RAINY BLUE 2 .....

by さゆり


「雨は嫌いだ」
 彼はもう幾度聞いたか分からないその台詞を呟きながら、幾度も俺に接吻けを強請った。
柔らかくて冷たくて、だが、甘いと言うよりは不思議と苦い彼の唇・・・
「なぁ、抱いてくれよ」
 そっと啄んでいたその唇が微かに笑ってそう言ったが、その瞳は相変わらずどこかひた
すら寂しげだった。
「もうすぐ上がるってウエザーレポートのおネエちゃんが言ってるぞ?」
「雨が止むまででいいからさ」
「抱いてくれって言っておいて、いざとなると嫌がるクセに」
「別に嫌ってワケじゃ・・・」
 だから、な、いいだろ?抱いてくれよ、頼むから・・・と、彼が甘い誘い文句とは裏腹
に何だか泣きそうなくらい生真面目な表情を浮かべてサッシュを解くと、あの夜だけ貸し
てやったはずのローブが白い肩から滑って落ちた。
「来いよ・・・」
 自慢の低音でそう唸って手を引くと、彼は素直に俺の腕の中に収まりながら、それでも
微かに眉を寄せる。ほら、やっぱり嫌がるじゃないか・・・だが、そうと知れても、俺は
彼を放しはしない。綺麗な顔と繻子の肌をした、こんな坊やが「抱いてくれ」と懇願して
いるのだ。例えそれが嘘でも、一時の快楽を享受するのに何の差し障りがある?気紛れな
子猫が甘えて擦り寄って来た時には、何を置いても優しく可愛がってやらなければいけな
い。それが礼儀ってもんだ・・・と、俺は勝手な理由で自分を正当化して、未だに誰だか
よく分からない彼を抱く・・・
 そう言えば、俺達はまだお互いの名前さえ知らなかった。

 この前の雨が続いた夜、俺はひょんな事で彼を拾って来て一夜を共にした。あの時も、
誘ったのは彼の方だったさ。唐突に俺の首に腕を回して、
(あんた、男が抱けるかい?)
 と、訊きやがったんだ。そして、
(・・・なぁ、俺を抱いてくれよ)
 と、甘い声で言いやがったんだ。あの時も笑顔を見せたくせに、この寂しげな瞳はどう
だ?俺にちょっと似ているとか言う、そのジョーって奴が忘れられないからだろうか?
「捨てて来た」とか強がっても、おまえは未だジョーの「もの」なんだな、と少し哀しい
ような、些か割り切れないような気持ちで、俺は憂鬱なレイニーブルーの日々が続くこと
を密かに祈っていたが・・・週が明けた月曜日、当然のように雨は止んで、職場から急い
で戻った部屋に彼の姿は無かった。
 ダイニングテーブルの上に残されたメモにはブルーのペンで、
『Thanks . See Ya ! 』
 とだけ、だが驚くほど几帳面な筆跡で書き残してあった。
(ちぇっ)
 メモを片手に舌打ちしながら、何を期待していたんだか、と自分で自分が可笑しくなっ
て俺は独り笑っちまった。
−帰る家は在る。
 そう言っていたじゃないか。
−今は休暇中だけど、仕事もある。
 とも。
(フンッ、気紛れなクソ猫め!名前くらい書いて行けってんだ)
 だから誰だか分からんが、元気でな、いや、元気を出せよと、丸めたメモを屑篭に放っ
て・・・なかなかに恰好のいい別れじゃないか、と俺は微笑んで・・・再び雨の金曜日、
つまり今夜の事だが、
「やあ」
 と、含羞んだ微笑みを浮かべたクソ猫が、アパートメントの俺のジャガーのパーキング
スペースに立っていやがったのだ。

