I wish ....(1)

by さゆり。

< 1 >

 大理石のマントルピースの前に置かれた椅子の上にいたロシアンブルーが、
(にゃあ)
 と、小さく一声鳴いて、庭のテラスへと通じる大きなフランス窓へと走って行った。おや?と島田がその後を追うと、テラスの端に少し前から降り出した雪に白くなった小さな人影があった。
「・・・健さま?」
 慌てて大きなガラス戸を開けてそう呼び掛けると、濃紺のオーバーコートを寒そうにかき合わせたまま、空色の人懐こそうな目をした少年が微笑んだ。
「健さま、驚きましたよ。さ、早くお入りになって・・・お帰りだとは伺っていなかったものですから、気がつきませんで失礼を致しました。」
 オーバーコートとチョコレート色の髪から雪を払う少年を急ぎ招じ入れて、火の側へ連れて行くと、かじかんだ指先を掌に包んでこすってやった。
「どうなさったのです?お寒かったでしょうに。御連絡頂ければ、迎えをやりましたものを・・・。」 
(にゃあにゃあ)
 猫が島田の言葉を遮るように、鳴きながら健と呼ばれた少年のグレーフランネルのズボンにまとわりつく。
「バシュカ、バシュカ!元気だったんだね?ああ、良かった!」
 もうずいぶんと老齢なのか、毛艶の冴えぬその猫を抱き上げて、健は嬉しそうに頬擦りをすると、
「申し訳けありません、島田さん。バシュカの夢を見たものですから、連絡もせずに帰って来てしまいました。」
 と、まるで大人のような口調で詫びた。ああ、この子は・・・と、しかし、島田は何も言わずに頷くと、分かっていますよ、との思いを込めて微笑んだ。

 アメリス合衆国の首都であり、東部に位置するアメガポリスシティは摩天楼の大都会だが、その郊外にあるここは鬱蒼とした森に囲まれた静かな処で、新しくやって来る住人はほとんどいない。昔からかなり裕福な、またかなり地位の有る者の邸宅がその森の木々の中に点在する、時が止まったように静かな街だった。そこに建つ南部の大きな屋敷に健がバシュカと共に連れて来られたのは4年前、南部の親友であり、テストパイロットだった健の父親がテスト飛行中に行方不明になるという悲劇に見舞われた年の暮れの事だった。
(お母さんはどこ?)
 まだ幼かった健は、折りにつけそう訊ねては泣き出したが、彼の母親は持病が悪化して長期の入院を余儀無くされており、もう健を育てる事は出来なかった。もともと、身体が弱い人だったらしいが、頼りにしていた夫が悲劇に遭遇した事で精神的な支えを失ったのだろう。それが明確に解るだけに、南部はいたたまれない。しかし感傷に浸って、親友と彼自身の信念と目的を、地球の未来を見捨てる事は出来ない。だからせめてこの子だけは、と健を引き取った。健を立派に育てる事が自分に出来る唯一の償いだと、考えたのだ。
 だが、身近に子供と接した経験のない南部にはどうして良いのか分からない事ばかりだったし、まして南部は予てからの研究や計画を進めるために多忙で
ある。一緒にいてやりたいと思っても、そうする事すら出来ない毎日だった。

 ある朝、南部の父の代からこの屋敷の執事を勤める島田が、
(旦那さま、本日はお早めにお帰りくださいませ。)
 と、言い出した。
(何か用事でもあるのかね?)
 怪訝そうに尋ね返す主人に、はい、と頷くと少し緊張した面持ちで答えた。
(今日はクリスマス・イヴでございますから。)
 そうか、と南部は出掛けて行き、そして夕方にならぬうちに戻って来ると、南部邸は久しぶりにクリスマスらしい12月24日の夜を迎えた。運び込まれた樅の木の天辺には星が飾られ、根元には大小のプレゼントが並べられ、はしゃぎ回る健は思いがけぬ来客に嬌声を上げた。
(マーサ!マーサ、どうしたの?)
(健坊や、メリー・クリスマス!さぁ、ケーキを焼いて来ましたよ。)
 晴れやかに笑うふくよかな婦人は健の乳母だったマーサだ。嬉しくて、懐かしくて、健は何度もマーサに抱きついて、プレゼントの中身を盗み見ようとしては島田に嗜められ、そんな様子に南部までが声を立てて笑った。
 幸せな夜だった。幸せなクリスマスだった。
 父や母と過ごしたクリスマスと同じくらいに・・・。
 
