Mr. Moon Light

                       by さゆり。

「何をするんです?」
 眉を上げてきっぱりとそう質したものの、健の唇が微かに震えているのを島田は見逃さ
なかった。そうか、やっぱり「何を」されるのかは、分かってるって訳か・・・ジョーは
「そんな事あるもんか!」と否定したが、それは彼の希望的観測に過ぎなかったようだ。
「野暮な事は言いっこ無しにしませんか?」
 掴んでいた手首を素早く切り返して、もういい加減長いこと、誰も使っていない旧式な
ベッドにそのしなやかな身体を叩きつけると、スプリングがギシリと大袈裟な悲鳴を上げ
た。やはり錆びているのだろう。窓も戸口も厳重に閉ざされてはいるが、海がすぐ下にあ
るのだから潮風の影響は強い筈だ。

「ここへ来るのは何年ぶりですかね?あの頃、あなたはとっても可愛い坊やで・・・」
「は、放さないと、解雇される羽目になりますよ。」
「そいつは困るでしょうなぁ。いえ、俺じゃなくて、博士が、ですよ。」
 そう、あの頃から比べれば随分と大きくなったけれど、あなたはまだまだ可愛い坊やだ。
ほらね、俺の手から逃れる事も出来やしないし、憎まれ口も声が震えては効果ゼロ。
「大人しくしているのなら縛らないであげますが、どうします?」
 シュッ、と鋭い音をわざと立てて抜いたシルクのタイをこれ見よがしにかざしてそう訊
き、重ねて、
「いつもと同じに出来るなら、縛る必要なんて無いんですけれどね。」
 そう追い打ちを掛けると、
「巫山戯るなっ!」
 と、案の定な反応を見せて、片手で無造作に押さえ込んでいた若い肢体がまるでバネの
ような弾性で跳ね上がり、素晴らしい速度で反転する。チョコレート色の髪がそれにつれ
てふわり、と舞った。
(よし、いいぞ。)
 島田はにやりと笑うと、予測通りの反撃を仕掛けてきた若造の腹をその重い拳で強か殴
りつけた。
「くぅ・・・」
 熟練した拳の、狙い澄ました一発の効果は大きい。一声だけ呻いて、健は陽焼けしたカ
バーの上に長まった。苦しそうに眉根を寄せてはいるものの、僅かに開いた円い唇と頬に
陰を落とすほどに長い睫毛は、かつてこの古い別荘で初めて会った時と少しも変わらぬず
に、その顔を幼く見せた。
「いつ見ても、あなたは本当に可愛い顔をしてますね。」
 言いながら、その身体を仰向けて薄青いシャツのボタンを外して行く。あの人もこうや
って服を取るのだろうか?それとも、あなたは自分でそれをするのだろうか?・・・ふと、
そんな事が脳裏に浮かぶ。ジョーはいつも剥ぎ取るようにシャツを脱ぎ捨てる。彼は驚く
ほど自分に正直で、自分が求めるものに対しても率直に行動するが、さて、嘘つきのあな
たはどうするんでしょうね、健?・・・もうあなたが得意な駆け引きも出来やしませんよ
・・・と、生意気な少年を覆っていた衣服を取ると、思っていたよりもずっと男っぽい身
体が出現した。痩せてはいるが、発達した筋肉にバランス良く包まれた美しい身体だった。


