Operation.Valentine

by phantom.G

[The angel descended out of the blue] Side Story


「ジョー。そこに居るか?」
 健の、平静を装った低い声は、緊張を隠しきれていない。
「おう。隣に座ってるぜ。」
 ジョーが、心なしか硬い、トーンを落とした声で答えた。
ガシュン、と妙に重々しい音を立てて、安全装置が下がり、同じ体格の彼らの
下腹部に衝撃吸収材が当たって、バーが固定された。健はその感触に身を硬くし、
ハンドレールにかけていた両手に力を込めて握り直した。
「ほんの3分さ。心配は要らねぇ・・・。」
 ジョーが右手を伸ばし、健と同じ角度でハンドレールを握ると、
男同士の広い肩が僅かに触れ合う格好になった。健が息を吐くのが聴こえた。
「最初の急降下から後は、物凄い騒音で何も聞こえなくなるぜ。」
 ガクン、と席が揺れ、重機音と共に、彼らは降下台へと誘われてゆく。
「思い切りいけよ、健。」
 ジョーは隣にシニカルな笑みを向けたが、健は唇を結んで振り向かなかった。
「おっと・・・」
 ジョーは左手を伸ばし、健の頭に乗った似合わない帽子をつまんで
ひょいと取り上げると、それを自分の背中に回し、ジーンズの腰に突っ込んだ。
ふわりと乱れた健の長いダークブラウンの髪の間に、隠していた包帯が見える。
健の両目を覆っているその白い色は、ミラーコートのサングラスに殆ど隠されていて、
スキーゴーグルにも使えるデザインは、頬のラインがソフトな健にも結構似合っていた。
「グラス、飛ばされるなよ。」
 ガッシャンと滑車が鳴って、大型チェーンが巻き取られる規則正しい音が
二人の腹に響いてきた。座席が上昇してゆく軽いGが加かる。
「ジョー・・・足が・・・、」
「何だって?」
「届かない・・・、何で床がないんだ?」
「当たり前だろ?コイツは宙吊りタイプの最新型だ!」


 健は、眼科の難しい移植手術を受け、暫く入院療養の生活を送って来ていた。

 当初予想したよりも損傷は複雑で重篤、手術には繊細で高度な技術を要した。
そして、南部が手配した世界一流の名医の手で最先端技術の粋が施術され、
手術は勿論成功した。が、その時健が負っていたダメージは、失明状態の「眼」
そのものだけではなかった。帰還したGPから直行で病院へと運ばれた健は、
初診に当たった医学博士である南部が、驚愕するほど憔悴しきっていたのだ。
 戦闘による、身体上の表面的負傷も、普段のG−1には考えられない程だった。
バードスタイルでの戦闘でなかったら、間違いなく健は命を落としたはずだ。
弾丸の被弾による打撲は全身に及び、レーザーによる火傷もスーツの防御力の
限界を越えた結果だった。鍛え上げられた一騎当千の戦士の肉体にはそれでも
「大したことの無いダメージ」の範疇かもしれない。普段のG−1であればだ。
 その時、精神的な負担が大きかった事で、健は文字どうり打ちのめされていた。

 その超人的な精神力で、常人では考え及ばぬ苦境をも乗り切って来た健の心は、
自尊心と正義感に支えられた、強く張った糸のようなものだった。
聡明な思考で事の正しい判断は出来ても、人間の心、その感情というものは本来、
割り切れぬものなのだ。分かっているからこそ、そして感情を殺す事を学んできた
からこそ、時には切れる事もある。それを戦いへのエナジーに変えられるうちは、
例え心の安定は失っても、強さは無くさないでいられた。

 ダメージを負ったとはいえ、生還した彼らは戦いには勝利したと言える。
しかし今度の作戦以前から、精神的な負担が重なっていた健にとって、
もぎ取った勝利が伴った結末は、過酷だった。
 大切な者の存在を、気付いたと同時に喪う事。
それは、健にとって初めての試練ではない。だからこそ、後悔が心に重く圧し掛かる。
掴もうとする指からこぼれる砂のような、空しい喪失感。
そしてどうしようもない、激しい自責の念。
到底直ぐには割り切る事の出来ない想いが付き纏う。
じっと堪え、病床に臥していなければならない生活では、
落ち込みは負の気となるばかりだ。
 純真な分だけ脆いその心。自らを苛む負の感情は身体的な痛みをも荷重する。

