが突然消えた。佇立した人影。白衣では
ない。ロックを覗き込んでいる。手袋をしているらしい黒い指が小さく動く。
扉を堅く閉ざしていた巨大な爪がゆっくりと上がり、ハンドルが回転して、彼
岸と此岸の間が結ばれた。
「健!」
気圧の変化を体に感じる。思わず目を閉じる。
「大丈夫か?!」
抱き起こされる。あの懐かしい、硝煙と埃の匂いがした。
−ジョー
ジョーの受信機から、オダの声。
−ロック解除して開扉したら、ロックを完全破壊して。何があっても二度と閉
じないように。
「OK」
ジョーが健を抱えたまま、銃口だけロックに向けた。続けて数発。
−一刻も早くあんたの呼吸補助装置に換えるんだ。何が送られてくるか分から
ない。
「おう。…オダ、お前はもう外にいるんだな?」
−うん。今はあんた達のいる上層階を見上げてる。
ジョーは、健の喉のチューブに手を掛けて、しかし、やはり躊躇した。本当に
健の肺は大丈夫なのか。しかし、外さないと…
時間にすれば、ほんの数秒、しかし健の眉根が苦しげに顰められるのが見えた。
スタッフ・ルームを振り返る。白衣の男が、コントロール・パネルに貼り付い
ていた。部屋全体の環境は、ジョーが制御装置を破壊したから、もう変更でき
ないはずだ。しかし、
「ちょっとの辛抱だ。頑張れ、健」

明らかに酸素とは異なる、酸っぱいような甘いような遠い味わい。健は咄嗟に
息を止めようとした。しかし、チューブは直接気道を確保している。ガスが、
健の肺を押す。ジョーがやっとチューブを、やや乱暴に健から引き抜き、ゴム
の管を何重かに結んで放り投げた。健がどっと咳き込む。
「健。大丈夫か。しっかりしろ。よし。咳でガスを追い出すんだ」
健は小さく頷きながら噎せ、それでもジョーの肩に縋って身を起こした。
ジョーは真っ直ぐ健に向いてしまっている。敵が現れるなら背後からだ。背中
が丸空きになる。健はジョーの肩越しに、スタッフ・ルームを見渡した。
白衣の男、つい数時間まで健の主治医だった男が、ドア口に、凄まじい形相で
突っ立っていた。

「やってくれたね」
優しい面差しが常の男だった。
「本当に、ここまでやってくれるとは思わなかったよ」
あの男に、どうしてこんな歪曲した表情が顕れるのだろうか。
「見事な手際だ」
ジョーは男を勝手に喋らせたまま、健の口元を呼吸補助装置のマスクで覆って
いく。体をシーツでくるみ、脱いだ上着で丁寧に包んだ。背後で何が起こって
いるかなんて、もうどうでも良かった。
「五月蝿えな。畜生。警察は何やってんだ」
「君が破壊してくれた防火シャッターだけが通路を塞ぐ全てではないのだよ。
もうしばらく、警察はここには来られない」
「往生際の悪いヤツだな。勝手にやってろ」
「もちろん。そうさせてもらう」
男の右手が上がった。銃口が光る。
ヤバイか、と一瞬思ったが、防弾チョッキがあるからいい、と思い直した。狙
っているのは胴だとも気配で分かった。健は動けない。下手に振り返って、体
の開いたところを、弾が健に掠りでもしたら話しにならない。肋の何本かくら
い呉れてやる。健の盾になる。ジョーは、覚悟して丹田に力を入れた。

当たり前のように、健の右手が動いて、ジョーの腰にブチ込んであった38口
径を抜いた。銃口がぴたりと空に据えられ、銃爪に指が懸かって、銃声がひと
つ、放たれた。

ジュンは最後のシャッター前にいた。銃声が耳に入る。
−銃撃戦?
『戦』というには、一発だけ。
しかし、ここで、また低い轟音とともに、建物全体が身震いした。

本棟の最上階が火を噴いた。ガラス窓が砕け、沸き返って落ち、火柱が立って
火の粉が踊る。上空にヘリが現れた。
−ジョー、本棟の火災がひどくなってる。
オダが炎を見上げて叫ぶ。
−ヘリが降りられなくなる。早く移動しろ。

