Breathe a sigh .........4 / After then

by さゆり

<1>

 潮騒、砂浜、青い海。
 私が濃緑の蔦葉に覆われたその白壁の古い館でケンと暮らしたのは、それから約1年の
間だった。静かな、時が止まったかのような日々の中でケンは深催眠のダメージから徐々
に回復し、あの時、失くしてしまった哀しみを思い出す事もなく、些か複雑ではあるが、
やはり " 幸せ " としか表現しようのない生活を送っていたのだが・・・。

「ケンをISO中央研究所に?」
 私は突然のその命令を出来得る事なら承諾したくなかったが、私は曲がりなりにも軍医
であり、と言う事は軍の移動命令には逆らえない身なのだ。そしてそれは「中佐」と言う
階級を持つケンもまた同様で、軍の決定に逆らう事は出来やしないのだ。

「なぜ?」
 お別れだね、と告げると、ケンはそう訊ねた。
「ケン、ジョーが待っているよ」
 私が卑怯にもその問いには答えず、そう嘘をつくと、ケンはその澄んだ瞳で何処かにい
るであろうジョーを真直ぐに凝視つめ、微かに唇を綻ばせた。
「ジョーが?」
「ああ、そうだよ。ケンはジョーに会いたいんだろ?だから・・・」
 だから、笑って行ってくれ、と私は嘘をついたのだ。揺蕩うその瞳はいつだって泣き出
したくなるほどに澄んで曇ることは無いが、私には定まらぬその行方が無性に哀しくて、
例え一時でも " 夢 " だとか " 希望 " だとか言う、私の自分勝手な感傷に任せてしまいたかっ
たのに違い無い。
 きっとそうでもしなかったら、私は恐らくケンを−例えそれが命令だとしても−手放す
事が出来無かっただろう。

 その夜・・・
 私は初めて、そして、たった一度だけケンと過ごした。


<2>

 翌朝、ISOのジェットヘリが来て、ケンは行ってしまった。
「ケンッ!」
 一度だけ、ケンは優しい笑顔を見せて振り返り、そして行ってしまった。
「さようなら、ケン。どうか元気で−」
 メインローターが上げるけたたましい騒音に紛れて、私はそう怒鳴った。せめてもの餞
だった。いや、言いたい事は沢山あったが、実際口に出来たのはこれだけで、私は恐らく
もう二度と見える事は無いであろう、だがきっと生涯忘れぬであろう、印象深い、強い、
美しい、その彼を飛び去るヘリを追いかけて走るような真似までして、いつまでもいつま
でも見送った。ケンは真直ぐに前を凝視めたまま、もう振り返る事も無く行ってくれた。
・・・だから私も笑顔で・・・と、決心していたのにも関わらず、次から次へと涙が溢れ
て仕方が無かった。だから、息を切らして止まった後、私は久しぶりの疾走で額に浮かぶ
汗を拭うふりをして、そっとその塩辛い思いを拭い去らなければならなかった。

 さて、とりあえずの私の任務は終ってしまったな、ボンヤリとそんな現実的な思いに自
らを引き戻す。私はケンの為にここへ赴任させられた訳だから、クランケであるケンが去っ
た今、私には何の役割も任務も無い筈なのだが、おかしな事にその時にはまだ私には何の
命令も−移動についてさえも−来ていなかったのだ。この1年と半ほどの間、ケンの担当
医としての診療記録や様々なデータ(そんなものは既にリアクターが随時転送済みだが)、
日誌等を整理する時間をあの無粋で傲慢な軍が私にくれた、とはとても信じられなかった
が、とにかく軍医である以上、私は命令が無い限り、勝手にここを離れる訳にはいかない
のだ。とりあえずはこの用無しの無聊を転寝でもして託っている外、無さそうだが、習慣
とは面白いもので、時間になると私の足は知らず知らず、診療室に向かっていた。

 診療室のいつもの椅子に掛けてこうしているとまだケンがそこにいるような気がした。
(ジョー)
 穏やかな笑顔を私に向けて、あれからケンはそう呼んだ。いつも、いつも。
(ケン、私はトオルだよ。ジョーじゃないんだ。分かるね?)
 哀しいほど澄んだ空色の瞳が少し驚いたように瞬いて、だが彼はゆっくりと頷くと、
(はい、トオル・・・さん)
 と、呼び、ようやく私を見てくれた。こうなるまでに数カ月を要した。ケンがあの事件
から覚醒した時、私はもうケンを現実に引き戻す事をやめようと思った。実際、あれは酷
い話で、忘れられるものならば忘れていた方が幸せと思えたからだ。だが、果たしてそれ
で本当にケンは " 幸せ " なのか? " 人 " はもっと強いのではないのか?・・・いや、そう
した理由は偽善者たる私の狡猾さが捻くり出した言い訳で、本当のところは私が自らを
" ジョー " だと称するこの欺瞞に我慢出来なくなっただけなのかも知れない。私を唯一人、
愛する " ジョー " だと信じて交わすその接吻けの切なさに耐え切れなくなっただけなのか
も知れない・・・或いは私だけの我が儘なのでは?−狡猾なくせに小心な私は半ば怯えな
がらも、私はケンにとりあえず「私はジョーではない」という事を認識させる事を試みた。
(そう、私はトオルだ。ジョーはここにはいない。分かるかい?)
(あなたはトオルさん、そして、ジョーはここにいない)
(そうだよ、ケン。分かるね)
 混乱せぬように、恐慌を来たさぬように、私は少しづつ、少しづつ、ケンに " 現実 " を
認識させていった。辛い思いはさせたくなかったが、現実を受け入れる事がケンには必要
なのだと信じて−。何故ならば、ケンがあの時に語った忌わしい事実・・・ケンは新型兵
器開発中に起こった事故の後遺症患者ではなく、彼自身がその兵器のプロトタイプである
・・・と言うあれだ。確かに衝撃的、いや、おぞましいと言った方が相応しいが、それが
現実ならばそれをきちんと認識した上で、ケン自身に彼の行く方と生き方を選択させなけ
ればならないだろう。
 だが・・・なんと酷いことを・・・!
 そう思いつつ、私はケンにそれを望んだ。何故ならば、あの男がそれを知り、軍が関与
している限り、これだけでは終らないだろう、と言う確信が私にはあったからだ。

 ケンは元々が非常に論理的な思考回路をしており、人並み外れた知力と理解力、洞察力
を持ち、同時に驚くほど勘も鋭かったから、一旦は退行し、リセットされたに等しい状態
だった精神状態から徐々にリカバリーして行った。
(・・・と、言う訳で、ケンはここに連れて来られた、と私に話してくれたんだ。憶えて
いるかい?) (そう。ジョーが俺の代わりに・・・)
 そうして、それと同時にケンは事実を冷静に認識しつつあった。
(トオルさん!)
(どうしたんだい、ケン?)
(ジョーは、ジョーはどこに?)
 そうして、それに連れてケンは忌わしい出来事の悪夢に魘され、涙を流す事もあった。
(ジョー、ジョー!ジョーっ!!)
(大丈夫だよ、ケン。必ずジョーに会えるから。さぁ、落ち着いて・・・)
(トオルさん、ジョーは?ジョーは無事だろうか?)
(ああ、ジョーは無事だとも!だから、ケン、ジョーに会えるまで頑張れるね?)
 私はそれについてだけは確信を持てぬままそう欺き続け、恐慌を来たさぬよう、その痩
せた身体を力いっぱい抱き締め、うん、うん、と頷いてケンが落ち着きを取り戻すまでそ
うしていた。

「ケンをISO中央研究所に?」
 そこへ此度の突然の命令だ。
(来たか・・・)
 そんな思いに、私はひとり震えた。正直な話、私は突然のその命令を出来得る事ならば
承諾したくなかった。だが、ケンが求めて止まない " ジョー " はここにはいない。いると
すれば・・・恐らく、そこ、即ちISO中央研究所だろう。だから、
「ケン、ジョーが待っているよ」
 私は彼にそんな嘘を−そう、確証は何も無いのだから、やはり " 嘘 " と言うべきだろう−
ついた。だから、ケンは微笑んでそこへと旅立って行った。私の手の届かないそこで、ど
うか " ジョー " に再会しておくれ、ケン・・・君の幸せを祈っているよ・・・それが私に
出来得るただ一つの事だからだ。

 だが・・・
 私がISO中央研究所からケンの訃報を受け取ったのは、その翌日の事だった。


<3>

「嘘だっ!」
 私は叫んだ。
 ケンが?・・・あのケンが死んだ?・・・そんな馬鹿な・・・まさか、信じられん・・・
譫言のように繰り返して、震える指で端末のキーを叩いた。そう、もっと詳しい情報を寄
越せ。で、なければ信じられるものか!
 だが、狂ったように探し回った末、得られた情報は以下のようなものだった。

『ケン・ワシオ、識別番号:GF-0001-A-1、所属:アメリス空軍、階級:中佐、
       年齢:26、性別:M、病名:Lung Ca. /末期に伴う多臓器不全。
   200X年X月XX日 0X:X0 pm 、搬送中、呼吸不全発作により急変。
                  脈拍低下、血圧下降、呼吸数減少の後、心停止。
       添乗のドクター及びパラメディックによるCPR処置は下記の通り:
       気管切開/挿管(+)、レスピレーター(+)、昇圧剤、等(+)、
       心臓マッサージ(+)、電気的微細動器ショック(+)
   200X年X月XX日 0X:0X pm 、研究所到着後、再度CPR処置。リアクター(+)
                  XX分後、主任ドクターによりステルベン確認。
   200X年X月XX日 XX:00 pm 、遺体は剖検の後、病理標本室に保存。』

 「Lung Ca. /末期」って、どう言う事だ?ケンは肺癌などでは無かった筈だぞ?・・・
ああ、そうか・・・まさか公式の記録にあのおぞましい事実を記載する事は出来ないとい
う訳か・・・それにこの「病理標本室に保存」ってのは何だ?ケンは墓の中に眠る事も出
来ないって言うのか?・・・畜生っ!おまえらがケンを、おまえらがケンから全てを・・・
健康も、夢も、未来も、心も、そしてジョーも、だ!みんな、みんな、奪っておいて・・・
くそっ!
「くそぉっ!馬鹿野郎どもめ!死んじまえぇ−!」
 私は大声を張り上げて、あの男とそれに関与している全てを口汚く罵っていたらしい。
「ケンを・・・ケンを返せぇッ・・・!」
 わあわあと泣きながら喚き散らしていたらしい。
「先生、トオル先生」
 私の馬鹿騒ぎを聞きつけて、いつの間にか集まった気象観測隊の隊員達が私と私のデス
クを囲んで立っていた。みな、事情を了解してくれたのだろう。一様に沈痛な面持ちで、
中には涙を浮かべている隊員もいた。
「みんな・・・」
「軍医殿、ケンが、ワシオ中佐が亡くなったのですか?」
 項垂れたまま、私は頷いてモニターを示すしかなかった。−元気そうだったのに・・・
信じられない・・・可哀想な事を・・・ひとしきりそんな言葉が低く隊員達の間を流れた。
「まだ子供みたいだと思ってましたが、26歳になっていたんですねえ」
 そう、リアクターが日々、細胞を修復再生しているせいか、ケンは本当に実際の年齢よ
りもずっと若く見えたのだ。まだ17、8・・・と言った、少年の面影濃いあの姿のまま、
あの美しい身体のまま、逝ってしまったのか、と思うと余計に哀しくなる気がするのは私
だけでは無いようで、みな、溜め息に似た重い息を吐いて、遣り切れないという様子で肩
を落とした。
「良い方だったのに、本当に残念です」
 うん、と私は頷いて、ケンがみんなに愛されていた事を改めて思い知らされ、それが例
えようもなく嬉しかった。だが、それだけが唯一の救いなのかと思うと尚更哀しかった。
「トオル軍医殿、我々と一緒に行きませんか?」
「え、どこへ?」
「空、ですよ。」
 と、隊員の中でケンと一番親しかった観測機のパイロットが親指で上を指し示しながら、
無骨な微笑みを浮かべて言った。

