HONEY AND LEMON

by 小市民

 遠くを飛ぶ飛行機の音で朦朧とした意識が引き戻される。カーテンを引いたままの薄暗
い室内のベッドサイドの時計が目に入る。健はぼんやりと秒針が回転していくのを見つめた。
 頭は割れるように痛く、肩や腕の節々も悲鳴を上げている。
(自分の体調管理もできないなんて、忍者隊失格だな・・・。)
 独り言のように呟こうとしたが、気管支は焼けるように熱く声にならない。
 確か戸棚に解熱剤のストックがあったはず・・・、と起きあがろうとするが、身体が意
思どおりに動かない。
 唯一の救いは、今日のスケジュールがOFFだったことくらいだろうか?だが明日は・・・
そんなことを考えているうちに、再び意識は奈落の底へ落ちていった。

***

 眼前に広がる光景は、広くはないが木の温もりに包まれた子供部屋だった。部屋の中央
には空色のカーペットが敷かれ、カーテンやベッドカバーの色も揃えられている。隅の棚
にはその年頃の男の子には珍しくない、積み木やミニカーやロボットといったおもちゃが
並べられていた。唯一、壁にピンで留められた旧式のプロペラ機のポストカードが、その
子供部屋にはやけに不釣り合いだった。
健はまどろみながら幼い頃の夢を見ていた・・・。
「あら、やっとお熱が下がったようね、健・・・だからあんな薄着で遅くまで遊んでちゃ
ダメとあれほど言ったでしょう?」
「ごめんなさい、ママ。」
 額に手を当てながら軽く諫めるように、しかしそれ以上の安堵のこもったような声に、
健は心地よさを感じていた。

 幼少期の健は身体が丈夫ではなく、よく風邪で熱を出しては、母を慌てさせたものだっ
た。そんな健のことを母はいつも気遣い、献身的に看病してくれたものだった。
「さ、大分汗をかいたみたいだから、お着替えをしましょうね。それとお薬を飲まないと
ね。」
「僕・・・、お薬飲まなくても大丈夫だよ。ちゃんと治るよ。」
「苦いからって、この子はまた・・・お薬飲まないと、お熱が下がらないでしょう?明後
日のアキラくんのお誕生会に行けなくなってしまうわよ。いつものアレ、作ってあげるか
ら・・・。」
 言い聞かせるようにしながら、彼女は手早く息子のパジャマを着替えさせ、汗で湿った
シーツを取り替えた。
 再びベッドに戻った健には飛行機の絵柄が入った厚手のマグカップが手渡される。じん
わりと暖かさの伝わってくるそれを、小さい両手で包み込むように抱えて口に持っていく
と、甘酸っぱい香りが鼻腔を刺激し、こそばゆい安心感を与えてくれた。風邪を引いて食
欲の無くなった健に、母が決まって作ってくれるものがハチミツレモンだった。

 空になったマグカップを母に手渡しながら、幼い健は母に聞いた。
「ねぇママ、パパはいつ帰ってくるの?」
「そうね・・・、健が早く風邪を治して、お熱が下がる頃には帰ってくるわ。」
 実際は彼女にも健の父がいつ帰ってくるか判らなかったに違いない。しかし、努めて明
るく答えた。
 父が仕事で留守がちな家庭であったが、母はいつも笑顔を絶やさなかった。いや、そう
努力していたのだろう。彼女の夫が南洋での墜落事故で、事実上は帰らぬ人となったこと
を突き付けられるまでは・・・。

 夢の中で鮮やかに蘇るのは、遠い昔の一場面。
 母が作ってくれたハチミツレモンのように甘くて酸っぱい記憶・・・。
 健は何かを求めるように手を布団から伸ばした。
 懐かしい記憶の中で握られたのは、
 白く華奢でひんやりとした母の手・・・。

***

 ふと気づくと、思いのほか力強く暖かい手に握られていた。薄く開いた瞳には、自分と
同じブレスレッドをした腕が映った。その手を握り返そうとしたが、力が入らず指先がわ
ずかに動いただけであった。
「・・・ジョー?」
 見慣れた仲間の顔を視界に認め、その名を呼ぶ。
 視線で健の呼びかけで答えたジョーは、空いた片の手を健の額にやり、熱が幾分引いた
ことを確かめ幾分安堵する。
「何てぇ弱ったようなツラしてやがるんだ。博士が処方した薬を届けに寄ってみれば・・・
そんな様子じゃ何も食ってないな。何か食べたいものはないか?」
 最大限の思いやりを込めた口調でジョーは聞いた。が、健は無言で首を微かに横に振っ
た。健が食欲を無くすなど、通常では考えられないことだ、とジョーは思った。
 健の元を訪れる前には、これ幸いと「リーダーのくせに健康管理がなってない。」とい
う程度には、軽くなじってやるつもりでいた。普段の任務のときには優等生ぶって、決し
て周りには隙を見せようとしない、リーダーである彼の弱ったところをからかうチャンス
と考えていたから・・・。が、健の所在無げに伸ばされた手を握り、熱で潤んだブルーの
瞳を見つめるうちに、不思議とそんな気分はすっかり萎えてしまっていた。

 ジョーは節くれ立った長い指でダークブラウンの髪の毛をくしゃりと一撫ですると、立
ち上がってキッチンの方へ消えた。再び戻って来た彼の手には、カップが握られていた。
「せめて、薬の前に、まずこれでも飲め。」
 ジョーは健の半身をベッドの上で起こすと、湯気の立ったカップを手渡す。一口含むと、
レモンのほのかな酸味と相まって、蜂蜜の程よい甘い香りが口に広がった。健はさっきの
夢の続きを見ているような感覚に陥り、問うた。
「これは・・・、お前が作ったのか?」
「あぁ、昔、俺が風邪を引くと、母親が作ってくれたのを思い出してな・・・。火傷すん
じゃねぇぞ。」
 照れを隠そうと必要以上にぶっきらぼうになっているジョーがやけに可笑しく感じられ、
また、同時にそんな彼の気遣いが胸に染みる。が、素直に礼をえず、健はつい、からかう
ような言葉を口にしてしまう。
「・・・ジョーがマザコンだったとは初耳だ。」
「誰がマザコンだって?!いつも親父にこだわっているファザコンのお前に言われたくね
ぇな。」
 ジョーもまた、そんな健の強がる心中を理解し、そして彼に向かって言葉を継ぐ。
「ま、それくらい大きな口がきけるようならもう大丈夫だな。さっさと薬を飲んで寝ちま
いな。明晩のレセプションの博士の警護までには復活しろよ。風邪で任務失敗なんてシャ
レにもならないぜ。」
「当たり前だ、そんなこと言われなくてもわかっている。」
 相変わらず口の減らない奴だ、と思いながら、健は不敵に微笑み、答える。
 そこにあったのは、いつもの科学忍者隊のリーダーの眼だった。
(それでこそ、科学忍者隊のリーダーだぜ。)
 ジョーはそれを認めると満足そうに薄く唇で笑んだ。

 ――しばらく経って、健が再び眠ったのを確認すると、ジョーは腰を上げた。去り際に
軽く口づけると、懐かしい甘酸っぱいフレーバーが微かに香った。そして、エンジンをか
けると陽の傾きかけた冬の街へと愛車を駆っていった。

 後日談。ユートランド・シティの郊外にあるトレーラーハウスを健が見舞いのために訪
れたのは、ニューイヤーレセプションで南部博士の警護の任務を無事に終えた数日後のこ
とであった・・・。

THE END
 


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