THE SWEETS AND BITTERS OF ......( Sayu's Happy End )

by さゆり

「おめでとうございます。」
 自信に満ちた微笑みとともに、産婦人科医ははっきりとした発音でまずお祝いの
言葉を、少々不安げな様子で手を握りあっている一組の夫婦に告げた。
「え、それでは・・・」
「間違いありません、今度は妊娠しています。良かったですね。」
「ありがとうございます!」
 パッと顔を輝かした夫が妻を抱き寄せ、妻は少しはにかんだ笑顔を浮かべてそ
の抱擁に応える。ありふれた風景だった。ほんの少し、違っていた事があるとする
なら、この夫婦の間に芽生えた小さな生命が体外受精によってもたらされた、とい
う点だけだった。
 
(ねえ、可能性に賭けてみようよ。体外受精で子供を授かれるのなら、俺は君 に
俺達の子を産んで欲しいんだ。)
(私だって子供は欲しいわ。でも・・・)
(でも、何?)
(でも、あなたの本当の子じゃない可能性もあるのよ。)
(ははは、それは神様が決める事だよ。それに俺達の子として君が産む子なら 
例え精子の提供者が俺じゃないとしたって、それはやはり俺の子さ。)
(あなたは、本当にそれでいいの?)
(当たり前じゃないか!)

 幾度となく繰り返されたやりとりの末、夫に起因する不妊と診断されたこの夫婦
は、産婦人科医が提案した治療法である体外受精による不妊治療を受ける事を
決めた。今ではあまり珍しい事でもなかったし、何よりも自分達が親兄弟といった
家族に恵まれなかった夫と妻、双方が強く彼らの家族が増えることを望んだから
だった。
 
(御主人の場合は無精子症ではなく、いわゆる乏精子症と呼ばれるもので、受精
に適当な精子数が少ないのですよ。ですから、採取した精子の中から健全なもの
を選び出し、それを奥さんの卵子に顕微受精させます。)
 拡大した写真を示しながら、産婦人科医は丁寧にその課程を説明した。
(妻に危険はないのですか?受精した卵子をどうやってお腹に戻すんです?)
(心配はありませんよ。ご覧なさい、この細いカテーテルで子宮内に戻せるく
 らい、発生直後の人間は小さいのです。)
 実際にそのカテーテルはとても細くて、当たり前の生殖行為で精子を送り込むよ
りもよほど安全にさえ思えた。安心した様子の2人に産婦人科医は頷いて見せる
と、さて・・・と、一番の問題点を説明し出した。
(伺っておきたいのですが、検査の結果、御主人の精子がどうしても受精には不
適当と診断された場合でも、あなたがたは妊娠を望まれますか?)
 彼らにはその意味が分からなかった。だが、つまりそれはこういう事だった。
夫の精子が不適格だった場合には第三者から提供された精子を使用すべきか、
否か・・・。
(つまり、私に誰だか分からない男の子供を産め、という事ですか?)
(遺伝学的にはそういう事になります。しかし、間違いなくあなたの子であるという
事実は変わりませんし、あなたがたが同意されるならそういう方法もあるという一
例を示したまでです。)
(あの、もしそれに同意した場合には、後で俺の子か、または他人の子か知らされ
てしまうんですか?それに後々、実の父親が名乗り出るといった事は?)
 いいえ、と産婦人科医は穏やかな笑顔のまま答えた。
(それはお知らせしない方針ですし、少なくとも御主人と同じ血液型の方の精子を
使用しますから、通常、問題が起きた事はありません。もちろん代理母の場合と
違って提供者にはまったく分からぬ事ですので、そういった問題もあり得ません
よ。)
(もう一つ、伺っておきたいのですが、そういった体外受精用の精子の提供者とい
うのは、どういった人達なんです?)
(私どものプログラムに協力して下さる方々とだけ申し上げておきましょう。
 ただし、遺伝的疾患やその他の問題を防ぐ点からかなり選抜された精子に限り
使用されることになっていますので、そういったご心配なら無用です。提供者には
優秀なスポーツマンや科学者といった方々も含まれていますが、
 配偶者の血液型と人種以外は、全くランダムに選び出されますので、我々にも
「誰なのか」を特定する事は出来ないのです。ま、後々、DNA鑑定でもすれば特定
は可能ですがね。)
(なるほど・・・。) 

