RAINY BLUE .....

by さゆり

「雨は嫌いだ。」
 その言葉通り、彼はもうすでに朝とは呼べない時刻にも関わらず、ベッドから出ようと
はしなかった。
「飯は?腹、減ってないのか?」
 コーヒーメーカーが落としてくれた褐色の液体をカップに注ぎながら、そう訊ねてみた
が、白いシーツを被ったままの頭と思しき固まりが「NO」と無言の答えを返すだけで、
彼はどうやらそのまま雨が止むのを待つつもりらしい。

 夕べ、もうだいぶ遅い時間に俺は彼を拾った。
 彼が暗い雨の中で、何だか陳腐な言い回しだが、捨てられた子猫のように寂しげに見え
たからだ。篠つく雨の中、ふらりと車道に出た彼に驚いて急ブレーキを踏み、
「馬鹿野郎!死にたいのかッ?」
 と、お決まりの罵声を浴びせたら、
「ああ、それもいいな。」
 と、至極真面目な顔つきで言いやがった。
「おい、死ぬのは勝手だがな、俺を巻き込むような真似はよしてくれよ!」
 もともと短気な血筋のところへ、軽く引っ掛けたバーボンの酔いも手伝ってカッとなり
2、3発ブン殴ってやれとばかりに車を降りて相手をしたのが間違いだった。
「ガキのくせして粋がってるんじゃねえぜ!」
 故郷の言葉で罵りながら、ダンガリーの胸元を捉まえて手荒く揺すぶると、強か酔って
いるのかヤクでも決めているのか、彼はふらりと足元を泳がせ、それでもいっぱしの負け
ん気を見せたかのか、俺を斜めに見上げた。
 刹那、
 擦れ違う対向車のヘッドライトに浮かんだのは、空の青。
 およそこんな雨の夜には誰だって恋い焦がれる、青空のその色の、
 だが、何故かひたすら寂しげなその瞳が少し驚いたように俺を見上げて・・・。
「ふぅん・・・」
 何に驚いたのだろうか?訳は分からぬが、もういいか、とダンガリーから手を離すと、
彼はそのままズルズルとアスファルトの水溜まりに長まってしまった。
「おい、立てよ。」
 酔っぱらいにしてもジャンキーにしても、まさかこのまま打棄ってはおけない。この雨
と暗さじゃ、俺が車を出して5分もしないうちに誰かがタイヤに掛けてしまうだろう。
−ちぇ、面倒な、と舌打ちして歩道へ引っ張り上げて、そこへ放り出した。
「寝るんならそこへ寝な。おまえみたいな奴を轢いちまったら、それこそ災難だぜ。」
   と、
「ありがと・・・」
 微かな声が応えた。一晩くらい、若いから風邪を引くくらいで済むさ、とそのまま車に
戻り、チラと見ると彼が背を丸めてそこに・・・
「くそっ!何だって俺がー?」
 結局、俺はそのまま走り去る事が出来ずに、彼を拾って来てしまったのだった。
 
「ほら、しっかりしろよ!」
 正体の無い彼を部屋へ運び上げて、バスルームに叩き込み、熱いシャワーを構わず掛け
た。どうせ上から下までぐしょ濡れで、どっち道、すべてをランドリーしなければならな
いんだから同じ事だ。自慢のジャガーの本革のシートは、こいつにきっちりクリーニング
させてやる−と、腹を立てながら、俺は雨の中で拾って来たびしょ濡れの子猫を洗うよう
に、彼を洗った。
「ちゃんと座ってろってば!洗ったら、寝かせてやるから−」
 彼は、うん、と妙に素直に頷いて、なすがままになっていた。大方の汚れが落ちたとこ
ろで、貼り付いたダンガリーを引き剥がし、尻を叩いてジーンズを脱がせ、下ろしたての
ローブとバスタオルを渡して、
「さあ、これでよく拭いて。今度は俺の番だ。」
 と、バスルームから追い出した。
 まったく・・・何の厄日なんだ?今日は・・・。

 シャワーでやっと人心地を取り戻した俺が髪を拭きながら居間へ戻ると、彼はローブに
包まって、ソファで丸くなっていた。サイドテーブルの灯りを点けて顔を覗き込んだが、
いやに長い睫毛は頑固に閉じたままだ。何だ、寝ちまったのか・・・ま、ブランケットを
持って来てここへ寝かせればいいな、と身体を起しかけた俺の首に彼の腕が巻き付いた。
「おい・・・」
 振り解こうとしかけ、急に気が変わった。せっかく足を伸ばしたのに、気に入った相手
は見つからなかったし、それにこうして灯りの下で改めて見ると、彼はずいぶんと綺麗な
坊やだったからだ。
「新手の客引きだったのか?」
 笑って顔を近付けると、彼は空色の瞳をぼんやりと開いて、
「あんた、男が抱けるかい?」
 と、訊きやがった。
「ああ。でも、金は払わないぜ。迷惑料とチャラにして貰おうって算段りかも知れんが、
そいつは駄目だ。俺の車を掃除しろ、そうしたら・・・」
 仕舞いまで言い終らないうちに、唇が塞がった。
 彼の接吻けは、柔らかくて冷たくて、だが、甘いと言うよりは不思議と苦かった。
 まだ湿っている胸に胸を重ねると、彼の鼓動が、防音の良いこの部屋には届く筈のない
雨音が聞こえるように、俺の中に忍び込んだ。
 その雨音に耳を澄ましながら、舌を絡ませ、互いの唇を噛んで・・・やがて、息継ぎの
合間に、
「・・・なぁ、俺を抱いてくれよ。」
 と、囁いて、幾分寂しげではあったが、彼はゆっくりと微笑んだ。

