WE smiled −It was ages ago (3)

by さゆり


(嘘だっ!)
 初め目を逸らし、やがて外方を向き、俺は徐々にあいつから距離を取った。
(嘘じゃない。だから、ジョー、逃げずにちゃんと聞いてくれ。俺は・・・)
 いや、違う。俺はおまえから、おまえが話す " 真実 " から逃げようとした訳じゃない。
 ただ・・・辛かったんだ。居たたまれなかったんだ。
 ケン、おまえの傍で、ただ安穏とこうしていた俺をおまえは赦してくれるのか?
 ケン、俺を赦すなら・・・
 ケン、おまえは何故、自分を赦さない?


「−ん・・・?」
 瞬いで、ケンが目を開けた。俺の感情の揺れがおまえを目醒めさせたのだろうか?
「ケン、気分はどうだ?」
 俺の問いにケンが優しく微笑む。
「悪くないな」
「そりゃ良かった。だがまだ熱が下がっていないんだから、もう一度、ゆっくり眠れ」
 ん、と頷いてケンは素直に瞠目したが、何かを確かめるようにまたすぐに目蓋を上げて
言った。
「ふふ、目を開けると、おまえがいる・・・ジョー、やっぱり悪くないぜ」
「ああ、俺はここにいる。だから心配せずにぐっすり眠れよ、ケン」
 俺は手を伸べてあいつの焦茶色の髪をそっと撫でた。いつもはひんやりと少し冷たい滑
らかなその髪は、高い熱のためか乾いて掌に熱く感じられた。
(チッ)
 胸の中で舌打ちして、俺はここの医師に借りた端末を医療用ターミナルに接続した。
(早いとこ " 方法 " を見つけないと・・・)
 溺れている子供を見殺しに出来る奴ではない事は、十五年来のつきあいである俺でなく
ともケンを知る者ならば、" やはり " と思うだろう。だが、ケンの身体はそれっぱかりの
負荷にさえ耐えられないほど病んでしまっていたらしく、意識は取り戻してくれたものの、
発熱が続き、呼吸器の不調も改善されない。
(このクランケには特殊な持病がありまして−)
 そう言って、ここの医師からケンを引き継いだが、点滴やら酸素やらが必要な病状に、
軍立医学研究所から来た " Dr.スヴェルドロフ " の化けの皮も些か危うい。だが−

 俺は端末に何故か記憶している " Dr.スヴェルドロフ " のIDを打ち込み、懐かしの
自分、" サクラ " へのアクセスを要求した。
『サクラへのアクセスに必要なID認証。サクラを呼び出しています』
 張り巡らされたネットとは便利なものだな、と俺は小さく笑って " 自分 " が現れるの
を待った。さあ、俺を助けてくれよ、ジョージ・アサクラ。


 あの夜、抱きしめて接吻けたケンを俺は有無を言わせずに抱いた。
(・・・!)
 無言の抵抗を無視して、俺はあいつの身体を抱き、愛した。" G2 " だった時のレイプ
以来の行為だった。不自然なようだが、 " あそこ " から逃れてからの俺は、ケンを抱く
事が出来なかったのだ。最初は負わせた傷がまだ癒えていないという事を理由に、俺は自
分を納得させていた。しかし、やがてそれも癒え、俺達は幾度となく、そしてどちらから
ともなく求め合ったが・・・
(・・・!)
 その度、あいつが発する無言の抵抗がいつも俺を制止した。戸惑って、その瞳を覗けば
そこに在るのは激しい嫌悪と本能的な怯えの色だった。そしてそれを俺に見せまいとして、
ケンは固く目蓋を閉ざす・・・いや、きっと俺を見る事自体、ケンには堪らなく怖かった
のだろう。
(・・・?)
 何故だ、とそれを訝しく思っても俺にはそれが理解出来ない。そう、あの夜、ケンにす
べてを聞かされるまで、俺にはその理由が分からなかったのだ。

『こんにちは、トオル。ご用は?』
「間抜けめ!」
 俺は嘲笑ってそう毒づいたが、この医師にしか呼び出せぬ汎用医療プログラムには生体
照合システムが必要な訳ではない。サクラはトオルの求めに応じているだけだ。ならば、
と俺はコマンドを打ち込んだ。
「ペイシェントを検索」
『お名前とIDをどうぞ』
「ケン・ワシオ、識別番号 : GF-0001-A-1 」
 ピッ、とサクラが応える。
『 GF-0001-A-1、ケン・ワシオ空軍中佐は200X年X月XX日 0X:0X pmに死亡が確認
されています。詳細は次の通り>年齢:26、性別:M、病名:Lung Ca. /末期に伴う多
臓器不全。200X年X月XX日 0X:X0 pm 、搬送中、呼吸不全発作により−』
「そうかよ!」
 俺はそれを遮ってケンのIDに更に続けて、
「追加情報:コールサイン : G-1/イーグル」
 と打ち込んだ。
『ケン・ワシオ、識別番号 : GF-0001-A-1、コールサイン : G-1/イーグル、サブジェク
ト : G1として認証。質問をどうぞ』
「いい子だな、サクラ」
 俺は微笑んで " 聞きたかった事 " を入力していった。


