Guessing Game

by トールハンマー


 風も立たない濃厚な霧が、どっぷりと沈殿する中、
 張り詰めた空気の動きだけが肌に触れて感じられる、
 あれは・・・・、俺を呼ぶ声?か、それとも俺を狩る声?・・・・、
 とっくに動くことを諦めてしまった身体が、それでも声の方を向いて顔を上げる。
 霧の中で亡霊のように立つ黒い石像が、幾つも此方を向いて近寄って来る、
 たぶん死神だろう・・・・、
 いや、そう思ったのは間違いで、近寄って来たのは自分を狩り、
 追い詰めた、仮面を付けた大勢のコマンド、
 倒れ伏した大地を伝わって足音が聞こえてくるので、
 それが死霊でないことが解る、が、どちらにせよさして変わりはない、
 振り下ろされる死の鎌がマシンガンに変わっただけで・・・・・、
 だが、まだ死ぬ訳にはいかない、
「ケン、ケーン!!」
 俺は最後の力を振り絞ってケンを呼んだ。


 風が・・・・、風が吹いていた、
 霧はもうない、きれいさっぱり吹き払われて青い空が見えている、
 地面に重く沈んでいたはずの身体が軽く宙に跳ね、広げた腕の先から空に吸収される、
 辺りは見渡す限りの新緑、光、花群、
「ジョー」
 俺を呼んだのはケン、
 振り向く俺を見るのはケンの瞳、
「ケーン」
 俺が呼ぶ、
 駆け寄る先にケンの笑顔、

 駆け寄る先に・・・・・、


Guessing Game1−1 封印されたもの 


 目覚めて真っ先に目に入ったのは白い壁だった。
 ジョーは濃厚な霧の中に引き摺り戻されたかと思い、夢から這い出そうと腕を伸ばした。
 途端に全身に痛みが走り、半ば起こしかけた背中を強かベッドに打ち付け、その身体を
庇うようにスプリングが受け止めてくれたのを知って、彼は漸く自分の状況を把握するこ
とが出来た。
「気が付いたかね?」
 ベッドサイドで顔を覗き込んだのは白衣を着た医師。その白衣の白に又、脅えるように
顔を背ける。
「急所は外れていたがね、弾を3発も抜いたんだ。当分は不自由をするよ」
 医師は温和な声で言ったが、患者の恐怖には気づかなかった。
 外科医というのは切ったり貼ったりが専門の手術屋だ。必要とあれば人体の何処へでも
平気でメスを走らせる。その執刀に人間らしい感情があるのだろうか? 外科医に限らず
蘇生術とはそういうものなのだろうが、しかし、そこにいたのが精神科医だったとしたら
おそらく彼のこの恐怖を感知することぐらいは出来ただろう。それほど露骨に恐怖はジョ
ーに現れた。
「南部博士を呼んでくれ、任務の報告をしたい」
 彼は掠れた声で顔を背けたまま目を閉じて言った。目を開ければ白い壁と医師の白衣が
ある。
 ここはISOの中央医療施設だ、医師にだとて、そう言えば博士に連絡は付くはずであ
る。しかし、返事は返ってこなかった。
 恐る恐る瞼を開けてジョーは医師を見て、もう一度言った。医師は迷惑そうな顔をした
が、断れるはずもなく頷いて見せた。そして、ベッドサイドの医療機器に神経質そうな指
で触れ異常がないのを確かめると、そそくさと病室を後にした。

 フランベルの諜報網がISOにもたらした情報で、ジョーが同国の秘密警察と供にギャ
ラクターの残党勢力を殲滅するために支局を発ったのは1ヶ月前だった。
「今度のは、そう簡単にはいかないぞ」
 言ったのはケンだった。ここと同じ白い壁が取り囲む部屋の中で。
「心配はいらないさ、奴らのことは全て手の内だ」
 確かにフランベルの結社は今までのものより、組織力も資金源も巨大になっていたが危
険な任務だとは思わなかった。
 しかし、思ったより仕事は難航した。僅かの間に片鱗の仲間と集結を果たした敵の勢力
が思わぬ増大を遂げ、苦戦を強いられながら撤退か前進かの決断も下せないまま、任務は
続行された。
 ところが、ケンの言葉を思い起こしながらの日々、思うように進まぬ掃滅に苛立ちを覚
え始めた頃だった。幸運とでも言おうか、敵の首領がたった一発の銃弾、それも流れ弾に
当たってあえなき最後を遂げたのだ。思いもよらぬその成果に一気に戦況は終局を迎えた。
 しかし、指導者を失った彼らの、さながら宗教集団のような偶像崇拝に犯された精神は
異常で強靭な力を持って悪しき者を排除しにかかった。その彼らの尋常でない戦い振りは
最早生に執着する為のものではなかった。交戦する間に自滅していくのが目に見えて解っ
たが、こちらの損傷も酷かった。11人いた仲間が9人になり、8人になり、6人にまで
減った。その生き残りの中に含まれたジョーだったが、土砂降りの雨のように降り注ぐマ
シンガンで受けた傷は深かった。

