DEATH

by トールハンマー Art by さゆり

「島田・・・さん・・」
 窓ガラスを叩く雨音に混じって、濡れた声が発した。湿った空気の中でくぐもった言葉
とは反対に熱い息が弾む。同じように濡れた身体は既に下肢を開かれ、割り入った逞しい
身体の体温を感じて翻弄されていた。
「くっ・・・!」
 唇を噛むのは癖だ。声を殺すのも慣れている。だが、涙を我慢することが出来ない。決
して泣くまいと、泣いて自分を慰めまいと、誓ったにも拘らず。
 許してくれ・・・・そんな戯言が頭を掠める。
 だから、爪を立てて駆り立てる、俺のこの死神を。
 もっと、もっと、島田!

「すみません。」
 健が告げたのは、一言だけだった。しかし、その頭はいつまで経っても下げたままで、
乱れた長い髪を従えた肩が震えていた。
「なぜ、詫びるんです?」
 そう問う島田に恐る恐る視線を上げた瞳は、今と同じように潤んでいた。
「最善の方法だったはずです、あの時、あの場所であんたが選ぶべきだった」
 クロスカラコルムからジョーは帰らなかった。自分の知らない場所で、感知しない時間
の中でジョーは戦い、そして死んだ。
「任務に感傷は無用です。それに単身ヒマラヤに赴いたのはジョーの意思だし、命令違反
でした。」
「そんなことはどうでもいい!」
 髪を乱し激しく首を振ったその姿は、怒気と嫌悪と悲しみとがないまぜになり、消耗し
果てた白い顔とあいまって、痛ましくさえあったが、震える唇をきつく結び、握り込んだ
拳を胸に押し付けて、健は島田に食ってかかった。
「あなたは、俺を許せるのか! 俺はジョーを見捨てた。死ぬ時は共にと誓っておきなが
ら、あっさりと見捨てた。ゴッドフェニックスに運ぶという竜の言葉にも耳をかさなかっ
た!」
「後悔は後から湧いてくる感傷に過ぎません。そんなものに振り回されてはいけませんよ。
ジョーはあんたと共に任務を遂行して死んだんです。そして地球は救われた。彼は本望
だったと思います。感傷は我々の勝手な感情です。」
 淡々と口にする相手にキッと瞳を見開き、そして、健は拳を上げた。
「ケ・・ン・・・・」
 手加減のない一撃を食らって壁にぶち当たった背中を、尚もそこから剥がし取るように
して胸元を掴み、更にもう一撃を加えようとする。
 拳は容赦なく島田の腹に食い込んだ。こみ上げる嘔吐感を堪えて蹲ると、肩を掴まれて
顔を上向かされた。
「なぜ、打ち返してこない!」
 繰り出される拳に甘んじていると、
(打てよ! 打ってくれよ!)
 健の祈りにも似た悲鳴が聞こえた。
「島田さん!」
 しかし、立ち上がろうとも、だらりと下がった島田の両腕が拳を握ろうともしないのを
見て取ると、とうとう膝を付いて、代わりに今度は床を打ち始めた。
 嗚咽と涙がその拳と床に落ちた。今まで我慢していたものが一気に堰を切ったように、
健は島田の前で憚ることもなく泣いた。
 自分が崩れれば、ジュンや甚平や竜はもっと危うくなる。そう思った精一杯の擬態も、
これが限界だったのだろう。だが、
「すみません、バカなことをヤッって・・・・」
「いいんですよ、さ、顔を上げて。」
 床と睨めっこをしている趣味はないでしょうと、差し伸べられた手には顔を背けた。
 そして、 
「俺は・・・せめてあなたに詰られて、殴られれば少しは楽になるんじゃないかと・・・
そんなことを考えて・・・フフ、甘えるのもいい加減にしろってんだよな・・・」
 唇の端を吊り上げて笑った。俯いてはいたけれど、島田にははっきりと見えた。ジョー
とそっくりのその仕草が。
 だからこそ・・・それなのに、あなたは殴ってもくれない・・・
 島田にはそう聞こえた。