「元気そうに見えたけど、やはり相当悪かったのですかね?あのレポートにあったLung
Ca.ってのは、何の病気なんですか?」
「え、何?Lung Ca.?ああ、肺癌のことだよ」
 旧式の大型水上機はもちろんレシプロエンジンで、プロペラの音がいやにうるさい。特
に上昇中は尚の事で、勢いみんな怒鳴るような大声で会話せねばならず、私とて例外では
無かった。だが、大きな声を出すと不思議と気持が落ち着き、冷静に思考出来るようになっ
て行くのが自分でも分かった。そうか、彼らが誘ってくれたのはこういう理由だったのか、
と男達の思い遣りが胸に沁みた。ありがとう、みんな・・・
「ああ、肺癌だったんですか?そう言えば時々、苦しそうにしていたもんねえ」
 と、彼らはまた哀しい顔を見交わす。いや、違うんだ!ケンは確かに肺にも酷くダメー
ジを受けていたが、それだけでは無かったし、まして肺癌なんかじゃ無かったんだ・・・
と、だが私はそれを口に出す事は出来ないのだ・・・だから、些か唐突ではあったが、
「ねえ、今日は何の観測に上がったんだい?」
 と、訊いた。ああ、と笑いながら、隊員の一人が一葉の写真を胸ポケットから出して私
に見せた。それはケンだった。今、飛んでいる晴れた空と同じスカイブルーの瞳を幾分細
めて、楽しそうに笑っているケンのスナップだった。
「任務は何もありゃしませんよ。ただ、ケンが大好きだった空の上で、あいつの葬式をし
てやろうと思いましてね」
「そうか・・・」
「次はいつ飛ぶのか?って、そればかり訊いてましたからねえ。ケンはパイロットだった
んでしょ?本当に空を飛ぶのが好きだったから−」
「ありがとう。きっとケンも喜んでいるよ」
 私は感極まって、一人一人の顔を順に見・・・そして、彼がいない事に気付いた。
「おや、チェン下士官は?」
「あ、誘ったんだけど、来なかったんですよ。チェンは我々の隊の者じゃないし、ずっと
ケンの世話をして来たから、きっと哀しくて−」
「うん、涙も出ないって感じだったもんな」
 と、その時だった。
「わァ、何だ、あれは−っ?」
 パイロットが叫んだのとほぼ同時に機体がグラリと大きく揺れ、そして次の瞬間、耳を
劈くような轟音が響いた。
 え?何だ、どうしたんだ?・・・と口々に叫んで私達は、まだ不安定な機体の窓に顔を
寄せて機外に広がる青い青い空をあちこち眺め回すと、北の方角から一筋の白い飛行機雲
に似た航跡が見え・・・と、一人の隊員が叫んだ。
「おい、見ろよっ!ああ、観測基地が!」
 見下ろすと、岬の上に立っていたあの蔦に覆われた白い館は見えず、ただそこから真っ
黒な煙りだけが、きれいに晴れ渡った空に禍々しく立ち昇っていた。
「降ろせ!チェンがあそこにっ!」


<4>

「チェーーン!」「チェーン!」
 私達は口々に叫びながら、派手に黒煙を上げて炎上中の建物−いや、すでに建物だった
と思しき辺りというだけ、だったが−へと走った。そして走りながら、ああ、あの様子で
はもはやチェン下士官は遺体すら発見出来ないだろう、としきりと不吉な現実をそれぞれ
が脳裏に浮かべていたのだが・・・

『・・・マカディ少尉、以上6名の気象観測隊隊員は、全員の無事が確認されています。
さて、報道官、今回の誤射についてですが、軍の公式発表に訂正があったそうですね』
 翌日になって、妙な話だが私達は他人事のようにニュース番組で盛んに繰り返される報
道でやっと " 事実 " を知った。
「えー、やっぱり誤射だったのかぁ?」
「おい、待てよ。訂正だってさ、見てみろ。」
 ブラウン管には仰々しい軍服に身を包んだ軍報道官が、まるで戦勝報告でもするように
得意げな顔でズームアップされていた。
『もっとも重要な訂正箇所は「誤射」という部分です』
『でも、昨夜の発表では、北部海上を航行中の我が国のミサイル巡洋艦からスカッドミサ
イルが誤って発射された、と言う事でしたよね?着弾地点が軍施設だったと言うのは、単
なる不幸中の幸いだったと−』
『いえ、確かに民間人及び民間施設に何ら被害が無かったのは、正しく幸いだったと言え
ますが、調査の結果、ミサイル巡洋艦にこの「誤射」を起こさせたのはI国テロリストの
破壊工作によるものと判明したのです』
 嘘だろう?と私達は耳を疑った。だってあの観測基地が、あの蔦館が何でテロの標的に
なるって言うんだ?
『それでは今回の「誤射」はI国テロリストによって仕組まれた作為的な事故、だったと
言う訳ですか?』
 洒落たスーツ姿の実に聡明そうな、尚且つ美人のキャスターがわざとらしく訊き返す。
ああ、そうか・・・あんたもやっぱりすべて打ち合わせ済みのマスコミの手先なんだな、
と私は密かにファンだったそのキャスターに軽い失望を(あんたこそ世論の代弁者だ、等
と思い込む馬鹿な視聴者がいけないのだと言う事は分かっている筈なのだから、これまた
随分と勝手な失望なのだが)覚えつつ、ふと見ると傍らのベッドの怪我人の意識が戻って
いる事に気付き、
「やあ、大丈夫かい?」
 と、小声で訊ねて彼の脈を取った。
「テロリスト、ですって?」
 脈拍は思った通り正常で、彼は既に私の肩ごしにニュースに釘付けになっている。そう、
件のチェン下士官はあの時、偶然にも建物から外へ出ていて無事だったのだ。爆風にやら
れて幾らかの打撲傷と擦過傷があり、ショックも重なって気を失ってはいたが、生死に関
わる怪我は無く・・・つまり私達は全てが偶然−勝手に観測機を飛ばしていた事は観測隊
お得意の「急に何々雲が出たから」で済ませたらしい−ではあったが、全員が事無きを得、
こうして急遽宿舎に割り当てられた一番近い村落の公民館でニュースを見ている、という
訳なのだ。
「ああ、そうらしいね」
「まさか!」
『・・・と言う訳で、我が軍はこれを確かな情報と判断し、国連での緊急会議を−』
『これでI国に対する世界的な批判は一気に高まるものと・・・』
 I国は確かに世界的な批判が集中している独裁軍事国家であり、再三の国連とISO安
全保障委員会の要求にも関わらず、疑惑を持たれている核施設や大量破壊兵器庫等への査
察を頑に拒んでいるものの、それが直接的な行動に移行し、世界の脅威になるとは素人目
にも考え難い。まして唐突に何のメリットも無いテロ攻撃をこの超大国に仕掛けて来る等
とは考えられないのだが、キャスターは「いかに脅威であるか」「査察を拒むその真相は」
と言った、いかにも退屈した我々の気を引きそうな内容の報道を、映像をバックにその美
しく聡明そうな声で喋り続けた。
 おい、待てよ・・・と私達は顔を見合わせていた。
 まさかあれがきっかけで戦争が始まるんじゃないんだろうな?・・・と。


<5>

 数週間後、私達のイヤな予感は的中し、I国への進行は半ば強引に開始された。
「やあ、本当に始まっちまったな。」
 と、私達はまた新たに建築されつつある気象観測基地の−いったいあの場所に何故、観
測基地が無くてはならないのか、と言う理由は私にはよく分からなかったが−傍らに設置
された簡易宿舎でそのニュースを見ながら、そう囁きあった。
 不思議な話だが、私には未だに移動の命令が来なかったし、例のテロ攻撃(本当にそう
なのか?と言う疑問を少なくとも我々だけはずっと抱き続けているのだが)の際にも、私
ともう一人・・・チェン下士官の名前が報じられる事も無かったのだ。私とチェン下士官
は元々、この観測隊の所属では無く、ただ " ケン " に付属する存在でしかなかったので、
" ケン " の存在そのものが極秘に属するものならばこの不思議も頷ける気がしたが、軍のよ
うにシビアな機関が「曖昧」なまま、きちんと給料まで支払って用無しの下士官と軍医を
ここへ置いておく訳があるまい、と思っていた。だから、次のペイデーにはきっと良くて
「転属」か、下手をすれば(何故なら私は些か " ケン " とその事情に深入りし過ぎていた
から、だ)「解雇」だな、とも思っていた。転属先が最前線だったら(同様の理由でこれ
も大いに考えられる事だ)と、考えると憶病者の上にインターン時代も苦手を言い訳にロ
クに外科をやって来なかった私は怖くて怖くて仕方が無かった。

 そんなある日の事、
「トオル軍医殿、ちょっとよろしいですか?」
 と、チェン下士官が例によって飛び立って行く観測機に手を振っていた私を呼んだ。
「ああ、どうしたんだい?もう耳鳴りは治まった?」
 ええ、と真面目な顔で頷いて、それでも下士官も私につられたように、音だけは勇まし
いがちっとも速度の上がらない旧式なレシプロ機を見遣って、
「ふふ、ワシオ中佐があそこに乗っているような気がしますね」
 と、微笑んだ。
「そうだね、中佐が、ケンが死んだなんてまだ信じられないものなぁ」
 今度は私がつられて医者として有るまじき言葉を、ずっと親身になってケンの側にいた
者に対して言ってはならない事を口にしてしまった。それを待っていたように彼が質した。
「軍医殿、中佐は本当に亡くなったんでしょうか?」
「さあ?俺には分からんが、少なくともそういう事で書類は処理されている」
「書類上・・・は、ですよね」
 下士官の黒曜石を思わせる黒い瞳がひた、と責めるように私を見据えた。いや、私だっ
てケンが死んだなどとは思いたくなくて、あれから何度も軍へもISOにも照会はしたの
だ。有りっ丈の勇気を奮って、ケンの死亡確認をしたと言う雲の上の人のような高名なド
クターに電話を掛けるという暴挙にまで出たのだ・・・
(・・・何だね、君は?え、担当医だった?ああ、あの誤射の前日に私が診たあのDOA
の空軍中佐の、かね?ああ、そう、既に死亡していたよ。うん、そうだ・・・)
 煩いな、と言うそのドクターの思いが声音にもあからさまに現れていたので、私はひた
すら恐縮してセルの通話スイッチを慌てて切ってしまったのだが・・・疑問が晴れた訳で
は無かった。いや、前にも増して疑問は残った。
「なあ、チェン下士官、君は幾つだい?」
「え?この冬で25になりますが−」
「君も年齢よりも若く見えるな。だが、ケンはもっと若く見えたよ。そう、とても当たり
前に中佐などとは思えないくらい・・・そして、そう言った特異点を失念する医師はいな
いもんだよ」
 おかしい、と思っていた事を私は素直に告げた。
 と、
 やはりあなたも?・・・と言う顔つきで、黒髪の下士官は頷いた。