「ジョー、気分はどうか?」
 近くで声がした。枕の上で頭を巡らせて声の方を向くと、今回の戦火を共に生き延びた
チームのリーダー、タイ・アニックの逞しい黒い身体があった。
「大佐・・・・」
 起こそうとした身体をアニックの太い腕が制した。その力強い腕に縋るようにしてジョ
ーは再びベッドに伏した。
「無理をするな、坊や」
 彼は黒い肌に異様に対照的な白い歯を見せて笑った。生きて帰った6人の内、無事だっ
たのはこのアニックだけだった。それは彼のこの若さにしてこの階級にまで、のし上がっ
た能力(ちから)と付き纏う強運の所為だったのかも知れないが、しかし、巨人宛らの屈
強な体躯、盛り上がった筋肉に頑丈な胸板、黒い肌がそれを一層強靭に引き締めて見せる
彼の身体からすれば、至極当然のことのようにも思えた。
「報告は私が全て済ませた。南部博士は暫く新しいプロジェクトの件で本部を離れられな
いそうだ」
 アニックはベッドサイドに置かれた簡素なスツールに大きな身体を縮こませて座った。
「そうですか・・・・」
 曖昧な返事をしてジョーは視線を浮かせた。博士が来れば任務の報告をし、ケンの容態
を尋ねようと思っていたのだが、叶わなかった。
 細胞破壊に犯されたケンの容態・・・・、同じような白い部屋で同じようにベッドに伏
している医師の手に掛かる病人だが、こればかりはここの連中に聞く訳にはいかなかった。
 ケンがいるのは同じ病室でも通常の人間が世話になるような所ではなかった。南部博士
とその特殊チームからなる特別医療機関は、YUNOと呼ばれるISOでもトップシーク
レットの施設だ。
「何か用があったのか?博士に」
 目敏くアニックは聞いた。だがジョーは「いや」と小さく首を振った。そして「次の仕
事は来てるんですか?」と繕った。
 今度はアニックが首を振った。当分チームは休業のようだ。当然だろう、半数近くも失っ
たメンバーの補充は簡単なことではない。
「おまえの身体が治った頃には、また請け負えるようになるさ。今度は厳ついのばかりじゃ
なく美人のソルジャーも選考しておく。楽しみにしておいてくれ」
 溜息を付くでもなく笑うでもなく、そう言うとアニックは小さなスツールから腰を上げ
た。そして、ドアに向かった背中がノブを回す為に立ち止まった僅かな間に振り返った。
「大事にしろ、坊や」
 ジョーは枕から頭を上げて丁寧に頷いた。