「ペイシェント照合:以下のペイシェントとサブジェクトG1を照合せよ」
 俺はすぐ傍のベッドで眠っているかけがえの無いあいつに " 便宜上 " 割り振られてい
る仮のID No.を入力した。
『照合結果:該当ペイシェントはサブジェクトG1と一致』
「該当ペイシェントはサブジェクトG1か?」
『はい』
「現在、サブジェクトG1には必要な医療措置が取られているか?」
『いいえ』
「なぜだ?」
『データー入力不足により、該当ペイシェントがサブジェクトG1と認識されなかったた
めです』
「データー追加:ケン・ワシオ、識別番号 : GF-0001-A-1、コールサイン : G-1/イーグ
ル、サブジェクト : G1。治療を補完せよ」
『追加データーは認識しました。しかし補完は不可能です』
「なぜ補完出来ない?」
『適切な治療機器が見当たりません。該当ペイシェントをバイオリアクターがある施設へ
搬送して下さい。該当施設は以下の通り:ISO中央医学研究所、ISO特殊医学研究所。
該当施設の詳細及び所在地は−』
「搬送は不可能」
 にべも無くそれを遮った俺にピッ、とサクラが小さく異義を唱えた。いいぞ!
『搬送不可能の理由をどうぞ』
「該当ペイシェントがそれに反対しているからだ」
『反対?』
「そうだ、サブジェクトG1は両施設への搬送及び改良型リアクターによる治療を望んで
いない」
 ピーッ、とグリーンの光がモニター上を行きつ戻りつし、やがてサクラは訊いた。
『サブジェクトG1は自らの生存の可能性を拒否するのですか?』
「かも知れない」
『かも知れない?・・・理解不能です』
「いや、違う。おまえは既知の筈だ。ケンは生きる事を常に諦めはしない」
『ケン・・・は、常に諦めない・・・生存の可能性は拒否しませんか?』
「ああ、拒否などしない。あいつは1%でも可能性があればそれに活路を見い出す奴だ。
そしておまえはそれを知っている筈だ」

 さぁて・・・ごくり、と俺は唾を飲んだ。サクラのAIの中に在る筈の俺の心が、もう
すっかりただのメカニズム、ただのプログラムになってしまっていたなら、この先の問い
に答えは無い。答えが無ければ−
「サクラ、いや、ジョー!よく考えろ、このままだと " ケンが死ぬ " ぞ!」
 そう、答えが無ければ、俺は遠からずケンの最期を看取らなければならなくなるのだ。


 あの夜、有無を言わせずに抱いたケンは俺の腕の中で震え続けた。
 求めている筈のぬくもりを辛い痛みと哀しみの記憶が氷に変えて、ケンは凍えた切った
者のように身体を強張らせて震えていた。心では互いに求めあっても、身体がそれを怖れ
るのだろうか?それほどの苦痛を刻み込んでしまったのだろうか?
(・・・?)
 何故だ、とそれを訝しく思っても俺にはそれが理解出来なかった。そう、あの夜、ケン
にすべてを知らされるまで、俺にはその理由が分からなかったのだ。
(・・・!)
 無言の拒絶、無音の叫び・・・それでもケンは俺を拒もうとはしなかった。
 激しく震え、怯えながら・・・それでもケンは俺の求めに応えようとし・・・
(!?)
 そうして俺はケンの身体を拓こうとし、その " 変化 " に気付いたのだ。
(ケン、おまえ・・・奴らに何をされたんだ?)
 思わずその肩を手荒く揺すって問い質すと、あいつは乱れた長い髪の影で頑に閉じてい
た瞳を薄く開いて、
(・・・)
 無言のまま、頭を振った。そして、ケンはフッと微笑んで俺の身体を抱き寄せた。


 コンピューターも人の脳も " 物質 " である事には変わりはない。ただの物質である脳
に意識が宿るならば、底知れぬ想像力や可能性が秘められているならば、要は同じ物質で
あり、いや、遥かに演算能力やメモリー容量とメカニズム的には優れたコンピューターに
それらを宿らせられぬ筈が無い・・・科学者や技術者達はそう考えた。

「さあ、ジョー、他の方法を考えろ!」
『ジョー?私はサクラです』
「そうだ、おまえはサクラであり、だから同時にジョーなんだ。思い出せ!自分が何者か
忘れたのか?」