 喪われたかけがえのない大切な命。自分の中で生きている、その命の重み。
一日も早く回復し、戦いに復帰する事。それが自分にできる何よりの応えだ。
俺は戦場へ戻る。お前が信じ憧れた戦士として、もう一度飛ぶ。・・・必ずだ。

 術後の安静期間が過ぎ運動を許可されると、健は早速、リハビリルームで
全身の筋肉を覚醒させていった。理学療法士が見かねて制止する程だったが、
本さえ読めない退屈な療養だから、と受け流す。
 健は薬に頼らずに眠りたかった。何も考えられないほど疲れてしまいたかった。
しかしまだ充分回復できていない身体に負荷をかけても、神経が高ぶってしまう
ばかりだった。健は眠れぬ夜を、膝を抱いて過ごし、運動から病室へ帰った折の
僅かな時間を、太陽の光の暖かさを感じながら、とろとろとまどろんで過ごした。

 健は、負の感情を心の奥深くへと押し込めて、また封印しようとしていた。
強い「精神(こころ)」の科学忍者隊のリーダーに戻り、再び戦うその日のために。
 自らの心を守る為に築く強固な壁は、その内側に聖域を形成する。
誰にも踏み込めない、その深みに感情そのものを封印する事は、
心を閉ざす行為である事に、健は気付いていなかった。
 健はそうと知らず、周囲を拒絶する空気を幾重にも身に纏い、
穏やかに其処に居ながら、誰もが近寄り難い、重苦しい雰囲気を漂わせていた。

 健の病床を仲間たちはそれぞれ度々見舞ったが、取り付く島を見失っていた。
かける言葉は上滑り、ついには所在を無くして病室を出るしかなくなってしまう。
健は勿論、見舞い客をあからさまに拒絶するわけではなかったし、むしろ何時もに
比べて穏やか過ぎる位だった。包帯で両目を覆われているため表情は分かりにくい。
が、殆ど笑う事も無い。任務の話をする事は、南部から禁止されていたが、それも
取り立てて健は訊こうとしない。覇気が無さすぎて、全く健らしくなかった。
健に十分静養させるため、思いを巡らせていた南部も拍子抜けがした程だった。
 ジョーはそんな相棒に、不安にも似た焦燥を覚えていた。

 しかし、身体的な回復とともに、健の様子は変化していった。
思いつめた様に押し黙っている時間が長くなり、甚平や竜のたわいない冗談など、
全く耳に入っていない。自分の世界に入り込んで、物思いの深みに沈んでゆく。
 帰りの挨拶に、気付かない事さえあった。


「協力してよね、ジョー。竜も!」
 言い出しっぺは甚平だった。作戦会議の場所はスナックJ。
ジュンは買い物に出かけていて、帰りには健の所へ寄るはずだった。
そもそもは、味噌っかすのいつものボヤキが始まりだ。
「兄貴は、オイラ達の気持ちなんか、ちっとも分かってない!」

 自分達にとっても辛い事件だったから、健の落ち込みは解かる。
だからこそ力になりたいと想うのが、仲間、友人の当然の心理だ。
彼らは、南部博士の護衛など日常の小さな出動や、勿論決められた訓練もあり、
そして表の顔であるそれぞれの仕事も、その関係の人間との付き合いもある。
結構多忙な時間をぬって健を見舞っているのだが、当人は喜んで向かえる様子は、
あまりない。無理して来なくてもいいとさえ言う。
 最近は有り体に言えば、無視も同然なのである。

 自分達のリーダー・健は、時が経てばきっと立派に立ち直るだろう。
放っておいても頑張る生真面目人間に、ヘタな励ましの言葉などは要らない。
でもそれだけではイケナイ。健の本当の復帰に重要な、最も大切な問題点に、
心理学の難しい理屈など知らない、気楽な子供の甚平が、無意識に気付いていた。

「兄貴は、治って任務に戻る前に、一度笑わなくっちゃダメなんだ!!」

 自分や竜の駄洒落などでは効き目が無い事は立証さえていた。
うるさいと言われるならまだいい。無視はあんまりだ。
「ふッ、なんてカッコつけるんじゃなくて、腹の底からわはははって!
 怒って怒鳴るんでもいい。うわーって叫べばいいんだ、思い切り!」