「軍医殿、今回の一連の事件はおかしな事が多過ぎると思いませんか?ワシオ中佐の急死
も腑に落ちないし、ここが誤射されたというのも妙ですし−」
「うん、I国のテロリストが、と言うのも何だか胡散臭いよね。だけど、ケンの急変は起
こり得ないとは言い切れない事で・・・」
 信じたくは無いし、矛盾点も疑問点も増えて行くばかりだったが、私にはそうと言い切
る自信が無かった。いや、言い切ったところで私にはどうする事も出来ないのだ、と半ば
諦めてもいたのだ。どう足掻いたって、私に許されるであろう事と言ったら・・・それは
もの凄く嫌な事だが・・・ISO中央研究所の病理標本室に眠るケンをこの目で確かめに
行く事だろう・・・
 ひんやりとしたその部屋で、ケンは静かに目を閉じているのだろうか?
 いや、果たして ケンはあの美しい形骸をまだ留めているのだろうか?
 ・・・そんな想像だけで、私はもはや哀しくて辛くて(仮にも医学者としては有るまじ
きことだが)胸がいっぱいになって言葉に詰まった。本当は私よりもずっと哀しいだろう
に、気丈にも下士官は優しく頷いてくれた。
「軍医殿の仰る事は分かります。でも、ワシオ中佐が急死し、その翌日にここがミサイル
の誤射で吹き飛ぶなんて、出来過ぎた話だと思いませんか?」
「どういう意味だい?連続して起こったけれど、どっちも偶発的な事故だろう。何か関連
があるとでも?」
 下士官は今度は少し表情を引き締めて頷き、きっぱり、
「はい」
 と、言い切った。

 私はこの日頃、物静かなチェンと言う下士官がケンを深く愛していたのを知っている。
午後、陽灯りに満ちたあの図書室で、深夜、蒼白い月の光が朧な影を落とすあの寝室で、
私は彼がケンを抱き締め、愛おしげに接吻けていたのを知っている。それは儚くも美しい
光景で、特に禁止を申し立てる必要も無ければ、邪魔をする権利も無い私は、出来るだけ
二人に気付かれぬように、少し頬など赤らめ、微笑んでそっと踵を返す事にしていたし、
翌日の診察で、ケンの白い素肌に淡い薔薇色の皮下出血斑が残されていても、特にそれを
見咎めるような無粋な真似もしやしなかった。単純に、
(羨ましいなぁ)
 と、思う事はあったが、私には一途にジョーの名を呼んで、ただ夢の中で仮初めの愛を
求めるケンに応えてやる勇気など無かったので、チェンに対して嫉妬を覚える事も無かっ
た・・・恥ずかしい話だが、最後の夜をケンと二人きりで過ごすチャンスを得ながら、私
は結局、一晩中、すやすやと寝息を立てる彼を抱いて、時折、その柔らかい焦茶色の髪を
起こさぬように注意しながら、そっと撫でてやる事しか出来なかった・・・のだ。

「こんな偶然が二つも重なるには、やはり何者かの作為があったからだと思います」
 私は改めて凝視めたチェン下士官の怜悧な黒い瞳に憎しみが宿っているのを発見した。
 彼は今も変わらずにケンを深く激しく愛している。
 だから彼はケンの死を受け入れる事が出来ないのだろう。
 呪縛にも似たその想い・・・そこから導き出される答えはいったい?
「チェン下士官、君は " 誰か " がケンを抹殺する目的でここへミサイルをブチ込んだ、と
言いたいのかね?」
 答えがYESならば、既に移送されていたケンは無事と(実際は死亡報告書が出されて
いるのだが、きっとそれを否定する答えも用意されている筈だ)言う事になる。しかし、
彼はNO、と頭を振り、そしてゾッとするような恐ろしい事を言い出した。
「少し違います。ケンを取り戻した " 誰か " が、ケンの事を知るここの人間全員の抹殺を
謀ったんじゃないでしょうか?」
「まさか、そんな・・・」
 ああ、だが、そう考えればすべて辻褄が合うではないか!
 ケンは既にいなかった。ここにいたのは、気象観測隊の6名とケンの世話をしていたチ
ェンと、そしてケンの主治医だった私。それにこの答えならば、例え死亡報告が公示され
ていようとも、ケンは生存している事になる。そして " 誰か " があの男ならば・・・考え
られない事では無いではないか!・・・事実、あの時、気紛れに観測機で飛んでいなかっ
たら、間違い無く私達は全員死んでいた筈だ。残っていたチェンが外に出たのだって・・・
「チェン下士官、君、よくまあ無事で−」
 私が震えながら、今更のようにチェンの強運に感嘆すると、彼はいいえ、ともう一度、
首を横に振って、
「実はミサイルが飛んで来る直前、俺にそれを知らせてくれた人がいるんです。それで俺
は外へ走り出て、無事だったと言う訳なんですが・・・」
 チェン下士官は誰もいないと分かっていながらも周りを窺うようにしてから、声を落と
してそう告げた。
「へえ、誰が?誤って発射しちまったミサイル巡洋艦の乗員?あ、意図的な誤射なら知ら
せる訳、無いか」 「ええ」
「じゃ、防空管制局?いや、違うか。観測機の無線はあの時、何も言わなかったし−」
「ええ、管制局でもありません。ここが吹っ飛ぶぞ、逃げろ、と俺に教えてくれたのは、
他でも無い・・・ジョーなんです」
 チェン下士官は元々、あまり表情の無い男で、彼の顔つきからは何も読み取る事は出来
なかったが、その答えは私を大いに取り乱させるに充分だった。
「何だって?ジョー?・・・どうして・・・どうやって?」
 私は頓狂な声を上げ、思わず下士官の華奢な肩を掴んでそう質していた。
 あのジョーが・・・?


<6>

 それからさらに数週間後、私に新しいオーダーが来た。
 それは「解雇」でも「最前線行き」でも無く、大陸を挟んで反対側の西海岸、ユートラ
ンド郊外にあるISO特殊医学研究所へ出向せよ、との命令だった。
(さようなら、軍医殿。どうぞお元気で!)
(たまには遊びに来て下さいね)
 観測隊員達と笑顔で握手を交わし、
(さようなら、みんなも元気で。それから、ナラッキとホンダはあまり飲み過ぎにないよ
うにね)
 と、言わずもがなの注意を与えて一同を笑わせた。湿っぽい別れは苦手だったからだ。
 そして、それじゃ、と手を振ってチェン下士官がハンドルを握る車に乗り込み、私は長
いようで短かった濃緑の蔦葉のなかに踞るように建っていた、今はもう無くなってしまっ
たあの白壁の館での最初の任務を終えたのだった。

 空港は戦時中と言う事とテロ攻撃への警戒とで厳しい監視体勢が布かれており、やたら
と時間がかかるチェックにはいい加減嫌気が差したが、実際の戦場になっている彼の国の
人々を思えば何でも無い。
 そう、開戦から随分と日が経ったし、当初、勢い込んで発表された「数日の内にカタが
着く」と言った予測も覆されたのにも関わらず、I国に軍事進行した我が国とこの暴挙
(敢えてそう言わせて頂こう)に極めて利己的な思惑から加わった(加わる、加わらない、
で世界中が剣呑な空気に包まれた事はご存知の通りだ)数ケ国との連合軍は、相変わらず
「正義」と「I国国民の解放」を錦の御旗に首都で、各都市で、市民を巻き込んだ戦闘を
続けていた。ファンだったニュースキャスターも連日、勇ましい口調で正義の味方の勝利
を伝え、華々しい戦績がおぞましい実写映像(実戦の模様がリアルタイムでリビングルー
ムに流されるなんて信じられない!)とともに伝えられたが、肝心の独裁者の行方は知れ
ず、「有る」と言い切った大量破壊兵器も発見出来なかった。要はカタを着ける事が出来
ぬまま、今は自らの侵略を正当化する為の馬鹿らしい戦闘を続けていると言う訳だった。
 しかし、エンターテインメントのプロ達の手によって念入りに飾り立てられた報道は、
否が応でも国民をマインドコントロールして行く・・・
 コレハ、セイギノ、タタカイダ。ワレワレハ、タダシイコトヲ、シテイルノダ
 と。
 そして戦闘が長引けば、当然、我が軍の死傷者の数も増加する。そしてこれさえも恰好
の釣り餌にされた。
 ドウホウガ、アナタノムスコガ、コロサレタゾ。サア、カタキヲウトウ!
 と。
 家族、隣人、郷里といったものを愛するパトリオティズムが愛国心の発端ならば、人は
哀しいくらいこれに弱いのだ。心理学の専門家が協力しているに違いあるまい。

 かつて、やはり同じく湾岸地域での戦争の時に始まったこうした報道(と、勿論そのバ
ック)の遣り口には、一時批判が集中し、その後、先般の世界規模の大戦ではむしろ報道
規制が布かれた感があった。本当のところは知らないが、ISOが実質的な世界政府とし
て機能していたからだったと思う。事実、先のISO長官は一度として戦いを肯定する発
言をしなかったし、必要と有らばTVカメラの前でも政府や軍部に真っ向から異義を唱え
て一歩も退く事が無かった・・・ケンが「もう一人のお父さん」と呼んだその人 −先の
ISO長官であり、世界平和に一生を捧げた南部孝三郎博士が遺した研究所へと、私は今、
向かっているのだった。


<7>

(あの時、俺は診療室でリアクターのログを見ていたんです・・・)
 ユートランド市街からそう離れていないのに、その周りには何も無かった。切り立った
崖の端、遥かな大海原に向かうように建っている研究所が曲がりくねった私道の先に見え
て来た時、私はチェン下士官の言葉をまるで反芻でもするように心の中で繰り返した。
(そうしたら急にアラートが鳴って、モニタが真っ暗になったと思ったら、「逃げろ!ス
カッドミサイルが来るぞ!」と、警告が・・・)
 ジョーだ!
 ジョーはやはりサクラの中にいて、ずっとケンを見守っていたのだ・・・漠然と感じて
いた−とは、また何とも曖昧な言い方だが−ジョーの存在をこんな形ではあったが知る事
が出来て、私はとても嬉しかったのだが、と、同時に、
(ケンの事を頼んだぞ、トオル)
 あの時の約束を果たせなかった自分が何とも不甲斐無く、情け無かった。
 だから・・・
(軍医殿、ワシオ中佐は必ず生きています!)
 あの時、空港での別れ際にもきっぱりとそう言った下士官の言葉を信じてみよう、そし
て私なりに出来る事があるのなら、今度こそケンとジョーを・・・と、心に決めてここへ
来たのだった。

「えーと、ドクター・スヴェ・・・スヴェルドロフ?」
 例によって、だ。
「どうぞファーストネームで、トオルとお呼び下さい、ドクター・カイン。此の度、所属
しております軍立精神医学研究所の命令で−」
 挨拶の言葉も途中だと言うのに、この研究所の所長であるドクター・カインは軽く頷く
と、では、来たまえ、と先に立って歩き出した。そして歩きながら、
「君はここがかつて、あのドクター・ナンブの個人的な研究所と別荘だったと知っていた
かい?」
 と、訊ねた。
「いえ、個人的なものだったとは知りませんでした。しかし、さすがですね。こんな研究
施設を個人で−」
「そうだ!我々、科学者だって権力と財力の後ろ楯さえあれば、ドクター、いや、南部長
官のように世界を掌握する事も可能なんだよ」
 他人の話を最後まで聞かないその癖は許そう。だが、南部博士に対する認識は些か違う
んじゃないのか?と、私はムッとしたがなるべくそれを顔に出さぬように、そうですね、
などと曖昧に相槌を打っただけだった。だがこういう思考回路の持ち主が所長と言う事は
・・・と、密かに感じた嫌な予感は、
「さあ、ここだ」
 と、招じ入れられた一室で現実のものとなった。

 そこが何に似ているか、と問われれば、私にはICUに隣接した−と、しか表現が出来
ない部屋だった。
「我々の被験体はあそこにいる」
 招かれるままに、通常どこにでもあるICUに比してずっと大きな、と言うよりは隔離
壁全体が厚いガラスで仕切られた隣室に目を遣ると、そこの壁際に一人の人間がこちらに
背を向けて踞っていた。
 肩から被っている白いブランケットに、焦茶色の髪が零れて見えた。
 え?と、目を凝らす。
「ふふふ、今日も御機嫌斜めのようだな。まあ、無理も無いがね」
 ドクター・カインはきっと私を大事な「被験体」をよく観察しようとする、良い研究者
だと思ったのだろう。コンソールに歩み寄るとモニターをONにしてくれた。正面からの
映像が一面のガラス壁の中程に映し出されると・・・
 じっと俯いて、膝を抱くようにしながら、身体の片側を白い壁面に預けて、ただぽつね
んと踞っている白い人影・・・
 それは紛れも無く、ケンだった!
 ああ、ケンはやはり生きていてくれた。
 チェンが言ったように・・・ほら、ケンはあそこに座っている。
 チェンはどんなに喜ぶ事だろうか?いや、勿論、私だってこの上無く嬉しいぞ・・・と、
思わず込み上げるものに胸と目頭を熱くした私だったが、ドクター・カインが発した次の
言葉に思わず凍りついてしまった。
「トオル君、あの被験体G1とG2こそが南部長官が遺された大いなる遺産なのだ。彼ら
を完璧に機能させ得た時、世界は我々のものとなる」
 ・・・それはどういう意味なんだ?