 だが、未だ人の脳と同じAIを造り出す事は出来ない。どんなに脳のメカニズムに似せ
てニューロだの何だのを構築し、そっくりにプログラムしたところで、コンピューターは
意識を持ちはしなかった。心を宿しはしなかった。

 あの時、彼らは訊いた・・・
(ジョー、あなたの脳内にあるAIからコピーした思考メカニズムや記憶を、G2以外の
用途に転用しても構いませんか?)
(転用って、いったい何に?)
(主に医療用のAIにそのまま活用したいと−)
(そりゃ構わねえが、俺のアタマなんかが医療用に使えんのかよ?そういった知識は何も
持ち合わせちゃいないぜ?)
(知識では無く、必要なのは " 考えて " 、" 判断する " 事なのです。知識と言うだけな
ら膨大な医療データバンクがあります。それらと連係して、自ら判断し、活用してくれる
AIが求められているのですが、メカニズムは解明できても、それを造り出す事もコピー
する事も未だ出来ないのです。しかし、サイバーであるあなたのAIは頭脳を完璧にデジ
タライズしたものです。だからきっと上手く行く筈なんです)
(ふぅ〜ん、よく分からねえが、こんなアタマ、使えるもんなら使ってくれ)
(ありがとう、ジョー。あなたの " 思いやり " や " 優しさ " が、きっと多くの生命を
救うでしょう)

 皮肉なものだ・・・と俺は思った。完璧な戦闘用サイバーに " 必要 " なAIが多くの
生命を救うのか、と不思議な気分だったが、彼らの言葉に嘘は無かった。自ら思考し、判
断するAI−サクラが生まれ、遂にコンピューター・プログラムは " 心 " を持ったのだ。
「状況に応じ、適切に判断する」−これはプログラムにも出来る。だがその判断を想像力
や優しさや勇気といった " 感情 " を含めた上で思考し得るのは " 人の脳 " だけなのだ。
そう、だから時に判断は感情に流され、状況から推した最適を選択しないかも知れない。
あるいは99%が不可能な場合でも、1%の可能性に賭ける勘に判断を委ねるかも知れな
い。それがヒトというプログラムのプロパティだからだ。そしてそれがヒトを看る為には
不可欠なファクターだったのだ。そしてそれは−哀しい事だが−戦闘用のG2に求められ
た有用性と何ら変わる事が無かったのだ。


「さあ、ジョー!どうした?ケンがどうなってもいいのか?」
 だから俺−G2はこうしてヒトの " 心 " を取り戻す事が出来た。ならば、全く同一の
モノであったおまえ−サクラの中の俺もまた・・・
『だ・・・れ・・・だ?』
 ふいに真っ暗になったモニターの中からそう問われた。
 いいぞ!おまえはまだ " 心 " を失くしてはいないんだな?ならばまだ希望はあるぜ。
" 俺 " の望みはたった一つ。そう、ケンを・・・
『トオルは俺を呼ばない・・・ならば、おまえは誰だ?』
「やっと気がついたか、この間抜けめ!俺は、ジョージ浅倉、識別番号 : GF-0002-A-2、
コールサイン : G-2/コンドル・・・ジョー、俺はおまえだ!」
 チカ、とグリーンの光が驚いたように瞬いた。

『ジョージ、ジョーだと?おい、何やってるんだ、おまえはっ?』
 件の " 俺 " がいきなり怒鳴りやがった。ケンを起こさないようにわざわざ面倒なキー
ボードを打っていた俺の苦労を・・・この馬鹿たれめ・・・いや、しかし " 俺 " なら怒
鳴って当然といった場面か、と俺は舌打ちしつつも妙に気恥ずかしい思いで、
「シーッ、静かにしろ!ケンが目を醒ましちまうじゃねえか」
 と、声を落として " 俺 " を諌めつつ、そっとケンの様子をうかがった。特徴的な長い
睫毛が不規則に震えたが・・・大丈夫、目を醒ましてはいない。
「さっき点滴に軽い鎮静剤を入れたからな、大丈夫だとは思うが念のためだ。おい、もっ
と小さな声で話せ」
 フン、と " 俺 " が笑いやがった。
『鎮静剤を処方したのはこの " 俺 " だぞ、" おまえ " に医学的な知識などあるものか』
 ようやく現れたと思ったら、何という憎たらしい奴なんだ?これが " 俺 " という人間
なのか?と、我ながらムカついたが、とにかく急がなくては−
「ああ、確かにな。だが、この俺にもある程度の事は分かるんだ」
『へえ?』
「おまえにもケンが " 見える " 事があったろう?よく分からねえが、たぶん俺とおまえ
はどこかで同調する時があるんだ。知る筈の無いトオルのIDを俺が知っていたり、ケン
に使うべき薬品が分かったり、カルテに書かれている事が読めたりってのは、確かに俺の
知識じゃ無くておまえの知識だ」
 そう、不思議な話しだが事実なんだ、と俺が言うと、" 俺 " はまたフンッと鼻で−鼻な
んか無いクセに−嘲笑って、
『そうか、そういう訳だったのか』
 と呟いた。いいぞ!やはりこの " 俺 " には、その理由が解るんだな?それが解るなら
ば、ケンの事も・・・と、俺は確信は無いがどこかで「そうに違いない」と、思い続けて
いた事を訊いた。
「ひょっとしたら、それは俺の中にあるブラックボックスが−」
『−の中にあるブラックボックスが、 " 俺達 " を同調させてンだ 』
 ・・・途中から、俺達の言葉は完璧に同調していた。