 健を一番理解しているジョーは、健の様子を案ずる事はあっても、
自分の気持ちなどはどうでもいい事だった。男同士である点では、竜もそうだ。
 しかし、健を慕う子供の甚平にとっては、こんな時に自分が役立てるかどうかは
重要な問題だった。まして、落ち込んで溜息ばかりの「お姉ちゃん」の姿も毎日、
彼は見ているのだ。ジュンが健の見舞いに出かけて帰る度、甚平は動悸がした。
 八つ当たりされるのも困るが、手料理の相伴(身代わり)は最悪だった。

「そうか・・・」
 ジョーが妙に納得した反応をした。
「思い切り、叫ぶ・・・か。」
 なんだかんだあっても、笑って生きてきたよな、俺達。
・・・腹の底から、か。 何時から、そんな風に笑うアイツを見てないだろう・・・。

 竜が頭をボリボリ掻いた。
「だからって・・・。遊園地なんかじゃ、健が喜ぶとは思えんぞぃ。
 おめぇが行きたいだけじゃないんかぃ?甚平」
「最新絶叫コースターの、試乗予約チケットだぜ!苦労したんだから!」
 南部に小遣いの前借をしたのは、ネットオークションのためだった。
「オイラには見届ける義務があんの!」
 甚平が自慢げにかざした極彩色の一枚の紙切れを頬杖でちらと見て、
「ふーん、ペアチケットねぇ。そんならいっそジュンと二人きりにしてやりゃ
 ええじゃろに。なぁんでオラたちまで一緒に行くんじゃい。」
 ぶつぶつ言う竜の鼻先に、甚平はチケットを押し付けた。
「日付を見ろっての!」
「ん?バレンタインデーイベント?・・・んなら、なおカップル向けじゃ。」
「だーかーらー!明日なんだってば!明日!!」


 健の眼の、術後初めての視力検査は、2月15日の予定だった。明後日だ。
その日の包帯交換の時、初めて眼を開き「見る」事を許される。
成功はほぼ間違い無いから、退院の日も遠くないはずだ。
実は手術当初では検査は14日の予定で、南部の学会の都合で一日だけ日延べされたのだ。
 念の為と言われ、健はむしろ安堵した様子さえ見せてそれを納得していた。

「退院前に連れ出そうってのか?」
 ジョーが呆れた。目に包帯の状態で遊園地?
「勿論、外出許可はちゃんともらってさ。大丈夫なはずだよ、それは。」
 リサーチ済みか。抜け目のない奴だ。
「最新絶叫マシンってのは、ちっと無茶じゃないんかいのぉ?」
 思い切り笑う・・・叫ぶ・・・? 待てよ、何か引っかかるぞ。
「兄貴をダレだと思ってるのさ?!コースターのGっ位、軽いリハビリだよ。」
 そうだ、ジェットコースター・・・。確か、ガキの頃に二人で乗って・・・
「な、いいだろ?ジョー。ジョーの車で兄貴を病院に迎えに行ってさぁ・・・」
「あっ!!」
 ジョーが急にスツールから立ち上がったので、甚平と竜が怪訝に見上げた。

 ・・・そうだ確か、俺と健が10歳になった年の夏の休暇だ。
博士が遊園地へ行く約束を珍しく違えなかった、あの日・・・。
 ジョーの脳裏に鮮明に蘇った記憶。それは・・・、


「ジョ―――――ッ!!!」
 声変わり前の綺麗な少年の声色が、絶叫で自分の名を呼んだ。
始めの急降下で声も出さずに固まった直後、右へ振られた急カーブだった。
健は細身の身体を半分浮かせていた。安全バーがなければ、
飛び降りていたかもしれない。次いで、レールは左へ、
健は一番低い声から裏声まで、長い絶叫を引っ張った。
「う、わぁあああぁあ、あぁあぁあ―――――っ!!」
 コースターは円を描いて空へ駆け上り、ぐるんと一回転する。
Gが床に身体を押しつけ、健の声が途絶えた。
思わず下向きになってしまったので、息が詰まったのだ。
負けず嫌いが頭をもたげ、Gに逆らって健は顔をぐいと上げた。
健は目の前に広がる空を見た。そこへ駆け上っていく浮遊感を得た。
「わぁ・・・っ」
 しかし、コースターは勿論、レールを離れて飛び立ったりはしない。
また急カーブのGに引き戻されたが、今度は堪らなく愉快になった。
 最後のカーブから、コースターがステーションに止まるまで、
健は、けらけらと、ハイテンションな笑い声を立て続けた。

