from the abyss
- 深淵より -

by さゆり



「おい、ケン‥‥」
 フットライトだけが点った廊下へと溢れる灯りに「いるのか?」と待機室のドアを開け
たジョーはその呼び掛けを途中で飲み込んだ。やはりケンはここにいた。が、カウチに俯
せている。仮眠を取っているのか?いや、ケンは眠りたくて眠っている訳ではあるまい。
足音を忍ばせて近づいて見ればそれは尚更明白だった。
「‥‥」
 くったりと、まるで誰かに投げ出されたような姿勢でケンは俯せている。クッションに
左の頬を半ば埋めるようにしているので詳らかに窺うことは出来なかったが、声を掛ける
ことさえ憚られるほど疲れ切っているように見えた。
 そして、指令室から待機室へと続く混沌とした有り様−いくつもの機器やコンソール、
様々な画面を表示したままのモニタ、夥しい量のデータファイル、散乱している書類やメ
モ−それらがケンとその背に掛けられたグレイッシュブルーのサイドベンツジャケットの
主とが追われていたであろう数刻を雄弁に物語っていた。
(無理もねえや)
 ジョーは胸の内で呟くと、見慣れたジャケットの下で目蓋を閉じているケンを起こさぬ
ようにそっとファイルやら書類やらを片付け始めた。平素ならばこうした混乱ぶりをその
ジャケットの主が許す筈もないことは重々承知している。だが今は非常事態中の非常事態
であり、必ずやまた襲い来るであろう非常事態−それは今、この瞬間に−かも知れない−
に備えるための時間は絶対的に不足していた。だから、ジャケットの主とケンは文字通り
寸暇を惜しんで作業を続けたに違いない。
(ちぇ、無理もねえや)
 ジョーはもう一度そう呟いた。
 
 昨日、三日月基地を失った。
 幾度となく狙われ、攻撃され、それでも力強く不死鳥を抱き、未来への希望を担い続け
た彼らの巣は遥か海底深くその姿を消した。いや、沈み着いた海溝の深淵にその姿を見い
出すことさえもう二度と叶うまい。数え切れぬほどのミサイル魚雷に破壊され、徐々に水
圧に押し潰され、さらに彼らの手によって止めを刺されたのだから‥‥
 あの時、
 (ジョー、いいな?)
 と、ケンは訊いた。
 (‥‥リーダーはおまえだよ)
 と、ジョーは答えた。
 感傷に溺れてはならぬことも、現実を厳しく見つめた上で分析し、行動しなければなら
ぬことも解っていたつもりだった。だが実際に出会したあの混乱の中で、果たして自分は
解っていた筈のことが出来たのだろうか?果たすべきことをきちんと果たせたのだろう
か?―――激しい怒りと悔しさ、そしてそれに倍する虚無感に眠れぬまま見上げた深夜の
空に浮かぶ三日月の、その冴えざえとした光芒が胸の内に差し込んだ時、ジョーは堪らな
くなってケンを探した。
 (ジョー、いいな?)
 何だってそんなことを俺に訊いたんだ?ケン。
 まさかあの時、俺が‥‥と、ジョーは言い様のない不安と焦燥に追い立てられるように
ケンを探して、彼らの古巣であり旧基地であるこの別荘の指令区画へと上がった時、ふい
に呼び止められた。
 −おや、ジョーじゃないか。どうした、眠れないのかね?
 ジャケットの主だった。が、その見慣れぬスーツにジョーは目を見張った。
 −博士こそ、こんな時間にどちらへ?
 −国際科学技術庁だ。緊急対策会議に必要なメンバーが揃ったと連絡が入ったのでね。
 「そのスーツは?」と訊ね掛けて、黒いそれは喪に服す時、纏うものだと気付いた。
 −そうですか。それじゃ、送りましょう。
 −いや、まもなく迎えのヘリが着く。君は少しでも休んでおきたまえ。悔しいだろう
 が、今はそれが最優先の任務であり明日への備えでもある。判ったな、ジョー。
 −でも博士、足は大丈夫なんですか?
 −ああ、ただの捻挫だ。心配は要らん。
 −でも‥‥
 −ジョー、私は医師の資格を持っているし、それに私の医師としての腕は君が一番よく
 知っている筈じゃなかったかな?
 「はい」と頷くと、ジャケットの主は静かな笑みを見せて頷き返した。そして、
 −ケンなら待機室にいる。もしまだ作業を続けているようなら、もう休むように伝えて
 くれたまえ。私からの命令だ、とな。
 と、そう言い残してエレベーターで降りて行った。クラッチを付き、さすがに疲労を隠
せぬ様子ではあったが、ジャケットの主の毅然とした態度にジョーはやっと幾許かの安堵
を覚えることが出来た。
 −はい。
 もう閉まってしまった扉にもう一度、力強く頷いてジョーは階段を駆け上がった。
 