 そして、2人は決断した。
 やがて、季節が3度巡り、2人の家には新しい家族が増えた。
 
「よぉ!」
 ドアチャイムに呼ばれ、戸口に立ったジュンは懐かしいダーク・ブロンドの旧友の
来訪に歓声を上げた。
「まあ、ジョー!来てくれたの?」
「遅くなってすまなかったな。とりあえず、おめでとう!」
 目の前に差し出されたのは薔薇の花、それも一抱えではきかないほどの色とり
どりの大きな花束だった。
「ジョーったら、相変わらず気障ねぇ。いい香りだわ、ありがとう!」
「と、これを坊やにー」
 見れば足元には大小の包みが置いてある。どうやら玩具のようだ。
「やぁね、玩具なんて早いわよ。まだ寝てるだけなのに・・・」
 噴き出すジュンに、ジョーは、え、そうなのか?と怪訝そうな顔をしている。すぐに
でも持って来た玩具の自動車にまたがるとでも思っていたらしいジョーに、ジュン
は「ジョーらしいわね」とまた笑った。こっちよ、と案内されて、明るく広々とした家の
中の、鮮やかなブルーにペイントされたドアが可愛らしい部屋へと入る。ローラ・ア
シュレイの穏やかな色合いに統一された他の部屋とは異なり、ここは壁紙も青空
を模した柄だったし、置かれている家具もセンターラグも、何もかもが典型的な「子
供部屋/男の子用」といった佇まいだった。若いパパが我慢し切れずに持って来
たのか、すでに野球のボールやグラブまでが用意されている。低い書棚に並べら
れているのはブリタニカの大百科事典とウェブスターの辞書か?信じられん!い
や、きっとあれは南部博士からのお祝いに違いない。
「ははは、なんだか懐かしいぜ。ガキの頃の俺の部屋みたいだ。」
「へぇ、ジョーにもこんな子供部屋が似合う可愛い時代があったのぉ?」
 あのなぁ、ジュン、と言いかけるジョーをシッと制して、ジュンはベビーベッドを覗き
込む。と、たちまちその頬に何処かで見たような優しく気高い笑みが浮かんだ。あ
あ、マリア様だ、とジョーは母親になったジュンに無言のまま祝福を送り、そっと並
びかけて小さなベッドを見下ろすと、そこには・・・
 小さな、そして限り無く幸福な生命が、健やかな寝息を立てていた。
 
「さっきまで起きてたから、すっかり眠っちゃって・・・ね、ジョー、坊やが
目を醒ますまで待っててくれるでしょ?」
 リビングでコーヒーカップを渡しながら、ジュンはそう訊ねた。
「ああ、せっかく来たんだ。挨拶くらいはきちんとしてもらわないとな。」
 これまたジョーらしい言い回しに、フフッ、と微笑んでジュンは、
「そうそう、あなたに聞きたい事があったのよ。」
 と、切り出した。ん、なんだい?と半ば惚けるジョーにジュンはきちんと写真立て
に入れた一様の写真を渡した。それは健の写真だった。一番、最近の写真であ
り、白いタキシードを着た健と白いドレスを着た女性が並んで写っている写真だっ
た・・・。


 あのバレンタインの一件以来、健はひどくふさぎ込んでしまう事があり、少なから
ず責任を感じていたジョーにはそれがとても辛かった。
「悪気は無かったんだ。許せよ、健。」
 たまりかねてそう詫びると、健は頷いて、
(誰も悪くなんかないさ。)
 と、笑ってくれたが、それでも気にし続けているのか、
(迂闊だった・・・)
 と、眉を寄せる。健、おまえが元気になる事がジュンにとっての最高のプレゼント
じゃないか、頑張れよ、と励ましてみたが、もういつものようにお座なりな返事は
帰って来なかった。確かにそう出来るものなら、という事は誰よりも健自身が一番
よく知っているのだから・・・。
 
 健の寂しさを思うと会いに行ってやりたかったが、何となく気が重くてジョーの足
は徐々に遠退いた。容態は時折、南部に訊いたが、案外と悪くはないらしいとの
事だったしーだからと言って、奇跡的な回復を望んでいた訳ではなかったがージュ
ンもいつも通りのジュンを貫いていたので、とにかく勝手に安堵しているしかなかっ
た。だが、春が過ぎて、もうまもなく夏が来ようかという時、ジョーは健が送って寄
越した白い封筒を受け取った。
「何だ、こりゃ?」
 それまで、健が手紙を寄越した事はついぞ無かった。いや、確かにそれも手紙
では無かった。それは白いタキシードを着た健と白いドレスを着た女性が並んで
写っている写真だった・・・。
 電話が鳴った。出なくても誰だか分かったが、ジョーは渋々、受話器を取る。案
の定、ジュンからだった。
「どういう事なの?」
 ジュンの声は震えていた。ちきしょう、健の奴・・・何もジュンにまでこんな写真を
送らなくてもいいじゃねぇか!
「知らねえよ。俺だって今、受け取って魂消てたところだ。」
「これって結婚写真よね?健は結婚したの?この女は誰?ねぇ、ジョー、何とか
言ってよ!」
「ジュン、とにかく落ち着け。健の悪戯かも知れないじゃないか?この女は健の医
療チームの一人で、確かドクター・ベイリーって女医さんだぜ。おい、ジュン、聞い
てるのか?泣くんじゃねえよ・・・頼む、泣かないでくれよ!」

