My little worries

by さゆり


「ケン・・・、おい、ケン」
 無造作にシーツを引っ被っただけの肩を軽く揺さぶって、俺はそう呼び掛けたが、案の
定、ケンは目を醒まそうとしなかった。
「おい、ケン、起きろよ」
 もう一度、同じ動作を繰り返しながら言ってみたが、やはりケンは目を醒まさない。
ぴたりと閉ざした長い睫毛が、窓から差し込む少し傾いた月の明かりに頬に影を落として、
少しだけ、ほんの少しだけ開いた上と下の口唇がまるで微笑んでいるように見えた。そし
て、ゆっくりとした深い呼吸。
「ちぇ、寝ちまったのかよ?」
 舌打ちしてそう言ったものの、安心し切ったその寝顔に俺はホッとした。白いピローの
上に緩やかに流れるチョコレート色の髪にそっと接吻け、そのまま息を吸い込むと、あい
つが愛用しているシャンプーの香り−−何だかちょっと甘過ぎて俺自身は使う気になれな
いが、ケンには妙に似合っている−−に、少しだけ汗の匂い−−せっかくブローしたばか
りの洗い髪にまた汗をかかせたのは、他ならぬ俺なのだが−−が混じって、だけどケンの
匂いは哀しくなるくらい微かなものだった。
(・・・ケン)
 今度は声を出さずにもう一度、名を呼び、俺は改めてその可愛らしい寝顔を見つめた。
可愛らしい−−そんな風に言うとおまえはガキの頃からムキになって怒るけど、ケン、お
まえはちっとも変わらねえや。ほら、今だって本当に無邪気な、天使様みたいに可愛らし
い顔して寝てやがるぜ。
 ケン、憶えてるか?
 おまえが俺の傍らで、こんな風に眠るようになった夜の事を。
 あれは、そう、もう十年くらい前の事だったな・・・。


 俺達が一緒に暮らすようになって一年ほど経った頃、入院していたケンのマーマが天に
召された。ずっと病気だったとかでガキなりに覚悟していたのだろう。葬儀が終って帰っ
て来たケンは涙を見せる事も無く、いつもと変わらず明るく振る舞い、大人達はそんなケ
ンを立派だの偉いだのと褒めたが、俺にはちっともそう思えなかった。
 だけど、当時、俺はケンとそう親しくなかった−−信じられないかも知れないが、事実
なのだ−−し、何分俺はひどくシャイなガキだったので、どうにかしてやりたいと思って
も、何をどうしてやれば良いのかさえ分からなかった。ただ明確に感じ取れたのは−−た
ぶん、ケンの寂しさ−−そう、親を亡くした寂しさだったのだと思う。
 あの夜、使用人が全員出払って俺達は二人きりで、そして何故だったかは忘れたが俺達
はケンのベッドに寝転んで、一緒に雑誌を読んでいたんだ。
「ケン」
「うん?」
 読みかけの雑誌から顔を上げたおまえに、俺は言った。
「ケン、泣きたかったら、我慢せずに泣けよ」
 葬儀から少なくとも一月は経っていたと思うのだが、俺は言い出したくて、でもずっと
言い出せずにいたその言葉をやっと口に出来たのだった。唐突な俺の言葉に一瞬、えっ、
と目を丸くしたケンは、だが不思議なくらい素直に、
「うん」
 と頷いて、雑誌を放り出してころりと仰向けに転がると、やがて天井を凝視めたままポ
ツリポツリと喋り出した。
「ジョー、お母さんが死んじゃった」
「うん、そうだってな」
「俺、もうお母さんには会えないんだね」
「ああ、そうだな」
「でも何だか信じられないよ。お母さんがもうどこにもいないなんて・・・お母さんは、
 まだ病院にいるんじゃないのかな?病院に行けば、会えるんじゃないのかな?だって、
 俺、信じられな・・・」
 声を詰まらせたケンの青い瞳から、大粒の涙があふれて頬を伝った。
「ケン、もっと泣けよ、泣いちまえよ。その方が−」
 楽になるんだ。だから、泣いてくれよ、ケン・・・そんな事を繰り返す俺にしがみつい
て、おまえは声を上げて泣いた。「お母さん、お母さん」と、わぁわぁ泣いては、縋るよ
うに俺にしがみつき、俺はそんなおまえを抱きしめて、やがてそうしているうちに、俺達
はそのまま眠っちまったのだろう。
 夜半、ふと目を醒ました俺は何とも言えない心地よい温もり−−ケン、おまえが傍らで
寝息を立てている事を知り、ひとり阿呆みたいに微笑んでしまった。無邪気な、天使様に
似た可愛らしい顔を俺の肩に擦り寄せるようにして眠っているおまえの頬に、俺はそっと
接吻けて、大急ぎでまた目を閉じたっけ。
 夢なら醒めないで欲しかったから。
 やっと見つけた魂の片割れを、せめて一時だけでも
 この腕に抱きしめて、暖めてやりたかったから・・・。