<8>

「見たまえ。これがG2だ」
 驚愕する私にドクター・カインはさも自慢げにもう1つのモニターを示した。丸くなっ
たままの目を転じると、そこには・・・そう、まるでミケランジェロのダヴィデ像のよう
な、と表現するに相応しい裸体の男が映っていた。
「どうだい、素晴らしいだろう?」
「はぁ・・・」
 ダークブロンドの豊かな前髪が陰を落としてその表情までは詳らかでは無いが、高くて
男らしい鼻梁といい、がっしりと意思の強そうな顎といい、嘆息に値する見事な肉体とい
い、確かに素晴らしいのは分かったが、それを何故ドクター・カインが惚れ惚れと賞賛す
るのかが理解出来ず、私は曖昧な相槌を打った。と、やはり分からぬか?と言わんばかり
の口調で、彼は驚くべき事実を告げた。
「ははは、トオル君、君はあのG2がサイバネティクスだと信じられるかね?」
「えっ、彼が・・・ですか?」
「まあ、あれ本体は私が造った訳じゃないがね」
 ドクター・カインは薄い笑みを浮かべたまま、所員達に、
「さあ、G2を入れろ。ドクター・トオルにお見せすんだ」
 と、命じた。

 いったい何が始まるのか?と、私はどきどきしながら、だが逃げ出す訳にも行かず−
そう、もう逃げまい、と決めたのだから−彼が「見せてくれる」と言った一部始終をそれ
から「見せられる」事になった・・・。

 ガラス壁を隔てた隣室で、俯いていたケンがハッとしたように顔を上げた。
 ズームアップされたモニターの中で、あの懐かしい空の色をした瞳が大きく見開かれ、
それからまるで何か眩しい物でも見るように、それがすぅっ、と細められ・・・私はその
ケンの仕種にどこか違和感を感じたが、その時は理由が分からなかった・・・彼がもたれ
掛かっているのとは反対側の壁面をじっと凝視した。何かあるのだろうか?と、モニター
から目の前のガラス壁に目を遣ると、すぐ隣室にいたのか、或いはもっと離れた部屋から
現れたのかは分からなかったが、その壁面にまるで切り取られたように開いた四角い開口
部から、白一色のその部屋の中へG2が入って来たところだった。
 白く淡い照明の下、G2の筋骨逞しい肉体がゆっくりと白いブランケットを被ったまま、
姿勢も変えずにただその姿を凝視めているケンへと近づいて行く。一歩、また一歩・・・
とG2はケンの傍らへと進むと、何事か呟くように口許を微かに動かし、それから唐突な
動きで彼の身体を軽々と抱え上げると、抗うのも物ともせず−恐らくサイバーであるG2
の筋力は常人よりも遥かに強いのだろう−何も無い部屋のほぼ中央に置かれた低い大きな
ベッドへと運んだ。
 抱え上げられてもしっかりと掴んで離さなかったのか、ケンはまだ白いブランケットに
包まろうとして身体を丸めていた。だが、そのブランケットも、纏っていた白いパジャマ
のような衣服とともに毟り取られて床に投げ捨てられた。
 あらゆる方向にカメラがあるのか、モニターが今度は真上からのズームアップに切り替
わり、覆い被さって来るダークブロンドの下のケンの表情を映し出していた。ケンは眉根
を寄せて、それでもG2を押し退けようと空しい抵抗を続けていたが、遂に隆とした腕に
押さえ込まれ、諦めたように目を閉じた。逞しいG2の肉体が対照的に儚く見えるケンの
白い裸身を・・・

 悲鳴が聞こえるものと思い、思わず両耳を手で塞いだ私を見てドクター・カインが笑っ
た。
「トオル君、手を離したまえ。音声はオフにしてある」
「え?ああ、そうなんですか。でも、あの、あれはいったい−」
「君はサイバーには性欲が無いとでも思っていたのかね?それは誤った認識だな。サイバ
ネティクスと言うのはいわば生体構造を部分的に人工のものと置き換えたり、或いは強化
した " 生物 " で、ロボットではない。特にG2にはテストステロンを過剰投与しているの
で、男性としての機能も亢進して当然、と言う訳なんだがね」
 それにしても激しいな、毎度の事ながら呆れるほどだ、とカインはモニターでは無く、
ガラス壁越しに彼らの行為をじっと観察していたが、やおらコンソールのボタンを叩くと、
「G1、辛いかね?だが、G2を制御出来るのは、他ならぬ君だけなのだよ」
 と、優しげな声で言った。
 え、どういう意味だ?それは・・・
「さぁ、G2を制止したまえ。さもないと、君の苦痛が長引くだけだよ、G1」
 重ねて言われたその言葉に、ケンが目を開いた。
 澄んだその空の色の瞳は、だがドクター・カインの言葉には答えようとせず、瞬ぎもせ
ぬまま、一筋の涙を流しただけだった。そして、ケンは自らを陵辱し続けているG2の背
に細い両腕を回すと・・・
「・・・」
 と、ケンは愛しい者の名を呼ぶように音も無く唇を震わせ、もう放すまいとするかのよ
うに、逞しいその身体がまるで恋人のものであるかのように、しっかりと抱き締めた。


<9>

 ケンはまだあの夢の中にいるのだろうか?
 あのG2とか言うまるで猛り狂ったスタリオンのようなサイボーグに抱かれても、その
腕がジョーのものであると思っているのだろうか?

 ・・・否、
 「それはジョーじゃない」と、真実を思い出させたのは、この私だ・・・!
 ならば、何故ケンはG2の背を抱くのだろう・・・?

 悔恨の念に胸が痛んで、私はケンの様子に忌々しげに舌打ちしたドクター・カインが、
では先ず我々の研究について説明しよう、と言ってそれから滔々と話し始めた内容を半分
も聞いていやしなかった。時折、気になって隣室を盗み見る。と、G2の背を抱き締めて
いた筈のケンの両腕が白いシーツの上に力無く投げ出されていたので、私は思わず説明を
続ける−話は究極の戦闘用ライブ・マシーンを創造する事によって、世界に平和がもたら
される・・・とか言った多分に誇大妄想気味なもの、だったと思う−ドクター・カインか
らあからさまに視線をガラス壁に転じた。うん?と、彼もその様子に目を遣り、
「なぁに、気を失っただけさ。心配は要らん」
 と、また酷薄な笑みを口許に浮かべ、事も無げに言った。
「強情を張らずにG2をコントロールすればいいのだが、何故そうせん?うむ、まだG1
の思考は正常ではないのかも知れん。いや、外科手術は完璧だった筈なのだがね」
「あの、外科と言うのはいったい・・・?ケ、いえ、G1はどこかに外傷でもあったので
すか?」
 ふむ、とフレームレスの眼鏡の奥からドクター・カインはジッと私の目を覗き込んで、
「トオル君、君は感心な研究者だな」
 と、唐突な笑顔を見せると、ご機嫌の体で言葉を続けた。
「既にこれから担当しようと言うあの被験体にすっかり心を奪われているようだね。立派
な心がけだ、気に入ったよ」
 え?と私は怯んだが、そう勘違いしてもらえるのなら−些かチェンを恨まぬでも無かっ
たが−好都合かも知れない、と曖昧に頷いて、
「恐れ入ります」
 などと、微笑んで見せた。恐らくは引き攣った、いや、半ベソをかいたようなひどい笑
顔だったと思う。だが、ありがたい事に彼はそんなものは一向気にしない人物のようで、
また一仕切り、G1自身のES細胞から造った神経束だから拒否反応の心配は無いのだ、
とか、前時代的なロボトミーとは違うのだ、とか言った事を殆ど一方的に説明すると、
「では、トオル君。続きはまた後程−」
 と、呼び出しに応じて慌ただしく行ってしまった。

「ドクター、G1はそろそろ限界のようです。G2を離しますか?」
 半ば呆然としていた私は所員の声にハッと我に返った。
 見ればケンは死んだようにぐったりとして動く気配も無い。それにも関わらずG2とか
言う奴は執拗に、変わらぬ激しさでケンに挑みかかっている。
「ああ、早く!」
 はい、と頷いて所員がコンソールを操作すると、一瞬の後、G2は今の今まで異常なま
での執着と性欲を見せていたのが嘘のように、唐突にケンの身体を放すと自分の左手首を
ジッと凝視した。
「G2は約1時間後に戦闘シミュレーションの予定です。部屋に戻しますか?」
「うん、そうしてくれ。」
 あんな化け物のような奴の予定はどうでも良かったが、とにかく一刻も早くケンの側か
ら追い出したくて、私は即座にそう答えるとガラス壁へと突進した。くそ、どこかにドア
は無いのか・・・。
「あ、と、それから隣の部屋へはどこから?」
 これを−と、所員がセルくらいの操作用端末を渡してくれた。タッチ式のキー入力で所
内通話と各種機器のコントロールが出来るらしい。こうして・・・と、操作を教わるのも
もどかしく、隣室へと飛び込んだ私はまだそこにG2が彫像のように立っていたので、思
わずギョッとして立ち竦んでしまった。と、部屋へ戻れ、との指示が出されたのだろう。
彼は私には目もくれずに踵を返すと、一歩進み、それからその足元の床に投げ出されてい
た白いブランケットを拾い上げると、ゆっくりとした動作で振り返った。そしてその白い
ブランケットをふわりとケンに・・・気を失うまで、いや気を失っても苛み続けた相手に、
至極優しい動作で被せると、今度は真直ぐに最前と同様、唐突に開いた開口部へと消えて
行った。

 あのG2と言うのは、いったい・・・?
 いや、そんな事よりもケンだ!・・・と、私は彼の元に駆け寄った。


<10>

「ケ・・・」
 思わず名を呼びそうになって、あやうく私はそれを飲み込む事に成功した。ガラス壁の
向うには少なくともまだ2名の所員がいる・・・まずいな、と思いつつ、とりあえず無言
でも差し支えの無い事を−呼吸を確かめ、脈を取り(良かった、平常だ)−と言った事を
していると、件の2人が、
「ドクター、私達がやりましょう」
 と、入って来た。
「G2の戦闘シミュレーションの後、閣下がG1をご覧になるかも知れません。それまで
に片付けて、ここを整えておきませんと−」
 ニヤリ、と意味有りげに笑った彼らの様子から何を " 片付ける" のか大体の察しがつい
た。それは嫌と言うほど見せつけられたあの扇情的な光景ですっかり熱くなった彼ら自身
の処理だろう。そして、 " 閣下 " と言うのが " 誰か " と言う事も・・・だから、私は腹に
力を入れると、
「いや、いいんだ。私もG1を " 片付けて " みたいから。君達はコーヒーブレイクにして
いいよ」
 と、出来るだけの平静を装って申し出てみた。