(美しいな・・・。)
 島田はそう思った。
 黄金色のしなやかなからだ。それよりもずっと眩しい無垢なこころ。
 それは、自分がもうとうの昔に失ってしまった無辜なるもの・・・。
(が、仕方あるまい。)
 苦々しい思いに眉を顰めて、陽焼けしたカバーを乱暴に捲るとその下のリネンは白いま
まだった。その清浄さに何故かほっとし、無邪気とも見える顔で目を閉じているその身体
を白いシーツに横たえると、島田はその首筋にそっと唇を押し当てた。
「う・・・」
 と、微かな声。そして、微かな抵抗。
 しかし島田はそれらを無視し、自分がジョーにするように、或いはあの人が健にするよ
うに、白く肌理の細かいその素肌をゆっくりと愛していった。きっとあの人は、日常と少
しも変わらず紳士的に、そしてこの上なく優しくあなたを扱うのだろう・・・。それに応
えて、あなたはどんな顔を見せるのだろうか?そして何を思うのだろうか?・・・ひくり、
と敏感に反応する肉体の変化を両手と唇で受け止めながら、島田はジョーを思った。
(同じだ。あなたも、ジョーも。ふふ、ちっとも変わらないな。)
 唐突にそんな思いが沸き上がり、少しも似ているところなど無いと看做していた、健と
ジョー、この二人の類似性を改めて肯定している自分に、少しだけ驚く。いや、あなたが
ジョーと実はそっくりだと言う事はとっくに知っていたのかも知れないな、と島田は口の
端で笑った。そして、甘やかしているのは、あの人と俺の、果たしてどっちなんだか?・
・・と、そんなやや自嘲的な疑問を振り払うように、ただしなやかなその身体を愛する事
だけに没頭する。

「あ、ぅ・・・」
 やがて、僅かに眉を寄せ、熱く、しかしさらりと乾いていた素肌にうっすらと汗を浮か
せた肢体が身じろいだ。無意識のうちにも背けていたその愛らしい顔を今は縋るように島
田に向け、うっすらと開いた目蓋が覚醒と快楽を求めて震えている。
(頃合、か。)
 やっ、と活を入れると大きな空色の瞳が二度、三度、瞬いた。
「な・・・っ!」
 瞬間的に状況を飲み込んだのか、健は素早く飛び起きようとしたが、それはシルクのタ
イと彼自身のバンダナによって遮られた。
「やはり大人しく出来ないんですね。縛っておいて正解だったな。」
 冷ややかに笑いながらも、島田は愛撫の手を休めようとしなかった。気を失ったままの
くたん、とした肉体とはまるで別物のように全身の筋肉がきりり、と緊張し、スプリング
がまた悲鳴を上げる。ベッドの古風な支柱に縛り付けた両の腕にぎりっと力が入り、健は
少し背を反らせて荒い息を吐いた。
「何故こんな事をするんです?解いてください!・・・手を・・・うう・・・」
 そう喚いた語尾が弾む息遣いの中に滲む。こんな時にまで自分に敬語を使う健がいじら
しい。あの人に抱かれる時の癖だろうか?どんなに乱れてもきっとジョーのように乱暴な、
だが素直で可愛い口を利いたりはしないのだろう・・・。
(可哀想だな。)
 そんな感傷が脳裏を掠め、島田は左手の戒めを解いてやった。利き腕ではないので、大
した抵抗は出来まい。単なる自己満足か憐憫に過ぎなかったが、島田がさらに激しく身悶
えするその身体を愛し続けると、健は自由になったその腕で首に縋りついて来た。時間を
かけて追い込まれた若い肉体が、意識とも意思とも関係無く、行き着く先を求めてひたす
ら健を駆り立てているのだろう。それが屈辱と羞恥心を凌駕する瞬間を見せつけてやりた
くて、だから、島田はわざと健を目覚めさせた。
「く、嫌だ!いやだぁ!」
 涙を浮かべて訴えた言葉を無視して、島田はよく引き締まった足首を乱暴に引いた。
「健、世の中にはね、嫌だ、と言ってもどうにもならない事もあるんですよ。」
 ハッ、としたように見開いたその瞳が、いつの間に昇ったのか、仄白い光を投げる月明
かりに青く青く輝いている・・・。
 健は一度だけ鋭い叫び声を上げた。
 