「あぁ、面白かった。」
 コースターから笑いながら降りた健は、階段を下った所で振り向いた。
「ジョー凄いね、全然叫ばないんだもの。始めの急降下、怖くなかった?」
 ジョーは、片手で顔を半分覆っていた。
係員から、預けていたジョー気に入りの帽子を受け取って、手渡そうとして、
健はジョーの顔が白い事に気付いた。
「大丈夫?気分悪い?」
 その後トイレに駆け込んで、ジョーは胃の中の冷たいものを全部、下水に流した。
欲張って二つ平らげた、フルーツとチョコの二種類のパフェだった。


 鮮明に蘇った甘酸っぱい想い出の記憶。ジョーはそれを、顔を覆った大きな掌で、
努めて平静に拭い去った。オレは地面から離れる乗り物は性に合わねぇんだ・・・。


   甚平の嘆願が叶い、早い夕食後の3時間という制限付で、健の外出許可が下りた。
患者への、摂取についての禁止事項等が書かれた書類を、南部が手渡してくれた。
甚平は、自分のとっておきの計画を南部には秘密にしておくつもりだった様だが、
竜が事も無げにそれをばらしてしまった。(ただし「外出先」だけである。)
 南部は「ほぉ・・・」と目で微笑んだ。
「健とジュンに、遊園地のペアチケットかね・・・。ふーむ・・・」
 諸君も「若者」である事を、私はつい忘れてしまっているよ。
そう南部は続け、健を、歳相応の娯楽へ連れ出そうとする、小さな弟分を、
優しい眼差しで眺めた。そして少し身をかがめると、可笑しそうに言った。
「で、君のバレンタインデー計画は、当人達には極秘なワケかね?」
 朝一で書類を持って、健の主治医である南部に許可を貰いに来たのは
甚平と竜の二人だった。ジュンは今頃、健の病室に向かっている筈だ。
ジョーは、夕方からしか時間が取れないから、出先から病院に直接車を回す
と言って出かけていた。

 甚平は昨夜のジュンの八つ当たりを思い出して、身震いした。
予想通り彼女は、昨日半日かけて選んだチョコレートの包みを、
見舞いに行った病室に置いてくる事が出来ずに、
なんと今日を待たずに自分で食べてしまったのだ。
その不機嫌具合で昨日の兄貴の態度が「最悪」だった事は予想がつく。
 たぶん明日の検査に向けて、ピリピリした空気を漂わせ、
そっぽを向いてばかりいたんだろう。
「怖いときは、怖いって言えなきゃ、歪むんだよね、ニンゲンは。」

 甚平の意味不明の生意気台詞は無視し、南部はポケットマネーを取り出すと、
それをわざわざ封筒に入れて、甚平に手渡した。
「ジョーに渡しなさい。健に無理はさせない様、気をつけるんだよ。」
 それから南部はさらに数枚の小額札を、そのまま甚平に握らせて
「検討を祈る。G−4号」
 と、ウインクした。甚平の顔が輝く。
何しろ小遣いは前借分まで全部チケットに化けたのだから。
「ラジャー、任しといてよ!」
 そしてその夜。健は、有無をも言わさぬ竜の怪力で、陰気な病室から
「StarLightFantasy」へと、連れ出されたのだった。


 健と、ジョー。 背が高く脚も長く、肩幅も広いユニゾンな男同士。
を先頭に乗せ、残りは全て男女ペアの客で埋まった、最新型絶叫コースターは
今、まさに天国の頂に達しようとしていた。
「なんで、こうなるんだ。」
 ジョーは思わず、胸の前で十字を切った。

 約束の時間、愛車を病院の駐車場に入れて待っていると、
竜に引っ張られた健が、こちらへ歩いてくるのが見えた。
似合わない帽子に大げさなサングラスで、包帯は見えない。
痛々しくはない、相棒の普通の姿にジョーはちょっと安心した。
と、ジョーは、健の後ろから来るスカートの女の子を見て、
耳にあてていた携帯を取り落とした。
そして、電話の相手(デートのアポの取り直しを試みていたGF)が
呆れて切ってしまうまで、たっぷり25秒間、そのままで固まっていた。