(やはり・・・か?)
 頭の中でもう一人の " 俺 " が、くくっと低く笑った。
(ああ。俺の中にある " すべて " を見たいんだろ?来いよ、さあ・・・)
(いや、逆だ。俺はおまえにこの身体を渡したいんだ。おまえなら、きっとケンを助ける
術を知っているだろうからな)
(ふん、その方が手ッ取り早いかもな?いい覚悟だぜ、さすがはコンドルのジョー、いや、
さすがは " 俺 " と言うべきか?)
(よし)
 と、頷いて俺は端末のコンタクトパネルに右手を乗せた。
 ポォ−とパネルが緑色に発光し、凄まじい量の情報が音を立てて−いや、実際に音など
する訳がないのだが、感覚的には「ドォ−ッ」という滝のような不可聴の大音響を伴って
−記憶やら知識やら感情やら・・・本来の俺とサクラの中の俺の、それらすべてがG2で
ある俺に流れ込んで来た。


 俺の視覚が、聴覚が、感覚が最後に捉えたもの。
(いいな、死ぬんじゃないぞ。必ずおまえの手で返してくれよ、ジョー)
 すべての軛からの解放。安堵。だが、たった一つ心残りが・・・
 そして、俺の手から " 命 " と共に滑り落ちたおまえの " 心 " ・・・
(すまねえな、ケン)
 そして、暗闇に・・・永遠に続く暗闇に俺は抱かれたはずだった。
 だが・・・
(誰だ?俺を起こすのは・・・?)
 自分のすべてが−肉体が、記憶が、心が、有機体を合成している蛋白質の組成やDNA
の二重螺旋までが尽くデジタライズされ、数限り無い、数字と記号の複雑な配列へと−
 初期化、設定、修正、再設定、確定・・・保存。
 丹念に、緻密に、冷静に繰り返される " 人智を超えた " 操作を経て、俺は人智を超え
た者として再びこの世に " 生 " を受けた。
 単なるメカニズムとしてではなく、生命を造り変えられた不死の者として。
 身の内に隠された " 黒い力 " 故の命、それ故の強さ、それ故の使命。
 いや、あの天使に似た名を持った老科学者はただの " 使い手 " に過ぎなかった。
  " 黒い力 " の主は去ってしまい、遺された技を、術をただ使っただけだ。
 恨みはすまい。
 だが・・・
(神よ、俺は御元へ行く事さえ許されないのですか?)
 哀しみと困惑。戸惑いと怒り。だが、たった一つ喜びが・・・
(ジョー!)
 俺を呼ぶおまえの声。その空の色の瞳。再び会う事が叶った愛しき者。
 だが・・・
 身の内に隠された " 黒い力 " 故の命、それ故の強さ、それ故の使命がある限り俺は−
(ジョー?)
「なぜだ?」と問うおまえを俺は振り切らなければならなかった。
 そう、必ず繰り返さねばならぬ " 別れ " なら、俺はおまえを哀しませたくはなかった
のだ。だが・・・