 子供は順応性が高いし、特に健は明るく利発な子だったから、間もなく変則的な生活にも慣れたようだったが、まさか子供を大人ばかりの屋敷で育てる訳には行かない。南部は児童教育の専門家や学識者に相談した上で、健を全寮制のパブリック・スクールのプレ・スクールに入学させた。南部自身も同様の寮で育ったし、数年して、中学へ上がる年齢になれば健の両親もきっとそうしただろうと思われたからだった。

「島田さん、南部博士は?」
 熱いココアに頬の赤みを取り戻した健がふいに、そう訊ねた。
「本日はお帰りにならない御予定ですが、お電話を入れてみましょう。健さまがお戻りになったと聞けば、きっとお帰りになるでしょうから。」
「でも・・・僕、バシュカに会ったから、学校に帰ります。」
「えっ、今からですか?旦那さまにはお会いにならないのですか?」
 うん、と可愛い顎を引いて健は頷いた。
「もうじきクリスマスのお休みでしょう?このまま、ここでクリスマスをー」「だから、帰らなくっちゃ・・・」
 健はバシュカの背を撫でながら、一瞬だけ泣きそうな表情になったが、瞬くと、今度はきっぱりと顔を上げて続けた。
「一緒にクリスマスをお祝いしようって、サブと約束したんだもの。」
 サブと言う名前には聞き覚えがあった。詳しくは知らないが、健と同じように両親の元へ帰る事が出来ない事情がある少年らしい。
(自分がお寂しいだけに、お友達の寂しさがよく解ると言う訳ですか?)
 まだお小さいのに、と島田はそんな健が堪らなくいじらしかった。それに、健からは言い出さないが、きっと本当はすぐにでも南部に帰って来て欲しいに違いないのだ。そして、自分を抱きしめて欲しいに決まっているのだ。
「サブったらね、すぐに泣くんですよ。泣き虫だから余計に苛められるんだ。サブだって帰りたくなくて寮にいる訳じゃないんだよ。帰りたいに決まってるじゃないか・・・家に帰りたくない奴なんて、お母さんやお父さんに会いたくない奴なんている訳がないじゃないかっ!だから、俺・・・」
 畳み掛けるように言いかけた言葉をハッとしたように飲み込んで、健は空色の瞳を2、3度、瞬かせた。
「健さま、やはり電話をしましょう。旦那さまは必ず・・・」
 待って!と健は思わず行きかけた島田の腕を掴んだ。
 そして、にこりといつもの笑顔を見せると、
「うん、博士はびっくりして、それで・・・大急ぎで帰って来るよね?」
 と、何かを確かめるように、祈るように、訊いた。
 笑ってはいたが、そのあまりにも真剣な眼差しに島田は怯んだ。そうに違いないのだが、予定に縛られた南部の事だ。100%、今すぐ帰邸出来ると言い切れる保証はどこにも無い。もし?と、それを考えると、健の怖れが解る気がした。だから、島田はただ頷いて、
「はい、必ずお帰りになりますよ。きっと大急ぎでお帰りになりますとも!」
 そう答えるしか術が無かった。
 祈りは祈りのまま、健はその祈りを乗り越えようとしていた。
 
< 2 >
 
 北の小国・フランベルはクリスマスで有名な国である。12月に入ると盛大な行事が続き、国中に美しいイルミネーションをまとった雪像などが飾られ、多くの観光客を集める。彼らからの貴重な外貨は、内乱を経て平和を取り戻したフランベル復興のために必要不可欠なものとなっていた。国民の祈りが、命を賭けた願いが、独裁者によって強いられた暗黒のクリスマスを輝かしいものへと変える事に成功したのだが・・・。
 
