Panettone

by 廖化




「クリスマスケーキが無い!」
甚平が発した悲壮な声に それまで賑やかだったテーブルが一瞬にして静まり返った。

 12月24日、まさにクリスマスイブの晩。食堂のテーブルの上にはろうそくの燈った燭
台、クリスマスカラーのランチョンマットに いつもよりかしこまってセッティングされた
食器類が並び ところどころに金や銀に染められた松ぼっくりやモールのリースなどの小
物も添えられている。テーブルを囲むのはこの家の主である南部孝三郎と彼が後見人を務
めている4人の子供達、以前からの住人で今年13歳になった健とジョーに この秋口に新
たに加わったジュンと甚平、更に健と同じ飛行学校の特待生で 休暇に時折こちらへ顔を
出すようになった竜の6人であった。穏やかな雰囲気の中で食事が進み最後のデザートとし
て供されたのは各種ジェラートの盛り合わせにマチェドニア、そして円筒型のフルーツ
ケーキ様のパンで それらをぐるりと見渡しての甚平の大声であった。
「クリスマス菓子と言ったらこれだろう?パネトーネ。」
 デザートをサーブしていたジョーがパン菓子を示した。
「え、これがクリスマスケーキなの?」
 甚平が落胆の色を浮かべた。ひょいとパネトーネを覗き込んだ竜も
「クリスマスケーキにしては ちょいと地味じゃのう。」
と不満を洩らした。
「じゃ、お前達の言うクリスマスケーキってのはどんなのなんだよ。」
 問いかけたジョーに甚平が言った。
「ほら、白くて上にいろいろ乗っているやつだよ。ね、ジョー、さっきキッチンでたくさ
ん果物を切っていたよね。あれはどうしたの?」
「あれは・・、これだ。」
 ジョーが示したのはマチェドニア、生の果物を一口大に切ってレモンで風味付けしたシ
ロップに漬け込んだものだ。中身の果物は季節ごとに変わるが今日はリンゴ、バナナ、イ
チゴ、パイナップル、オレンジ、キウイ、チェリー、が入っていた。
「おいら、あの果物がケーキに飾られるんだと思っていた。すごく綺麗なケーキになる
なって楽しみにしてたのに。」
 甚平の顔があっという間に曇り、今にも雨が降り出しそうになった。 

 甚平ほどの年頃の子供にとって クリスマスは数ある行事の中でも特別なものなのだろ
う。彼は早い時期からクリスマスソングを口ずさみ だれかれかまわずクリスマスに関す
る絵本を読んでとせがむなど、一人でクリスマスムードを盛り上げていた。つられるよう
に 例年よりも早く用意されたクリスマスツリーは 買い足したオーナメントも加えて盛
大に飾り付けられて居間の一角を占めている。皆が甚平の欲しがっているものをそれとな
く聞き出し 重複しないように分担を決め既に各々準備もしてある。甚平はイブのディ
ナーにもいろいろと注文を付けていたようで それでも厨房のコックも人懐こい新入りの
チビが可愛くて彼の希望に沿う料理を揃えてくれたらしい。デザートだけは例年通り
ジョーが担当したが 甚平とジョーが思っていた品が食い違っていたのだ。
「甚平。」
 南部が語りかけた。
「パネトーネとはパネトーネ種という発行菌を使用して作られたパンのことで ジョーの
故郷ではこれをクリスマスに食べる習慣があるのだよ。彼はカトリックの信仰厚い土地の
育ちでそこの風習なのだから まさに伝統的なクリスマスの雰囲気を味わえると思うのだ
がね。」
「ね、甚平。それぞれのお家にはそのお家ごとのクリスマスの迎え方があるのよ。あまり
わがままを言わないでこちらをいただきましょう。」
 しかし 南部の薀蓄もジュンの説得も甚平には届いていない。甚平はとにかく自分が思
い描いていたクリスマスケーキが食べたかったのだ。
 事ここに至ってジョーも ユートランドで言うクリスマスケーキとはパネトーネではな
いと気付いた。この家で迎えるクリスマスももう何回目かになるが その度にジョーはパ
ネトーネを焼いた。南部も健も何も言わずに食べていたのでクリスマスには何処でもパネ
トーネなのだと思い込んでいた。だから『クリスマスケーキも忘れないでね。』と甚平に
念を押された時にも よく確認もせずに『わかってる。』と答えてしまった。ジョーは
黙って自分の風習をそのまま受け入れてくれていた南部と健に感謝すると同時に 自分の
思い込みで甚平の期待を裏切ってしまった事を自責した。
「すまねぇ、俺がもっとよく甚平の話を聞いていれば・・。」
 悔いの色を浮かべたジョーに強いて笑顔を見せながらジュンが甚平の肩を抱いた。
「甚平も言葉が足りなかったのよね。お互い様よ。さ、早くしないとせっかくのアイスク
リームが溶けてしまうわ。」
 それでも甚平は返事もしなかった。甚平はいつもはここまで我を張りはしない。むしろ
年の割には聞き分けのいいほうだ。それだけに彼がクリスマスケーキに寄せていた想いの
大きさが窺い知れた。無言でテーブルに悲しい目を向けている甚平の姿に 何か良い解決
策はないものかと皆が各々考えていると この場の重苦しい雰囲気にそぐわぬのんびりと
した口調で健が言った。
「な、ジョー、今日は何の日だったっけ?」
「?・・クリスマスイブだろう?」
 何を今さら、とばかりに憮然とした表情のジョーに健はにっこりと笑った。
「そう、“クリスマスイブ”、だ。で、甚平が食べたいのは“クリスマス”ケーキだ。」
 健の思わせぶりな口調と目配せに ジョーにも健の意図するところがわかった。
 なるほど、とジョーは甚平に顔を向けた。
「甚平、悪いが今日は“クリスマスイブ”のケーキということで こいつで我慢してく
れ。その代わり明日、クリスマス当日に改めてクリスマスケーキを作るから・・。」
 ジョーの言葉に甚平の顔がパァーっと晴れ渡った。
「本当!?」
「ああ。」
「それならいいや。うわぁ 楽しみだなぁ。」

