illusive...

by さゆり




 ふと目を転じると雨がウインドウを濡らしていた。
 だが遮断されたこの空間にはその雨音も届かない。
 冷たさも濡れることの不快感も感じることはない。
 快適である筈のそれらが妙に勘に触る。
−チッ−
 舌打ちとともにそれまで努めて意識を集中させていたディスプレイモニタに「スリープ」をコマンドして、椅子の背に掛けてあった上着を掴む。
 歩み寄ると音もなくオートドアが開く。
 便利である筈のそれさえ妙に勘に触る。
 そしてドアの向こうには…
「へぇ、まだそこで待っていたのか?」
 「そこで待て」とコマンドし、そしてそれを解除していないのだからそこにいるのは当然なのだし、それが当然だと解り切っているのだが、俺は口元を歪めてあいつにそんな言葉を投げつける。
「ははは、律儀なことだな。以前のおまえからは想像も出来んよ」
 皮肉な嘲笑を浴びせる俺を、しかしあいつはただ黙って見ている。
 以前と少しも変わらぬ海の色をしたその瞳に戸惑ったような色が浮かび…いや、そう思うのはたぶん俺の錯覚か、もしくは願望なのだろう。
−クソッ!−
「何をしている?さっさと付いて来い!」
 頷いてあいつが足早に歩く俺を追って動き出す気配を背中に感じながら、俺は "誰に" かも "何に" かも解らぬ罵りの言葉を空しく口の中で繰り返す。
−ちくしょう!クソッ!−
 と…。

 雨に濡れた林立する摩天楼群は陰気な墓石のようだ。
 悄然と立ちすくむ無機質な墓石がバックミラー越しに少し遠離ったのにホッとして、俺はシティの片隅にある猥雑なエリアで車を停める。ドアを開けると雨の匂いに混じって微かに甘酸っぱい "ヒト" の匂いが鼻孔をくすぐる。そして押し開けた一軒の店のドアの隙間からは喧しい音楽と生暖かい空気が流れ出す。
「来いよ」
 その中へと身体を捩じ込みながら俺は振り返らずにあいつを呼んだ。呼ばずにいればあいつはずっとナビシートにいやがるし、「車の番はしなくていいぞ」と言えば店の前に突っ立っていやがるからだ。
「よお、久しぶりじゃん?」
「ねえねえ、彼、誰?」
 へぇ、おまえのセックスアピールは健在らしいな、そンなになっても…と俺は妙にそれが可笑しい。
「あんたのダチだろ?な、座れよ。一緒に飲もうぜ」
「ふふふ、グラスを取って座れよ。失礼な奴だな、まったく」
 酒と煙草と喧しい音楽とくだらない冗談にただ過ぎて行くだけの時間−
 そうしたものに抱かれているとほんの少しだけ、現実を忘れることが出来る。
 嬌声といやらしい言葉と薄暗いライトとドラッグに見失うだけの時間−
 そうしたものが必要になるとは思いもしなかったほんの数年前と同じ "顔" をしたあいつがいる。悄然とするでもなく、共に興じるでもなく、ただそこにいて俺だけを凝視めている。
「なあ…」
 男が俺の首筋に舌を這わせながら「いいだろ?」とファックしたがっているのを、
「ねえ…」
 女があいつの太股を撫で上げながら「抱いて」とファックされたがっているのを、
 あいつは無機質にただ受け止めている。
−チッ−
 どうしようもない苛立ちが俺を襲う。
「来い」
 腰に腕を回されたまま誘われた一室へとあいつを呼ぶ。
「きゃ〜、3Pってワケ?」
「混ざるか?」
 うん、と頷いて付いて来た女に俺は、
「そいつをエレクトさせたら10万クレジットやるぜ」
 と言った。
 「えー、本当?」「どういうことだよ?」と男と女が−"生きてる" ってだけの享楽的なくだらない奴らが目を丸くする。いや、ちょっとした賭けさ。目の前で俺が抱かれても、可愛い子ちゃんにしゃぶられてもクールなままでいられたら、あいつの勝ちで俺があいつに10万クレジット支払うんだ。だけどあいつがホットになっちまったら俺の勝ちで懐に10万入るってワケ。でも俺は金なんか要らない。だからそっくりそのまま、あンたらにやるよ。どう?トライしてみるかい?
 そう言いながら、俺は極上の笑みを浮かべて二つの欲望に目をぎらつかせた男の腕に身を任せる。へへへ、うんとこさ見せつけて勃たせてやらあ、と男は言い、任せておいてよ、と女があいつのジーンズのジッパーを引き下げる。
「動くんじゃない」
 コマンドに従い、あいつは壁際に佇立したままで女の赤いルージュを引いた唇があいつ自身を含むのを微動だにせず受け止めている。そうしてあいつは無機質な瞳で男が俺を愛撫する様を、そうされて俺が淫らに息を弾ませて行くのをジッと凝視めている。
(なあ、声を聞かせてくれよ)
 激しさに上げそうになる声を押し殺すたび、あいつはそう言った。
 そう言って、さらに激しく熱く、でも限りなく優しく俺を愛した。
(俺はおまえの声が好きだぜ)
「あっ、う…ああ」
 ほら、聞けよ。おまえが好きだと言った俺の声だぜ。
 深く挿入された男のモノにいやらしい喘ぎ声を上げながら、俺はあいつを凝視め返す。
 海の色をした瞳が波立ちはしないか、と有り得ない願望にすがっていれば、俺の体内を穿っている熱く濡れた硬いそれをおまえのモノ−と錯覚する事が出来る。
 ほら、見ろよ。おまえがファックした俺の身体だぜ。
 見ろよ!見ていろよ!見ていてくれ…よ、ジョー!