『だが・・・ケン、おまえは・・・』
 自分の声に驚いて顔を上げると、ケンのベッドの傍らに " 俺 " が立っていた。
「ホログラフか?」
『そうだ、残念ながら " 俺 " にはもう " 身体 " が無いからな』
「そうだったな・・・」
 そう、俺には " すべて " が分かった。患者の不安を緩和するためにホログラフのドク
ターが " 診察 " に現れる事も、その仕組みも。そして、サクラの " 俺 " には確かに身体
が無い事も、それが " 何故 " かも、何もかもが明確に理解出来た。だが、まだ分からな
いのだ。俺が一番 " 知りたい " 事、ケンを生かし続ける術を・・・
『ケン、おまえは・・・』
 幻影だけの " 俺 " は哀しそうな、だがそれでいてどこかホッとしたような表情をして
いた。指を伸べて、静かにケンの焦茶色の髪を撫でながら−いや、実際にそれが叶わぬ
と知った " 俺 " は口元に苦笑を浮かべたまま、決して触れる事の出来ぬケンの唇にその
幻の唇でそっと接吻けた。
「ん−」
 ケンの目蓋が微かに動くのを、俺は真上から−つまり " 俺 " の目線で見ていた。
 じゃあ、まだ端末の前に立ったままの俺は?と目を向けようとした瞬間、指先に柔ら
かいケンの髪の感触を感じた。
「・・・ジョー?」
 瞬いて、空の色の瞳が俺を見上げる。ケンには " 俺 " が見えているはずだ。こうして
俺にケンが見えるのだから・・・では、俺は? " 俺 " はどこに?・・・いや、それさえ
も俺には " すべて " 解った。
「すまねえ、起こしちまったな」
 きっと俺は今さっき見た " 俺 " と同じ表情をしているんだろうな、と思いつつ、もう
一度、その唇に接吻けてケンを抱きしめた。耳の中にまだ残る " 俺 " の声を聞きながら
俺はそうせずにはいられなかった。

(あばよ、もうこれ以上のデーターは無いが、ケンを頼むぜ)
(待てよ!どこへ行く気だ?おい、この身体をやると言っただろ。頼むからケンの傍に
いて、あいつを−)
(それは出来ない。 " 俺 " にはやるべき事がある)
(なぜだ?俺達に、ケンよりも大切な事があるって言うのかよ?)
(ある。 " 俺 " には、サクラの " 俺 " には診なくてはならない沢山の生命がある)
(・・・!)
(そうだ。だからあの霧の中で、ケンはおまえを、 " 俺 " を置いて行ったんだ)

「どうした、ジョー?何を泣く事が−」
「ケン、俺は今になって、やっとおまえの気持ちが分かったような気がするぜ」
 え?と訝しげに見つめる空の色をした瞳に、俺は少しだけ微笑んでそう答えた。


「ジョー、帰ろう」
 俺の背を優しく抱き返して、ケンが言った。
「しかし−」
 おまえの身体が・・・と、思わず言い淀んだ俺をさらに強く抱きしめて、ケンは言葉を
続けた。
「いいんだ、もういいんだ。ここに居たって、どうせもう時間はそんなにありゃしない。
ジョー、おまえにもそれが分かっただろ?」
「・・・ああ」
 そう、哀しい事だがそれは事実だった。" 俺 " がすっかり見せてくれたデーターの中に
も、リアクター抜きでケンを生かす術は無く、そしてケンはリアクターに依って生き存え
る事を望んではいない。と、なれば残された道は一つしか無い。
「だから−」
 帰ろう、とケンは言った。
「それが・・・」
 俺のたった一つの願いだ、とケンは微笑んだ。" 俺 " が果たさねばならぬ事は、俺の願
いとは異なっていたが、この俺が果たさねばならぬ事はたった一つ、おまえの願いを見届
ける事だ。だから俺は、透き通るようなその笑顔に笑顔で答えなければならないのだ。
「ラジャー。分かったよ、ケン」


 翌日、小さな半島にいくつも在る小さな入江を見下ろすように建てられた小さな別荘へ
・・・シーサイドヴィラと洒落た名前が付いてはいるが、私道へと入るその看板さえ絶え
まない潮風と顧みられる事のない時の流れに漂白され、ともすれば見落としてしまいそう
な古い別荘地の外れ、No.12へ、ケンと俺は帰って来た。