 その日のうちに慌ただしく見舞いに駆けつけてくれたのはジンペイだった。
「ジョー!」
 病室に入って来るなりベッドに飛びついて来て、
「よかった、心配したんだぜ、オイラ、よかった・・・・・」
 と、何度も繰り返す内に涙声になり、くしゃくしゃになった顔を毛布の胸に押し付けた。
その重さに銃弾を抜いた胸が悲鳴を上げた。
「おい、ジンペイ・・・・・」
 顔を顰めたジョーに気づいてジンペイが慌てて顔を上げた。
「ゴメンよ、ジョー」
 その涙に濡れた顔を、なぜかジョーは訝しげな表情で見つめたが、勢いよくぴょんぴょ
んと跳ねている髪に自由になる方の腕を伸ばして、少し乱暴に頭を撫でた。
「心配かけちまったな」
 ジンペイは泣き笑いの顔を見せて大きく首を横に振った。その後ろでドアが開いた。
 同じように泣き笑いの顔をしてジュンが立っていた。
「ジョー・・・」
 しかし、後ろ手にドアを閉めたまま彼女の身体はそこから動かなかった。白い手を口許
にあて嗚咽を咬むように肩を震わせている。
「ジュン」
 その声に一瞬、細い指が強張ったが、ゆっくりと口許を離れ軽く握られて胸へと下りて
いった。そしてベッドサイドに歩み寄った。だが、その一歩が絶望的な諦めをもって踏み
出されたことをジョーが知る由もなかった。
「ジョー、良かった・・・」
 繰り返される言葉。大粒の涙がジュンの頬にも零れた。
「大袈裟だな、2人とも」
「何言ってるのよ、3日間も意識が戻らなかったのよ、このまま・・・・」
 しゃくり上げるようにそこまで言うと言葉が途切れた。
「まあ、絶対安静にはかわりないが、こんな傷、直ぐに治るさ。それより、ケンはどんな
具合だ。俺のことは報告がいってるんだろうか?」
 心配はさせたくなかったが、ジョーはケンに会いたかった。YUNOに最後に足を運ん
だのはフランベルに発つ1週間前、一通りの報告もしたかったが、それは口実で、ケンの
顔が見たかった。
 ・・・・・見渡す限りの新緑、光、花群、
 夢の続きが夢で終わりそうで不安だった。このところ、ケンは体調が良ければ多少なら
出歩ける程の様子だったので、彼は尋ねてみた。
 その途端、ピシッとあからさまに空気が緊張した。
「どうか・・・・、したのか?」
 夢の続きが・・・・、
 ジョーは一瞬、自分の心臓が鉛のように重くなったのを感じた。
「あっ、ええ、それが・・・・、新しい検査をすることになって・・・・」
「ジョーのことは心配ないって、兄貴には博士が話してたから」
 ジュンの後をついでジンペイが身を乗り出して言った。
「じゃあ、そのうち見舞いに来るな」
 胸に宿った圧迫感を振り払うようにジョーは言った。


Guessing Game1−2


 ベッドの上で既に2週間が過ぎた。だが、ケンは姿を見せなかった。南部博士も面会に
はやって来なかった。そればかりか、あれからジュンも姿を見せない。ジンペイだけが何
度か顔を出してくれたが、大佐が仕事に出る途中、毎日のように覗いて行ってくれる他は
迷惑な物見遊山の支局の連中ばかりが病室を訪れた。
 今日も午前中から不似合いな花束を持った厳つい男達が、ベッドサイドを占領しにやっ
て来た。余程支局は暇なのか、油を売る場所がないかのどちらかだとジョーは思った。
 午後、やっと静かになった部屋でうつらうつらと微睡み始めると、又ドアが開いた。
『今度は誰だ?』と、うんざりした顔を向けたジョーを覗き込んだのは、整ってはいるが
見たくもない顔に“女避け”だというトレードマークのサングラスをかけた博士の第二秘
書のルービンだった。
「何の用だ?」
 博士の秘書は男女2人ずつで4人いる。4人共さして面識がある訳ではないが、あまり
好感が持てるといった感じのタイプではなかった。ことにジョーはこの男が嫌いだった。
 博士にとっては有能な秘書だろうが、この男の自信過剰で人をバカにしたような物の言
い方や態度は、傍から見たり聞いたりしているだけでも我慢がならなかった。
 ・・・・・くそ、吐き気がするぜ。
 あからさまに見せるジョーの不機嫌さを、だが、ものともせずルービンは言った。
「だいぶ良さそうですね、この調子なら前線復帰は近い」
「博士への報告か、それなら一目見て解ったろう、さっさと帰りな」
 寝返りを打って反対側を向く、集中治療室を出たのでこちら側には白い壁でなく広く取
られた窓がある。
「随分な言い様ですね。これでも心配した秘書一同の代表なんです。次はサンドラが来る
ことになってますがね」
 サンドラとは眼鏡を掛けたハイミスの第三秘書だ。
「大した献身振りだな、有難くて涙が出るぜ」
「それはどうも。でもタイ大佐の献身振りには敵いません。支局中の噂ですよ、まるで恋
人にでも会いに行くように毎日病院通いだと。まあ、5人も部下を死なせたんだ。この上
また死なれたんじゃ彼の立場はますます危ない。それとも償いのつもりか?」
「なんだと!!」
 漸くベッドに起き上がれるようになった身体で、ジョーはルービンの上着の襟を掴み締
め上げた。苦しげに呻き声を漏らす唇が、ジョーの満身の力で血の気を失せて紫色に変色
する。
「離せ・・・・」
 眉根を寄せ、薄く変色したレンズの下で瞳が歪められるのを見て、ジョーはゆっくりと
吐き捨てた。
「大佐を侮辱するのは許さない、それに俺は死にやしない」
 突き放すように掴んでいた襟を離すと、ルービンは身体を仰け反らせ2歩、3歩よろめ
いて後退った。
「これも博士にしっかり報告するんだな」
「ええ、そうします。あなたに殺されかかったとね」
「俺は、本気だったぜ」
「精神科に移した方がよさそうですね」
 ジョーの鋭い眼光に震え上がったルービンは、上着を整えるのもそこそこに、額に浮い
た冷たい汗を拭いもせず荒々しくノブを掴み、逃げるようにドアの向こうへと姿を消した。