「ダメだわ。ねー、どうしてエレクトしないのよぉ?」
「ちぇ、下手なンじゃねーの?おまえ」
「何よ、そっちは愉しんだんだからイイじゃないの!あ〜あ、儲け損なっちゃった」
「残念だったな」
 でも賭けは賭けだ。10万クレジットの事は忘れてくれよ、と未練たっぷりの二人を冷たくあしらいながらシャツに手を伸ばす。
「10万か−」
 無防備に向けた背越しに男がそう唸ったのを聞いて、俺はほくそ笑んだ。
 ふふふ、来いよ。おまえらにとっちゃ10万は大金だろ?と。
「動くな!」
 ほら来た。
「おとなしく金を出しな!」
 ショボいジャックナイフか、とそいつの得物を値踏みする間もなく、そのナイフは床に落ち、そしてその持ち主も床に叩き付けられて悲鳴を上げる。女の金切り声を手の平で塞ぎながら俺は、
「よせ!殺すんじゃない」
 と、すでに殴り倒した男に止めを刺そうとしているあいつを制止する。
「ヒッ!」
「賭けは終わりだと言ったろう?命が惜しかったら馬鹿な真似はやめとけよ」
 恐怖に引き攣った女と伸びちまった男を廊下に叩き出すと、俺はあいつに向き直った。
「馬鹿。おまえには分別ってものがないのか?」
 瞬いてジッと俺を凝視める瞳には一点の曇りも翳りもない。
 "俺に敵意を見せる者は排除する" −そう、あいつは忠実にそれを実行したのだから−。
 あいつの存在理由である筈のそれが妙に勘に触る。
 そんな存在理由である事自体が無性に腹立たしい。
「くそッ!」
 手を伸ばしてあいつの前髪を鷲掴みにし、引き寄せてその唇に唇を重ねる。
 あいつの唇はほんの数年前と、俺が知っているそれと、少しも変わらない。
 あたたかく乾いた感触そのままに、しかし決して応えることのない接吻け。
 苛立つほど動かぬあいつの舌に俺は狂ったように舌を絡ませて吸い続ける。
 …ジョー
 唇を放して、俺はあいつの右手を取るとナイフを握らせる。
 おまえならばこンなナイフでも一突きでヒトを殺せるよな。
 決して俺のコマンドに逆らう事のないおまえ。ならば…
「殺せッ!」
 
 ふ、ははは…
 あーははは!
「ちくしょう−っ!」
 狂ったように笑い出し、そして突き飛ばした身体が壁にブチ当たってもあいつは平然と体勢を立て直して静かな海の色の瞳で再び俺を凝視める。何事もなかったかのように、ただそこにいて俺のコマンドを待っている。
 解っている。解り切っている。
 おまえが俺を殺す事など有り得ない事なのだ、と…
 決して俺のコマンドに逆らう事のないおまえなのに、おまえは俺が望む事にはひとつも応えやしないんだな。
 解っている。解り切っている。
 だけどそれが無性に勘に触る。
 …ジョー
「帰るぞ、来い」
 外は夜と雨の帷に抱かれて朦朧としている。
 絹糸のような雨に紛れて俺の頬を伝う涙は、
 …ジョー
 おまえのものなのか?俺自身のものなのか?
 …ジョー
 幻のユートピアに生きている事が勘に触ってしょうがない。


illusive... to yu-jinさん!



.....THE END



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