How come ?

by さゆり

 健はふと読んでいた本から目を上げた。
(ジョーか?でも、何で・・・?)
 没頭していた筈なのに、聴覚は聞きなれた排気音が、楡の木々を抜けて近づいて来るの
を捉えたらしい。
(あいつ、何しに来たんだ?)
 健がカウチから身を起こして窓を開けると、夕刻から湧いた霧がすっかり立ちこめて視
界を遮っていた。海辺の街であるユートランドは海流の関係とかで、しばしば霧が湧くが
こんなに濃いのは滅多に無い。目を凝らすと、ミルク色の闇に赤いテールランプがぼんや
りと映り、ジョーがそこに車を停めたらしいと辛うじて分かった。
 そして、ノックの音。
 ジョーは妙な奴で、必ず律儀にノックしやがる。誰か先客があったら、とでも思ってい
るのだろうか?だが、そのくせ鍵がかかってないことも承知しているから、応答する前に
勝手に入って来やがる。
「ひでえ霧だぜ、何も見えやしねえ」
 ほら、入って来た。
「どうぞ、鍵は開いてるぜ」
 後手に回ってわざとそう言ってやったのに、ん?と怪訝そうな顔をして、
「そんな事は分かってらぁ。開いてるからこうして入って来たんだろうが」
 とか言い返しやがった。思わずムカッと来た。
「それなら何でノックするんだ?いっつも返事する前に入って来やがって、もしも先客が
いたらどうするつもりなんだ?」
「先客って?」
「例えば女だ。俺がキレイな女の客とよろしくやってるとか思わないのか、おまえは?」
 おおっ、とジョーは大袈裟に驚いて見せたが、だが次の瞬間にはフフンと鼻で嘲笑って
きっぱりと言った。
「思わん!」
「思えっ!」
 ムキになった健をジョーはまあまあと宥めて、腕に抱えていた大きな紙袋を差し出した。
途端に焼きたてのパン香りが甘く鼻孔をくすぐり、健は何も食べていないことを思い出し
た。だいぶ前に空腹は自覚したのだが、いつものことでキッチンに食料は何も無いことも
知っているし、出掛けるのも億劫だったのでインスタントコーヒーで誤魔化していたのだ。
「ジョー、これは?」
 我知らずニッコリと微笑んでしまってから、健は食べ物の匂いくらいでいきなり態度を
変えるとは、我ながら単純にできているな、と可笑しくなって笑ってしまった。そんな健
にジョーも笑って紙袋からワインを取り出しながら、
「ははは、やっぱり腹ぺこだったんだな?健、腹が減ってはおネエちゃんの相手も出来ね
えぞ」
 とウインクして見せた。そう言えばこいつ、何しに来たんだ?
「だけど、ジョー、おまえ何しに来たんだ?週末はいつも予定が一杯のおまえがこの霧の
中、わざわざ俺に食い物を届けに来てくれたってのか?」
 予定は目白押しなんだがよ、とジョーは器用な手つきでコルクを抜くと、ずいぶんと張
り込んだのか馥郁たる香りのワインを、これまた勝手にキッチンから取っ手来たグラスに
注いだ。
「バカラのとは言わないが、もうちょっとマシなグラスは無いのかね?」
「うちにワイングラスなんて洒落たものがあるわけ無いだろ。へぇ、でも良い香りだな。
高価かったろ?これ」
「ああ、おまえと飲むには惜しいワインだが、ま、しょうがねえや」
 その言葉でピーンと来た。
「ははぁ・・・ジョー、おまえ、フラれたな?」
 フンッ、とそっぽを向いたところを見ると、かなりマジ入った相手だったようだな、と
健はニヤニヤしながら自分のグラスをジョーのグラスに当てて言った。
「乾杯!本当なら、楽しかるべき今宵に−」
「チェ、抜かしてろ」
 ジョーの本心は分からないが取り合えず食欲は満たされそうだし、ワインは予想以上に
美味く、心地よく空きっ腹に染みて行く。健はご機嫌でもう一度、チンッ!とグラスを鳴
らした。