 翌日、2人は健を尋ねた。
「やぁ、来て・・・くれた、ね。」
 健は穏やかな笑顔でそう言った・・・そう、言ったのだ!掠れた、小声ではあった
けれど、健は自分の声で話す事が出来るようになっていた。
「健、人工呼吸器が外せたのか?」
「ああ、グエンの、妻の・・・お陰さ。」
「健、あまり無理をしないで。久しぶりの面会で嬉しいのはよく分かるけれど、後で
苦しむのはあなたなのよ。」
 ジョーの記憶は正しかったが、悪戯かもと言った推測は見事に外れた。やはり写
真の花嫁はドクター・グエン・ベイリーーいや、今はドクター・グエン・ワシオなの
か?ーであり、そして健は彼女を「妻」と呼んだのだ。
「ジュン、久しぶり・・・だね。いつぞやはチョコレートを・・・ありがとう。とても・・・勇
気づけられたよ。」
「そう?それなら良かったわ。あの、健、結婚したのね?知らなかったわ。だから
お祝いも何も持って来なかったけれど、あの、おめでとう。」
 ジュンの言葉も健と同じくらい、辿々しかったが、健はまったく気にする様子も見
せず、笑顔で「妻」の献身と優しさを褒め千切り、容態を気遣う「妻」に駄々をこね
て甘えた。大凡、健らしからぬ姿だったが、何故かジョーはホッとし、ジュンは・・・
いや、ジュンも何か憑き物が落ちたような静かな眼差しのまま、その日の面会を
終えたのだった。
 
 それからジョーは1年近く、ジュンに会わなかった。
 翌年の同じ季節に、白いベールを被り、白いドレスの裾を長く引いたジュンに祝
福の薔薇を贈るまでは・・・。
 そして、今日はジュンの坊やを祝うためにやって来たのだった。


「ね、この写真だけど・・・」
「うん?この写真がどうかしたのかい?」
「これ、健の嘘だったんでしょ?」
 写真の中の健は白いタキシードを着て、優しく微笑んでいる。それはジョーにも
ジュンにも見慣れた笑顔だった。辛い時も、苦しい時も、決して弱音を吐かずにい
た健の強さと優しさが見せる美しい笑顔だった。
「もし、嘘だったら?」
 ジョーはその笑顔を見つめたまま、ぽつりと訊いた。
 ジョーは知っていた。
(健、お役に立ったのかしら?)
 と、「妻」である筈のグエンが健に訊ねていた事を。
(はい、ベイリー先生、ありがとうございました。これできっとジュンもー)
 健の語尾が掠れたのは、呼吸の不調からではあるまい。物陰にいたジョーにそ
の顔は見えなかったが、或いは健は泣いていたのではないか?とジョーは思っ
た。馬鹿野郎、格好つけやがって・・・だが、俺にはおまえの気持ちがよーく分かる
ぜ、健。男なら例え嘘をついてでも、女を幸せにしなきゃならねぇ時があるもん
な・・・。
 だから、もちろんジョーはそれをジュンに言いやしなかったのだが。
「ありがとう、って、健に・・・」
「ジュン!」
「あたし、幸せよ、って、健に・・・」
 ジュンははらはらと涙を流し、しかし輝くように微笑んでそう言った。
 
「ほら、ジョーおじちゃんよ。こんにちは、ってご挨拶なさい。」
 目覚めたばかりの赤ん坊はきょとんとした目でジョーを見、そしてニコリと笑った。
フサフサとしたチョコレート色の巻き毛が縁取る円やかな頬、蕾のような唇、そし
て、晴れた空のように青い瞳・・・なんだか誰かを思い出させるその顔に、ジョーは
思わずジュンの顔を見てしまったが、ジュンは聖母のような微笑みを浮かべたま
ま、じっと最愛のわが子を見つめている。
「・・・ねえ、ジョー、驚いたでしょ?」
「ああ、正直言って驚いたぜ。この子はまるで・・・」
「健!」
 そうだ、と頷くジョーにジュンはさらに続けた。
「健、そっくりでしょ?」
「ああ、健にそっくりだ。」
 隠し事の無い間柄であるジョーにもジュンはこの健に似た子を授かった経緯を話
していたし、健や自分のあらゆるサンプルがISOに保管されている事も知ってい
る。だから、ジョーはふと考えた。
(神の配剤かも知れねえな。)
 と・・・。
 
 
 夕食を一緒に、と引き止めるジュンの頬にキスして、ジョーは車のドアを開けた。
一刻も早く、この事を知らせに行きたかったからだ。
「また来るよ。ケイスケにもよろしくな!」
 ナビシートに白い百合の花束が積んであるのを見て、ジュンは黙って頷いた。
「じゃあ、ジュン、元気でな。また坊やに玩具を持って来てやるからな!」
 片手を上げて、アクセルを踏み込んだジョーの背にジュンが言った。
「ジョー、健によろしく!ありがとう、って伝えてね!」
 母の胸で、バァ、とご機嫌な声を上げて、空色の目をしたチビが笑っていた。
 
  父母に慈しまれて育て、愛し子。
 例えそれが誰の腕であっても、おまえには等しくその権利があるのだから。
 
 
- The End - 


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