「じゃ、そのソムレー将軍がギャラクターと手を組んだって訳か?」
 思わず大きな声を出したジョーに、健はシッ、と唇に指を当てて見せると、自らも声を落とし、何食わぬ顔で、
「ああ、このミーベという知事が曲者らしいという情報は、国連と国際科学技術庁でも掴んでいるらしいぜ。」
 と、独裁者を追い出し、平和を勝ち得たクリスマスの日に挙行される平和記念祭のポスターを眺めたまま答えた。
「そこまで分かっているんなら、とっとと手を打ちゃいいじゃねぇか!」
 相変わらず短気なジョーは機嫌が悪い。
「情報だけで確証が無いんだぞ?国連と言えども内政干渉は出来んから、博士が俺達をここに寄越したんじゃないか。」
 落ち着けよ、と微笑んで、健はじっと立ち止まっているには寒過ぎる街路を何処へ行くとはなしに歩き出した。待てよ、とジョーがその後を追う。
「奴らが何かを仕出かしてからでなきゃ動けないんじゃ、いつまで経っても俺達に勝ち目は無いぜ。先手必勝!そうだろ、健?」
「うーん、だが今回は奴らの目的が分からん。ソムレーにとっては一方的に美味い話しだろうが、カッツェにとってのメリットは何だ?この国には碌な資源も無いし、戦略的に特に重要な地点でも無いし・・・」
「へん!あの陰険な山猫野郎はみんなで平和を祝うってのが気に食わねぇんだよ。根性曲がりの捻くれた嫌がらせに決まってらぁ。」
 はは、と笑って、健はジョーが寒そうにしっかりと巻き付けていたマフラーを素早く抜き取ると、
「さすがは捻くれ者同士だな。面白い意見だぜ、ジョー!」
 と、揶揄った。馬鹿野郎、返せ!とジョーもさすがに俊敏な動作でマフラーの端を掴んだので、引っ張り合いになった。端から見れば、浮かれた観光客が巫山戯ているとしか見えないだろう。クリスマスの休暇を有名なクリスマスの国で過ごそうとやって来た学生だろうか?親の臑を齧って、いや、きっと少しはバイトなんかもしたのだろうが、流行りの格好をしてまるで子供のように路上で巫山戯合うなんて、いい御身分だな、と思われている事だろう・・・と、健はふとそんな事を思った。
(奴らがいなかったら、俺達は本当にそんなもんだったかも知れないな。)

 きっと俺はあのまま東部のパブリック・スクールを卒業して、今頃は大学生だったろう。そして、クリスマスと新年を祝うためにあの屋敷に戻っていただろう・・・いや、待てよ。奴らがいなかったら、親父と別れる必要も無かった訳だから、小さい頃に住んでいたあの家にいたのかな?・・・よく憶えていないけど、テラスがあって、芝生の庭で親父と模型飛行機で遊んだっけ・・・と、そんな事までがしきりと思い出される。
 ちょうど目の前を母子と思しき、優しそうな女性と腕白そうな男の子が連れ立って歩いていた。一軒の店の前で、毛糸の帽子を被った男の子が何かわがままでも言っているらしく、女性は笑いながら首を横に振っている。そんな光景を目にしたからか、母親の事までが脳裏に浮かんだ・・・母さんとあんな風に外出した記憶は無いな・・・もうあの頃から、具合が良くなかったんだろうか?・・・でも、親父があのまま俺達と一緒に暮らしていたら、母さんは今も生きていただろうか?

 振り返ると、子供はまだ駄々をこねているらしい。
(いいなぁ、君には甘えられる母さんがいて・・・。)
 思わず沸き上がった愚にもつかない感傷に、健はハッとして隣のジョーを見遣った。と、ジョーも母子に興味があるのか、やはり肩越しに2人を見ている。出会ったばかりの頃、ジョーは健にそう言った事があった。いや、正確には一緒に暮らすようになってしばらく経ってからの事で、それは頑に健を拒み続けていたジョーが初めて見せたジョーの素顔だった。ジョーの本音だった。
(ちぇ、もう子供じゃないのに、こんな時に親父やお袋の事を思い出すなんて、俺も未練な男だな。ジョーに知れたら何を言われる事やら・・・。)
 と、思わず健が苦笑した時、ジョーが、
「いいぞ、坊主、頑張れよ!ねばってそのオモチャをゲットしろ!」
 ひどく愉快そうにそう独り言ちた。
「ジョー、何であの子があのオモチャを欲しがってるって分かるんだ?」
「健、だっておまえ・・・」
 心底、驚いた様子で問う健の円く見開かれた空色の瞳に、ジョーは一瞬、訳が分からなかった。健、だっておまえ、クリスマスのプレゼントに欲しいものを強請った事がないのか?・・・青灰色のジョーの目を見つめたまま、健はじっと答えを待っている。だが、
「あー、いけねぇや、降って来やがった・・・」
 と、ジョーはまた音も無く舞い落ち始めた六角形の花に救いを求めた。健も急に暗くなった空を仰いで、
「よし、一旦、ホテルへ戻ろう。」
 と、頷いた。どうやらさっきの質問は忘れてくれたらしい。
「ああ、そうしよう。すっかり凍えちまったからな、温かい物を食って、少しはのんびりと・・・。」
「サボる事ばかり考えるなよ、ジョー。調査は深夜、市民が寝静まってから再開だ。夜中なら羽毛のマントが着られるから寒くないぞ。」
「ちぇっ、任務の虫め!ふぅ、考えただけでもうんざりするぜ。」
 大袈裟に溜め息をついて(もちろん、それはホテルへ帰れるからではなかった)健の襟元から奪回したマフラーをまたきっちりと首に巻くジョーに、まったく寒がりな奴だな、おまえは・・・と、屈託なく笑う健の横顔を盗み見て、ジョーはふと思った。
 願う事が叶わぬよりも、願う事を知らぬ方が遥かに辛い・・・。
 だが、願う事を知った時、健はそれに気付くだろうか?


