Happy Valentine's Day !
- Be My Valentine

by さゆり




 気がつくと賑やかだった店内は暗く、やたらと無愛想にシンと静まり返っていた。
(なんだ、酔い潰れて寝ちまってたのか‥‥)
 見れば隣のボックス席にもカウンターにも自分と同じように潰れている奴らが数人。
そっとしておいてくれるのは客に対する店側のサービスなのか、いや恐らくは叩き起こし
て絡まれる面倒は御免、という事なのだろう。それが証拠に人いきれと相俟って暑いほど
に利いていたヒーターが止まっている。事実、ジョーの目を醒まさせたのは寒さだった。
(ちぇっ)
 ジョーは舌打ちして立ち上がると、それでも酔い潰れの御同輩が貪っている束の間の夢
を妨げないようにソッと戸口へと向かった。
 ドアから出ると案の定もう空はすっかり明けていたが、温暖なユートランドには珍しい
ほどの寒気に包まれている。そのキンッと音がしそうに張りつめた朝の空気の中でジョー
は一度ブルッと頭を振ると足早にパーキングへと歩き出した。空は明るいが行き交う車の
音は殆どない。時刻はまだ随分と早いのかも知れない。だが、ジョーはそれを確かめよう
ともしなかった。

 街外れの、とはいってもダウンタウンの高層ビル群が望めるのだから、こんな処にある
のが不思議なくらいのその小さな飛行場へと真直ぐに車を乗り入れると、ジョーは再び足
早に小さな木造の建物へと向かった。
 ノックなどした事もないドアを開けて、無言のまま室内へ入る。どうせここのドアに鍵
が掛かっていた試しがない事はよく知っているし、勝手に上がり込んだってここの家主は
気にも掛けないが‥‥こんな時間にやって来た事はない。シンと静まり返った薄暗い室内
に、デスクの上の無線機までがうっそりと眠りこけているようなその様子に、勢い込んで
来た筈のジョーは一瞬躊躇った。だがこのまま帰ったのでは余計に‥‥
「おい、ケン!」
 だから思い切って大声で呼んだ。
 案の定、応答はなかった。まあこのくらいでここの家主が「はい、何ですか?」と容易
く顔を出すとは思ってはいない。
「おい、ケン、俺だ。話しがある、起きろ!」
 だから今度はベッドルームのドアをドンドン叩きながら呼んだ。これなら如何な寝坊助
のあいつでも目が醒めるだろう。
 今度も応答はなかった。だが、目は醒めた筈である。そして声の主が誰かも分かった筈
である。それなのに返事さえしないとは‥‥ぬくぬくとシーツを被ったまま、目蓋さえ上
げるのが億劫だと言わんばかりの眠そうな、いやまだ半分は眠ったままの顔で、
(何だ、ジョーか)
 うるさいな、と不機嫌そうに呟いて、ボサボサに寝乱れた頭に改めてシーツをひっ被る
あいつの姿が見えた気がした‥‥あの野郎め!俺がどんな思いでこんな朝っぱらから来た
と思ってるんだ。
「起きろ、ケン!寝汚いのもいい加減にし−」
 ままよ、とジョーはドアを開けたが、そこにケンの姿はなかった。
「うん?」
 ベッドに近づいて見たが、少しも乱れていないシーツが主不在のまま眠り込んでいるだ
けだ。ケンはこんなに早く出掛けたんだろうか?いや、この様子ではあいつも自分同様、
昨夜は自分のベッドで寝なかったという方が正しいだろう。

「ちぇっ」
 どこへ行きやがった?と舌打ちしつつ、
(とりあえずコーヒーだ。熱くて濃−いコーヒーだ!)
 と、ジョーはキッチンへ行くといつものように戸棚を開けて勝手知ったる、というか
ジョー自身がそこに入れた八角形のエスプレッソサーバーだの豆だのミルだのを引っ張り
出した。ここの家主はもっぱらインスタントを御愛飲のようで、勝手に使ってくれよ、と
置いてあるこうした品々を使用した形跡はない。
(面倒くさい)
 とか言うクセに、煎れてやれば美味そうに飲む。
(あの野郎‥‥!)
 そんな些細な事までが妙に腹立たしいのは、昨日からの揉め事がまだ解決していないか
らに違いない。いや、揉め事は昨日に限った事ではない。だが、昨日のあいつの言い種は
何だ?
『リーダーの俺の言う事が聞けないんなら、GPから去れ!』
 巫山戯るな!親の仇を目の前にして、何が我慢しろだ、任務のためだ。
 ケン、おまえだって俺と同じじゃねえか?
 この悔しさが分からない訳はないだろう?
 任務のために親の仇をみすみす見逃さなきゃならねえんなら、俺は‥‥
「‥‥GPを降りる」
 昨夜、酔い潰れるほどにグラスを重ねながら考え、そして心に決めた事をふと独り言ち
てジョーはエスプレッソを啜った。黒橡色のそれは沈鬱なほど苦く、堪らぬほど熱くて
ジョーは思わずハッとしてカップから唇を離した。そして、
「俺は‥‥」
 もう一度それを呟こうか、と逡巡した時、ドルン、というバイクの軽い排気音がジョー
の耳に飛び込んで来た。