 黒のサテンのシンプルなワンピース。
ふわりとしたAラインのロングの裾を優雅に揺らして歩いてくるのは、
紛れもなく、緑の髪を内巻きにセットしたジュンだった。

 彼女は弟分の粋な計らいに喜び、全員で健を連れ出す事に大賛成した。
その方が自然体で健の側に居れる事を、誰よりもジュン自身が知っていたのだ。
しかし、せっかくのメインイベント、コースターへの試乗権は、
あっさり放棄してしまった。
「こぉの格好じゃぁなぁ〜」
 思わず言った竜の、尻の肉を甚平が思い切りツネる。健の目には見えないのに、
ジュンが頬を染めて上機嫌なのが、竜にはどうも理解できなかった。
 実の所、ジュンはその抜群のプロポーションで着こなした、優雅だがカジュアルな
コットンのロングドレスの下に、変身用の何時もの服を、きちんと身につけていた。
ロングドレスが舞い上がれば、ブーツカットのパンツが見えてしまう。しかし、
それが恥ずかしいわけでもなかった。ただ現実に引き戻されるのが嫌だったのだ。
優雅に揺れる裾を楽しんでいるのは、誰よりも身につけている女の子本人である。
しかし、別人格になれるわけではない。ジェットコースターで悲鳴をあげて、
彼氏に(健に?)しがみ付く彼女に(私が?)なんて、成れる訳がない。

「ソフトクリームでも買って待ってるわ。甚平、あんたが行ってらっしゃいよ。」
 あっさり去ったジュンの優雅な後姿を見送って、甚平は可哀想に、
電池切れのラジコンのように急にしなだれてしまった。空しそうに、
「オイラ、ゲームコーナーに行ってくる。」
 と、去ってしまい、竜はその後を追いかけていったのだ。
そしてジョーの手に高額チケットと、何も知らない「健」が委ねられたのだった。


 ガタン!最後の振動の、2秒後。二人の身体はふわりと無重力空間に浮いた。
それは、バードスタイルで高みから飛び降りる感覚と少し似ていた。

「ジョ―――――ッ!!!」
 健のよく透る張りのある声色が、絶叫で自分の名を呼んだ。
始めの急降下で声も出さずに固まった直後、右へ振られた急カーブだった。
頭の上にレールのある最新型のコースターは、複雑な捻りを繰り返し、
遠心力の枷で人体をしっかとくわえ込んだまま、
まるで何もない空間を上る飛龍のように、
のたうち回りながら、猛スピードでコースを駆け抜けていった。
 健は一番低い声から裏声まで、長い絶叫を引っ張った。
「う、わぁあああぁあ、あぁあぁあ―――――っ!!」
 そしてコースターのレールが大きな円を描いて空へ駆け上り、
ぐるんと一回転した時、健は、
「うわぁ・・・っ」
 まるで子供のような歓声を上げた。
「飛んでるぜ、ジョー!まるでコクピットだ!」