「ケン・・・、おい、ケン」
 俺は再びそう呼んで、白いシーツの包まれた肩を軽く揺さぶったが、やっぱり、ケンは
目を醒まさなかった。
「おーい・・・」
 半ば揶揄うように耳の中に呼び掛けると、ケンはいかにも煩そうに眉を寄せて、くるり
と寝返りを打って背を向けた。俄に空いたおまえとの距離が二人の間に籠っていた温もり
を逃がし、そしてまだ充分に明るい傾いた月の明かりが見たくもないモノ−−おまえの背
に刻印された、あの鞭の痕−−を曝け出したので、俺は慌てておまえの背を抱いた。
 ケン、許してくれるか?
 俺がおまえのこの傷痕から無理矢理、血を流させた夜の事を。
 あれは、そう、あの事件の直後の事だったな・・・。


 俺達が一緒に戦うようになって一年ほど経った頃、行方知れずだったケンのパーパが大
空に散った。酷い事にずっとパーパを探し続けていたケンの目の前で・・・だ。
 やり場の無い憤りに突き動かされ、おまえはおまえの本質であるはずの正義感さえかな
ぐり捨てて、憑かれたように仇を追った。ギラギラと怒りに血走った目や、激しい憎しみ
を露にした様はゾッとするほど恐ろしくて、そして・・・そうした姿は、この俺、そう、
まるで鏡に映した俺自身を見るようで、我慢ならぬほど醜く、たまらないほど厭だった。
もちろん両親が撃ち殺されるのをこの目で見た俺には、ケンの哀しみや怒りがよく分かっ
た−−いや、もしかしたら同じ境遇の俺にしか理解出来なかったのかも知れねえ−−が、
だけど俺はそれを理由に復讐に狂うおまえを黙って見ちゃいられなかったんだ。

 あの夜、俺は「何の用だ?」と、あからさまに嫌な顔を見せたおまえを無視して、
「なぁに、一緒に祝杯を上げようと思ってね」
 と、持参のバーボンを掲げてズカズカと入り込んだ。乱雑なデスクの上には既に半分以
下に減ったボトルやら飲みかけのグラスやらがあった。
「なんだ、飲ってたのか。まあ、こんな時には酒でも飲まなきゃ眠れねえものな」
「祝杯だって?ジョー、親父が死んだってのに、祝杯とはどういうつもりだ?」
「フン、そう気色ばるなよ。とりあえず乾杯だ」
 新しくバーボンを満たしたグラスをケンの手に押しつけ、
「地球を救った勇敢な親父さんと、その復讐を誓う健気な息子に!」
 チンッ、と派手にグラスを鳴らしてやった。くっ、と眉を寄せてますます表情を固くし
たが、それでもおまえは自棄っぱちな態度で一気にバーボンを喉に流し込んだ。俺は更に
酒を注いでニヤリと笑いながら言った。
「へへへ、ケン、俺は嬉しくってたまらねえのさ」
「嬉しい?」
「ああ、そうさ。俺達の目的がやっと一緒になったんだ。なあ、ケン、おまえの気持ちが
 分かるのは、同じように親を殺された俺だけさ。もうチームワークなんざ糞食らえだ。
 これからは二人でやりたい放題暴れようぜ!それに、もう俺も「私情に走るな」だの何
 だの、おまえに煩く説教されずに済むからな、まったく嬉しくてたまんねえや」
「違う!ジョー、俺は何もそんなつもりで−」
 だが、痛いところを突いたのは明らかだった。ケンは何よりも正義感と責任感が強く、
任務の二文字に私情を差し挟むことなど許しやしなかった。だが、ケンは父親への思慕と
いう極めて甘い私情に躓き・・・その代償はあまりにも大きく・・・そして、ケンは冷静
にその全てを−−自分のミスである、という苦い事実を理解していた。だからこそ、あん
なにも自暴自棄になっていたのだろう。
「へん、あんな勝手をやっておいて、今さらイイ子ぶる事はねえだろ。だがな、ケン、親
 の仇討ちに綺麗事なんざ要らねえのさ。もうおまえも正義だの任務だのってお題目に振
 り回される必要は無いんだぜ」
 くそっ、と口唇を噛んで項垂れたおまえに、俺は更に追い打ちを掛ける。せっかく塞が
りかけた傷口だが、このままにしてはおけねえ。そう、どんなに痛い思いをさせようとも、
穿り返して、中に溜まった膿を出しちまわないと傷は本当には治りゃしねえ。
「へへへ、それに、ケン、おまえ自身の復讐ってのもあるんだろ?」
 意味ありげに俺が笑ったのを見て、おまえは驚いたように顔を上げた。
「それは・・・それは、どういう意味だ?」
「なぁ、ケン、おまえ、奴らに何をされた?」
「え・・・?」
 と、瞬いたケンの手首を素早く掴んで目の高さに引っ張り上げた。
「・・・な、何を言ってるんだ・・・ジョー、放せよ・・・放せったら−」
 手首に残る真新しい傷痕−−拘束され、吊されたその痕を突き付けるようにしながら、
俺はニヤニヤ笑ってゆっくりと訊いた。おまえが一番訊かれたくない事を、俺はわざと訊
いて、手荒くシャツを引き毟った。
「へへ、鞭でさんざん打たれた後で・・・おまえ、何人に輪姦された?」
「・・・!」
 怯えたように目を見張って、おまえは無言のまま頭を振ったっけ。違う、と言いたかっ
たのか?よせ、と言いたかったのか?・・・たぶん、その両方だったろう。だが俺はおま
えをソファに押し倒して、そのまま強引に身体を重ねた。
 押し殺した悲鳴と微かな抵抗が、おまえの傷の深さを物語っていた。
 それでも涙を流さぬ空色の瞳が、おまえの凍りついた心を映していた。