「では、俺達はたっぷり休ませて貰いますよ」
「ドクターもたっぷりと楽しんで下さい」
「うん。あ、あの今は向こうからもここは見えないのかい?」
 入って来た時から不思議だったのだが、こちら側から見ると素通しのガラス壁だった筈
の壁面も他の三面と同じく、不透明なただの白い壁だった。恐らく偏光ガラスかそんな装
置でマジックミラーのような仕組みになっているのだろうが、知らぬ間に覗かれたのでは
たまらない、と訊ねたのだが、
「ああ、G2じゃあるまいし、誰か来たら興醒めですもんねぇ」
 と、一人が笑って操作端末からでも「Don't disturb」と入力すれば、素通しは免れられ
るのだと教えてくれた。そして、ではごゆっくり。G1の " 味 " は最高ですよ、と喜んで
サボりに行ってくれたのには助かったが、セックスマシーンのようなG2に、さらにケア
をする筈の男達にまで慰みものにされているのか、と思うと心底ケンが可哀想で、
「ケン、ケン」
 と、覚醒を促しながらも私は涙を禁じ得なかった。
 ケンは、とこうして間近かに見れば、彼は共に暮らした頃と少しも変わらず、天使のよ
うに美しかったし、乱れを直してやる焦茶色の髪も変わらずにふんわりと柔らかい−いや、
ちょっと待てよ・・・ケンはこんなに髪が長かったろうか?まだ3ケ月とは経っていない
のに、彼の髪はこんなに伸びたのだろうか?と、その付け根、そうちょうど顳かみの辺り
の生え際に控え目な女性が着けるような極々小さなピアスのような金属片が付着していた。
 これはいったいなんだろう・・・?
「・・・ん」
 そんな事を考えていると、長い睫毛が微かに震え、そして、ケンはその特徴的な澄んだ
空色の瞳を開いてくれた。
「気がついたね、ケン。もう大丈夫だよ」
「ト・・・オル・・・さん?」
 そう呟くと、ケンは驚いたように見開いた目をさっきそうしたようにスッと細め・・・
 それは強度の近視である私にはよく分かる、目がいいケンは決して見せた事が無かった
仕種だった。
「ケン?」
 私はハッとして彼を抱き起こし、まじまじと綺麗に澄んでいる空色の瞳を覗き込んだ。
「ケン、君は目が・・・目がよく見えないのか?ケン、奴らは君に何をしたんだ?」
 だが、ケンは困ったような顔をすると黙ったまま首を横に振り、それから私の背をしっ
かりと抱き締めると、
「良かった・・・あなたが無事で・・・」
 と、微かな声で言った。


<11>

 私は良く言えば温厚、はっきり言ってしまえば腰抜けで、争いや戦いにはまったく不向
きな男だと自覚しているし、権力も腕力も持ち合わせてやしない。だが、この時ばかりは
例え暴力に訴えてでも−具体的な方法は浮かばなかったが−私の大事なクランケを、いや、
友人であるケンをここから連れて逃げよう、と思った。

 恐らくあのヘリの中でケンは眠らされ、そしてどこかの病院か或いはここで頭に外科手
術を施されたのだろうが、彼にはこの白い部屋で目覚めて以降の記憶しか無い、と言う。
(G1、調子はどうかね?頭の中がすっきりしたろう?)
 そう問われ、ケンは次の瞬間、ハッとしたのだと言う。
 何もかもが明確に " 理解 " 出来た。
 自分が " 何者 " であるか、を。そして、" 何故 " 確保されたのか、も。
(ドクター・スヴェルドロフは? チェン下士官・・・みんなは?)
 しきりと浮かぶ不吉な思いに胸が潰れてしまいそうに苦しかったのだ、と彼は言った。
それを訊ね、そして得た答えは、ミサイルの誤射によってあの蔦館が跡形も無く吹っ飛ん
だという恐ろしい事実だけで、後半は−故意にかどうか−無かったそうだ。
「だから、あなたがたはみんな、殺されてしまったのだと思いました」
 この俺のせいで・・・と、ケンは呟くように続けた。
 それが解るからこそ、ケンは敢えて訊いたのだろう。
 ケンはきっと声を上げて泣いた事だろう・・・私達のために。
「それは・・・辛かったろうね。でも私達は全員が無事だったんだよ。」
「ええ、本当に良かった。でもそれで、俺はあいつが、奴らが本気なのだ、とはっきり分
かったんです」
「そう・・・」
 事実、ケンは何もかもを思い出しているようで、私が偶然に封印を解いてしまってから
あの事件で再び記憶を失うまでに見せた、理知的な、だが私には少し馴染みの無い " 顔 "
で経緯を話した。私は人としての幸せのために、ケンに全てを取り戻してやりたかったし、
それは私が望んだ事でもあるのだが・・・まさか、こんな事になろうとは!・・・私は堪
らない気持でいつもしていたように柔らかくて、気侭な方へと撥ねようとするケンの焦茶
色の髪をそっと掻き上げた。と、指先が顳かみの金属片に触れた。
「ケン、これは何だい?」
「分かりませんが、何かを埋め込まれたようです。気が付いた時にはここに着いていて、
取ろうとしても取れません」
 それは両顳かみの生え際の皮膚の中に、しっかりと埋没していた。先程のドクター・カ
インの断片的な話から推測して、恐らく頭蓋骨に小さな穴を開けて、ケン自身のES細胞
から成長させた神経束を大脳実質に埋め込んだのだろう。脳外科には疎い私だが、半世紀
ほど前には盛んに行われたロボトミーも人道上見地から今はもう実質的に禁止されている
と言う事は知っていた。確定的な効果が得られないばかりか、人格を破壊してしまったり、
障害が残る怖れがあるからだ。ドクター・カインほどの医学者がそれを知らぬ訳が無く、
いくら最先端医療の粋を活かしたからと言って、敢えてケンにこんな危険な手術を施した
のは、2人を " G1 " 、" G2 " と言うNo.のみの被験体としてしか見ていないから−、
だろう。そして、ケンは視神経に障害を来たしてしまったのだろう。
 公式な記録では、ケン・ワシオと言う名の空軍中佐は既に故人なのだ。
 だが、実際のケンは生きて、ここにこうしている。
 では、あのG2は一体誰なんだ?

「そうだ!ケン、すまなかったね。嘘をつくつもりは無かったんだよ」
 私は少し口籠りながら、だがずっと気に掛かっていた事をケンに詫びた。
「嘘・・・って、何の事です?」
「ジョーが待ってるって言っただろう。あれはその、私が勝手に−」
 じっと、ケンは彼の癖であまり瞬きをしない澄んだ目で私の目を凝視めていたが、急に
表情を和ませると、
「いいえ。トオルさんが言った通りでしたから・・・」
 と、言って微笑んだ。
「ジョーに会えました」
「えっ、どこで?」
 そうか、と頷いて、ケンは言葉を続けた。
「トオルさんはジョーの顔を知らないんだ。見ませんでしたか?さっきのあの・・・あれ
が、あのG2がジョーなんです」
 何だって?
 あれが・・・あのサイバーのG2がジョー?
「嘘だろう?ジョーが君にあんな真似を−」
「あれは−」
 ケンはくっと表情を引き締めた。
 あれが再び逢いたい、と夢にまで見たジョー?
 あれが共に死ぬ事を願った、掛け替えの無いもの?
 いや・・・そうじゃない!
「あれは確かにジョーです。でも、本当のジョーじゃないんです」
「それは、どう言う意味だい?」


<12>

「あのジョーは " 完全 " ではないんです」
 と、ケンは言った。最前、ドクター・カインがケンに言っていた、
(G2を制御出来るのは、他ならぬ君だけなのだよ)
 そう、あの言葉ともシンクロするようだが、" 完全 " ではないとはどう言う意味だい?
−と、私は重ねて訊いた。一瞬、言い淀んだが、ケンはふっと片頬を歪ませると静かに話
し出した・・・。
「あの戦いの最中、俺の身体はHSの負荷に耐えられなくなって・・・」
 それを知った南部博士は、その時、既にサイバーであったジョーにHSを交代させよう
としたが、頑としてケンはそれに応じなかったのだそうだ。
「再びジョーを失うくらいなら、俺は−」
 自らの命を賭してでも・・・と。だが、その願いは叶わなかったのだと、ケンは自嘲っ
た。HSの負荷に負け、父と仰いだ南部博士までも死なせてしまった事。そしてジョーは
平和を勝ち取るために、ケンを助けるために、ケンの心を封印し、あの男に託して・・・
そして、ジョーは全てを捨てて、あの " G2 " になったのだ、と。

「戦いの後、必要が無くなったG2の " ボディ " は恐らくこの研究所に保管され、AIに
そっくりコピーされたジョーの " マインド " や " メモリー " は例のサクラの中に活かされ
ていたのだと思います。あの時、俺があいつを消去してしまうまでは・・・」
 ケンはあの時の辛い記憶に言葉を詰まらせて暫し俯いていたが、再び顔を上げると、
「でも、あの男は諦めてはいなかったんです。HS戦用強化サイボーグG2は戦略核にも
匹敵する威力を持っています。だから、静かに眠らせておくべきだったのに、あいつは自
分の野望のためにG2を、心の無いジョーを呼び醒ましてしまったんです!」
 と、怒りに肩を震わせた。
「何て事を・・・」
 私はあまりの事に驚いてただそう呟くのが精一杯だった。
 そうか!G2がジョーならば、それを制御出来るのはやはりケンだけなのだ。
「今のジョーは無垢な、幼い精神しか持っていません。簡単なコマンドはこの−」
 ケンはさっきG2が、ジョーが凝視めたのと同じ左手首を私に示し、
「ブレスレットを通して聞こえる南部博士の音声−恐らく録音から拾ったか合成したもの
でしょう−に従っているようですが、ジョーを本当に覚醒させるには俺のコマンドが必要
なのだそうです」
 と、説明した。
 そう、サクラの中で覚醒したジョーが言っていたっけ。
(俺にとってケンのコマンドは絶対なんだ)
 と。
「それならば、ジョーを覚醒させて一緒に逃げればいい!」
「目醒めさせる事は出来ても、もうジョーの心はありません」
 あ、違うぞ、ケン。ジョーはサクラの中にいるんだよ、と私はチェン下士官をミサイル
から救ったジョーの警告の事を話した。
「チェンが?それは本当ですか?」
「うん、本当だとも。だから、ジョーと一緒に逃げればいい。きっとサクラの中のジョー
の心を・・・」
 ・・・一体、どうやって?
 私には分からない。それに、AIのサクラを造ったと言う天才プログラマーは未だ行方
知れずのままだ。だがきっと方法がある筈だよ、と言うと、ケンは寂しそうな笑みを浮か
べて、首を横に振った。
「G2は危険な兵器です。俺は100%、ジョーの心を取り戻せると分かるまでそうする
事は出来ません。だから、俺は・・・」

 呼び活けた冥府の王・・・だがそれは制御の効かぬ代物だったのだ。
 かつて私達が自然界に安定した元素として存在していたウラニウムからプルトニウムを
産み、解き放ってしまったように・・・そしてそれを制御出来ぬまま殺戮兵器として−
いや、平和利用だと御為ごかしを言った輩がいた事も事実だ!−未来永劫、苦しまなけれ
ばならなくなった愚行をあたり前だとしていた世界があった・・・そうした世界を憂いて、
南部博士とISOはマントル・プロジェクトを推進したのではなかったか?・・・勿論、
それは放射能の有無などでは無く、要は誰かの−例えそれがケンの、だろうとも−私的な
" ベネフィット " が多くの人々の公共の " リスク " になってはならないと言う事なのは確か
なのだが・・・