 こじんまりとしたホテルのロビーにも古めかしいマントルピースがあった。寒さは飢えに似ている。貪るように暖かさが欲しくなるもので、特に赤々と燃える炎に惹き付けられない者は無いだろう。太古の昔、人がまだ「火」というものしか手に入れていなかった頃の記憶なのかも知れないな、と健はそんな事を言い、ジョーはジョーで、石造りの竃で焼いた本物のピッツァが食いたいや、等と勝手な事をそれぞれに言いながら、静かに燃え続ける優しい炎に当たっていた。おかえりなさい、と人の良さそうな主人が2人にシェリーを持って来てくれた。
「ありがとうございます。」
 健は育ちが良いから礼儀正しい。人懐こい笑顔を浮かべ、丁寧に礼を言ってグラスを受け取る健が、最初に引き会わされた時の健と重なって見えた。そう装っているつもりは無いのだろうし、自然とそう振る舞う健も本当の健には違い無いのだが、ジョーにはそれがいつも気に食わなかった。
(良い子ぶりやがって!)
 以前はそうだと思い込んでいた。ジョーはとことんプライドが高いから、他人に媚びて生きるくらいなら死んだ方がマシだと言うタイプだったし、生来の気性に、故郷での育ちが磨きをかけたのだろう。実際、ああいった世界では実力者の息子というのは、無条件で周囲にチヤホヤされ、大事にされるもので、ジョーにはそれが当たり前の生活だった。気に食わないものに笑顔を見せてまで、気に入られたくはない・・・やたら挑戦的で物知らずなガキだったな、と今、考えればジョー自身、些か恥ずかしくなる。

「なぁ、健・・・。」
「うん?」
「ついぞ訊いた事も無かったけどよ、おまえはいつから博士の家にいたんだ?ユートランドの別荘へ来たのは俺よりも後だったが、東部の屋敷の方にもっと前からいたんだろ?」
「うん、そうだよ。ええと、親父が行方不明になった年だった筈だから・・・4つか5つの時だったかな?」
「へぇ、それじゃお袋さんも一緒だったのか?」
 健はギュッと眉を寄せたが、だがごく穏やかな口調のまま、
「いや、もうその頃からお袋が入院しちまったんで、博士がバシュカと俺をあの屋敷に引き取ったんだよ。」
 と、続けた。
「バシュカって?」
「ああ、猫の名前だよ。俺が生まれる前から、お袋が可愛がってたロシアン・ブルーって猫さ。で、俺は博士の屋敷で・・・。」

 2人はもう10年以上、兄弟同然のつきあいだったが、お互いにこうした身の上話しめいたもはまったく口にした事が無かった。断片的に知っている事はあっても、それは偶然、何か他の話のついでに聞いた、という類いのものでしかなかった。意識的に避けて来たのだろうか?とも思う。例えば両親の名前さえ分からぬ甚平がいる時には絶対にしてはならぬ話だし、ジュンに対しても似たようなものだ。ジュンはアッケラカンとしているが、だからと言ってわざわざ持ち出す話題ではない。唯一、家族が健在な竜は一応は気を遣っている様子だが、やはり皆の神経をそうとは気付かずに逆撫でする事もある。また、家族がある事を理由に敵前に立たせない健に対して、「自分は損だ」と言う事さえあった。やはり絶対に理解し合えない部分なのだろう、と健は思う。
 それは仕方が無い事だ、と納得もしていた。無いものは無いし、有るものは有るのだ・・・羨んだり、恨んだりしたところでどうする事も出来やしない・・・それは健が辿り着いたひとつの結論でもあった。