 数日前と何一つ変わるものとて無いその部屋だったが、とりあえずベッドのシーツを換
えた。そこへ寝かせたケンの傍らに腰を下ろすと、俺は救急箱を開けて、
「さあ、ケン、包帯を換えよう」
 と促した。
「ああ」
 ケンは起き上がると、擬古ちない動作でパジャマのボタンを外す。サムを助けた上げた
時、波に岩へ叩き付けられ、治ったばかりの左の肩に傷を負った。普通だったら、どうと
言う事の無い怪我だが、再生機能が衰えたケンの細胞は当たり前の傷さえふさぐ事が出来
ない。血が滲んだガーゼを退けると、斜めに走る裂傷は更に鮮やかな血を盛んに流した。
生々しいその傷口を消毒し、出血を止める為に厚いガーゼを当てて圧迫する。熱が下がら
ないのは感染症を起こしているからだが、それを抑える抗生物質も効きやしない。
 ちきしょう、と眉を寄せた俺にふいにケンが訊いた。
「ジョー、病院での俺のデーターは?」
「ん?ああ、きれいさっぱりさ。Dr. スヴェルドロフが " 軍の機密事項 " って事で処理
して来た。もちろん外部へも何一つ漏れちゃいねえ」
 俺達はずっと " 影 " だったからこうした工作には慣れているが、何せ今や2人とも
" 死人 " の筈なのに追われている厄介な身だ。トレーサーを警戒して、俺がかなり慎重に
やった事は、長年の " 相棒 " であるケンには言わずとも分かって貰える。
「そうか。じゃ、支払いも?」
「申し訳ないが、それもDr. スヴェルドロフ持ちだ」
 だって仕方が無いじゃねえか、と俺が肩を竦めると、うん、とケンも頷いて、
「いつかトオルさんに返しに行かなくちゃいけないな、ジョー」
 と、クスッと笑いながら、右手を伸ばして俺の前髪をくしゃりと掻き回した。
「ああ、いつか、な」
 一緒に・・・と喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、俺は圧迫していたガーゼを外した。
まだ血を滲ませ続ける忌々しい傷を、新しいガーゼで拭ううちに為す術の無さに堪らなく
なり、俺はそこに唇を押し当てて舌でそれを拭い取った。
「ジョー?」
 驚いたようにケンは一瞬、身体を硬くしたが、何も言わずに右手で俺の頭を抱いた。
 そして、ケンは俺の耳の中に、
「ありがとう」
 と、震える声で言い、うっ、と言葉を詰まらせて俺の髪に顔を埋めた。


「ジョー、俺を一人にするな。もう何処へも行くな・・・」
 腕の中でケンが譫言のように繰り返す。
「ああ」
 俺が頷いて、抱きしめ、
「ケン、俺はここにいる。もう何処にも行きやしねえぜ」
 と、そう答えるとあいつはホッとしたように笑顔を見せる。
「ジョー、死ぬまでこうして俺を抱いててくれ」
「ああ。ケン、死ぬまで、こうして・・・」
 唇には唇を、素肌には素肌を、指には指を重ねて、俺達は一つになった。
「ジョー、死んでも俺を放さないでくれ」
「ああ。ケン、死んでもおまえを放しはしねえ」
 もう二度と、と俺達は誓い合う。
「ジョー・・・、ジョー」
 腕の中でケンが夢見るように俺を呼んだ。繰り返し、繰り返し、何度も。
「ケン・・・、ケン!」
 だから俺も繰り返し、繰り返し、何度もそれに応えた。
 囁きには囁きを、吐息には吐息を、鼓動には鼓動を重ねて、俺達は一つになった。
 求め合い、確かめ合い、一つに溶け合って、俺達は完璧に融合したのだ。
 身も、心も・・・
 深く、深く・・・


 至福の後の恍惚としたけだるさ。そして目眩にも似た微睡みを、俺はグイと頭を振って
追い払うと、まだ荒い呼吸に胸を喘がせているケンをそっと抱き起こした。
「大丈夫か、ケン?」
 頷く代わりに、ケンは眠りに落ちる寸前のように朦朧と潤んだ空色の瞳を、ゆっくりと
瞬かせてくれた。ホッとして、焦茶色の長い髪を乱したままの頭を、少しでも呼吸が楽に
なるようにと少し仰向かせて胸に抱き留めると、うっすらと汗を浮かべたその白い額に接
吻けて言った。
「初めてだな、おまえがあんなに風に俺を求めてくれたのは・・・」
 そう、今まで、幾度、肌を合わせてもケンはいつもどこかで俺を拒み続けて来た。
 だが、それも無理からぬ事と俺は半ば諦めていたのだ。そう、あの時、甦った俺は・・・
 身の内に隠された " 黒い力 " 故の命、それ故の強さ、それ故の使命がある限り俺は−
(ジョー!)
 俺を呼ぶおまえの声。その空の色の瞳。再び会う事が叶ったその微笑み。
(ジョー?)
「なぜだ?」と問うおまえを俺は振り切らなければならなかった。
 だが、必ず繰り返さねばならぬ " 別れ " なら、俺はおまえを哀しませたくなかった。
 だから俺は、「よせっ!」と叫ぶおまえを力づくで犯したのだ。
 再び哀しませるくらいなら、俺はおまえに憎まれたかった。
 再び別れた後、おまえがホッと安堵するほどに。
「ジョーなんか、居ない方が良かった」と思うほどに。
 だが、おまえは俺を憎まずに赦した。
 いや、憎んではいただろう。押さえ込む度、辱める度、おまえは怒りと屈辱に身体を震
わせ、頑に目蓋を閉ざして、俺から顔を背け続けて来たものな。血が出るほどに強く唇を
噛みしめて、声さえも上げずに・・・
 だが、それでもおまえは俺を赦してくれたんだ。
 だから、ケン、俺を赦すなら・・・