ジュンはシャッターを爆破し、スタッフ・ルームに走り込んだ。白衣の男が背
中を向け右腕を押さえて蹲っているのと、ジョーの肩に凭れかかった健と、そ
の右手に握られた銃が見えた。
−爆弾の設置終了。
甚平の声。ジョーが応える。
−起爆装置を10分後にセットしろ。甚平、本棟の屋上に、移動できるか?
−移動するさ。じゃ、あとで。

ジュンは白衣の背中に銃口を向け、止まった。
−ジョー、行きましょう。もうこのひとたちに付き合う義理はないわ。
−全くだな。
ジョーの背後はジュンが援護する。ジョーは、補助呼吸装置を担ぎなおし、健
を抱き上げた。
「おい、ドクター、あんたの負けだ。ここもそのうち燃え落ちるぜ。さっさと
どこへでも逃げやがれ」
ただし、ぐるりはマッポだがな、
大股で行き過ぎる。ジュンはジョーが男の横を通り過ぎるのを、銃を構えたま
ま、凝と見守った。男の右腕が血を滴らせながら、持ち上げられた。震える銃
口が、まず、ジョーの背中に据えられ、しかし幽かに揺れて、健の頭で止めら
れた。
指が引き攣りながら、銃爪に懸かった。

ジュンの動きのほうが遙かに早く、男の手から銃が弾け飛んだ。
「健を狙ったわね」
喉が乾ききって声が裏返っていた。緑の瞳が細められ下瞼が震えた。
「健を」
丸くしゃがみ込む男の正面に立ち、顎を思いっきり蹴り上げた。男が仰向いて
倒れる。その胸部を踏みつける。苦痛に大きく口を開けたところに、銃口を突
っ込んだ。
「撃とうとしたわね」
コンナトコロニ、ズットズットトジコメテ、
「ジュン。もういい。時間が無え。急げ」
「すぐよ。ぶっ殺してやる」
ナニモカモ、ゼンブウバイトッテ、
「主犯だ。警察に引き渡さなきゃなんねえ」
「あなたらしくないじゃないの」
トシをとったってことかしら?とジュンは口元だけで嗤った。
「お前が、お前らしく無えんだよ。放っておけ。早く来い」
ジョーの口調が次第に早まる。
「いやよ」

コロソウトシタ。

廊下の向こうから複数のヒトが迫って来て、スタッフ・ルームの入り口付近で
止まる気配がした。
「警察だ。お前、この状況でそいつを撃ったら、犯罪者だぜ」
「だからなんなの」
「行くぞ!」
「構やしないわ」
「ジュン!」
ジュンは銃を握る腕に力込め、銃身を更に男の口奥に突っ込んだ。
「妊婦は死刑にはならないわ!」

ジョーの唇が半開きで止まった。
それと、健がジョーの腕の中で藻掻いて、唇を被うマスクを外し、
「撃つな」
と小さく、しかし明確りと言葉にするのと、同時だった。
「ジュン」

ジュンが力を抜き、顔を上げた。あの青い瞳。有無を言わせぬ、リーダーの絶
対のコマンド。

「了解」
ジュンが銃を腰に納め直して立ち上がった。
「よし。行くぞ」
ジョーが健の体をゆっくりと揺すり上げ、マスクを直した。
「健、走るぞ。舌を噛むな」
床を蹴る。
「ヤツが主犯だ。あとは頼んだぜ」
警察隊とすれ違う。
走る。