「さぁ、早く食べようや。おら、また腹減っちまったぞぃ。」
 甚平の笑顔と竜の一言で緊張していた部屋の空気が解け、テーブルには再び賑やかさが
戻った。
「パネトーネにはさ。」
 健がスプーンを取った。
「アイスクリームを付けて食べるとうまいんだぜ。」
「どれ・・」
「あ、おいしー!」
「パネトーネだけでもおいしいわ。ドライフルーツがたくさん入っていて。」
「意外とレモンのアイスが合うぞぃ。」
「えーっ!おいらは絶対バニラのアイス!」
「・・いや、アイスじゃなくてジェラート・・」
 皆の歓声が上がる中、ジョーが健に視線を送った。
 “助かったぜ。ありがとよ。”
 “まぁな。”
 健が漫然と微笑む。 そのやり取りを見て南部もまた微笑んだ。
「まぁ。」
 突然ジュンが笑い出した。ころころと心の底から可笑しそうに。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「ごめんなさい、でも博士の・・」
 え・・と皆の目が南部に向く。
「なんじゃぁ、博士のヒゲがアイスクリームだらけじゃぁ。」
 慌ててナプキンを口元へ持っていこうとする南部の動作を
「あ、拭いちゃァだめ!」
と甚平が止めた。そしてまじまじと南部を見た。
「白ヒゲの・・サンタクロースのようだね。」
「サンタ?私が、かね?」
「うん、おいらとお姉ちゃんに家をくれた。兄貴達に会わせてくれた。こんなに楽しいク
リスマスを過ごさせてくれた。ね、サンタクロースだよ。」
 “甚平、それは違う” 南部は心の内に苦い物が広がるのを感じた。
“私が君達をここへ置くのは・・”
 しかし今夜は・・、今はまだこのうれしい誤解はそのままにしておこう。神が与えてく
れた子供達の笑顔を壊す事の無いように。

 食後、クリスマスツリーの傍らの揺り椅子でくつろぐ南部の元に健がコーヒーを持って
来た。
「博士、どうぞ。」
「ありがとう。」
 南部がソーサーを受け取り暖炉の前へと目を移すと そこではジョーがスケッチブック
を広げて甚平に話しかけていた。
「ここにお前が食べたいというケーキを描いてみろよ。」
 うん、と甚平がペンを取った。
「形は丸くてー、大きさはねー、このくらいでねー。」
「あら、大き過ぎるわよ。」
「そんなの気にするな。残ったらおらがみーんな食ってやるからよぉ。」
 脇からジュンと竜も首を突っ込む。
「それでさ、白いクリームをたっぷり塗った上にイチゴやオレンジや、とにかく果物を
いっぱい乗せて・・、あと柊やもみの木の飾りもあるといいなぁ。」
 次々と出される甚平の要求にジョーは笑ってうなずいている。
 暖炉の中の薪がはぜる。炎が暖炉の前の4人の髪を 金に赤に染めている。
 その光景を南部が、健が見守っていた。

 明日、ジョーはクリスマスミサもそこそこにケーキを焼くだろう。今度こそ希望通りの
クリスマスケーキを得た甚平はどんな顔を見せてくれるのだろうか。

 Merry Christmas
 聖なる夜  
 今だ心痛む争いや出来事の絶えないこの世の中だが 
 せめて今宵一夜だけは全ての人々に安らかな祈りの時が訪れんことを
 それが唯一にして最大の願い


 Merry, Merry Christmas



 


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