 忍び込んだ彼の鼓動が俺の中に響く。
「い・・やだっ!」
 自分から誘ったくせに今更何を言いやがる、と思ったが、頑に目蓋を閉じて身体を強張
らせる彼は、もしかしたら初めてなのでは?と思うほど慣れていなかったし、無理に犯す
ような手荒な真似もしたくなかったから、俺は時間を掛けて、ゆっくりと彼を愛してやっ
た・・・そう言えば、昔、拾った子猫も、最初はフーフー怒って毛を逆立てたっけ・・・
あの時はどうした?優しい声であやしながら、怯えさせないようにそっと胸に抱き、しな
やかに身体を自ら解いて、頬を擦り寄せるようになるまで、そっと・・・。
 啜り泣く彼の吐息が俺の肩ごしに、
「ジョ・・・」
 と、零れ落ちて行った。誰の名なのか?
 見知らぬ俺の腕の中で、彼はその名を繰り返し呼んだ。

「仕事に行かなくていいのか?」
 食事の用意をしたから起きて食え、と俺がシーツを毟り取ると、彼もしぶしぶ起き出し
てそう訊きやがった。
「今日は土曜だぞ、おまえには曜日の感覚が無いのか?」
 ああ、そうか、などと欠伸をしながら差し出した俺のシャツに袖を通すと、
「でかいな。」
 と、笑って袖口から指先だけを出して見せた。子供っぽい顔つきだが、もうガキと言う
年齢では無いのかも知れないな、と思わせる、妙にどこか老成した雰囲気が在るのが不思
議な感じだった。
「おまえが痩せてるんだ。」
 だから、さあ食え、とテーブルに着かせると、彼はシリアルやトーストやベーコンエッ
グを気の無い様子でつっ突きながら、それでも俺とよく話をした。

−迷惑したぞ、夕べは。
−ああ、悪かったよ。夕べは霧が深かったろう?だから、つい・・・。
−霧の夜だと、男が欲しくなって彷徨い出すのかい?
−違うよ、別に男が好きって訳じゃないさ。
−はン、自分から抱いてくれと言ったくせに。でも、まあ、あの様子じゃそうだろうな。
 それじゃあ、何だって俺を誘った?
−あんたのその喋り方がさ、ちょっとね。夕べはびっくりした。あいつが・・・。
−俺の喋り方が、夕べ、盛んに呼んでたジョーって奴に似てるってのか?それじゃジョー
 は俺と同じイタリア系で、俺みたいにうんと良い奴なんだな?な、そのジョーってのは
 おまえの恋人なのかい?
−ジョーは恋人じゃなくて、俺のチームメイトだったんだ。うん、そう。あんたみたいに
 あいつもとっても良い奴だったよ。
−ふぅん、チームって、バスケットボールか何かの?
−うん、まあ、そんなもんだよ。
−そうか、分ったぞ。おまえは捨てられたんだな?そのジョーって奴に。
−そいつも違うな。俺が・・・あいつを、ジョーを捨てて来たんだよ。

 雨はまだ止まない。
 彼は雨が嫌いな事を理由に、まだ俺の部屋に居る。
 今はレイニー・シーズンだから仕方無いが、今日辺りはそろそろ彼の目のようなスカイ
ブルーが本気で恋しくなった。しかし、雨が止んだら、彼も行ってしまうのか、と思うと
些か寂しい気がする。
−帰る家は在る。
 と、彼は言った。
−今は休暇中だけど、仕事もある。
 とも。
 気紛れな子猫は必ずプイと出て行ってしまうものだと分ってはいるし、その人恋しげな
眼差しや柔らかい喉声は決して俺に向けられているものでは無いとも知れているが、俺は
憂鬱なレイニーブルーの日々が続くことを密かに祈ってもいる。

 雨は今日も止まない。
 彼も雨が嫌いな事を理由に、今日も俺の部屋に居る。
 俺の部屋に居て、雨を眺めて、寂しさを募らせると俺を求める。
 そして、彼はその度に、捨てて来た、と言う男の名を呼ぶ。
 儚いまぼろしを懐かしむように、
 「ジョー・・・」
 と。
 
 
THE END ........ 



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