 ほとんど抵抗もせぬおまえを手酷く苛み続けていると、やがておまえは呻き声の合間に、
「助けてくれよ、父さん・・・俺を助けに来てくれよ」
 と、譫言のように呟いた。
「ケン、なぜ逃げなかった?おまえなら、こうされる前に逃げられた筈だぞ」
「確かめたかったんだ」
「何を?」
「父さんが俺を・・・本当に、俺を助けに来てくれるかどうかを−」
「ケン、おまえ・・・」
 俺は思わず絶句して、乾いた視線をどこか遠くに置いたまま、まるで他人事のように言
葉を続けるケンを見つめていた。
「あいつら、俺は父さんを誘き寄せる餌なんだと言った。もし、あいつらの言うスパイが
 本当に俺の父さんなら、きっと父さんは俺を助けに来てくれる。何があっても、きっと
 来てくれる筈だと思って・・・だから、俺・・・」
「そうか。それで、おまえは・・・」
「ああ。でも、そのために・・・俺の−−俺のせい・・・で−」
 声を詰まらせたケンの青い瞳からは、大粒の涙があふれて頬を伝っていた。
「ケン、泣けよ、泣いちまえよ。その方が−」
 と、ケンはあの夜と同じように不思議なほど素直に頷き、震える両腕を俺の背に回して、
はじめ疑るようにその腕に少し力を込め、それからもう少しだけ力を込め、やがて息が詰
まるほど強く強く俺に抱きつき・・・
「ジョー、全部、俺のせいなんだ。俺のせいで沢山の人が死に、父さんも死んだんだ。そ
 れが分かっているのに、俺は−−」
 やはりケンは全てを、その一端が自分のミスなんだ、という苦い事実を理解していた。
そして、ケンには復讐のためという理由さえ許されないのだ。ちきしょう!
「ああ、そうかも知れねえ。だけど、おまえにゃどうする事も出来なかったんだ。だから、
 ケン、もう自分を責めるな」
 忘れちまえ、と俺は声を立てずに嗚咽するおまえを抱きしめた。
 かけがえのない魂の片割れを、せめて一時だけでも
 この腕に抱きしめて、眠らせてやりたかったから・・・。


「おい、ケン、起きろよ」
 安心し切って眠るおまえを、俺はまた揺さぶった。天使様のように可愛らしい、こんな
おまえを見ていると、このまま時が止まってしまえばいいのにな、と柄にも無い考えが脳
裏に浮かぶ。だが、もうじき夜が明けちまう。
「ケン・・・、おい、ケン」
「う・・・ん?」
 ぴたりと閉ざしていた長い睫毛が揺れて、窓から差し込むすっかり傾いた月の明かりに、
おまえの青い瞳がゆっくりと開くのが見えた−−やっと目を醒ましたな、この寝坊助め。
だから、俺は微笑みながら言うのだ。
「・・・、ケン」

 なぁ、ケン、知っているか?・・・俺のちょっとした気掛りってやつ、を。
 いつかの夜に、おまえはふと目を醒まし、互いに求め合った温もりがもうそこに無い事
 に気づくだろう。
 その時に、おまえは泣いてくれるだろうか?俺の名を呼んでくれるだろうか?
 そして・・・
 その時に、誰がおまえの涙を拭うのだろうか?誰がおまえを抱いて、暖めるのだろうか?
 その時に・・・と、そんな事ばかりが気に掛かりやがるぜ。

「ジョー?」
「あばよ」
 言いながら、俺はそのちょっとした気掛りとともに、まだ半分眠っている風なおまえの
 口唇にそっと接吻けた。


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