「あの人に仕込まれただけあって、行儀がいいんですね。」
 荒い呼吸にまだせわしなく胸を上下させている健の傍らに腰を下ろして、島田はその瞳
をじっと覗き込んだ。つい、と背けた頬には涙の跡・・・、そして怒ったように尖らせた
唇には血の痕があった。
(辛いなら、息を吐いて声を出しなさい。)
 しかし、健はもう声を立てず唇をきつく噛むばかりだった。島田がその太い親指で抉じ
開けなかったら、或いは唇をひどく噛み裂いてしまったかも知れない。
(さぁ、これを噛んで・・・。)
 と、自らの指を与えると、少年の健康な歯が、ぎりっ、と無骨な指を骨が軋むほど噛み
しめ、だが次の瞬間にはもうそれさえも拒んで唇を閉ざした。いい根性だ、と島田もその
強情さに情けを捨てた・・・。ぎしぎしと鳴る、耳障りなスプリングの軋みを無粋なBG
Mに、やがて肉体はピークに達し、そして微かに漏らした喘ぎとともに・・・。
「どうです、嫌いな男に抱かれた気分は?まさか初めて、じゃないですよね?」
 島田はうっすらと血の滲む唇にくちづけようと顔を近づけ、からかうように薄笑いを浮
かべた。が、健は無言のまま、つい、とそれを避ける。思った通りの反応を見せる健に満
足し、だが若干の胸の痛みを覚えながら・・・いや、そもそもそれが油断だったのだが。
「俺が憎かったら、これで撃ちなさい。遠慮は要りませんよ。」
 と、ホルスターからS&Wを抜くために俯いた島田はそのままフリーズせざるを得なくな
った。
「・・・!」
 その首にそっと当てた健の左手指には、いつも島田がYシャツのカラーの後ろに隠し持
っている剃刀の刃が挟み込まれていた。それは何の変哲も無い極々薄い、当たり前の替え
刃だったが、もし健が少しだけ力を入れて横に払えば、自分の頸動脈は確実に切断される
だろう。
 動くに動けず、だが目を上げれば、憎しみに青く燃える瞳が信じられないほど美しくて、
島田はじっとそれを見つめ続けた・・・。と、健はふっ、と微笑んで、鋭利な剃刀の刃を
首の皮膚から離した。


 幼さの残る横顔を見せて、健は少し俯いたまま白いシーツの上で膝を抱えている。
「あなたの手癖の悪さには呆れますよ。」
 もうきっちりとタイを締め直して、目立たぬ色の上着を羽織りながら、それでも島田は
比較的明るい声で大袈裟に嘆いてみせた。健は何も言わないが、左手を解いてやった時に
さり気なくカラーからあれを抜き取っていたに違いない。つまり、健はいつでも形勢を逆
転出来る切り札を持っていた訳だ。ならば何故、健は俺に抱かれたのだろう?・・・あな
たはそれを話してくれるだろうか?・・・島田が窓辺から振り返ると、可愛くないその少
年は顔を上げて、
「今夜は満月だったんですね。」
 と、まったく関係の無い事を言い、可愛い笑顔を見せた。
「そのようですね。」
 そう相槌を打ちながら、島田は悔しいがやはりあの人の方があなたをよく理解している
ようだ、と思った。いや、きっと健だけでなく、ジョーに関しても・・・。
 
健にリーダーは務まらない、と言った自分。必ず務まる、と言ったあの人。
健にそれを課すのは反対だ、と言った自分。仕方があるまい、と言ったあの人。
 
 要らぬお節介だったか、と島田は軽く肩を竦めた。まったく、どっちが甘いんだか。
「すみませんでしたね、健。もう二度とこんな真似は・・・」
 が、その言葉を遮ったのは健の唇だった。
「・・・?」
「次の満月にも、またここへ連れて来てくれますか?」
 もうすっかり高くなった明るく仄白い月を見上げて、島田はひとり微笑んだ。
「ええ、連れて来てあげますよ。今日みたいにあの人とジョーが出掛けていれば、ね。」


- The End -


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