「だから、俺は決してジョーに " コマンド " するまい、と決めたんです」
 ケンのコマンドが無ければジョーは不完全なG2のまま、完璧に機能する事も無く−、
だから彼らはあんな強硬手段に出たのだろう。サクラの中のジョーがそうだったように、
彼は根本的なところで「ケンが自ら望んで下したコマンド」なのかを判断する能力を今だ
に維持しているのだろう。それは・・・ドクター・カインやあの男には解るまいが・・・
それは " 愛 " だ。2人の間に今だ変わらぬ " 愛 " が存在する限り、彼らは決して欲してい
るパーフェクトなG2を得る事は出来やしまい。しかし、それでは・・・
「ケン、しかし、それでは君はずっとこのまま−」
 このまま、ケンは形骸だけ " 最愛のもの " であるあのG2に、そしてG2を完璧にしよ
うとする奴らに、ずっとずっと苛まれていなくてはならない、と言うのか?被験体として
しか君を見ていないドクター・カインは、きっと君にもっと酷い事を・・・私は自分の想
像が、いや、そうに違い無いという確信に思わず身震いしたが、ケンはふっと笑って、
「いいんです。ジョーが堕ちた地獄へ共に堕ちるなら、それで本望です」
 と、事も無げに言った。
「例え不完全でも、あれは間違い無くジョーなんですから・・・トオルさん、見たでしょ
う?ジョーが狂ったように俺を抱いたのを−」
 うん、と私は頷いた。
 ケンは優しく微笑み、
「何故、ジョーが俺を求めるのか・・・あいつの中に別れの夜の記憶だけが微かに残って
いたのか?それとも他の理由があるのか?・・・実は俺にもはっきりとは分からないし、
それに・・・」
 そう言いながら、ケンはそっと自分の腕で自らの身体を抱き締めるようにしながら、
「強化サイボーグの身体に不完全な精神を持つあいつが俺を抱き、そしてその時にどうい
う感覚を持つのか・・・俺には知る術も無いけれど、ほんの一瞬でも俺の身体であいつが
満足出来るならば・・・それでいい、んです」
 と、静かに言葉を結んだ。
 美しいその横顔を見ながら、私はもしかしたらそれはそれで善いのかも知れない、とも
思った。互いに共に在る事だけを願った2人・・・こんな形ではあったけれど、或いはそ
れを叶えてやれるのは、他ならぬこの状況だけなのかも知れない。きっとジョーがその時
に感ずる充足と安定は、ケンの安らぎでもあるのだろう、と。

 私は、ケンがそう望むのならば、私もここに留まって、出来るだけの事をするよ、と身
仕舞いを終え、着替えたケンの染み一つ無い真っ白なシャツのボタンを掛けてやった。
「でもね、きっとジョーは君を愛しているんだよ」
「ふふふ、なぜ?」
 と、問いながらもケンは、ありがとう、トオルさん。あなたは相変わらず優しい人だ、
と笑った。私は大いに照れ、些か慌ててそう思った理由を告げた。
「いや、ただの慰めじゃないさ。ジョーがね、さっき気を失った君にそっと、そうまるで
恋人にするみたいに優しくブランケットを掛けたのを見たんだよ。だからきっとジョーは
こうしていても徐々に心を−」
 そこまで言って、私はケンが急に表情を険しくした事に気付いた。
「あ、あの、ケン・・・何か気に障る事でも言ったかい?」


<13>

 ケンは唇を噛んで、
「あのジョーが、G2が優しく・・・ですって?」
 と、質した。
「ああ、そうだよ。少なくとも私にはそう見えたし、あれは " 優しさ " であり、" 思い遣り "
の発露ではないかと思うんだ。だから−」
「いいえ!あのジョーにそうした感情は無い筈です!」
 と、ケンは激しく頭を振ってそれを否定した。が、すぐに、だけど・・・と、何処か遠
くを見る目つきで独り言のように呟いた。
「今日、ジョーは俺を " ケン " と呼んだ・・・それじゃ、あいつは・・・」
 一瞬、私はケンが泣き出すのではないか・・・と思った。いや、実際には泣き出したり
はしなかったのだが・・・苦悩に満ちたその端正な顔にはどこか彼自身、既にそれに気付
いていたのではないか、とも窺える「やはり」と言ったような表情が混在していた。
「ジョー・・・!」
 色を失くした唇が苦しげにその名を呼んだ。

 その時だった。
「また " ジョー " ですか?ワシオ中佐」
 と、ふいに背後から誰かがそう声を掛けた。
 突然の事に、飛び上がらんばかりに驚いた私が慌てて振り返ると、そこには意外な人物
が立っていた。
「チェン?−チェン下士官!君、いったいどうしてここへ?」
 チェンはつかつかと私達の傍へ歩み寄りながら、
「軍医殿を尾けて来たんですよ」
 ワシオ中佐が心配で心配で・・・と、ふふっ、と軽く笑って見せた。
「そうか。いやぁ、全然、気が付かなかったよ。チェン、よく来てくれたね」
 とにかく私は " 味方 " を得て少なからず嬉しかったのだが、ケンは別段驚いた様子も喜
んだ顔も見せず、ただ厳しい口調で、
「冗談はよせ」
 と、静かに言うと、キッと眦を上げて黒髪の下士官を睨みつけた。
 もちろん・・・冗談ですよ、と彼もケンの前に立って怯みもせずに睨み返す。
「さすがですね。でも、どうして " 解った " んです?」
「ジョーは俺の命令を絶対に違えやしない・・・完全に消えた筈のジョーが警告を、なん
て有り得ないからな」
「なるほど、そいつはマズったな。サクラの中のジョーを持ち出せば、あなたも軍医殿同
様、騙されてくれると思ったのに」
「フン、ジョーと俺を見損なうなよ」
 暫時、真冬の星に似た冷たい光を宿したケンの青い瞳と、深い闇を湛えたチェンの黒曜
石の瞳が、まるで火花を散らすように睨み合い、絡み合った。
 じゃあ、ジョーが警告した、と言うのは嘘だったのか?
 じゃあ、私はチェン下士官に騙されていたって言うのか?
 ・・・一体全体、これはどういう事なんだ?

「2人とも、どうしたって言うんだい?ねぇ、ケン、これはどういう事なんだ?」
 まったく訳が分からず、混乱した私が訊ねると、チェンは、
「でも軍医殿のお陰でようやくワシオ中佐の本心を聞き出す事が出来ました。ありがとう
・・・礼を言いますよ、トオル軍医殿」
 と、笑った。そして、ベッドの端に掛けているケンの膝に自分の膝が当たるほどさらに
接近し、ほぼ真上から傲然と見下ろすようにしながら言った。
「あなたがそういうつもりなら、閣下はG2をあのまま出撃させるそうですよ」
「何だって?」
 思わず驚きを隠せぬ様子でケンが訊き返す。
「だって仕方が無いでしょ?あなたはどうあってもジョーを制御する気は無いんだから」
「よせ・・・駄目だ!そんな事をしたら−」
「そんな事をしたら、恐ろしい事になるでしょうね。ま、俺の知った事じゃないけど」
 くっ、と怒りを露わにして、立ち上がりかけたケンをチェンは片手で素早く押さえ込む
と、愉快そうに笑った。
「ふふふ、俺のこっちの腕は案外と力があるんですよ。何せこの腕はG2と同じサイバネ
ティクス・テクノロジーの賜物ですからね。半病人のあなたになんか負けっこ無い」
「チェン、何をするんだ!」
 やめろ!と私が割って入ろうとすると、チェンはやおら小型端末を叩いた。と、何も無
かった筈の床から突如ぶ厚いガラスの隔壁が迫り上がり・・・私は2人から隔離されてし
まった! 「何をするんだ?チェン、これを開けろ!」
 怒鳴りながら、ガンガンと叩いたが、所詮非力な私にはどうにもならない。ハッと気付
いて、ポケットの小型端末を取り出したが、無駄ですよ、と先にロックされてしまった。
「トオルさん!」
 ケンの声が聞こえた。
「軍医殿、ちゃんと見えるし音も聞こえるでしょ?そこでゆっくり見物していて下さい。
あなたはいつだって見ないフリをしてくれましたものね・・・俺がこうしてワシオ中佐を
抱いても・・・」
 チェンは押さえ込んだケンの身体を苦もなくベッドに倒すと、そのまま抱き締めた。
「放せ・・・放すんだ、チェン!」
 抗いながら、ケンが叫んだ。
「ふふふ、放して欲しいのなら、G2を止めたいのなら・・・」
 あの物静かで優しいチェンが、まるで別人のような残忍な顔つきでこんな残酷な言葉を
吐くなんて・・・!
「俺だけのものになれよ」
 まるで悪夢の中にいるように、私はただ呆然とガラス越しに見ているしかなかった。


<14>

「ケン、憶えているだろ?あんた、言ったじゃないか・・・」
 呻き声を上げるほどきつく組み敷いたまま、さらに拒んで顔を背けようとするケンの白
い首筋をチェンの唇が貪る。そうしながら長く伸びた焦茶色の髪を力仕事など何もした事
が無いのだろうと思わせるほっそりとした指で乱暴に掴むと、うっとり続けた。
「ふふ、髪がこんなに伸びたんだね。俺がプログラムし直した新しいリアクターの効果は
素晴らしいだろ?これでもう遠慮無く抱く事が出来る・・・あんたが俺に教えてくれたよ
うに、さ」
 そう、忘れやしないよ。いや、忘れられるもんか・・・俺を抱いて、あんた、言ったじ
ゃないか・・・ケン。
「・・・こんな事は " 俺としか " しちゃいけない、ってさ」
 優しい声音とは裏腹にチェンの指は絡め取るようにケンを苛んでいく・・・だが、私は
ケンが肉体的な痛みでは無く、恐らく何か精神的な苦痛からひどく辛そうに眉を顰めたの
を見、月明かりを褥に儚げな接吻けを繰り返すに至った経緯と言うか・・・そう、ケンが
チェンに掛けてしまった " 呪縛 " を垣間見た気がした。
 だが、その美しい思いも切ない願いも、ここにはもう無い。いや、在る、のだ。
 それはオーバーフローし、狂気と化して、厳然として存在し続けているに違い無い。
 心を込めて優しく梳いていた髪を乱暴に握り、彼は想い人を辱めようとしている。
 そうして自分自身をも、屠ろうとしている・・・。