 ジョーの故郷では " マンジャーレ " (=食べること)という言葉が " 生き甲斐 " とされ
るそうで、そのせいかジョーは口にする物にうるさい。まして今夜は念入りに吟味したに
違い無い物ばかりだったから、健は美味い美味いと子供が菓子を食べ散らすように、紙袋
の中の生ハムやらチーズやらを遠慮無くパクつき、注がれるままにグラスを重ねた。

 やがてポツリとジョーが呟いた。たぶん、ちょっとした負け惜しみだったろう。
「フン、代わりはいくらでも居らぁ。ただ金曜の夜になって連絡したって、そりゃ向こう
の相手に迷惑ってもンだろ?違うか、健?」
「ん?・・・どうして?」
 実のところ、健はあまり酒に強い方ではない。空きっ腹で酒に強いジョーのヤケ酒の相
手というのはやはり荷が勝ち過ぎるのか、早くも頬をほんのりと染めている。
「どうしてって、相変わらず無粋な奴だな、おまえは。いいか、俺が急に「会いたい」と
ある女に連絡したとしよう。だがその女はきっともう一緒に週末の夜を楽しむ男をキープ
済みの筈だ」
「なるほど」
「女は当然、俺からの誘いに乗り換える」
「だから、どうして?先約があるのなら、そっちを優先すべきじゃないのか?」
 何て勝手な女なんだ。ジョー、そんな女とつきあうんじゃない!と健は憮然とした表情
でグラスを呷った。いいから、聞け。論点をズラすんじゃねえよ、と言いながらジョーは
三本目の栓を抜き、二つのグラスを満たす。
「そこで俺が慮るのは、俺の気紛れで寂しい週末を送らなければならなくなる男の事だ。
なぁ、そりゃ些か惨めだと思わねえか?」
 はぁ・・・と潤んでいつもより青みを増した空色の瞳を瞬かせて、ジッとジョーを凝視
めていた健は、そうか!と微笑んで頷いた。
「そうか、男だな?ジョー、つまりおまえは相手の男が心配だと・・・」
 フッと苦味走った笑みをグラスに当てたままの唇に浮かべて、" 漢 " ってのはそういうも
ンだぜ、健、とジョーがボギーを気取った次の瞬間、健はけらけらと笑いながら、
「おまえがそンなに男好きとは知らなかったぜ!」
 と言い放って、うーん、守備範囲が広いなぁ、とまた盛んに頷いた。

「バーロー!誰が男好きなんだっ!」
「あれ?男が好きな男は沢山いるぞ。俺だって、よく誘われるもん」
 リノだろ、アルだろ、あそこの店の髭のマスターだろ、それからどこかのオッサンに知
らないオッサン・・・と健は指を折って真剣に思い出しているらしい。健は童顔だし、立
ち居振る舞いもどこか育ちの良さを感じさせるし、すらりとしてスタイルも良いし・・・
だから、さも有りなん、とは思うが内心穏やかでは無いジョーだった。
「おいおいおい、ちょっと待て、こら!」
「だからジョーも恥ずかしがる事は無いぞ。俺はおまえを嫌ったりしないぜ。さぁ、堂々
とセクシャルマイノリティーの権利を主張せよ!」
「誰が主張すっかよ!そうじゃねえ、そうじゃねえんだよ、いいか?薔薇も飾った、ワイ
ンも冷やした。それなのに女が来ないなんて、健、おまえ、そうなったらどうする?」
 んん−?・・・と、ふっくらと柔らかそうな唇を心持ち尖らせて、健は暫く考えていた
が、やがて、
「そうなったら、男らしく寝る!」
 と答えて、女も羨む長い睫毛を閉じてしまった。

「おい、健・・・」
 揺さぶってみたが、健は男らしく眠ってしまったようで目を開けようとしない。なぁん
だ、この酔っぱらいが!と頭を小突いてやったが、それでも駄目だ。チェッと軽く舌打ち
しながら、ジョーはカウチにくったりと伸びた健を抱き上げて、すぐ隣の部屋にある奴の
ベッドへと運んでやった。
「相変わらず酒に弱いな、おまえは。ほらよ、ちゃんとブランケットを掛けて寝るんだぜ」
 ドサリとシーツの上に投げ出したが、それでも健は目を醒まさない。
「う−ん・・・」
 上げた両腕の、なぜか左腕に片頬を擦り寄せるように微かに顔を傾げて、気持ち良さそ
うに眠りに身を任せている健を眺め下ろして、フフッとジョーは笑った。