背後から爆風が追いかけてきた。悲鳴と怒号。振り返りはしない。
−自爆しやがったか。マッポが下手ア踏みやがったか。

屋上に続くドアを、ジュンが撃つ。開ける。階段を駆け上がる。最後のドアを
開けた途端に、みぞれを含んだ雨が痛かった。

**

−竜、おいらが見えるかい?!
照明を掲げる。目が痛い。喉がヒリつく。
−お前どころか、煙で何にも見えやせんわ
竜は、何か目測のターゲットになるものをと、旋回しながら本棟の屋上に目を
凝らした。
ったく。天気は悪いわ、火事にはなっとるわ、溜まらんぞ。
舌打ちする。

* *

オダはヘリが何周目かの旋回に入るのを、雨粒ごしに見上げていた。煙は黒く
濃くなるばかりだった。降りられない。もうじきに、ジョーとジュンが健と一
緒に屋上に到着するだろう。熱と煙と、あの屋上で健はどのくらい保つのか。

上方ばかり気にしていたので、すぐ足元で這いずるものがあるのに、全く気付
かないで居た。
本当に突然、眼前にヒトが立ち上がった。ひたと狙いを付けている銃口。しか
しそれよりも、男の白衣のポケットが、いやに角張って膨らんでいるのが目に
入った。
「驚いたね。きみは、ICUに居るんじゃなかったのかい?」
男の唇の端が吊り上がる。
何か言ってるとは分かったが、頭に入らない。動けなかった。白衣のポケット
のほうに目が釘付けになる。煙草の箱の半分程度、カートリッジテープのケー
ス大。4個か5個か。
−マスター・バックアップ。
「そうか。きみが私の長年の研究成果を抹消して、病室のロックも開けたのか」
この病棟を破壊する目的は、把握できているものできていないもの、何もかも
ひっくるめて、すべての研究成果をことごとく抹殺するため。
「そこに、バックアップをお持ちですね。ドクター」
呼吸を整える。
「私は逃げる。どんなことをしてもね」
銃口が火を吹き、体が吹っ飛んで、背中から叩き付けられた。

全員の耳に銃声が響いた。健が腕の中でびくりと震えた。
「オダ?!」
ジョー。応答が無い。雨が痛い。
「どうしたの?!返事して」
ジュン。応答は、やはり無い。

オダは泥濘ごしに何人分もの堅い靴音を聞きつけていた。今の銃声で警察が来
る。男は間もなく逮捕されるだろう。しかし、男が司直の手に堕ちれば、所持
品のバックアップテープは証拠品として押収・保管され、処分できない。そう
なれば、この、ハイパー・シュート・プロジェクトを無かったことにする任務
は…。

薄目を開けた。殺せたと思っているのだろう。男がオダの倒れているほうに向
かって走ってくる。息を止めてタイミングを計る。真横まで来た。腰を捻って
蹴り上げ、男の脚を引っかける。男が泥の中に勢いよく転倒する。ショックで
カートリッジがいくつか、ポケットから散らばる。銃にも男そのものにも構わ
ず、まだ膨らんでいる白衣のポケットを掴んで引き裂いた。全部で5個。警察
隊がもうそこにいる。カートリッジの存在が見つかったら拙い。警察隊が、男
にライフルの銃口を突きつけたときに、やっとの思いで最後の一個を上着のポ
ケットにねじ込んでいた。
長く息を付いた途端、胸に激痛が走った。

**

ジョーは病棟屋上から本当屋上に走りながら、ヘリが空しく旋回を続けている
のを、唇を噛み締めて見上げた。この煙では着陸ポイントを定めるのは至難だ
ろう。

甚平の姿が煙の中にちらちら見える。健を見下ろす。健はジョーの息を顔で受
けて目を開け、俺は大丈夫だ、というように微笑して見せた。

と、熱による突風か、悪天候による強風か、刹那、旋風が黒煙を薙ぎ払った。
甚平の高く掲げた照明が、竜の目にはっきりと見えた。
−よっしゃあ、見えた。降りるぞい!
叫んだ後は、また黒い煙。何も見えない。しかし、竜の目には甚平の照明が鮮
やかに浮かび上がる。
前方に…メートル、右方に…メートル、メイン・パイロットの勘による微妙な
操縦。脳裏に焼き付けられたポイント目掛けて、降下する。医療器材のせいで、
へリ後部が重い。風が強い。尻が振られる。