「なら、抱かせて下さい。」
 その言葉に刹那、健は驚いたように潤んだ瞳を見開いた。
「最後にジョーに触れたその手で、俺の身体に触れて下さい。」
 最期にジョーが全身全霊を懸けて瞳に焼き付けたであろう、その身体を、俺に抱かせて
下さい。
「島田さん・・・」
 健は頷くことも首を振ることもしなかった。
 だが、その夜、島田のマンションのドアを健は叩いた。 

「くっ・・・・」
 仰け反った顎を追って急くように唇が這う。手馴れた愛撫は慣れない身体には拷問にも
近い。それでも込み上げるものは快楽の証だ。
 それを憎悪するかのように健は硬く目を閉じ、歯を食いしばる。
「いつまで経っても強情な身体ですね、声を聞かせて下さいよ。」
 その言葉は嘆願であり命令だ。
 ジョーは決して抱かれて声を上げることはなかった、が、唯一度だけ、彼の喉が奏でた
狂悦の甘い旋律を、島田は忘れられないと告白した。
 腕が伸びて脇腹を伝う、震える唇の上で唱える禁断の呪文のような一言を、だが、健は
決して口にはしない。そのかわり、それを抑えた反動で堪えきれない声が洩れる。
「ああっ・・・! あうっ・・・・」
 のしかかった広い胸の下で上擦った悲鳴を上げると、舌先が甘く痺れてそれが全身に広
がっていく。
 身体を揺すられると目じりに溜まった涙が、顳を伝い髪の中に落ちていった。その道筋
を逆さに辿るように長い指が触れて、瞳に到達する。
「まだ足りません。」
 そして唇の輪郭に触れ、直ぐに離れて島田のそれが貪った。ひとしきり絡めた後、つと
身体を離すと、不規則に上下する胸の上にある突起を見つけて啄んだ。
 思わず息を詰め仰け反った顎の上の表情を、上段から見下ろし存分に楽しむために、島
田は腰を突き上げた。

 窓ガラスを叩く雨音が、雷鳴に途絶えた。ナイトランプの薄明かりを湛えた室内を青白
い稲妻が露に照らし出し、シーツの上で身悶える白い身体が浮き上がる。
 ジョー・・・・追い詰められ、無意識にその唇が唱える呪文が、荒療治で塞いだ島田の
傷に共鳴する。
「ジョー・・・」
 なぞるように声に出して呟くと、硬く瞑って堪えていた瞼が開き、掴んでいたシーツか
ら指を解いて、腕が背中を力の限りに引き寄せた。
 密着し融合した体温は更に上昇する。爪立った指がそこにある古い弾痕に触れたのを合
図にするかのように、島田は次の雷鳴が轟く前に、熱く滾る身体を押し進めた。