 日は西に傾きかけていて、沈みゆく太陽が遠く林立するシティの高層ビルの山脈を赤く
染めていた。
 ジョーは僅かながら後悔していた。ルービンにならケンの様子を聞くことが出来たもの
を・・・・と。しかし、彼が大佐を侮辱するのを黙って聞いている程、自分は我慢強くは
出来ていないことは十分解っていた。
 ジョーは枕に伏して目を閉じた。身体は確実に回復していったが、まだ頭でっかちのひ
弱な秘書を脅すぐらいが精一杯だった。右の大腿部と膝に受けた傷が完治するまでは歩く
ことすら叶わない。もう少ししてクラッチでも使えるようになれば、YUNOに訪ねて行
けもするが、今の状態では無理だった。
 それにしても・・・・、ケンがミッションの報告を要請してこないのは変だ。
 YUNOには余程のことがない限り、外部から電話は取り次いで貰えないが、自分が戻っ
て今日で2週間になる。いくら新しい検査で時間を束縛されようと、電話の1本ぐらいは
かけて来られるはずだ。
 その頃になるとジョーはふつふつと宿る言い様のない不安を感じ始めていたが、その正
体を探ることに思考と体力を使うことをしなかった。或いは無意識の内に拒絶していたの
かもしれない。

「坊や、具合はどうだ」
 目覚めてはいたがまだ睡魔の居座っている身体が、その声に覚醒しようと努力する。
「大佐・・・・、お早うございます・・・・」
 漸く瞼を開けたジョーの瞳に、アニックの黒い影が映った。そして、目覚めた時の習慣
で時計に目をやる。いつもより1時間は早いご出勤だ。
「何か、あったんですか?」
 すかさずジョーが尋ねる。
「ああ、大有りだ。今日から局長付のドライバーだ。おかげで早起きしてお出迎えに行か
なきゃならん」
 大きな肩をツンと持ち上げてアニックは『困った』と、溜息をついた。彼は朝が大の苦
手なのだ。
「まさか、チームが解散?!」
「まあ、そんなところだ」
 アニックは仕方なさそうに笑ったが、左遷にならなかっただけましだ、と言葉を付け足
した。
 今回の事件で失った人員は、一個部隊としてはあまりに多すぎた。その全てを補うには
かなりな時間と苦労が伴った。本部はメンバーの補充を各局から人選したが、要求に二つ
返事で応じた支局は一つとしてなかった。そればかりか本部の強引な人事異動に非難の声
さえ上がった。どこの支局とて優秀な人材を手放したくはないのだ。結局、補充要員が決
まるまでチームは事実上解散となった。 
「早く出て来い、1人でも欠員を補充できれば、隊の編成もし易くなる」
「了解です、大佐」
 答えながらも、ジョーは忌々しげに自由にならない身体を眺めた。今直ぐにでも飛び起
きて、大佐をドライバーの任務に付けた長官を殴り込みに行きたい気分だった。
「さて、じゃあ、そろそろ行くとするか」
 口惜しげに拳を震わせたジョーの傍らで、欠伸を噛み殺したアニックが腰を上げた。そ
して徐にズボンの尻ポケットから白い手袋を出してはめ、「これは、長官への嫌味だ」と、
鼻息を荒くした。
「大佐、もう見舞って貰わなくても結構です。その分寝てください」
 気の毒になってドアに向かったアニックの背中にジョーは声をかけた。その声に彼は大
きな身体をもう一度向き直らせた。
「いいや、面会には来るぞ。眠くてもだ! ここのナースは美人が多い。おまえが妙な気
を起こして当局を首にならないようにな」
 言われて、ジョーはポカンと暫し口を開けたまま呆気にとられた、が、
「大佐は俺を見張りに来てるんですか!」
 思いの他大きな声で憤慨を露にした。
「そうだ、これ以上大事な部下を失いたくはないからな!」
 アニックの負けじと上げた大声が部屋に響く。思わず首を竦めたジョーだったが、から
かわれた言葉の最後の部分が彼の本音だったことに、込み上げるものを感じて胸が詰まっ
た。