ゆっくりとゆっくりと、わずかに揺らぎながら、黒煙を巻き上げてヘリが引き
下ろされてきた。甚平がヘリに駆け寄る。ジョーとジュンは体で健をヘリの強
風から遮った。
−ジョー、お姉ちゃん、早く!
ヘリは軽く屋上に足を載せた格好で、震えながら耐えている。時間が無い。ジ
ョーがヘリに取り付く、甚平がジョーの腕から健を受け取る、ジョーが乗りこ
む。ジュンが最後に飛び乗って、扉を閉めた。

−OKよ。
−上がるぞ!揺れるから気をつけい!!
ヘリがぐらりと揺すぶられる。
−竜、この下手くそ。ケツ振ってんじゃねえ!
甚平ごと、健を庇ってジョーが怒鳴る。
−やかましいわ。気合い呉れて踏んばっとれい!おお、崩れるぞ。

眼下で、灰色のコンクリートの塊が断末魔の叫びを上げていた。足下から煙を
吹き出し先ず背後に、そして中央階付近から煙を吐いて僅かに前方に、傾ぎ、
激しい土煙の中、砂の塔さながら、ぐっしゃりと頽れていった。

ヘリは踊るように身を翻して、まだ暗い空を裂いていく。

「もう、落ち着いたぞ」
竜の静かな声。
ジョーが腰を上げ、健を抱いて、医療機器に移動させようとした。健が首を横
に振る。
「もうちょっと、このままで…」
「健」
「大丈夫だ」

そこに、オダの声が飛び込んで来た。
−大成功だね。離陸するのが見えた。
オダ、オダさん、と4人の声が上擦る。健が瞳を凝らせ、耳を澄ませる。
「本当に、無事なのか?」
−防弾チョッキのお陰で命拾いした。これから病院送りだけどね。
相変わらずのさらりとした話し方。反して4人には安堵の溜息が漏れた。
−みんなも大丈夫?
「ああ。全員、無事だぜ」
−良かった。じゃ。バイ。
通信は飛び込んできたときと同様の唐突さで切れた。

健はほうっと息をついた。呼吸は少し苦しいが、自力で直接取り込む空気は妙
に新鮮で美味かった。
目を細めて、まず甚平を見る。ジョーから自分の体を受け取って、軽々とヘリ
内部まで運んだ甚平。あの、こどもこどもした、みそっかすはもうどこにも居
ない。大人の、甚平。
それから、ジュン。
ジュンのチョコレートが無かったら、ここに自分は居なかった。諦めと絶望と
孤独と、それらしか無い中で一体どうしていただろうか。自分は、ジョーは、
一体今頃どうなっていたのだろうか。
「自動操縦に切り替えたぞい」
竜が、健が憶えているのよりも一層大きな体を揺すって笑いかけてきた。どこ
にでも飛んでくれる、どこにでも降ろしてくれる、全幅の信頼を寄せるに足る
メイン・パイロット。心優しい大男。

なんだかひどく瞼が熱い。目がもう開けていられない。瞳を閉じる。
「健」
ジョーの気懸かりそうな声。そう、天からの声。地獄に降りてくる蜘蛛の糸。
最高の相棒、大切な大切な幼なじみ。