 そして、最後のカーブから、コースターがステーションに止まるまで、
健は、けらけらと、ハイテンションな笑い声を立て続けた。


「もう帰ろうよぉ、兄貴ぃ」
 しきりに時計を気にする甚平に、事も無げに
「医者に文句を言われるのは俺だ、気にするな。」
 と、上機嫌で、健は結局、閉演時間までたっぷり「真っ暗な遊園地」の、
その喧騒と、音楽と、Cheapなファーストフードを愉しんだ。
 コースターに乗るまでは、手を引かれる事を嫌っていたのだが、
グラスを飛ばされてしまってからは、開き直ったように仲間に両手を委ね、
時には自分から「連れて行け」と要求した。しかし、実際、健はかなり勘がいい。
すれ違う気配を察して自分からひょいと避け、人込みでも殆どぶつからない。
 しかし欲しいもの、掴みたいものに対してはさすがにばたばた手探りはするし、
小さい子供のように、食べ物で手や顔を汚してしまう。
 ジュンは、そういう世話には手を出さなかった。
「仕方ねぇなぁ・・・」
「ほれこっちじゃ、健。」
 ジョーや竜が、無骨な手で世話してやるのを、黙って見守っている。
ジュンは、健が嫌がる事を、きちんとわきまえているのだった。
 ジュンが健の手を取ったのは、30分も列に並んで買って来た、
チョコレートテイストのソフトクリームを握らせた時だけだった。
 健は、にっこり笑う顔をジュンの気配の方に向けて、
「ありがとう」
 と、言った。
「美味いよ、ジュン、さっきのバニラも美味かったけど。」
 まるっきりの子供のように楽しんでいる。
「少しくれる?」
 ジュンがさりげなく言うと、
「ぐるっと舐めちゃったぜ?ごめん、もう一つ買って来いよ。」
 片手でジーンズのポケットに小銭を探している。
 甚平が生意気な溜息をついた。
「帰ったら10時半回っちゃうぜ?オイラ、もう、知らないからね。」
 健は片手を伸ばして弟分の頭を探り当てると、ごしごし撫でた。
「久しぶりに愉しかったよ、サンキュー甚平。」
「兄貴・・・」
 竜がふわーと盛大に大欠伸をした。
「閉演の曲だわ。甚平、バギーでオラを送ってくれや。」
「何言ってんだよ、狭いよ。」
 不機嫌に唇を突き出す甚平には構わず、竜はノンキな笑みで立ち上がる。
「ジョー、健を頼むぞい。ジュンも一緒に病院まで行くんじゃろ?」
 先刻、席を外した折に、ジュンは思い切りよく、黒いドレスを脱いでしまった。
肩にかけたバックの中に持っているのだろう。粋な笑顔で小さな頭を一振りすると、
彼女の緑の髪は、肩に当たって踊り、くるりと綺麗な外巻きに跳ねた。
「お店少しでも開けるから先に出るわ。バンドメンバーに連絡したら、
 バイクで迎えに来てくれるって。じゃぁ・・・健。明日・・・。」
「待ってる。」
「え?」
 健の言葉にジュンが振り向いた。そして、
「時間に、必ず行くわ!」
 駆け出しながら、甚平に言った。
「さっさと帰って手伝いなさいよ!」
 甚平はげんなりして長い溜息を吐き、
「行こうぜ、竜。」
 と、立ち上がった。竜は去る前にジョーの側によって、一応訊いた。
「もう大丈夫なんじゃろ?ジョー。さっきは顔色、真っ白じゃったが・・・」
 ジョーは珈琲の紙コップを口元に当てたまま、
黙って片手を上げ、追い払うようにひらひらさせた。


 ゲートを抜けて駐車場へ出ると、そこは嘘のように静寂に包まれていた。
健は、先へ立ってくれと言い、ジョーの後から一人で歩いて来る。
白い包帯がなければ、違和感は全く無い、常人と変わらない足取りだった。
「怖く、なかったのか?」
 ジョーは、自分達の命を救う為、見えない眼で敵基地へと乗り込んだ健の、
たった一人の戦いを想った。手酷く傷ついていた姿を回想い、歯噛みした。

「何が?コースターか?」
 健は顔に当たる夜の風の感触を愉しんでいた。
「怖かったぜぇ〜。死ぬかと思ったよ。真っ暗で先が分からないんだから。」
 あんまり怖くて、大笑いしちまった。と健はまた、けらけらと笑った。
「ジョーも、ああいう時は声を出した方がいいぜ。やせ我慢するから・・・」
「な、なんだよ?」
「気分が悪くなるんだ。げろーって。」
 ジョーはつかつかと健の側によると、乱暴に頭を掴んで、車の中へ押し込んだ。
「おいっ!」
「黙ってさっさと乗れ!」
 健は長い脚をぶつけながら車内へ転がりこみ、あははは、と爽快に笑った。


「着いたぜ、健。・・・おい?」
 病院までは30分足らずなのに、健は倒したシートで眠り込んでいた。
ジョーが身体を横向けてその顔を覗き込んでみると、本当に安らかに、
深い呼吸を繰り返す寝息を立てている。
「健・・・」
 もう一度静かに低い声を掛け、軽く肩を揺すってみたが、一向に気付かない。
 ジョーはドライバーズシートから降りて、反対側に車体を回り込み、
ナビシートのドアを静かに開けた。
 すやすやと寝息を立てる相棒のこの熟睡が、
本当に久しぶりの安らかな睡眠である事を、ジョーは知らない。