「う・・・」
 首を振って、俺の愛撫から逃れようとする彼は、やはりこうして愛し合う事に慣れては
いない。最初に抱いた時に思った通り、もしかしたら彼は男と寝た事が無かったのかも知
れない・・・だが、ジョーは?おまえ、ジョーには抱かれてたんだろう・・・?
「ほら、やっぱり嫌がるじゃないか」
 笑いながら、それでも俺は彼を愛し続ける。顎を掴んで仰向かせると、彼は顰めている
と言ってもいいほど寄せていた眉根を少しだけ弛めて、それからゆっくりと驚くほど長い
睫毛を上げた。
「嫌じゃない・・・んだ。でも、どうしていいか分からなくて・・・」
 晴れた夏空のような青い瞳が潤んでいた。泣いているのか?いったい、どうして?
「どう、って、馬鹿だな、ただ素直に感じりゃいいんだよ。な、感じるだろ?」
 自分と同じ身体だ。どこをどうしたら、男がどう感じるかは百も承知だし、坊やを悦ば
せるくらいのテクは持っている。
「ん・・・」
「な、悦いだろ?」
「う・・・ん」
「達っていいぜ、我慢せずにさ」
「・・・ん」
 俺は決して急ぎも手荒くもしなかったが、それでも彼は声を上げる事に躊躇し、頑に顔
を背けようとする。慣れていないのは言わずもがなだが、様子から推すに「ジョー」って
奴は彼の感覚などは無視して、ただ女の代わりにしていたんじゃないかと思う。馬鹿だな、
そんな奴の事なんか忘れちまえよ・・・と、思う傍から彼は堪えていたものを吐き出すよ
うに、
「ジョー・・・」
 と、またその名を呼んだ。
 呼んで、長い髪を乱して、だんだんと弾む息の合間に、
「ジョー!」
 と、二度三度、その名を呼んで、ああ、と少し苦しげな、だが微かに恍惚とした表情を
浮かべ・・・彼は俺をジョーと思って達くのだろうか?

「馬鹿だな、おまえ」
 ピローに突っ伏した彼の肩に接吻けてやりながら、そう言って笑うと、
「どうせ−」
 馬鹿だよ、と曇った声が小さく答えた。「恥ずかしい」と初めて抱いた後に言ってたっ
け。事が終ると、彼はしばらく顔を見せようとしない。今もピローに顔を埋めたままの彼
の髪にそっと唇を押し当てて、
「な、おまえ、本当にジョーともこういう事をしたのか?」
 と、ついそう訊いてしまった。単なる好奇心、揶揄い半分・・・いいや違う。俺は今も
彼を捉えて離さないその「ジョー」って奴が些か憎くなったのに違いない。
「・・・!」
 白い背が途端にビクッと硬くなった。
「おい、どうした?」
「し・・・」
 頭を振り、だが言いかけた言葉を飲み込んで、
「したよ・・・した・・・!」
 彼は自棄っぱちな声でそう答えると、バサリとシーツを撥ね除けて起き上がった。
「待てよ!何処へ−」
 思わず腕を掴んだ。刹那、彼は驚いたように振り返ると空色の瞳を瞬かせて、
「ジョー、おまえ・・・」
 と、低く呟いた。
「え?」
 晴れた夏空の瞳が真直ぐに俺を見ていた。だが、そこに映っているのは目の前にいて腕
を掴んでいる俺ではなく・・・
「おまえ、なぜ俺を?」
 そうして彼は見てはいない俺を凝視めたまま独り言のように繰り返した。
−なぜ俺を・・・?
−あの時、おまえはなぜ俺を抱こうとしたのだろう?
−なぜ俺は・・・?
−あの時、なぜ俺はおまえに抱かれてやらなかったのだろう?
 ・・・と。
 それから彼は目の前にいて腕を掴んでいる俺にゆっくりと焦点を合わせ、
「ごめん、つい・・・」
 と、少しバツが悪そうに微笑んで見せたが、可愛い笑みを浮かべたその頬を伝う涙が切
なくて、俺は効き過ぎたエアコンに早くも冷え始めた肩をもう一度抱き寄せて言った。
「いや、俺が悪かった。だから−」
 泣くな、と言ってやりたかった。事情は知らんが「ジョー」なんて奴の事は、とっとと
忘れちまえ、と言ってやりたかった。

 だが、俺は何も言いやしなかった。
 気紛れな子猫は必ずプイと出て行ってしまうものだと分ってもいるし、その人恋しげな
眼差しや柔らかい喉声が決して俺に向けられているものでは無いとも知れている。それに
俺達は友人でも恋人でも無く、いや、俺達はまだお互いの名前さえ知らないのだ。

 しかし、それならそれでいいさ、と俺は思う。
 彼は雨が嫌いな事を理由に、また俺の部屋に来るだろう。
 俺の部屋に来て、雨を眺めて、寂しさが募ればまた俺を求めるだろう。
 憂鬱なレイニーブルーの帷の中で、俺は「雨は嫌いだ」と言う彼を抱いて、
 一時、彼がその名を呼ぶ「ジョー」になればいいのだから。


 THE END ........ 
 



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