JOE said −It was ages ago (1)

by さゆり


「痛いか?」
 俺は白い肌にまだ生々しく残るその傷痕を消毒しながら恐る恐る訊いた。
「いや、もう痛く無いさ」
 ケンは笑顔でそう答えてくれたが、その傷痕は相当に酷い。よく腕が落ちなかったもの
だと・・・いや、よく死ななかったものだと思うほどの傷だ。きっとまだ暫くはしつこく
痛んでケンを苦しめる事だろう。あの時、左の肩口から入った白刃は、一瞬で鎖骨と鎖骨
下にある動脈と静脈と、それらを包む筋肉組織やら複雑な腕神経叢やらを断ち切った。そ
して、そのまま何分の一秒か後には、肋骨とともに大動脈と気管と肺、そのすぐ下にある
心臓を両断する筈だった・・・そう、俺がやった事だ。だから誰よりもよく分かる。
 だが、俺の中の " 俺 " が−ややこしい言い方だが、そうとしか言いようがない−それ
を止めた。俺の中に眠っていた " 俺 " が下した「制止」と、純粋に攻撃を「続行」しよ
うとするサイバネティクス部分との間に来たした「齟齬」は、俺の強化された神経系や筋
組織をショートさせ、一瞬フリーズさせるほど、激しいものだった。
 フリーズの後、俺ははっきりと「覚醒」し「認識」したのだ。
 オレハ、ジョー。コイツハ、ケン、ダ・・・と。

「なあ、ジョー、髪を切ってくれよ。鬱陶しくて適わないんだ」
 ケンの左腕はまだよく動かない。痛く無い、と強がったところで動かないものは誤魔化
しようがない・・・シクッと胸が痛んだ。だが、 " あそこ " では髪の事など一言も言い
やしなかったのに、とあいつが救急箱の中から取り上げたステンレスの鋏を受け取りなが
ら、俺はそんな事が妙に嬉しくもあった。もうここはあの " 部屋 " では無い。医者もス
タッフもいない。だから俺がケンの手当てをしている。
 俺はケンを殺さなくて良かったと思う。
「ベッドで髪を切れって?おい、誰が掃除すると思ってるんだ・・・さあ、切らなくても
こうしておけば邪魔にならねえだろ?」
 大袈裟に眉を顰め、軽口で応酬しても、俺はこうしてケンと居られる事が嬉しいのだ。
そして、これまでのつきあいの中で見た事も無いほど、長く伸びたあいつの焦茶色の髪を
束ねてやりながら、俺はさっきの思いを反芻する。
 ケンヲ、コロサナクテ、ヨカッタ・・・と。
「な、どうだ?」
 少し冷たい滑らかなあいつの髪がとても愛おしい。
「ちぇ、女みたいだ。それに包帯を巻くのにも邪魔だろ?」
 あいつは子供の頃そのままに唇を尖らせて見せる。その表情がとても懐かしい。
「いや、大丈夫さ。ふふ、似合うぜ、ケン」
 と、笑ってもう取り合わずに包帯を巻き始めたので、それ以上は何も言わなかった。あ
いつは俺の性格を誰よりもよく知っているのだ。

「痛いか?」
 俺は同じ問いを繰り返した。
「いや、もう痛みは−」
 ケンも同じ応えを繰り返そうとし、だがそこでフッと微笑むと、
「いや、少し痛い。動かそうとすると、少しな」
 そう言って、俺の前髪をクシャリと掻き回しながら、心配するなよ、ジョー。今に動く
ようになるさ・・・と言ってくれた。胸の痛みが少し消えたような気がして、俺はホッと
息を吐いた。大丈夫さ、と言う代わりにあいつは急に、
「腹が減ったな。食い物はまだあるのか?」
 と、言い出した。ケンはこういう時の雰囲気の切り替えがとても巧い。俺はその言葉に
釣られて、とにかく食えればいいと一昨日買い込んで来た食料の残りを思い出す。
「冷凍のピッツァ、冷凍のイチゴ、冷凍のアイスクリーム・・・」
 そうか、と頷いて、ケンはベッドからゆっくりと立ち上がった。
「ケン、無理をするなよ。俺がやるから−」
 慌てて抱き止めようとしたが、ケンは思いの外、素早い動作で俺の腕を躱すと少し得意
そうな笑みを浮かべて言った。
「冷凍のピザをマイクロウエーブに入れて、冷凍のイチゴを皿に出して、冷凍のアイスは
そのまま。それからさっき落としたコーヒーを温める・・・そのくらいは俺にも出来るさ」
 ここは " あそこ " じゃないんだから、当たり前の事くらい自分でやらなきゃ、とケン
は言う。それくらい一人で出来なくてどうする。おまえが居ない時だってあるだろうし−
「いやっ!」
 俺は思わず大声でその言葉を否定して、キッチンへ行きかけたケンを止めた。
「ジョー・・・?」
「ケン、俺はずっとおまえと居るんだ、何処へも行きやしねえ。だから−」
 モウ、ハナレナイ。ズット、イッショダ・・・と。

 夢中になって抱き上げて、遮二無二ベッドに連れ戻すと、ケンは、
「馬鹿だな、ジョー」
 と笑いながら、また俺の前髪をクシャリと掻き回した。買い物に行ったり、何か用事で
出掛けたり、って事もあるってだけさ。だから、
「心配するなよ、ジョー」
 優しい声で言いながら、ケンはジッと俺を見詰めた。いつの間にか夕暮れの薄暗さが忍
び込んだ部屋の壁に、暖を取るために入れた小さな暖炉の火があいつの影を映していた。
そして、綺麗に澄んだその空色の瞳には俺が、俺だけが映っていた。
「ジョー、俺を放さないでくれ。何処にも行かないでくれ。もう二度と・・・」
 瑠璃の鏡に映る俺は、笑っているような怒っているような顔をしていた。
「俺はおまえのために・・・」
 イキテ、イキヌイテ、ミセル・・・だから、
「ジョー、おまえも・・・」
 そう言うケンの顔も、笑っているんだか怒っているんだか・・・俺はあいつのそんな想
いがたまらなく愛しくて、痛むんじゃないかと思いながらも、俺が負わせた傷痕ごとあい
つをきつく抱きしめた。
「ケン、もう何処にも行きやしねえ。絶対におまえを放しやしねえ。もう二度と、ケン、
俺はお前を・・・」
 シヌマデ、コウシテ・・・いや、
 シンデモ、オマエヲ、ハナシハ、シナイ・・・、
 モウ、ニドト・・・。

 −夕暮れの記憶 /" あそこ " を出、とある海辺の小さな別荘に辿り着いて三日目−


- to be continued -

 



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