「…だ」
「え?」
4人が健を覗き込む。

「…最高だ」

いつのまにかみぞれは上がり、朝陽が水平線から雨雲を突いて顔を出していた。



Episode 7 <Bye>


日が長く差し込む窓ごしに、白い砂と青い海と薄蒼の空。それらをバックに、
ベッドから半身を起こした健が見える。
「外ばかり見ていて飽きないのかよ」
「全然」
健は、肺呼吸だけでは必要量の酸素を賄いきれない。呼吸補助装置のチューブ
が鼻孔に挿入されている。しかし、声は出せるし動こうと思えば動けるので、
端で見ていると痛々しいが、当人は余程この状態のほうがいいらしい。
「新しいドクター、変わり者みたいだ」
健が微笑してジョーを振り返る。
「あんまり人工的なのは返ってよくない、だとさ」
「長官が引っ張ってきたんだ。信用するしかねえ」
前担当医にはヤラレタ、とこの苦い記憶は消しようがない。
しかし、信用できる人物なのだろう、と今のところジョーは思っている。健の
頬には丸みと色が僅かずつではあるが戻ってきているし、あの、妙な翳りが無
くなった。絶望・孤独・諦念・ガラス越しの呪縛。

「今日、ISOに行くんだろう?」
健。
「ああ。何か欲しいものがあれば調達してくるぜ」
「…リ、いや」
「なんだ?」
「何でもない。みんなによろしく伝えてくれ」
「了解」
何か気懸かりでもと一瞬思ったが、さほど気に留めず軽く流した。

**

遅めの昼食をジュンと摂る約束をしていた。健に手を振り、交代で常駐してい
る医療スタッフに終日留守にする旨を伝える。春本番を感じさせる上天気、極
上のドライブ日よりになっておかしくない陽気だった。

「ハイ」
健からのラブ・レターを渡したレストラン。ジュンが先に来て待っており、窓
際の席で手を挙げた。
「健、具合どう?」
「こないだ会ってから、まだ一週間と経っちゃいないぜ」
今では、健の許には、主治医の許可が下りれば、いつでも訪れることができる。
「だって、なんか、心配で」
先週末には、ジュンと甚平が見舞いに来ていた。
「どんどん調子良くなってるぜ。近いうち表にも出られるようになるんじゃね
えかな」
「そう」
同じ言葉を健本人の口から、ジュンは聞いた筈である。でも、しじゅう、確認
しないではいられない。呪縛の余韻はまだ残っている。
「よかったわ。ねえ。このまま治るのかしら」
ジュンが身を乗り出す。
「それは何とも言えねえ。病気を根本的に叩いたわけじゃない。健の気力で保
ち返しているだけだからな」
「健なら気力で治さないかしら」
「そういうことなら、けっこうイイ線いってるぜ」
今はな、とジョーは少し苦い微笑を添えた。

やがて、本日のオススメランチがおいしそうに湯気をたてて運ばれてきた。い
い日差し、美味い食事…
しかし、そう、のどかな話しだけするために、ジュンを呼び出したわけではな
い。ジョーは笑みを引っ込め、ジュンを正視した。
「ジュン、どうしてもちゃんと聞いておかなきゃならねえコトがある。お前、
あの日、妊婦は死刑にならない、って言ったろう」
「そんなこと、言ったかしら」
ジュンは微笑を湛えたまま、フォークを使う。
「確かに、言った。ちゃんと説明してくれねえか」
「何を?いつ、どこで、だれとどうやって、って?いくらジョーでも、そこま
でプライベートなことを明かす義理はないわね」
「茶化すな。馬鹿」
目に怒気が含まれていく。ジュンはふっと息を付いた。
「ううん。…そうね。あなたの思っている通り、よ」
ジョーの瞳に今度は隠しきれない狼狽の色が浮かび上がる。
「どう言っていいのか、正直言って俺には見当も付かねえ。お前、俺にどうし
てほしい?」
「何?」
「お前は、俺にどうしてほしいと思ってるんだ」
「結婚して。直ちに」
ジョーがぐっと詰まる。ジュンの笑顔は引っ込んで、かわりに緑の瞳がひたと
ジョーを見据えていた。
「ジュン」
言葉を選ぼうと、間をおいて、叶わず、諦めた。
「直ちに、はできねえ。頼む。暫く時間を呉れないか。誓って、逃げるんじゃ
ねえ。分かって欲しい」
ジュンはジョーを視ている。
「時間?時間ってどのくらい?」
答えられない。ぐっと詰まって、瞬間、瞑目した。しかし、勇気を奮ってジュ
ンを見つめ直す。でも、答えられない。答えられないものは、答えられない。
「もう、いいわ。あなたって本当にいいひとね」
ジュンが我慢仕切れずに、と言わんばかりに笑い出した。
「ジョーって案外生真面目。ドン・ファンの癖に、ヘン」
一瞬、泣いてやろうかと思った。が、普通、泣くのは女のほうじゃないのか。
「今の健をほっぽって、さっさと結婚なんかできるわけないわ。あなたが」
「分かってんなら、言うなよ」
「だって、ああいうシーンで他に言うことある?」
ジュンは華やかに笑うのだ。
「あたしだって、一生に一回くらい言ってみたかったんだもん」
ちろっと舌を出す。

