HONEY AND LEMON
−後日談(おまけVersion)−

by 小市民


 ユートランド・シティの中心部、高層ビルが立ち並ぶ一角にISO本部は位置する。澄み
渡った空に向かって伸びる本部ビルの高層階へ向かうエレベーターの中で南部博士とアン
ダーソン長官は偶然に顔を合わせた。偶然に、とはいっても両人の目的地は一緒であった
からそれほど驚くべきことではない。
 扉が開いた箱の中には両手に資料を抱えて立つ見慣れた先客がおり、その姿を認めると、
アンダーソン長官な親しげに手を挙げてゆったりとした歩調で近寄ると、南部の脇に立ち
並ぶ。他愛のない挨拶を皮切りに、過日のレセプションでの事件に話題が及んだとき、エ
レベーターは目的の階に到着した。

 柔らかい日差しが差し込むガラス張りの廊下を話しながら歩むうち、アンダーソン長官
は、南部博士がいつもと違うことに気付いた。端正に整えられた髪、折り目正しいスーツ
を身につけた姿自体に変わりは無かったが、頬が軽く上気し眼もどこか虚ろな色が加わっ
ている。
「南部博士、顔色が良くないようだが・・・、風邪かね。」
「申し訳ない、体調管理には注意していたつもりなのですが。」
 答えながら、南部博士は心の中で数日前、執務室でしきりに咳をしていたサブリーダー
の顔を苦々しげに思い浮かべた。潜伏期間等、諸々の条件を考慮しても、感染原因は彼以
外にあり得そうにない。
「随分と辛そうだが、今日の評議会は大丈夫かね。代理を立てた方が・・・」
「心配は無用です。大事な評議会を欠席する訳には参りませんからな。代理なんて以ての
外です。先程薬を服用しましたので、そのうち効いてくるでしょう。」
「だったら良いが・・・。しかし、南部博士でも風邪を引くとは。たかが風邪、早く治し
てくれないと困りますな。」
 アンダーソン長官は、わざと茶目っ気たっぷりの口調で言うと、南部は眼鏡に右手をや
りながらちらりと視線を長官の方へ向けると、鋭い言葉を向けた。
「“たかが”とは何をおっしゃいます、ISO長官たる者がその発言は少々認識不足と言わ
ざるを得ませんな。そのインフルエンザで現在なお毎年何万人の死者が出ているか・・・。
それに200x年に鳥インフルエンザが猛威をふるって世界中を震撼させたことをもうお忘
れか?たかがウィルスなどと侮っていると――、」
「いや、これは失礼した。ところで、以前中間報告を受けた、タンパク質合成新システム
の件だが・・・、実用化に向けて話は進んでいるのかね?」

 学術的な話には詳しくないので、アンダーソン長官は慌てて言葉を差し挟み、強引に話
題転換を図った。このままにしておくと、ウィルスの特徴からはじまって変異に至るまで、
延々と続く有り難い講義を聞く羽目になりそうだったから・・・。
 南部はそんなアンダーソン長官の意図を知ってか知らずか、会議場へ向かう歩調は緩め
ずに、タンパク合成システムの展望について要点をかいつまんで説明した。以前懸案事項
となっていた、廃水処理の問題に解決の目処がついたこと、実用化試験まであと一歩であ
ることを聞くと、アンダーソン長官は満足そうに南部博士を労った。

 ISO本部の最上階に位置する特別会議場では、2つの席を残して、すでに出席予定のメン
バーが集っており、円形のテーブルを囲うようにして、各々革張りに椅子に身を沈めて雑
談に興じていた。その中央にアンダーソン長官、続いてその右隣に南部博士が着席すると、
会場は打って変わって静まりかえった。定刻となり評議会がはじまると、評議会は当初決
められていた予定どおり、つつがなく議題は進行されていった。が、いつもと違ったのは
会議の間中、時折会場に鈍く響く咳の音が加わったことであった。
 評議会終了後、それぞれ自国へ戻った首脳陣の多くが激しい風邪の症状に見舞われたの
は、潜伏期間を置いた3日ないし5日ほど後のことである。無論、アンダーソン長官も例外
ではない。

 こうして、1人の青年を発端とした風邪のウィルスは世界を股に掛けて、当人達にとって
は非常に有り難くない形で希有な活躍を遂げた。


 THE END (今度こそ)
 
 



Top  Library List