 その日の回診が済んで直ぐ、ルービンの言ったとおり、第三秘書のサンドラがやって来
た。薄いレンズのフレームのない目立たない眼鏡と淡い上品な色の口紅、細身の落ち着い
たスーツを着崩れさせることなく神経質に着こなした彼女は、4人の中でも一番その職種
に似合っているようにジョーには思えた。
「どうですか?」
 彼女はサーモンピンクのバラをサイドテーブルに置くと、スツールに腰を下ろし、膝を
揃えて少しだけ足を流した。その動きは洗練されてはいたが、何処か機能的で女性を見る
のには面白味のないものだった。
「退屈してるよ」
 ヘッドボードに枕を置き上半身を凭せ掛けて彼女に向き、ジョーは慎重に言葉を選んだ。
今度は果たせなったことを果たさねばならなかった。
「そう言うだろうと思いまして」
 チラッとも笑わず、彼女は大きめのビジネスバッグから数冊の本を取り出した。手渡さ
れてジョーは本のタイトルを、声を出して読んだ。
「“解析学の初歩”“数値と情報処理”“正しいコンピューターとの付き合い方”。何な
んだ?いったい」
 怪訝そうに見るジョーに、彼女はいたって真面目な顔で答えた。
「チームが解散になった時のあなたの身の振り方を案じての対策です。ゆっくり時間があ
るうちに一度しっかり勉強なさって下さい。それに、今回はどうにか無事でしたが、いつ
までも五体満足でいられるとは限らないんです、その時には、たちまち仕事にあぶれると
いうことをお忘れなく」
 ジョーは膝の上で頭を抱えた。
「私はルービンのように、あなたをただ見に来ただけではありません」
 確かにそのようだ。
「俺もあんたには用がある」
 本から顔を上げてジョーは言った。
「何か?」
 レンズの縁からピクッと視線を向けて、彼女は少し緊張したように唇を動かした。
「ケンはどうしてる? 容態が知りたい」
「私は聞かされていません」
 即座に返答が返ってきた。
「博士の秘書だろ、そのくらいのこと知ってる筈だぜ」
「ミスター・ワシオはトップシークレットです。それも博士のプライベートな、ですから
私達には何も知らされていません」
 まるで周到に用意されていたかのように、スラスラと無表情な彼女の口許から出る言葉
に、鉛の心臓が不気味な予感と共に胸を圧迫する。
「それならあんたに頼みがある、YUNOに行って様子を見て来て欲しいんだ」
「私が!!」
 驚いたように彼女がジョーを見た。動揺?初めて見る彼女の感情的な表情だった。
 だがそれは、『なぜ、私がそんなことまでしなければいけないの?』と、訴えているも
のか、それとも別な意味があるのか、計り知ることは出来なかったが、前者と取るには余
りにもその“動揺”は大きいように思えた。それを裏付けるように彼女は口を噤んだ。僅
かな沈黙だったが、その中に押し隠されたものの気配をジョーは敏感に感じ取ってしまった。
 鉛の心臓はますます重くなった。しかし、彼はまだその感覚を信じた訳ではなかった。
 思い過しさ、ばかばかしい・・・・、そんな言葉でジョーは自分の心を支えた。
 しかし、
「ジョー、博士はもう少しあなたの容態を伺ってからと仰いましたが・・・・」
 サンドラが俯いたままでゆっくりと沈黙を破った。一気に込み上げた恐怖と焦りとで、
ジョーは掌に冷たい汗を握った。
「これは私の判断であなたに報告します。ミスター・ワシオは亡くなりました」
「なんだと・・・・」
 ジョーは信じてはいなかった。今の今まで信じてはいなかったことを現実として耳にし
て、茫然となった。
「半月前、急に症状が悪化し集中治療室に移されて1週間、医師達の懸命な看護が施され
ましたが、小康は取り戻せず8日目の朝を待たずに息をひきとりました」
「からかうなよ」
 ジョーは信じてはいなかった。
「冗談でこんなことを言う程、私は酔狂ではありません」
 無表情なサンドラの唇が、とてつもなく恐ろしかった。
「たいした秘書だぜ、あんた・・・・、表情も変えずにな、よくそんな残酷なことが言え
るもんだ。命令違反だぜ、これは。博士は俺に言うなと言ったんだろ?」
 ジョーは自分が何を喋っているのか解らなかった。羅列される言葉が果たして意味を持っ
ているのかさえ、あやふやだった。
「ケンに会わせろよ・・・、あんたが今言ったことが本当なら、死体になったケンに会わ
せろよ! 骨になったケンに会わせろ!!」
 ヒステリックに喚いている自分の声が遠くに聞こえた。サンドラは黙って踵を返し部屋
を出て行ったが、ジョーには彼女がスツールから立ち上がった様子も、ドアが開き再び音
を立てて閉まったのも解らなかった。