 
「ジョー、そのコンソールには触らん方がいいぜ」
 眠っているとばかり思っていたケンが背後からそう声を掛けた。
「そこら辺のは南部博士にしか解らないものばかりだ。そのままにしておけよ」
「ケン!おまえ、寝てたんじゃ−−いや、どうやら起こしちまったようだな」
 いいや、とケンは頭を振って起き上がると、肩から滑り落ちかけたジャケットを素早く
捉えて言葉を続けた。
「寝るつもりはなかったんだが‥‥ふふ、でもどうやら眠っちまってたらしいや。
 ジョー、博士は出掛けたのか?」
「ああ、ついさっきな。国際科学技術庁で緊急対策会議だそうだ」
「そうか。あ、でも‥‥」
 グレイッシュブルーのそれをじっと凝視めたままのケンにジョーは告げた。
「博士な、黒のスーツを着てったぜ」
「そうか」
 ケンは頷くと、彼には似合わぬほどの丁寧な手つきでそのジャケットをカウチに掛け、
それからスッと背を伸ばしてコンソールのひとつに座った。
「おい、ケン。南部博士がもう休めと−」
「ああ、判ってるさ。だが、丁度いいところへ来てくれたぜ、ジョー。すまんが少しだけ
 つきあってくれ」
 ちぇ、言っても無駄か、とジョーは肩をすくめた。
「何につきあえって言うんだよ?」
「新しく設定した発信コードを確認したいんだ。ブレスレットの用意はいいか?」
「ああ、いいぜ。コールしろ」
「コードGPHD−G1‥‥受信状況及び周波数チェック」
「ラジャー。チェック、GPHD−G1、受信よし。周波数確認」
「コードGPHD−G2‥‥受信状況及び周波数チェック」
「チェック。オーケー、GPHD−G2、受信と周波数を確認」
「よし、次だ。コードGPBM−‥‥」
 ケンもまた眠れないのだ。ジョーにはケンの気持ちがよく解った。
 激しい怒りと悔しさ、そしてそれに倍する哀しみを機械的に作業することで紛らわせて
いるのだろう。いや、こいつのことだ。「必要だからやっているだけだ」とか言うに違い
ねえや、と口の端で笑って、暫しジョーはケンと共に作業に没頭した。
「よし、これで最後だ。コードCBHD−G1‥‥受信状況及び周波数チェック」
「チェック、コードCBHD−G1‥‥ん?おい、受信不能だ。ケン、コードCBHD−
 G1をもう一度送信してみてくれ」
「いや、それでいいのさ。コードCBHD−G1はさっき南部博士がプログラムを削除し
 た。そのコードはもう使うことがないからな」
「なるほどな。だがこいつはいったい何のプログラムだったんだ?」
「それは−」
 ケンは微かに眉を寄せたが、それでも今までと変わらぬ口調で言葉を続けた。
「三日月基地の自爆キーだったのさ」
「な、何だって?」

