特別な夜に

by 小夜子

  シャワールームから出てきた健が服を着込んでいる。いつもならバスタオル1枚であた
りをうろつき出すやつが。あいつのためにと冷蔵庫からビールを出そうと思った俺は動き
を止め、しばらく健の様子を見守った。
 長めの髪をタオルでかきまわしながらベッドに座り枕元に手を伸ばす。そしてブレスレ
ットを手首に巻きはじめだすと、俺はとうとうがまんできずにきかずもがなのことを口に
した。
「なんだよ健。泊まっていくんじゃねぇのか?」
 つい不満口調になっちまう。あいつは目線も上げずに答えた。
「ああ、悪いな。急な約束がはいったんだ」
 全然”悪いな”に聞こえないぜ。まぁ、あいつの場合こんなことはしょっちゅうだがな。
となりで眠っているかと思えばいきなり起きだして出ていっちまう。シャワーも使わずに
帰っちまう。もっと悪いときはことの前なんて時もある。
 ”寛大”な俺はその都度いちいち問いただしたりはしないんだが、今夜だけはどうして
もこの不満口調をおさえられない。
「急な約束ってことはねぇだろ?前から予約するから約束っていうんだぜ」
 露骨な不満を感じとったか、健がやっと顔を上げて俺のほうを見た。
「今夜に関しては俺はずいぶん前から予約してたんだ。それを急な約束ってな、どういう
ことだ?」
「そんなにからむなよ、ジョー」
 軽いため息をつくと苦笑とともにそう言った健の表情に”もっと大人になれよ”のサイ
ンを読み取った気がして、ついに頭に血が上った。俺は健の前に仁王立ちになると、腕を
組んで見下ろした。
「納得のいく説明を聞きてぇな。相手は誰だ?女か?」
「そんなことをいちいちお前に説明する義務はない」
 見上げる奴の青い瞳に怒りがあらわれる。
 図星をさされると逆ギレするのはこいつのクセのようなものだ。いつもならそんなに深
く追求したりはしないんだが、今夜だけは俺も引き下がれない。
「急ってことは夕方あたりにでも入った約束なんだろ?なら、記念日でもなければまして
バースデーでもない。ちょっとした相談事かへたすりゃただの食事の誘いだ。前々からの
俺との約束ってのはずいぶん軽くみられたもんだな」
 一つ口にすると止まらなくなっちまった。
 それにつれて健の瞳の怒りの色がどんどん濃くなっていくのがわかる。だが、止まらな
くなってしまった俺はついいっちまった。
「あぁ、それとも口直しにはやっぱり女がいいのか?」
 途端にあご下に衝撃が走った。いやというほど尻もちをつくと同時に口中に苦い血の味
が広がる。
 くそったれっ。
 あごをさすりにらみあげたが、すっかり身支度を整えた健の瞳にもう怒りの色はなかっ
た。いつものポーカーフェイスがあらぬ方向をみやりつぶやくようにいった。
「彼女、人妻なんだよ。どうしても今夜でないと時間がとれないって泣くからさ。お前に
は悪いことをしたと思ってるよ」
 だから全然”悪いことをした”に聞こえねぇんだよ、お前がいうと。
「じゃ、またな」
 それだけいうと健は座り込む俺には目もくれず、背中越に右手を上げただけでさっさと
トレーラーハウスから出ていった。


  口端の血をぬぐうとあとは立ち上がる気力も失せた。なぜか笑いがこみあげてくる。
 へへ、なんだ、俺達の”関係”なんてこんなもんじゃねぇか。一人で熱くなってるよう
じゃ、俺もまだまだだな。そう・・・たかが今日が俺のバースデーだってくらいでな。

 笑った勢いで立ち上がれよ、そうだ。
 そしてお前も着替えて出かけるんだよ。

 俺が俺にそんな声をかけても立ち上がれない。今夜だけは・・・。
「ハ、ハハッ、、ハハハ、、」
 こみあげてくる乾いた笑いも止められそうにない。今夜だけはな・・・。


THE  END



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