「ケン」
 俺は胸に抱いたケンに言った。ずっとずっと、言いたかった事を。
「うん?」
「おまえは俺を赦してくれた。だからもう自分を赦せよ、ケン」
 そうじゃないと、俺は・・・と思わず口籠った俺の頬に自分の頬を擦り寄せて、ケンは
 小さく頷いた。
「ジョー、おまえ・・・」
「ん?」
 ケンは俺の頬に片頬を付けたまま、一つ、深く息を吸うと静かな声で訊いた。
「" おまえ " 、さっき、俺を置いて行ったんだよな?」
 ああ・・・やはりケンには " 俺 " と俺が交わしたあの会話が聴こえていたのだ。
「そうだ。ケン、" 俺 " は、やっとおまえと同じになれたんだ。あの時、あの霧の中で、
俺を置いて行かなければならなかったおまえと、よ」
 うん、とケンは今度はしっかりと頷くと、頬を離して真直ぐに俺の目を凝視めた。
 どこまでも綺麗に澄んだその空の色の瞳には、今、俺だけが映っていた。


 俺とケンの間柄で、と考えると些か奇異にも思えるが、一番親しいからこそ存在し続け
た蟠りであり、確執だったのだろう。だが、それももう解けた。そう、俺はようやくケン
の辛さを知る事が・・・いや、独り残される " 本当の " 辛さは、こんなものでは無いの
だろうが・・・

 真夜中過ぎ、俺は腕に異様に高いケンの体温を感じて目を開けた。
「おい、ケン」
 揺さぶるとケンは物憂げに目を開けたが、やはり高熱がずいぶんと辛いのか、何も言わ
ずにただ首を横に振るばかりだった。
「どうした?何が " いや " なんだ?」
 否、駄目、NO?・・・俺にはケンの意思が分からなかったが、まずこの熱をどうにか
しなくては−、と起き上がろうとした腕を思いがけぬほどの力でケンが引き戻した。覗き
込めばその瞳は、弱々しいがきっぱりとした光をたたえており・・・
「そうか・・・分かったよ」
 " 何もするな " 、ケンはそう言いたかったのだ。そう、ケンが、" 俺 " が、言うように
リアクター抜きではもう為す術は無いのだ。だから俺は、分かったよ、と繰り返してあい
つの熱い身体を胸に抱いた。ホッとしたように、あいつは小さな溜め息を吐いてゆっくり
と目を閉じながら、微かな声で言った。
「ジョー、頼む。このまま眠らせてくれ」
 ああ、と頷きはしたものの、俺は思わず震えてしまった。このまま、ケンは逝ってしま
うのだろうか?もう二度と目を開ける事も、微笑みを見せる事も無く、手の届かない処へ
と旅立ってしまうのだろうか?・・・ケンの辛さが解ったの知ったのと言いながら、そう
考えただけで俺は・・・

 いや、駄目だ!俺はケンの願いを見届けると約束したではないか・・・!
 と、そんな俺の心を見透かしたように、
「ジョー」
 目を閉じたまま、ケンが静かに言い出した。
「ジョー、俺を彼処へ置いて来い」
「何だって?おい、ケン、おまえどう言うつもりでそんな・・・」
 閉じたままの長い睫毛から涙が一筋、ツゥ−っと頬を伝った。
「ジョー、俺がおまえにしたように俺を彼処へ置いて、おまえは−」
 顔を背けるようにしながら、そんな事を言い続けるケンに俺が、
「俺を見損なうなよ、ケン!」
 と、ぴしゃりと言い返すと、ケンはハッとしたように目を開けて、涙に濡れた瞳を俺に
向けた。
「馬鹿野郎!おまえの最期は俺が看取ってやらぁ」
 あの時、おまえがしたくても出来なかった事だもんな・・・どんなにか辛かった事だろ
うぜ、ケン。おまえは涙を拭って俺に永別れを告げたっけ。俺に " 心 " をくれたっけ。
あれから、おまえは俺に手向けたあのトリを二度と手にする事は無かったな。戻って来た
俺がまたおまえを裏切っても、おまえは決して俺を裏切ろうとはしなかったな・・・嬉し
かったぜ、ケン。ヒトでなくなってしまった俺を支え続けたのは、もしかしたらおまえが
くれたおまえの " 心 " だけだったのかも知れない。だから、俺はきっとおまえを・・・
「ジョー・・・」
「この間までの俺なら、おまえの言うなりに彼処へ連れ戻したろうさ。だが、もうそんな
事は−」
 ・・・出来やしねえ。
 俺の脳裏に " 俺 " がもたらした忌わしい " 事実 " が走る・・・