「何だ、ジョー、こんな処にいたのか?」
 ケンはそう言いながらキッチンへ入って来ると、寒の雀のように脹らんだ着古したフラ
イトジャンパーのジッパーを下ろした。と、
 −ニャア、ニャア−
 ぬくもりとともに懐からひょこんと顔を出したやつが盛んに鳴いた。
「あ、このチビ‥‥」
 それはここ数日、トレーラーの近くで鳴いていた子猫だった。捨てられたのか、迷った
のか、見栄えのしない薄汚れたチビだったが、ジョーが手を伸べると生意気にも背中の毛
を立てて威嚇をした。
(このチビ助め!)
 そんな可愛いげのない態度だと誰も拾っちゃくれないぜ、と笑いながら、それでも
ジョーは毎日ミルクの皿を置いてやり、そんなこんなで二日ほど前からすり寄ってくるよ
うになったのだが、あ、そう言えば夕べは‥‥
「おまえ、こいつに餌をやってるんだろう?」
 冷蔵庫から出したミルクと小さな鍋を用意しながら、ケンが訊いた。
「ああ、まあな。だけど、ケン、おまえどこでこのチビを?」
 訊ね返しながらジョーはケンが夕べ、どこへ行っていたのかを知った。
 こんな子猫が一匹でそう遠くへ行ける筈がない。
 ケンは俺を訪ねて来、そして一晩中、俺を‥‥
「やっぱりそうか。腹が減ってるらしくてずっと傍で鳴いてたんだが、何も持ってない
し、おまえは帰って来ないし−」
 そのうちこっちも寒くなっちまってさ、とケンはミルクをぐるぐると掻き回しながら優
しい笑みを浮かべて続けた。
「で、このチビも寒かったんだろうぜ、俺のジャンパーに潜り込んで来やがって。お陰で
凍えずに済んだってワケさ」

「ケン、おまえ‥‥」
「なあ、ジョー、このチビの事、リュウに話してもいいだろ?子鹿の事であいつ、ちょっ
とおまえを誤解してるみたいなんだけど、きっとこれで分かってくれるだろう」
「ちぇ、好きにしたらいいだろ」
 照れてそっぽを向いたものの、ジョーにはケンの信頼が嬉しかった。
 何も言わずとも、ケンはジョーが " 冷酷 " などとは思いもしないし、リュウと同じよ
うに " 科学忍者隊である前に人間だ " として取る行動も理解している。それはケン自身
もまた同様だからだ。だが、それで全てを片付けられるほど彼らの任務は軽くはなく、ま
た同時にケンだけには " GPを降りる " という選択肢は許されないのだ。
 ジョーは胸が熱くなった。だがさっきのものとは違う、それは心地よい熱さだった。
 ケンが何を話そうと思って自分を訪ね、自分は何を迷って飲み続けたのか?
 それはもうどうでもいいような気がした。
 何故って、ケンは俺を待っていてくれたのだから。
 寒さに凍えながら俺を待っていてくれたのだから。
 今はこうして温かいミルクにありついた腹ぺこの子猫が寒空に得た思いがけないぬくも
りも、きっとこんな風にジンワリと沁みるものだったに違いない。

「で、ジョー‥‥」
「ん?」
「おまえは何をしに来たんだ?こんな朝っぱらから」
 う、とジョーは言葉に詰まった。
「何か俺に言いたい事があるのなら聞こうじゃないか?」
 ええと、と壁のカレンダーに目をやる。
 今日は月曜日で‥‥2月14日‥‥あ、そうだ!
「ケン、ハッピー・バレンタイン!」
「‥‥はぁ?」
 もうすっかり冬の陽光に満ちた空と同じ色の瞳が怪訝そうに瞬いた。



  - The End -


 


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