 ジョーは、車体に腕をかけ、眠る健の上に屈み込んだ。
健の寝顔に自分の顔を近づけ、半開きの唇に息がかかる距離で、
ハスキーボイスを囁いた。
「襲っちまうぜ、健」

 健の唇から、吐息に混じって、甘い香りが香っていた。
「ValentineSpecial・SuiteChocolateTaste・SoftCream」の香り・・・
 ジョーの胸がちくりと痛んだ。

「いいぜ・・・」
 健が囁いたような気がした。


 翌日。南部は、外出許可の書類に記された門限を大幅に破った、
患者本人と、打ち揃った4人の付添い人達に、一応の注意を与えた。
「さて、では始めよう。」
 と、嬉々とした、しかし緊張した面持ちで、自ら部屋のカーテンを閉める。
ベッドに座した健の頭から、看護士が包帯を解き、最後に両瞼を押さえている
テープで固定されたコットンガーゼを剥がすと、それらをトレイに片付けて、
南部に場所を譲る。南部は俯いた健に顔を上げるように言い、
「さぁ、目を開いてごらん、健。ゆっくりだよ・・・。」
 と、肩に優しく手を添えて、言った。
 健は瞼を閉じたままで、顔を巡らし、
「皆、居るのか?」
 と、訊いた。
「もちろんよ、健。」
「ここにおるぞい!」
「兄貴ぃ、早く目ぇ開けてよ!」
 健はちょっと顎を引いて、気配を探るように、首を巡らせた。
そして、斜めの方向、部屋のドアの方に向けた所で、動きを止めた。
 そこには、ジョーが腕組みで立っていた。

 微かに長い睫を震わせた、と、次の瞬間、ぱちりと音がしそうな勢いで、
健は思い切りよく瞼を開いた。そして、眩しそうに数度、瞬きを繰り返した。
視線の少し先に、自分を見ている黒い人影が、霞んで、滲んでいる。
 健は焦れた。
「あぁ、健、慌てるな。ゆっくり見なさい、じっと焦点を合わせるんだよ。」
 南部に言われて、健は、声の方を見、眉間に皺を寄せて、瞼を細めた。
やがて、ゆっくりと南部の眼鏡の反射と、髭が判別できた。
「博士・・・。」
「私が見えるかね?・・・健。」
 南部をじっと見詰める健を、皆が固唾を飲んで見守っている。
ジョーはもたれていた壁からその背を浮かせ、呼吸さえ忘れていた。
 健がゆっくり微笑んだ。無邪気な子供がそのまま青年に成長した、
そんな綺麗な笑顔だった。南部の視界でその健の笑顔に、
あの少年兵の「天使の笑顔」が一瞬重なって見えた。
水面に映った虚影の様に揺らめいて・・・。
健が差し出した手を南部が握った。
「はい・・・見えます。博士。」

 仲間がわっと駆け寄った。
「兄貴ぃ!オイラは?オイラの顔は?」
「甚平・・・なんだ、何をべそかいてるんだ?」
「健、よかったなぁ、けぇん。」
「竜・・・!」
 ジュンが両手を頬に、突っ立っていた。
大きな瞳からは、ぽろぽろ涙が零れている。
「昨日はありがとう、ジュン。皆も」
 健の言葉が、仲間一絡げでも、ジュンは嬉しかった。
その方が、彼らにとって自然であり、何よりそれが本当の幸せである事も、
ジュンは、知っていた。

「ジョー!何してんのさ!」
 甚平がドアの側から近づかないジョーに、声をかけると、
健が改めてそちらに視線を向けた。真っ直ぐにジョーを見る。
 健はベッドから立ち上がって、ジョーのほうに歩み寄っていった。
ジョーは近づいてくる健の双眸だけに視線を当てた。
カーテンを引いた薄暗い病室でも、光を集めて凛と青く光る、
それは健だけが持つ、世界でたった一つの宝玉だ。

 ジョーの前まで行くと、健は2度、はっきり瞬きをした。
その青い光の中に自分の姿が映っている。
「眩しいぜ」
 ジョーが呟いた。

 二人は、拳を握った右手と左手をシンクロして上げ、
逞しい腕を一度ぶつけ合い、次いで、互いに振り下ろし、振り上げて、
パンッと、小気味いい音を響かせて、掌を打ち付けあった。


〜The END〜
2004.02 to ValentineProject
BY Phantom.G
赤星



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