Guessing Game1−3


 車は国道を南に走っていた。
 ここからYONOまでは1時間程度かかるとサンドラは言った。
 ジョーはナビシートに身を沈め、混沌とした気分でハンドルを握る彼女の薄いパールピ
ンクのマニュキアの施された指を見ていた。
 白く細い奇麗な指、ジュンの涙に濡れた白い指。
「ジョー、気分は悪くありませんか? 少し車を止めましょうか?」
 クランケを強引に病院から連れ出したサンドラはジョーを気遣ったが、彼は黙ったまま
で首を振った。彼女もそれきり黙り込んだ。やがて、前方に小さな標識が幾つか流れた後、
サンドラは気づかれぬように小さく溜息をついた。
「こういうことは他人の役目です。あなたもいつまでも騙されているのは嫌でしょう。い
ずれは解ること、でも誰かが言わなければならないんです。ジュン達はこの役目を辞退し
ました。博士も言い出せずにいらっしゃるのだと思います。支局での仕事を私達に任せて
本部に出向いたまま戻られないのが何よりの証拠です・・・・。だから、博士の秘書とし
て私がこの役目を買って出ました。きっと責めはなさらないでしょう」
 サンドラの話をジョーは半分とは聞いていなかった。
 車は脇に対向車を見ることもなく、並行して走る車体を見ることも追い抜くこともなく
制限速度を守りながら、一定したスピードで走っていた。
 この分だと1時間はかからないだろう、ぼんやりとした思考の中でジョーが考えたのは
それくらいのものだった。
 長い時間が過ぎた。
 フロントガラスの前方に青々と茂るYUNOの森が見えた時、ジョーは僅かに身を震わ
せた。確かめる事実はもう目の前にあった。