『サブジェクトG1を対象とした研究の概要:成体生細胞におけるミューテイショニング
実験・・・再生情報の組み換えによる成体生細胞の変異と、成体実質に及ぼす影響・・・
ミューテイションモデル:サブジェクトG2及びファイルK、変異目標:ファイルKに記
された雌雄混合体の生成及びサブジェクトG2とのセル・ブリーディング』

 ・・・畜生!畜生!
 " 生きる " 為にリアクターに縋らなくてはならないケンに、何て事を!
(言っただろう?俺は " 造り換え " られたんだ)
 と、あの夜、おまえは静かな声で言ったっけ。そう、おまえも俺同様に、いやその
" ベース " となったのは俺のデーター、単なるメカニズムではない、 " 人智を超えた
" 操作を経て、生命を造り変えられた俺のものなのだ。

 ・・・畜生!畜生!
 おまえの身の内にも " 黒い力 " は宿らされてしまったのか?
 おまえに俺の子を孕ませるだと?そんな事は不可能だ!
 ファイルKに記された " K " はおまえでは無い。
 その雌雄同体のミュータントとは、あの・・・
 ・・・畜生!・・・畜生!


 俺はあいつをしっかりと抱きしめると、
「ケン、ケンッ!」
 と、ただその名を呼んで、乾いたあいつの唇に接吻けた。

(さあ、何も心配するな。こうして抱いているからゆっくり眠るんだ)
(このまま、俺が目醒めなかったらおまえはどうする?)
(そうだな、おまえが目醒めなくなったら、それでもこうして抱いたまま、こうしてキス
してやるさ)
(埋めてはくれないのか?)
(埋める?それじゃあ、でかい穴を掘ってその底でこうして抱いててやるぜ)
(俺が骨になっちまったら?)
(骨になっちまっても、さ。そうしてるうちに、俺のエネルギーも尽きて動けなくなるだ
ろうぜ)
 そう、百年も経てば不死身のサイボーグだってただのガラクタさ、と俺が笑うと、ケン
は、古い白骨を抱いた壊れたサイボーグが墓穴に埋まっている図は些かシュールだな、と
真面目な顔で言い、
(でも、何だか可笑しいや)
 と、やっと笑ってくれた。
(ははは、でも、悪かないだろ?ロマンティックなSF映画みたいだ)
(そうかなあ?だが、SFじゃなくてホラー映画だろ)
(ホラー映画じゃねえよ、SF映画だ)
(で、それがラストシーンなのか?)
(いいや、まだ続きがある)
(どんな?)
(やがて俺達の亡骸は宇宙人だか未来人だかに発見されて−)
(え、発見されて?)
(そいつらの進んだ科学によって甦り、俺達は再び巡り会うんだ)
(ふふふ、ジョー、おまえって本当にロマンティストなんだな。でも、いいラストシーン
だ。気に入ったぜ)
(だろ?さ、眠れよ、ケン。何も心配せずにな・・・)


 そんな風に死ぬ事を笑って語り合いながら、俺達は抱き合って眠り、目が醒めれば互い
にそれを喜び合い、接吻けて過ごした。
「何故だろう?」
 熱が下がり、呼吸が楽になり、肩の傷が徐々に癒えた事をケンはそう訝しんだが、俺には
漠然とだが思い当たる事があった。或いは・・・ " 黒い力 " を宿らされた事によってケンは
俺の中にあるそれと同調するようになったのではないだろうか?・・・と。
 だが、俺はそれをケンには告げはしなかった。ただ笑って、
「何故でもいいじゃねえか。俺はおまえが元気ならそれでいいさ」
 墓穴を掘る手間も省けるし、それに生きていれば美味い物も食えるしな、と俺が言うと、
「ははは、そうだな」
 と、明るく笑い返して力強く頷いた。
「な、俺のアジ料理も食ってみないか?本当に美味いんだぜ」
「絶対にイヤだ!」
「ちぇ、ケン、おまえはどうしてそう強情なんだ?」
「ふん、イヤな物はイヤだ。死んでも食わん」
 ったく!と舌打ちしながら、俺もケンもいつしか笑っていた。
 もう忘れてしまった日々に、巫山戯合い、笑い合って暮らしたあの頃のように・・・
 

 シヌマデ、コウシテ・・・
 シンデモ、コウシテ・・・
 オマエト、イル。イッショニ、イル。
 ズット、ズット・・・
 モウ、ハナレハ、シナイ。
 ズット、ズット・・・ズット、ズット・・・

 そして、晴れた夏の空のように鮮やかに輝くその青い瞳を見ながら、俺はケンと一緒に、
 いつの日にかトオルを訪ねる事が叶うかも知れないな、と思った。


 −ある日の記憶 /海辺の小さな別荘に戻って一ケ月、再び " 夢 " を取り戻した日−



 - The End -
 



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