 駄目だ!駄目だ!いけない!
「チェン、駄目だ!やめ−」
 怒りの熱さよりも哀しみに全身の血が凍りつくようだった。とにかく制止しなければ−
理路整然とした理由など、自分の無力さなど、考えている暇は無かった・・・と、私がま
た叫び出したその時、
「は・・・ははは」
 唐突にケンが笑った。
「−?」
 私もチェンもその理由が分からず、一瞬、呆気に取られたが、ケンはと言うとそんな私
達にはお構い無しに低く虚ろに笑い続け・・・私はケンが " 正気 " を失くしてしまったの
では無かろうか、と背筋を寒くしたのだが、次に発せられた言葉には−、そう大袈裟では
なく、ゾクリと総毛立つほどの " 恐ろしさ " を感じずにはいられなかった。
「いいとも」
 と、ケンは言った。
「こんな俺で良かったら、いくらでもくれてやるぜ。だから−」
 驚いて、反射的に遠離ろうとしたチェン下士官の首を痩せた片手で捉まえ、
「チェン、ジョーを止めろ。永遠に、だ!」
 と、氷のような声で言った。
 何だって?・・・と、呟いたチェンの大きく見開かれた黒い瞳だけをひたと凝視めて、
ケンは、ふっ、と口許を綻ばせると、まるで小さな子供に言い聞かせるようにさらに引き
寄せたその黒髪へと仄白い唇を寄せてゆっくりと言った。
「なぁ、おまえになら出来るだろう?チェ・・・いや、ユーリ。巡洋艦のミサイル制御コ
ンピューターを弄くるなんざ、おまえには朝飯前だもんな。だが、いいんだよ、ユーリ。
俺は怒っちゃいない。みんな無事だったんだ・・・な、ユーリは俺が好きだろう?だから
ジョーを、G2を葬って、俺をおまえだけのものにしろよ」
「ケ、ン、本当に・・・?」
 信じられない、と言った素直な表情が黒髪の下士官をひどく幼く見せた。曲がりなりに
も心理学と人の " 心 " を診る事を専門とする私には、形勢が既に逆転しつつある事は読み
取れたが・・・ 何だって?チェン、いや、ユーリと言うのか?一体、彼は何者なんだ?
あの誤射が彼の仕業だった?・・・一体、何故?
「ああ、本当だとも。ユーリ、ここにはISOのメインコンピューターにだって干渉出来
る " マザー " があるだろ?リアクターやジョーもマザーでなら何とでもなるものな、おま
えはあいつで何でも出来るじゃないか・・・なぁ、ユーリ・・・消してくれ、G2とHS
の全てを−」
 ケンの唇はゆっくりと笑いを形作ると、震えている彼のそれに触れ、
「そうだ、ユーリ・・・こんな事は俺としかしちゃいけない・・・」
 そう囁きながら優しく接吻けた。


<15>

「嘘つき!」
 下士官はその表情同様、ひどく幼い物言いでそう叫ぶとサイバネティクスだと言う左手
で素早くケンの喉元を掴んだ。
「うっ・・・」
 苦痛がケンを呻かせた。
「ケン、あんたは " こんな事は俺としかしちゃいけない" と言ったのに、それなのに、あん
たは俺をジョーに抱かせたじゃないか!・・・嘘つき!もう騙されるものかっ」
 ギリッ、と繊細な、だが恐らく常人のものとは異なる力を秘めたその指がケンの喉に食
い込んで行くのが見えた。いかん−!
「ユーリ、やめろっ!手を放すんだ!ケンが窒息してしまうぞ−」
 私は怒鳴って、無駄と分かっていながら立ちはだかる無機質なガラスを叩き続けた。固
く握りしめた自分の拳の方が砕けてしまいそうに痛んだが、私はその痛みを感じなかった
のだと思う。いや、きっと " 呪縛 " に苦しむ−かけたケンも、縛られたユーリも、どっち
も見てはいられないほど痛々しかったからかも知れない。
 ケンは苦しげに眉を寄せている。呼吸が思うに任せないのは明白だった。
 が・・・
 フッと、それでもケンは静かに笑った。
「・・・?」
 驚きと疑問に、思わず彼の指の力が弛んだのだろう。ケンは唇を戦慄かせて細く息を吸
い込むと、
「だってユーリ、おまえは・・・ただのダミーだったから・・・さ」
 と、掠れた小声で言った。
「違う!」
「分かって・・・いたんだろ?俺はジョーに寂しい思いをさせたくなかった。だから、俺
の代わりにおまえを抱けと・・・そして、おまえは俺にとってはジョーの−」
「イヤだぁ!聞きたくない、黙れぇっ!」
 俺は俺だ、誰の代わりでもない!と、彼は泣きながら叫ぶと、今度は両手でケンの首を
絞め上げた。

(あんたなんか、あんたなんか・・・殺してやる!)
(ふふふ、だがジョーがいる限り、俺はジョーのものだ)
(フン、あんたの大事なジョーも消去してやるさ。ジョーさえいなくなれば、俺は俺でい
られるし、あんたは俺だけのものになるんだ)
(・・・そうだ、ユーリ。そうしたら、俺はおまえだけのものだぞ!)

 時間にしてほんの数秒・・・だったと思う。私は無言の筈の二人・・・縊ろうとしなが
らもその身を震わせている黒髪の若者と、縊り殺されようとしながらも薄く微笑んでいる
白い服の痩せた男の会話を聞いた気がした。私は以前、サクラの中にいたジョーに全ての
消去を命じた、ケンのあの狂気にも似た任務への執念を思い出した。ケンは、G1号は自
らの命も手段も問わず、冷徹にただ全うすべき責務を果たす男なのだ。もともとはきっと
彼のその優しさと愛から願ったジョーとユーリの幸せだったろう。だが、何処かで、何ら
かの外的要因で歪みが生じ、今は彼とユーリをがんじがらめに縛りつける呪いになってし
まったのだろう。だが、ケンは偶然もたらされたそれを " 利用 " して、彼に出来得る恐ら
くはたった一つの " 手段 " として、全うすべき彼の任務−自分とジョーの消去だ−を全う
しようとしているに違いない。
 ケンはあの時、私に言った。
「俺の手は血塗れなのだ」
 と。
 それを贖うために、君はジョーと共に地獄へ堕ちねばならないのか?
 君を愛し、あんなにも献身的に君に尽くしたユーリを道連れに?

 いや、駄目だ!−と私が叫ぼうとした時、
「退け、軍医」
 聞き覚えのある声がきっぱりと命じ、思わず私が避けたと同時に何か大きな青いものが
強化ガラスの隔壁を苦もなく叩き割った。


<16>

 瞬く間に、青い疾風はユーリの手からケンを奪回すると、恐怖に引き攣ってはいたが半
ば安堵の表情を浮かべた−ああ、分かるよ、ユーリ。君はケンを殺したくなどなかったの
だ−彼をいとも容易く薙ぎ払った。猛禽の嘴を模したダークバイオレットのバイザーに隠
れて彼の顔は詳らかではなかったが、その青い猛禽は全身に怒りを漲らせており、更に踏
み込んで白い床から起き上がろうとしているユーリに襲いかかった。
「−ッ!」
 言葉にならぬ叫び声を上げ、彼は本能的に左腕で振り下ろされた拳を受けたが、力量は
一目瞭然だ。このままでは・・・
「やめさせろっ!あの青いのを止めるんだ!」
 もはや怖れも何も感じている暇は無かった。私は日頃の優柔不断も気弱さもかなぐり捨
てて、「退け」と偉そうに命じて、私の前に立ったあいつの仰々しい軍服の襟元を掴むと
そう怒鳴った。
「貴様、閣下に何をするかっ!」
 私の思わぬ行動に色めき立った屈強な護衛の兵士達を、「よい」の一言で下がらせて、
その男は、
「もう遅い。誰もG2を止められはせん」
「ブレスレットのコマンドで止められないのか?」
「駄目だ。出撃に備えてG2は戦闘モードにスイッチされている。半端な抑制は効かん」
 と、いつものように抑揚の無い口調で言い、それからあいつは初めて私を見た。鋼鉄の
光芒にも似た瞳が一瞬、翳ったように感じて、え?と瞬いて見返せば、だがもうその冴え
た光りに迷いは無かった。
「今のジョーを止められるのは、恐らくケンだけだろう」

 ああ、あれがジョー・・・あれがG2の本当の姿なのか!
 ケンが「決して解き放ってはならぬ」と、その命を賭して抹殺せんとしている戦闘用サ
イバー・・・ならば、その猛々しい鈎爪は赤子の手を捻るよりも簡単に、何の雑作も
無くユーリの生命を引き裂くに違い無い。そして、コントロールが効かぬまま、最強のラ
イブマシーンは戦場へと送られるのか・・・!
 彼はその青白き死の翼で百の、千の、万のユーリを根の国へと連れ去るのだろう。
 彼は心から彼を愛し、そうさせまいと自らを捧げた彼の想い人を踏みにじるのだ。
 ケンの、ジョーのたった一つの願いはやはり叶う事は無いのか?
 そして、私はそれをただ見ているしかないのか?
 と、
 音も無く、白い影が宙を舞い、僅かにG2が体勢を崩した。
「!?」
「ケン、よせっ!」
 誰もが目を見張る中、さすがにいち早く状況を見て取ったのか、あいつが怒鳴った。
−ケン?ケンだって?と、見れば、確かにそれはジョーによってユーリの指から救出され、
だがそのまま床に崩折れて苦しげに激しく肩を上下させていた筈のケンだった。
 あの身体のどこにあんな力があったのか?−いや、私にはケンがああしたマーシャルア
ーツの使い手である事さえもが信じられなかったのだが−。
 ケンは辛そうに目を細めて呼吸を整えると・・・ああ、随分と苦しい事だろうに、と私
は彼の衰え切った肺が心配で堪らない・・・それでもケンはキッと眉を上げると長く伸び
た髪を翻して再び跳躍し、敢然とG2に攻撃を加えた。
 蹴り、跳び、反転し、更に跳んでは撃ち・・・
 だが、最前の不意打ちには僅かに効果があったものの、もはやケンの攻撃はG2に全く
通用しないのか、G2は防御も反撃もせぬまま再びユーリに向かう。
 させまい!と、素早くケンが立ちはだかる。
 G2は、ジョーは決してケンに攻撃を加えないばかりか、庇っているようにさえ見えた。
もはやケンに出来る事はユーリとG2の間に立ち、悪戯に時間を稼ぐ事のみだが、これは
むしろケンにとって不利になるばかりだろう。

 固唾を飲んで見守る中、
「素晴らしい!」
 ドクター・カインが突如、歓声を上げた。
「見たまえ、G2は決して " 標的 " を違えない。それに攻撃を受けても味方と認識してい
るG1を決して傷つけようとしない!」
 理想だ、理想の " 兵器 " だ!と喜々として彼は私の肩を叩いた。
「ドクター・トオル、我々の目指すものはあれだ。兵器が、武器が " 善悪 " を " 敵味方 "
を自ら判断し、それを識別する知性を有した時、本当の平和は訪れるんだよ!」
 ドクター・カイン、あなたは立派な科学者です。そう、ダイナマイトを作ったアルフレ
ッド・ノーベルだって、ラジウムを発見したマリー・キューリーだって、みんなみんな
" 平和 " の為にそれらを研究したんだ。誰も人を殺めたくてそれを見い出し研究したので
は無い。だから、あなたの平和の為に、と言う " 目的 " が正しい事は認めよう。
 だが、それは違う。
 ケンの " 苦悩 " は、実はそこにあるのだから・・・
 " 善 " とは何か?・・・そして " 悪 " とは?・・・
 " 敵 " ならばその生命を奪っても良いと言うのか?・・・
 迷い、傷つき、失い・・・
 永劫、安らぐ事の無い修羅の道を歩みながら、ケンはたった一人でそれらと対峙し続け、
そして今、また・・・

「うわっ」
 悲痛なその声と人々のどよめきに私はハッと我に返った。
 見れば、ユーリのすぐ前にG2が仁王立ちになり−ケンの動きが鈍った瞬間を見澄まし
て、頭上を飛び越えたらしい−どこに持っていたのか、非常に大きな剣を真上からまさに
振り下ろさんと構えていた。
「ひっ!」
 可憐な黒髪がいやいやをするように揺れ、まるで光を凝縮して鍛えたような、見た事も
無い眩く煌めく長剣が真直ぐに−
 刹那、
「ユーリッ!」
 鋭く叫んで、ケンが白く煌めく刃の下へ飛び込んで行くのが見えた。