「・・・それで、俺はそのプレ・スクールの寮で暮らす事になったのさ。」
「寂しかったろう?たった一人で、見知らぬ学校へやられて。」
「いや、そうでもなかったよ。親がいようといまいと、とにかく生徒はみんな寄宿舎暮らしだもの。でもなぁ・・・」
「うん・・・?」
 名門パブリック・スクールに進むための予備的存在だったプレ・スクールには、伝統的に篤志家達の寄付に養われた寮生が数名いた。広義の意味では健もそれに分類されるべきなのだろうが、南部の力でそうはならなかった。だが、健自身の心は「数名」の方にあったらしい。いや、ただ単に健が持って生まれ、繰り返し父親や南部に教えられた「正義感」故、だったかも知れないが、何か対立や差別と思しき事があれば健は迷うこと無く彼らに加担した。
 健は強かったから「暴れん坊」と渾名され、上級生からも一目置かれるようになるのにそう時間はかからなかったが、代わりに徹底的な苛めに会う事もあった。しかし、喧嘩なら負けなかったし、くだらぬ意地悪なら歯牙にも掛けなかったのだが・・・。
 ある日、寮の中庭にある花壇に小さな十字架が立った。
 小鳥等を埋葬してやる場所でもあったので、特に気にもせずに何気なく読んだ墓碑名に健は愕然とした。油性マジックで乱暴に書かれていたのはバシュカの名だったのだ・・・バシュカの事を知っている寮友は数える程しかいない。そして、そいつらは本当の「友達」の筈だったんだがね、と言い・・・健は、ふふ、と自嘲気味に笑った。
「つまり助けてやってた奴らに裏切られたって訳か?ひでぇな、そりゃ。」
 こういう時に下手に慰めたりするのは却って相手を傷つける。だからジョーは眉を寄せて、ひでえ話しだなぁ、と繰り返した。
「子供って言うのは結構、残酷だからな。でも、そんな訳で、俺はとうとう我慢が出来なくなってさ。もうこんな処にいるものかと思ったんだ。それにやっぱりバシュカの事が気になってな、あいつが死んじまった夢ばかり見るんだよ。それである日、こっそり学校を抜け出して、一人で博士の屋敷に帰ったんだ。ちょうど今くらいの季節だったっけ。そう、もうじきクリスマスって頃で、あの日も雪が降っていたなぁ。」
「ふーん・・・。」

 甘いシェリーが空っぽの胃をほどよく温めたせいか、健はいつもならしないような話を珍しいくらい喋った。健もまたジョーに負けず劣らずプライドが高く、そしてジョー以上に気が強くて見栄坊だったので、何があろうとも弱音というものは吐いた事が無かった。ジョーが自らの反抗的な子供時代を「恥ずかしい」と感じるのと同様に、健もまた、いや、人は皆、不完全な甘えだけで過ごせた子供の頃なんて、忘れてしまいたいと思うものなのではないだろうか?
 だが、健は穏やかな口調のまま、淡々と話し続けたし、ジョーはジョーで、訊きたい事を率直に口にし、そして静かに相槌を打った。

「思い出すなぁ・・・寒くて寒くて、どうしようもなかったけれど、俺は屋敷の扉を叩けなかった。で、庭に回って、リビングの窓から部屋を覗いたんだ。バシュカはマントルピースの前にいるだろうから、一目でいい、あいつの姿を見たいと思って・・・そうしたら・・・。」
 健はじっと炎を見つめたまま、嬉しそうにゆっくりと口元を綻ばせた。
「バシュカが俺を見つけてくれたんだよ。」
「良かったな、健。おまえの願いは神様に聞き届けられたんだな。」
 ああ、と頷いて、健は、
「バシュカは元気だった。俺に頬擦りして甘えてくれた。何度も何度も・・・それから・・・島田さんが泊まって行けって言ってくれて、俺はすっかり眠っちまってたんだが、博士が、博士が帰って来てくれたんだ!」
 どうだい?すごいだろう、とまるで苦手な科目で満点を取った子供のように得意気な顔を真直ぐに向けて、健は話しを続けた。