「君がフランベルに発って直ぐだったよ。容態がね、急に悪化したんだ。驚く程の速さで、
私達も最善を尽くしたんだが・・・・」
 YUNOでケンの担当医だったドクター・オーガスは、髪こそ黒くはなかったが 東洋
人に似た面立ちを持った30半ばの男性で、南部博士直属の特殊医療チームで長年研究活
動に携わってきた人物だった。彼は車椅子のジョーを導いて自室へと案内した。サンドラ
は席を外した。
 薦められるままに手を借りて、ジョーは柔らかなソファに身体を移した。部屋は微かに
煙草の匂いがした。
「ケンは死んだんですか?」
 自分でも信じられないような酷く冷静な声が言った。ドクターは少し構えて息を吸い込
み、真っ直ぐにジョーを見た。
「ケンは死んだよ、助けられなかった」
 淡々と、だが穏やかで、どこか優しくさえある声が言った。
 ジョーの肩から一気に力が抜けた。恐ろしい程の脱力感が襲った。
「どんなふうに?・・・、ケンはどんなふうにして死んだんですか・・・・・」
 辛うじて声を絞り出した。
 ジョーにはもう、ケンを確かめる手立がない。だが、なんの前触れもなく突然自分の前
から末梢されたケンを、ジョーはせめて人伝にでも聞き、願わくは想像でだけでもその瞬
間を知りたいと切望した。それがどんなぜ残酷な想像になろうとも・・・・・、
 ドクターはゆっくりとした口調で、噛み締めるように話してくれた。
「君が発ったちょうど3日目だった。原因は解らない、突然酷い苦しみ様をして全身に及
ぶ痛みを訴えた。いつもの薬がまったく効かなかった。博士は研究中の新薬を試すと言い
出した。最初の内は反対したんだが、ケンの容態が急を要したのと、あの苦しみ様には、
情けない話だが医師である私達の方が根を上げてしまった・・・・。我々は新薬を投与し
た。しかし安静を見たのは一時だった。直ぐまた苦しみだして薬を使う、何度かそれが繰
り返される内、・・・・我々はそれに頼るしか術がなかった、だが、薬はだんだんと効か
なくなった。
 ケンの狂った細胞はそれを有害なものとして処理するんだ。皮肉なもので人間の身体と
は実に良く出来ている、体内に入った有害なものは自分で排除していくんだ・・・・。
 そうしてどうにかケンは1週間を過ごしたが、薬がまったく効力を示さなくなった時、
我々は決断を下さねばならなかった。或いは遅すぎたかもしれない決断を・・・・、博士
にそれを切り出すのは私の役目だった。ケンを安楽死させようと。そして、最終討議で医
師達全員が同意した夜、まるで我々の手を煩わせまいとするかのように、ケンは息をひき
とったんだ」
 話が終わっても、ジョーは暫くドクターから視線を外すことが出来なかった。
「ジョー?」
 呼ばれて初めて瞬きをし、乗り出していた背中をソファの背凭れに戻した。
「ケンは・・・・」
 自分が何を問おうとしたのか、ジョーには解らなかった。喉に詰まった吐息につかえて
言葉は途中で失われた。
「ケンは何も言わなかったし、何も残さなかった。我々は慌ただしく彼の心臓停止を確か
め、カルテに死亡時刻を書き入れた」
 テーブルの上で組んでいた指を解き、ドクターは小さな溜息をついた。それは力及ばず
助けられなかった命を思うものだったろうか、力及ばぬ自分を慰めるのもだったろうか、
話はそれで全てだった。

 そこにはささやかな十字架を立てた、生没年と“KEN WASHIO”とだけ刻まれ
たまだ新しい墓標があった。
 ジョーは大きく頭(かぶり)を振った。
 こんなことが起こるのだろうか? こんなことが実際に起こったのだろうか?
 これは現実なのか、悪い夢なのか、この十字架を立てた石碑は何だ?
 ・・・・・
 叫びたいのに声が出ない。大声で叫びたいのに声が出ない。
 唇が震え、歯がガチガチと鳴った。
 ジンペイの涙、途切れたジュンの言葉、大佐
の献身。全てこれで辻褄が合った。
 ケンは死んだのだ・・・・、
 だが、こんな墓標一つ見せられて、どうやって信じろと言うんだ。
 ジョーは自嘲げに唇を歪めた。
「ケン、悪い冗談だ」
 呟いてククッと喉を鳴らして笑うと、ジョーは墓標を剥し、その地面を掘り返したい衝
動に駆られた。
 ここにおまえがいるなんて、こんな冷たい土の底に、既にもの言わぬ屍となって埋もれ
ているなんて。いったいどうやって信じろと言うんだ!!
 冷たい墓標に触れた指が関節を浮き上がらせ、爪を立てた。
 世界が急に遠くになった。眩暈を伴って押し寄せる形を成さない残像。絶望というもの
がこんなに恐ろしいものだとは知らなかった。周囲から全ての音が消えた、そして視界か
ら一つ又一つと事物が無くなっていく。まず連なっていた木立が消えた、次に空が消えた、
そして目の前の小さな墓標を残して、全ての物が消えた。
「ジョー、戻りましょう。風が出てきた、身体に障るわ」
 車椅子の押し手を握っていたサンドラが言った。その声はおそらく彼女を知る者全てが
始めて耳にするような、驚く程慈愛に満ちたものだったのだろうが、その時のジョーの耳
に届くはずもなかった。