<17>

 その瞬間、恐らく1秒にも満たない筈のその時間が、まるでスローモーションフィルム
のように緩慢に進んだ気がした。
 振り下ろされる白刃を、その真下へと飛び込んだ白い影は止めたのだ。
 自らの身体で−
「ケンッ!」
 それが見えた瞬間、私は我を忘れて飛び出していた。
 血が・・・夥しい血が白い彼を赤く染めて行く。
 医師である私に出来る事は今はあの出血を止める事であり、彼の生命を繋ぎ止める事だ。
「退けぇっ!」
 自分のどこにそんな勇気があったのか、私は最強のサイバーだというG2を押し退けて、
踞るユーリの上に覆い被さったケンを抱え起した。左の肩口から激しく噴き出す鮮血が彼
の白い頬を赤く濡らし、それからだらりと下がったままの左腕を伝って白い床に盛んに血
溜りを作った。
「ケン、しっかりしろ!」
 酷い傷なのは一目瞭然だったが、私がそう励ますと信じられない事にケンは、ええ、と
頷き、そして顔を上げると、
「ジョー」
 と、目の前に佇立したままのG2−それはやはり誰よりも会いたかった者−の、彼自身
の名を呼んだ。
「ジョー、行け。アーサーと行って、この戦いを終らせてくれ」
 一呼吸だけの逡巡い、一呼吸だけの躊躇い・・・
−何よりも下したくなかったコマンド、だがそれでも見過ごしには出来ない数多の命−
 ケンはその澄んだ空色の瞳で真直ぐに前を見据え、
「そして・・・必ず帰って来い、ジョー。俺のところへ・・・」
 静かな声でそう言うと、ゆっくりと穏やかに微笑んだ。
 青い猛禽は何故か柄だけになった長剣を納めると、ダークブルーのグローブに包まれた
指を伸べて、真っ赤な血を割るようにケンの頬を伝う一筋の涙をそっと拭った。そして、
G2、いや、ジョーは極めて明瞭に「ラジャー」と応え、それから、
「・・・ケンッ!」
 と、愛する者をやっとその腕に抱きしめたのだった。


 翌朝早く、ジョーは一隊と共に発って行った。
「恩に着る、とケンに伝えてくれ」
 差し伸べられたあいつの右手を握り返す事が出来ず、私はただ唇を噛んで、
「必ずジョーを帰してやって下さい。ケンがどんな気持ちであんな事を−」
 と言うのが精一杯だった。分かっている、と短く答えて、それからあいつは、
「オダという懐刀も戻った事だし、いつまでもヘキサゴンとその周辺の馬鹿どもの思うよ
うにはさせんさ」
 きっぱりそう言った口元に不敵な微笑を浮かべ、私が握り返さなかった右手を上げて、
端正に挙手の礼を取ると、もう振り返りもせずに行ってしまった。


 ケンの怪我は重症としか言い様が無かったし、無理を押して戦ったのも良くなかった。
だが、彼はその超人的な気力で持ち堪えてくれた。それに幸いと言っては何だが−南部博
士が残したものなのだろう−ここには彼を手当てすべき全てが揃っていたし、ユーリによ
って、より改良されたと言う新しいリアクターは確かに効果的だった−そして、何よりも
ドクター・カインと彼のスタッフは私など足元にも及ばぬほど優秀な医師達だった。
 3日後の夜半、意識を取り戻したケンは私に、
「トオルさん、ユーリは?」
 と、訊いた。
「ああ、大丈夫、ユーリは無事だよ。彼は君が守ったんだからね」
 良かった、と溜め息を吐いてケンはホッとしたように瞬いた。あのね、ケン、と私はユ
ーリから固く口止めされていた事を−とても黙ってはおれずに−ケンに告げた。あの時、
急にISOに連れ去られた君を取り戻す為だと偽られて、ユーリはあの蔦館誤爆を実行し
たんだそうだ。でも、まさか彼自身、それがI国に戦争を仕掛ける火種に利用されるとは
思ってもいなかったし、もちろん何も知らされてはいなかったんだ。
「だからね・・・」
「分かっていますよ、トオルさん。ユーリはそんな事に加担出来るような奴じゃないんで
す。あいつはね、あいつは本当に素直な奴で、ただ俺の事を−」
 縛りつけた " 想い " 、凍りついた " 願い " 、それぞれの・・・
 だが、それらは徐々に溶けて行く事だろう。それぞれに・・・
 うん、と私は微笑んで、いつもそうしていたように額に掛かる長い焦茶色の髪を掻き上
げてやった。


<18>

 それから一週間くらい後だったろうか?
 あの時すぐにあの戦争は終ったのだったろうか?・・・今はもう詳しい日数も出来事も
憶えていないのだが、ジョーが役目を果たして帰って来た。
 無彩色の病室で、二人は互いにもう決して離すまいとするかのように固く抱き合い、無
言のまま接吻けを交わすその姿だけが美しい色彩を伴って、鮮やかに私の網膜に今も焼き
付いている。

「ケン・・・は?あ−の怪我・・・は、治、治るのか?」
 ジョーは当初、長い間、会話をしなかったせいか些か発語に問題があったが、それ以外
はもうあの " G2 " の非人間的な面影も無く、片時も離れずにやっと " 再会 " 出来たケン
の傍らにいた。そして、ケンは容態の許す限りジョーに静かに語りかけ続けた。
「ジョー、憶えているか?」
「ん?何・・・を?」
「おまえが " なりたかったもの " を、さ」
 ああ、とジョーは昨日よりも優しさと滑らかさを増した笑顔を見せて答える。問いかけ、
思考させ、思い出させ・・・ケンは私が以前、ケンの心をそうして取り戻そうとそうした
ように、ジョーの心を取り戻そうとしていたのだろう。
「サーカス、サーカスの−、ナイフ投げ」
 うん。それじゃ、俺は?俺がなりたかったものは何だ?と、ケンはまた優しく微笑んで
訊ねる。
「ケンは・・・猛、猛獣使いだ」
「そうだ。ジョー、約束通り、二人で世界中を廻ろう。ずっと一緒に・・・」
「あ・・・ああ、ケン、もう離れ−ねえさ。ずっとおまえと一緒だ」
 金色の陽が差し込む白い病室で、二人がそうして静かに接吻ける姿は聖画のように美し
く、穢れなく、そして幸せそうにさえ見えた。だから、私は例えここが二人を容れる特別
な施設だとしても、意に添まぬ研究の " 被験体 " なのだとしても−もう彼らに非人道的な
扱いは決して受けさせぬ、とあいつも約束してくれたし−、今度こそケンとジョーの願い
は叶うのだ、と私は思っていた。
 しかし、ケンの傷が完全に癒えるのを待たずに、彼らはある日、忽然と姿を消してしま
ったのだ。

 大事な二人を失ったドクター・カインは嘆き哀しんだが、残されたデータと資料で我々
の研究を完成させよう、と私の肩を叩いた。
「リアクターが無くて、ケンの身体は大丈夫でしょうか?」
 苦い経験から私は真っ先にそれを訊いたのだが、
「G2には自身の生体部分をリアクトする装置が内蔵されているんだ。あれが巧く同調す
ればG1の細胞も更新される筈だがね」
 と、彼は肩を竦めて見せた。そうか、でも希望はある訳か、と私は少しだけ胸を撫で下
ろし、しかし、私は彼の研究を手伝う事もその成果を見る事もなく、ユートランド郊外の
海辺の研究所を後にし・・・
 今、考えても、いやまったく自分でも信じられない話なのだが、その直後、同時に軍も
辞した私は単身、国境なき医師団に加わって、あの時、戦場となっていたI国へと、それ
からまた、内乱やらテロやら震災やらで医師や医療救護を必要とする国々へと方々を渡り
歩いたのだ。
 何が私を、無気力で自堕落で自分の平穏しか望まなかった私を駆り立てたのか・・・
 その理由だけは明白だった。
 その理由は、あの空色の瞳がいつも真直ぐに見据えていたものを、私も見たいと思った
からなのだ。そして " 平和 " とは、例え汚れても傷ついても、或いは地に伏して花を踏み
散らす事があっても、呪い、諦め、恨む事に出会っても、弛まずに怯まずに、一人一人が
自ら求めて行かねばならぬものだ、と知ったからなのだ。

 そうした日々の中で、私は医師団のナースであった妻と結ばれ、子供達にも恵まれた。
そして、近視だった筈の自分も、ふと気がつけば細かい活字を追うのに本を遠ざけねばな
らぬ年齢になった事に苦笑して、私達一家はいつか暮らしたあの蔦に覆われた古い館によ
く似た海辺の家で、ささやかながらも診療所を開いて・・・そうして私はその時になって、
ハッと気付いたのだ。" 守るべきもの " の本当の意味−を。
 それは例えば夫婦、家族、親兄弟、または最も親しい友人、近所の仲間といった最少単
位の " 愛 " と " 同郷心 " に端を発し、そしてこのパトリオティズムの輪は徐々に外部へと
広がって、やがてこの惑星を、地球全体を包み込むほどに大きくなるものだったのだ。
 地球のすべてが " 故郷 " であるなら、人はすべて " 家族 " であり " 友 " なのだ!
(そうか、君らが互いに死守した " 絆 " と" 愛 " こそが、いつか世界中に平和をもたらす
" 種 " だったんだね)
 そして同時に、それら全ての逆説故、哀しい事だが人は争わねばならないのだ。
(そうか、それに気付いていたからこそ、君らはあんなにも " 苦しんだ " んだね)
 ふと、私はあれから会う事も無いケンとジョーに思いを馳せ、一人、空を仰いだ。
 彼らはどこでどうしているのだろう?
 ・・・ケンの身体は?・・・ジョーの心は?
 気にも掛かり心配でもあったが、だがそれを知る術もないまま時が流れた。そして、
(きっと元気でいてくれるさ)
 と、何故か私には不思議とそんな確信めいたものがあったのだ。


 そうしてさらに幾年か過ぎたある日曜日のこと、
「あなた、あなた−」
 と、もう晩い秋の陽が射す、金色の庭から妻が私を呼んだ。
「どうしたんだい、マリー?急患かい?」
 そう答えて戸口に立った私の前に、焦茶色のくせのある髪を肩に垂らした青年と豊かな
ダークブロンドの髪の逞しい青年が立っていた。
「お久しぶりです、トオルさん」
「ケン?・・・君、ケンだね?ああ、ジョーも・・・」
 驚いた事に二人はあの頃と殆ど変わらぬままだった。
 そして、ケンはあの頃と少しも変わらぬ、綺麗に澄んだ空の色の瞳で少しはにかんだよ
うに私を見て頷き・・・
「まあ、あなたったらこんな所で・・・お客様に入って頂いて。ちょうどブルーベリーの
パイが焼き上がったところですのよ。さ、お茶にしましょ!」
 ああ、そうだね。しかしよく訪ねてくれたなあ、嬉しいよ、と私は妻に促されて二人を
居間に招じ入れた。
「ケン、君、眼鏡を?」
「ええ、トオルさんと一緒です。これなら良く見えるから」
「ははは、老眼になったら近眼は治るものかと勘違いしていたんだがね」
「う〜ん、いい香りだ。俺達、いい時に来たみたいだな」
「でしょ?自慢のパイよ、沢山召し上がってね」
「ありがとうございます。うん、こりゃ本当に美味そうだ」
「ところで、ケン、ジョー、あれから君達はいったい何処へ−」
 待って、あなた・・・と妻が私の言葉を遮った。
「積もるお話は後でゆっくりとなさいな。今はこのパイを食べる事よ」
 違いない、と四人は笑いあって、最少単位の " 隣人 " である私達は今、自らが出来得る
最良の " 任務 " に取りかかった。

 移ろい行く金色の季節の昼下がり・・・
 暫し、" 時 " が戻ったような気がした。


 <おお、信ずるのだ。汝は無駄に生まれたのではない!
  無駄に愛され、苦しまされたのではない! 『聖ジュリアン』>



THE END



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