(・・・健、健!)
 と、揺り起されて目を開ければ、ナイトランプの灯りの中には待っていた人が居り、思わず抱きついたその人は見た事もないカバーオールを着ていて、嗅ぎ慣れた機械油の匂いがした。飛行機のところへ行った時の父の匂いを、健は記憶していたらしい。懐かしさが倍になり、嬉しさも倍になった気がした。
(なんで博士からお父さんの匂いがするんだろう?)
 確かめようと、大きく目を開けてその人を改めて見れば、いつもはきちんと整えられている濃褐色の髪は乱れたままで、溢れた涙に濡れた頬を擦り寄せたその人の頬には無精髭さえあったが・・・新型のVTOL機を大空へ羽撃かせるための大事な実験中だった事は、ずいぶんと後になってから知った・・・待ち焦がれたその人の顔は今までで一番優しく見えたし、今までは感じなかった親近感を覚えた。と、堰を切ったように感情が、わがままが、告げたかった事が溢れた。遮二無二しがみつくと、健は泣きながら叫んだ。
(もう嫌だっ!お父さんに、お母さんに会わせてよっ!)
 と・・・。
 泣いて喚き散らしたところで、それが無駄なのは健にも分かっていた。でもどうにも抑え切れなくて、健は南部の胸に顔を埋めてわぁわぁと泣き続けた。南部は何度も頷いて、擬古ちない手つきでチョコレート色の髪を撫でながら、
静かな声で繰り返した。
(分かっている、分かっているよ、健。)
 と・・・。


「ふぅん、聞き分けのいいおまえにもそんな頃があったんだなぁ。ま、今でも真っ向から博士に逆らうのは、健、おまえだけだもんな。」
 うるさいな、と健は手を伸ばして、ジョーのダーク・ブロンドをくしゃっと掻き回すと、照れ隠しなのか、ふん、と威張った顔で言い返した。
「おまえがパーパやマーマの側でわがまま言ってた頃の話だぞ。俺だってガキだったんだ。仕方がないだろ?」
「ああ、仕方がねぇさ。なぁ、健、打ち明け話のついでと言っちゃなんだが、今のおまえの願いってやつを、俺に聞かせちゃもらえないか?」
 ジョーは片目をつぶって彼独特の笑い方で笑うと、健の肩をポンと叩いた。
 ん?と言うように健はじっとジョーの青灰色の瞳を覗き込む。ややあって、すっ、と視線を外すと、その空色の澄んだ瞳を細めて、健は遠くを見るような目つきのまま、少し恥ずかしそうにゆっくりと告げた。
「そうだな、戦いも任務もどうでもいいから、俺はうんと小さかった頃に親父やお袋と過ごしたみたいな当たり前のクリスマスってやつを、ジョー、おまえや博士や、それからみんなともう一遍祝ってみたいぜ。」
「なんでぇ、そんな事か・・・。」
 と、ジョーは笑った。だが、それは決して叶わぬ望みだ。
(何も無かった頃には還れない。何も知らなかった自分には戻れない。)
 それは健もジョーも、嫌と言うほど思い知らされて来た事実だった。だが、いつの日か、それらを乗り越えられる日も来るだろう。そうしたら・・・と、だから健は敢えて叶わぬ望みに夢を託したのだ・・・ジョーにはそれがよく解った。だからジョーも明るく笑って、
「よーし、そのクリスマスを祝う時にはでっかい樅の木を飾って、とびっきりのシャンパンを用意しよう!御馳走とケーキはマーサに頼もう。全部、俺が奢ってやるぜ。それで、プレゼントは何がいいんだ、健?」
 と、訊いた。
「ふふふ、ゆっくりと考えさせてくれよ、ジョー。おまえの奢りなら、それこそとびっきりの物を強請らなくっちゃな!」

 クリスマスの国に静かに降り積もる雪を眺めながら、健はいつかは訪れるであろうその夕べに思いを馳せた。
 願う事が叶わぬよりも、願う事を知らぬ方が遥かに寂しい・・・。
 だが、願う事を知った今、健の願いは叶うのだろうか?

 祈りは祈りのまま、健はその祈りを・・・・・。


- The End -


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