 それから何日が過ぎたのか、ジョーにははっきりとした認識がなかった。意識がぼんや
りといつも宙に浮いたような感覚、現実と夢との境界が曖昧で、目覚めてもまともな覚醒
は望めなかった。そんな状態を疎ましく感じ始めた頃、ひっそりと彼を見舞う者があった。
「ジョー、遅くなってしまってすまん」
 怠惰の宿った瞳を向けるジョーに、リュウは少しだけ笑ってそう言った。
「来てくれたのか」
「ああ、もうすぐ退院だと聞いて、一度くらいは顔を出さんといかんと思ってな」
 ベッドサイドまで寄ると、リュウは頭を掻いて決まり悪そうに笑った。長い間、目にし
ていない仲間の笑顔だった。
「足、もう歩けるのか?」
「ああ、クラッチは必要だがな」
 精神状態はこんなだが身体の方は医師の思惑どおりとでも言おうか、順調に回復していっ
た。望んだとおりクラッチで歩けるまでになったが、訪ねて行きたいと思ったYUNOに
ケンはもういない。
「少し散歩に付き合ってくれないか、一人じゃまだ不安なんだ」
「ああ、当分リハビリじゃな」
「仕方ねぇさ」
 ジョーはベッドを降りると肩を貸そうとしたリュウの手を断り、壁伝いに歩いてポール
ハンガーから上着を取ってクラッチを添えた。
「いつ出られるんだ?」
「2、3日中には追い出されるだろうさ。ナースにちょっかい出しすぎてるんでね」
 ジョーは笑ってみた。顔の筋肉が突っ張ってぎこちない笑顔になった。

 白く聳える冷ややかな病棟を離れると、施設の敷地の約3分の2を占める緑地帯が、新
緑の風の中、豊かな青葉を茂らせていた。
 ジョーは空を見上げた、高く青い空を。
「ジョー、ケンの墓には行ったんか?」
「ああ」
 ひんやりと冷たい墓標の感触が指に甦った。
「ジョー、オラ、おまえに会うのが怖かった。誰かがおまえにケンの死を知らせるまで、
オラ、ここにはよう来んかったんじゃ、すまん・・・・・」
 それはきっと優しさなのだろう。あれはサンドラが言ったとおり、他人にしか出来ない
役目だったのだ。
 ジョーは無言で首を横に振った。今度は少しましな笑顔が作れた。
「南部博士・・・・、近々YUNOから脱退するそうじゃ。新しいマントル計画のプロジェ
クトの方に専念するっちゅうてな。」
「そうか」
 聞いて驚くことではなかった。ケンを助けられなかった。それが博士のYUNOを脱退
する動機だったとして誰が責められるだろう。それに今は行き詰まったマントル計画の方
に力を入れるべきだという判断は、決して間違ってはいないのだ。YUNOには彼の後継
者となるべき十分な資格を持った者がいる。ドクター・オーガスは残されたケンのデータ
とサンプルから細胞破壊の研究を続けていくだろう。
「ジョー、博士な。ケンが危ないって時に、おまえを呼び戻そうとしたんじゃ」
 クラッチを添えたジョーの傍らで、リュウはぽつりぽつりと話し始めた。
「あの博士がじゃ、信じられんじゃろ。オラ達も賛成した。生死を共にした仲間だからの、
だが、それを止めたのはケンだった。当然と言えば当然じゃ、あいつはいつもオラ達のリ
ーダーだ。誰よりも私情を抑えて任務を最優先させる。『無様な姿をジョーの奴に見せた
くない』そう言って、あいつは笑ったんじゃ」
 涙声で語るリュウの話に、ジョーはその時のケンの姿が目に見えるようだった。
「あいつはそういう奴さ、人の気も知らねぇで・・・・」
 青葉を吹いた風が頬を撫でていった。耳元でケンの声を聞いたようで、ジョーはそっと
目を閉じた。
「ジョー、聞いてもかまわんか? おまえ、ケンと・・・・」
 リュウは涙を拭った手をTシャツに擦り付けた。そして、青い空を見遣った。
「いや・・・」
 目を閉じたままでゆっくりとジョーは、唇を動かした。
 後悔・・・・、今となっては悔いることしか出来なかった。自分らしくもなく怖気づき
戸惑ったことを。
 確かめておきたいことがあった。この身を曝け出してでも、確かめておきたかったこと
があった。
 迷うことなく差し伸べられたケンの手、真っ直ぐに向けられたケンの眼差し、微笑んで
くれたケンの瞳。それがチームのリーダー故、仲間故だったのか、今はもう知る術はない。
『ジョー、死なば諸共、おまえが正気に戻るまで俺はここにいるぞ!』・・・・炎の中、
 おまえの言葉は、それよりも熱く俺を焼いた。
 俺に差し伸べられたケンの腕、俺を包み込んだケンの微笑み・・・・、
 ジョーは確かめる勇気がなかった自分を悔いた、
 真実を恐れた自分を悔いた、そして、己が真実を疑った自分を悔いた。


 1−封印されたもの END



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