「ふーん、なるほど・・・こいつは、そそられるぜ」
 そう言う趣味は無いが、綺麗なものは綺麗だ。しなやかな肢体を無造作にシーツの上に
投げ出して、ほんの少し開いた円い唇から健やかな寝息を立てる健は、確かに艶めいて色っ
ぽい。だが、リノやアルや髭のマスターやエドやイノウエや小太りのヴァイオリニストや、
どこかのオッサン達はこンなに無防備で、こンなに可愛らしい健を見た事はあるまい。
(ヘヘン、ざまあみろ!)
 ジョーは他愛の無い優越感に浸りながら、テーブルから開けたばかりのボトルを持って
来ると、健のベッドに腰掛けた。一人でマルサラ=アルコール分21度の今宵取って置き
のこのワインを味わうのは些か惜しい。眠ってしまったとは言え、美人の相方は居た方が
いいに決まっている。
「健、おまえ、こうしてると可愛いぜ。説教も垂れないしな」
 指を伸べて顔に掛かるチョコレート色の前髪を掻き上げてやると、健は身じろいで微か
に口元を綻ばせた。
「こらこら、そンな誘うような顔しやがると・・・犯しちまうぞ」
 と、顔を近づけたが、当然の事ながら健は起きない。
(おっ・・・これはもしかしたら・・・チャンスと言うのかも・・・)
 思わずムラッと来た。
−ここでナニもしなかったら男が廃るってもンだぜ、シニョール・・・−
と故郷名物のナンパなアモーレが背を押す。
「アモーレか・・・ふふ、ミ・アモーレ、健」  
 甘く囁くと気分が出た。軽く開いた唇にそっと接吻けると、マルサラの残り香が芳しく
て胸が高鳴り、今度はクラッと来てジョーは瞬いた。
「ううっ・・・」
 そもそも愛を交わすのに男も女も無いんじゃないのか?
(男が好きな男は沢山いるぞ)
 ブルネットをまさぐりながら唇を重ね、繻子のように白い肌を愛すれば、健だって熱い
吐息が応えてくれるんじゃないのか?
(俺はおまえを嫌ったりしないぞ)
 けっこう・・・守備範囲内なんじゃないのか?
(乾杯!楽しかるべき今宵に−)
 ああ、生き甲斐は Cantare ! Mangiare ! Amare ! だぜ、健!
 頭の中で、健の言葉がぐるぐるとリフレインして、クラクラした。
「だ、駄目だ、もう我慢できねぇっ!」
 ジョーは倒れ込むように健に覆い被さり、そしてそのまま・・・


「むっ・・・?」
 重い、誰かが伸し掛かって身体の自由を奪っている。
 くそっ、人が気持ち良く眠っていたのに・・・と健はムカッと来た。
「誰だぁーッ?」
 叫んで遮二無二、上半身を起こし、その元凶がぐっすりと眠り込んだジョーだと認識し
た瞬間、健は思い切り不機嫌になって怒鳴った。
「ジョー!何をしに来たんだ、おまえはぁ?ジョーーッ!」
 しかしジョーは何故かとても幸せそうな顔で深い眠りに落ちたまま、目を醒まさなかっ
た。恐らく美女との駆け引きと、深い霧の中での運転で相当に神経が疲労していたのだろ
う。そしてそれが立て続けに呷ったワインと勝手に盛り上がった官能で、一気に溶け出し
たのだろう。
 暫し、ワケが分からぬと言った表情を浮かべて、すやすやと眠るジョーを凝視めていた
健も、ちぇっと短く舌打ちすると、
「まあ、いいか」
 と呟いて、今度はその " 下 " ではなく、" 横 " に潜り込み、ほどなく再び健やかな寝息を
立て始めた。


 Buona notte !

Art By Phantom.G



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