「おい、ケン!そんなものがあったのなら、何だってバードミサイルをブチ込まなきゃな
 らなかったんだよ?それに何だってわざわざ俺に確認する必要があったんだよ?」
「あの水深と破損状況では自爆システムが正常に作動するかどうか解らなかったからだ。
 だから南部博士はより確実な方法を採ったのだろう。それに‥‥ゴッドフェニックスの
 ガンナーはジョー、他ならぬおまえだからな」
「御為ごかしを言うなっ!」
 ジョーはクッと唇を噛んでケンに詰め寄ると「まさか」と、いや既に確信している自ら
の落ち度を口にした。突き詰めたくはない。しかし同時に突き詰めなくては−との思いが
ジョーを責めたてていた。
「まさか‥‥あの時、やつらの挑発に乗っちまった俺がすべての−」
 よせ!と、ケンはそれを遮った。
「もういい。ジョー、もう終ったことだ」
「終っただと?まだ終っちゃいねえ!基地を奪われたって俺達はまだ負けたわけじゃねえ
 ぜ。やつらを倒して三日月基地と共に海の底へ沈んで行った人達の仇を取ってやる!そ
 れが俺に出来るせめてもの‥‥」
「償いだ、とでも言いたいのか?」
「悪いかっ?もし、あの時、俺が−」
 いや、と頭を振って立ち上がると、ケンは大海原を望む窓辺へと歩み寄った。
「もしあの時、おまえが挑発に乗らなかったら、もしあの時、俺がおまえを抑え切れてい
 れば、いや、もしあの時、俺達が出動していなかったら――」
「そうしたら、三日月基地はやられやしなかった!」
「違うっ!そうしたら、トリアン号のあの悲劇が再び繰り返されただけだ!」
「う‥‥」
 振り返ったケンの瞳はその語気の激しさとは裏腹にシンと凪いでいた。海原に沈み行こ
うとする三日月の、その冴えざえとした光芒にも似た冷たく澄んだ瞳をジッと前方に据え
たまま、ケンは静かな声で続けた。
「ジョー、確かに大勢の科学者や技師達が死んだ。だが基地は戦略上いつ何時、攻撃され
 破壊されるかも知れないポイントであり、三日月基地もまた例外ではない。痛ましいこ
 とだが、所員達はみな覚悟していたさ。しかしやつらは俺達を誘き出し、三日月基地に
 潜り込むために、何の罪もない乗客1,853名もの命を奪った。そしてこんな悲劇は今に始
 まったわけでも、これで終りというわけでもない。戦いが続く限り、多数の一般市民が
 犠牲になるんだ」
「へっ、まさかおまえ、基地を失って怖じ気付いたんじゃねえだろうな?また " 戦うのが
 怖い " だの " 気が進まない " だの抜かすつもりじゃねえんだろうな?おい、ケン、ど
 うなんだよ?」
 まさか‥‥そう応えてケンは微かに笑った。
「もう二度と " 同じことの繰り返しが嫌になった " の何だのとも抜かさないぜ。だが
 な、ジョー、俺が「もし」と思うのは‥‥」
 言い掛けて、ケンはジョーに視線を移した。
 と、見慣れたその顔、そのブルーグレイの瞳にある一節が思い浮かんだ。
『夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは橋でも翼でもなくて、友の足音だ』
 誰の言葉だったろう?いつか読んだ本の中にあったのだろうか?
 
「おい、ケン、おまえが「もし」と思うのは何なんだよ?」
 瞬いて、小首を傾げたまま自分を凝視めているスカイブルーの瞳を訝しく思ったのか、
性急な口調でジョーが促した。
「うん?ああ、俺が「もし」と思うのは、ひっくり返った展望室のドアの上でもし自爆
 コードを発信していたら−と、いうことさ。ふふふ、早まらなくて良かったぜ。危うく
 無事だった博士まで吹き飛ばしちまうところだった」
「ふぅ‥‥まったくだぜ、ケン。ちぇ、危ねえ危ねえ」
 すまん、と笑ったものの、言い掛けて言わなかったのはそれだけではなかった。
 (ジョー、俺は――)
 もう躊躇ったりしないぜ。
 例えおまえを、おまえ達を打ち捨てて行くことになろうとも、な。
 平然と罪のない人々を殺し、部下を自爆させるあいつに勝つ為に、
 ジョー、俺は鬼になるぜ。
 この手が血で汚れようが、平和が来ようが来まいがどうでもいい。
 ジョー、俺は‥‥
 と、ケンが口に出さぬまま心の中でそれを告げ終えた時、力強い足音を響かせてジョー
も窓辺へと歩み寄り、ケンの隣に立つと海を眺めながらきっぱりと言った。
「あの時、神は俺達を見捨てやしなかった。だから俺は負けねえ!きっとこの手でやつら
 に止めを刺してやる!」
「ああ、そうだな。いつか、きっと−」
 頷いて、再び目を転じれば三日月は今まさに没しようとしていた。
 
 眠れ。千尋の底の、光さえも届かぬ遥かなるその深淵で‥‥
 だが、三日月はまた昇り、やがてまた満ちるクレッシェント。
 だから、いつか、きっと‥‥と、ふたりはもう一度、頷いた。



 the end.....
 
by Phantom.G
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