「あたし、ひとりで産んで育てるわ」
ジュンは微笑む。
「ジュン」
甚平だけではない、健もジョーも抱いている『女の子の幸せ』は、その様なこ
とではない。
「つい、頭に来て口を滑らしちゃったけど。本当は内緒にしておこうと思って
たの」
「お前」
何を言っていいのか、分からない。
「誤魔化しきれなくなる前にISO辞めて、って思ってたのよ」
だって、とジュンは強い口調で、しかし淡々と喋り続けた。
「ここに、みんなのお膝元にいる限り、いつまた荒っぽい仕事が来るかも知れ
ないじゃない。だから、あたし、どっか遠くへ行って誰にも知られないで、産
んで育てようと思ってたの」
健を連れ戻すことが、最後のミッションなら、それがあたしにとって最良だ、
って…。
「甚平にも、俺にも、内緒でか」
「うん」
「本当にひとりでか?」
「そうよ」
「いい加減にしろよ」
泣きたい気持ちになってきた。母は強い。ジュンは強い。ジュンが母親になっ
たなら、何をどう言って聞かせればいいのか。分が悪すぎる。
「ジョーや健にバレちゃって挙げ句に甚平や竜にまでチクられちゃって、挫折
したけどね」
もう、とジュンは少しふくれてみせた。
「しかも、いつの間にか長官にまでバレてたわ。…ま、いいお医者を紹介して
もらったけど」
「おう。俺たち男4人としては、しがらみでがんじがらめにして、めったな気
を起こさせねえようにしようと、そら知恵絞ったんだからな」
消えたりするなよ、とジョーは小さな声で言った。
「ありがとう。心配してくれて」
ジュンはふんわりとやはり微笑む。
ああ、母親になると、女ってのはこんなふうになるんだなあ。
やけに眩しかった。