 嗅ぎ慣れない煙草の匂いに顔を顰めながらも深く吸い込むと、軽い目眩を感じた。
 午前5時ジャスト。窓辺から見える雨上がりの街は、既に昇り始めた朝日を受けて沈殿
した灰色と銀色の靄の中にある。
「その煙草、あんたにはきつ過ぎるでしょう。」
 ベッドの中から話しかける声に振り向くと、ナイトテーブルに伸びた長い指が煙草を摘
んだ。銀のライターの蓋を開け、炎を移すと、薄い紫煙がベールのように二人の間を遮っ
た。
「健、あんたどうしてもこの仕事から身を引かないつもりですか。」
 問われて健は言葉を濁した、紫煙が被って島田の表情もはっきりと読めない。
「いえ・・・、なんでもありません。」
 解っていながら聞かなくてもいいことを聞いてしまった・・・と、僅かな後悔だろう
か?火をつけたばかりの煙草を灰皿に捩って、島田は背中を向けた。
 逞しい、それでいてしなやかな筋肉と骨に造形されたそこには、古い弾痕がある。こう
いう仕事故、さして珍しくもないが、その位置からして生死を分けた重症だったと解かる。
「どうかしましたか?」
 視線を感じたのか(それとも殺気を、だろうか・・・?)身体を返してヘッドボードに
背中を預けたので傷は見えなくなった。健はベッドサイドに戻って煙草を消した。
「島田さんは、何故この仕事をしてるんですか?」
 唐突な、いや、切り出した話からは妥当な展開に島田は、しかし、ちょっと沈黙し、
“今更”の答えを返した。
「俺の性に合ってるからですよ。」
 そして、
「俺も同じです。」
 即座に返った返答には、相槌のような小さな溜息が応えた。
「まったくね、いつ誰が死んでもおかしくない、いえ、今日自分が死んでも決して不思議
ではないこんな世界に進んで身を置くなんて、自分でも信じられませんね。」
 まるで何かに取り憑かれているようだ・・・・と島田は思う。だが、そうですね・・・
と返ってくるとばかり思っていた予想を裏切って
「でも、島田さんは死なないで下さい。」
 射るように冷たい、そして真剣な眼差しが、それでも縋るように見据えた。
「な・・・、そんな無茶を言わんで下さいよ。」
「少なくとも俺より先には。」
「あんたより先には?」
 どういう意味だ?
「戦場でその時が来て、俺に止めを刺すのは、ギャラクターでも他の誰でもない、あなた
だから。」
 たとえそれが幻であっても、俺の前に立ち、死の鎌を振り翳し、そして振り下ろすの
は、あなたの役目だ。
「健・・・・」
 見据えた青い目はこんな時でさえも澄んでいる、いや、こんな時だからこそ・・・・、
「あんたがそう思いたいのならそれでいい、でも、俺は陰険ですから、そう簡単に鎌を振
り下ろしてやったりしませんよ」
 笑ったつもりが、頬が引きつって上手く皮肉にならなかった。ジョーならきっと唇の端
を片方、上手に吊り上げただろうと・・・・ふと思う。
 島田はもう1本煙草を摘んだ。
「解ってます、死に場所を探すような真似はしません。」
 長く伸びてしまった髪を払って健は頷いた。
「それを聞いて安心しました。」
 仕事はまだまだ残っている、総裁Xが去ってもギャラクターが絶滅したわけではない。
徒党を組んだ残党が新たな首領を祭り挙げ復活しようとしている。感傷に浸っている暇は
一時たりともないのだ。島田の眼差しの中で、健は新たな誓いに身を奮い立たせた。
 俺は俺の戦いを全うする。
 そして脱ぎ捨ててあったシャツに袖を通すと、あたかも今の誓いを確認するかのように
ブレスレットが鳴った。
 時刻は午前5時24分。
「行きます。」
 ボタンを溜めていた顔を上げると、先にドアに向かう青いTシャツの背中が見えた。そ
れがいつもの風景だった・・・・。
「健?・・・」
「行きます。」
 もう一度言うと島田が2本目の煙草に火をつけるのを見届けて、健は部屋をとび出し
た。

 ドアの外でコンクリートの廊下を走る足音が遠ざかって行く。
 紫煙を吐くと、ジンと熱く、胸に雷鳴の残響のような余韻を感た。
「俺はあんたの死神ですか・・・」
 それも悪くないかもしれませんが・・・・、そうなると迂闊に命は落とせないというこ
とですか・・・・まあ、死神が死ぬことはありませんからね・・・・まいったな。
 まんまと健の思惑に嵌められたのか?と島田は苦笑した。そして、ヘッドラックにあっ
た腕時計を取ると、6時にセットしておいたアラームを解除してから、今日の南部の予定
を確認した。



   END
DEATH Art  by  さゆり


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