ジュンは小首を傾げ、遠くの何かを手繰るように話し始めた。
「あたしはISOの総合職としてこのまま勤務して、産休とって子供を産んで
復職する予定。託児所とか病院とかの設備も、ISOってやっぱりとても恵ま
れているのよ。だから辞めるのは止めたの。ひとりでもやっていけるわ。基本
的には」
次第に怜悧な口調に戻っていく。
「でも、何かあったら、って何だか分からないけど、あたしじゃダメな何かが
あったら、少し、助けてほしいな。いい?」
最後の、いい?は小声で上目遣いだった。どんなに強くても、時々は哀しいく
らい脆くもなるジュン。
「当たり前だろ。…なんなら、一緒に住むか?」
ジュンとならどうにかなるだろう、と自分では考えて言ったつもりだった。
「それはお断りよ」
即答。
「だって。あなたって本当に女癖悪いし、男癖もかなり怪しいし、胎教には最
悪、ましてや子供の情操教育には問題外だわ」
返す言葉も無い。
「あたし、子供には、あなたのパパは仕事ができて優しくてそりゃ男らしくて、
って話して聞かせて育てるつもりなの。目の前で悪行三昧されたんじゃ、元も
子もないでしょう?」
叱られているような気になってきた。いや、叱られているのだろう。
「美味しいときにぽっと出てきて、格好良いパパに変身してほしいの。嫌だ?」
男として、しかも相当我が儘な男として、これ以上の申し出があるだろうか。
「本当にそれでいいのかよ」
「うん」
「分かった」
「ありがとう」
ジュンはまた、"お母さん"の微笑みを浮かべ、次に、今度こそ生真面目な険し
い表情になった。
「あたしは、これでいいの。でも、…あなた、すっごく大切なこと忘れてない?」
この顔は恐い。ジュンは何を言い出すのか。
「あたしが言うことじゃないんだろうけど、黙っていられない性分なんで勘弁
してね。オダくんのこと」
今や"くん"である。
平静を装ったつもりだったが、顔に何か出てしまったらしい。
「まったく。本当に男癖も…って。もしやと思ったけど。あなたってひとは」
「何が言いたいんだ」
「彼に、ちゃんと連絡とった?」
「退院して仕事してるってメールもらったぜ」
「で、あなたからは?」
レスはできないでいる。
「なんなの。あたし、って竜は気付いてると思うんだけど。あれだけご執心だ
ったくせに。…そんじょそこらのおにいさんなら、別に構いやしないわ。でも、
彼なのよ?」
「何があったんだ」
「彼、退院してすぐ辞表出したのよ。リサや長官がどんな思いで慰留したか」
「辞めるって、決まったのか?」
「ISOのブロック体制が整うまでは、ってやっと上半期は引き留めたの。し
かも竜が、よ。もうちょっとここで一緒にやってくれんか、って」
頭から血が引く。唾を飲み込む。
「長官たちがさんざん退職理由を聞いたんだけど、明確な理由が返ってこなか
ったっていうのよ?ああいうタイプがはっきりしたこと言わないって、ヘンじ
ゃないの。言えないから言わないんでしょうよ」
「待ってくれよ。本当に俺のせいなのか」
この台詞、使う場所を間違えているような気が、した。
「何よ。他に何か心当たりあるの」
「あいつのことを、そんなに知ってるわけじゃない」
俺は何を言っているんだ。いくらなんでもこれは卑怯だ。
「随分ね。これから浮気心を出すときは、もっとあたし達にとってどうでもい
いヒトを選んで頂戴。彼は、あたしや竜にとっては仕事でも大切なパートナー
で、甚平にとってはすごく頼りになる先輩なの。あたし達、もう5人だけでや
ってるんじゃないのよ」
ジュンはすっかり冷めた料理を突き回した。
「いい。あなたは、健、なのよ。他の誰でもダメなのよ。よおっく自覚してち
ょうだいね」
している、いや、していた、はず、だった。
「今、あいつどうしてるんだ」
苦しい。
「教えてあげないわ」
「あれは、…浮気なんかじゃない」
「じゃあ、なんなのよ。…結局、どう言い繕ったところで浮気じゃないの。あ
なた、男性に関しては不器用なのね」
痛い。
「いいわ。彼本人が黙ってるんだもの、あたしからはもうこれくらいにしてお
いてあげる。ねえ、ジョー。ここであたしとお腹の赤ちゃんに誓ってよ」
「…」
「健を、あたしたちを、決して裏切らない、って」
「分かった…」
誓うよ、と声が消えて無くなった。

**

あれだけ美味そうだった昼食は、結局、満足に喉を通らなかった。
今、ジュンは助手席で、贔屓のバンドや俳優のこと、他愛も無いことをとりと
めなく喋り散らしている。
ジュンは健だけを想って、たったひとりのバレンタイン・デーを幾年経たのだ
ろう。女性として突き放して見れば、可愛い美人で、あまり家庭的でこそ無い
がユーモアもあるし、頭もいい。ISOの独身男性には結構人気があるのだと、
竜から聞いた記憶もあった。言い寄ってくる男も居るだろう。中には良いい男
もいるだろう。
それでも毎年であの家の前に蹲り、チョコレートをひとりで食べていた。
そんなジュンから見れば、最低最悪の人間に相違ない。寄りによって、お腹の
子の父親が、だ。本当に怒っている。ジュンがそれを、腹に閉まっておけるだ
け年をとったというだけの話しに過ぎない。

思わず、空の青を追いかける。
雲ひとつない晴天なのだった。

**

長官室には、ジョー、ジュンの他に甚平、竜が揃っていた。
長官とともに、リサも席について、事後処理の報告が行われた。

主犯がテロ組織と結託しており、奇しくもあの決行日、テロ活動の餌食になっ
たと偽装して、ハイパー・シュートのデータを持ち出す手筈になっていた。
まさに間一髪だった、らしい。

ジョーは何となく、上の空だった。
立件がどうの、とか、証拠物件がどうの、とか、顔は南部のほうを向いていな
がら、頭の中は地中深く潜り込んで何も見えていない。

報告会も終わった頃、長官室のドアが叩かれて、南部の秘書がちらりと顔を出
した。南部が頷き、リサと顔を見合わせ何か話している。リサが立ち上がって
ドアを大きく開け、外にむかって手招きしている。南部がこっちを向いてなに
か言っている。
「ジョー、呼ばれてるよ。どうしたんだい?」
甚平に蹴られて、我に返った。
「あ…」
柔らかいチョコレート色のスーツがドア口から現れ、リサと長官の間に角張っ
た袋を置いて去ろうとした。
「忙しいんでしょうけど、ちょっとくらいお愛想もしたら?一応戦友でしょ?」
リサ。それに、これは、と袋を指さし、次にジョーを指さす。

「ご無沙汰」
オダはジョーの前にその紙袋を置いて微笑した。袋はISOの社用封筒。
「長官がこれの処分はあんだだろうってさ」
「なんだよ」
開けて覗き込む。カートリッジ・テープが5本、詰まっていた。
「そいつが、マスター・バックアップ・テープだ。中は俺がチェックした。漏
れは無い。それで全部だ。これが無くなれば任務完了だね」
「主犯が逃亡時に持ち出しを図っていたの」
リサ。ジョーはジュンと顔を見合わせた。気が付いていなかった。
「小さなものですもの。あなたたちの状況では無理もないわ。ってことでうち
のスパコンが二度とない肉体労働してふんだくった超レア物なの。持ってって
くれる?」
「もしかして、それで撃たれたの?」
ジュンがオダの横顔を覗き込む。
「データ抹消はうちのミッションだからね」
いつも通りの他人事。
「確かに渡したよ。よろしく」
ジュンに微笑みかける、竜や甚平に手を挙げる。最後にリサと長官に会釈をし
て、ドアを閉じて行ってしまった。

ジョーの鼻先に麝香の香りがすうっと流れ、瞬く間に薄れて消えた。

何の淀みも躊躇いも無く、刻は流れ、季節は巡る。星の瞬きよりも儚い時間の
中で、ひとは生まれ、泣き、笑い、愛し、憎んで、死んでいく。

ジョーは5つのカートリッジ・テープを積み重ね、突き崩して、掌に包み込ん
だ。
子供の玩具にもなりはしない。たった、それっきりのもの。
「それ、どうすんだい」
甚平がジョーを手元を覗き込んで言った。
「どうしようかな。あんまり呆気ないもんだから…よ」
「焼いちまおうぜい。健も見えるところで」
竜。
「そうだな」
それがいい…
「じゃあ。今週末。みんなでお見舞いね」
「おう」

南部が目を細め、黙って席を立った。リサも続いて部屋を出て行く。

−兄貴、なんか喰いたいもんとかないのかな。おいら何でも作ってやるぜ。
−ああ。帰ったら聞いておく。
−健のエビフライが喰いたいわ。俺。
−それは、まだちょっと無理じゃない?

ずっとずっとむかしから、変わらずあったような、ほほえみ、ざわめき。

うつつは、まぼろし。
すべては、…夢。


END < Valkyrie


Art by さゆり


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