人工降雨が見せる夢

by トールハンマー




 どんよりと灰色がかった弱々しい夕日が、それでも微かに西の空を赤く染め、水平線に
沈むのに、さして時間はかからなかった。
 9月を迎えたユートランドは既に気温が初冬並に下がり、ここ2、3日のニュースには
例年を遥かに上回る異常寒波を報告するスペースがページの殆どを占領していた。
 快活な都会の喧騒を一歩離れ、嘗ては夏のリゾート地として沢山のレジャー客を集めた
このサウス・ビーチも、今年はついに浜辺で賑わう声を聞くこともなく短い夏を見送っ
た。

 カーテンを引き照明を灯しただけの部屋は、もうすっかりと肌寒く、俺がデスクチェア
の背に掛けてあったダウンジャケットを手に取ったのを見て、ガービィがソファを立って
エアコンのスイッチを入れてくれた。
「経費節約って言ったって、部屋の中でダウンジャケットってのは、ちょっとね」
 そう言って淡いカラーレンズの奥でトビ色の瞳が笑った。
 ガービィはホントワールにあるIOSの医療機関ヘリオスの医学生だ。何処ぞの金持ち
の御曹司で超エリートだと聞いた。隠してはいるが学生のくせに医学博士のネームバ
リューまで持っているらしい。
 それがどういう気紛れか、無公害エネルギーの研究に入れ込んでマントル計画を推進す
る我らが南部博士の元に身一つで転がり込んできた、言わば居候だ。
   ついこの間までアンデス山中にあるソーラシステム研究所で、山頂の湖を凍らせて作っ
た巨大なレンズで太陽光線を集積させることに日夜奮闘していたのだが、一応の成果を得
たらしく先月始め、膨大な研究データと共に、土産も持たずに下山して来たのだ。
 俺は肩に掛けかけたジャケットを椅子の背に戻す前に、ポケットから煙草とライターを
取り出すと、一本抜いて火をつけた。
「今年はここでも雪が見られそうだな」
 ふぅー、と吐き出した煙を眺めながら俺は独りごちた。温暖なこの地で、雪を見たこと
は今までに一度もない。
「呑気ですね、この非常時に。世界が凍りつくかも知れないんですよ」
 ガラスのテーブルの上で、とっくに冷めてしまっていると思われるコーヒーを啜りなが
らガービィが言う。
 しかし、俺にしてみればこの非常時に、無公害エネルギーなんぞの研究をしている奴の
方が余程呑気に思える。それよりも成層圏に蓄積し、この異常寒波をもたらしている火山
灰を一掃する手段を考えるのが先決ではないのか。1年半の歳月を費やしISOが苦肉の
策として考案した“ホープ・レイン計画”、圏内に人工降雨を降らせ蓄積物を除去しよう
という試みも、やっとその第一段階をクリアしたばかりで、実験地域で歓声の元、広がっ
た青空も1日ともたなかった。
 湖面レンズもアンデスが灰に包まれちまった日には、使い物にならないってことがわ
かっていないようだ。

「夕食、何にしますか?」
 膝の上に読みかけの雑誌を広げたままでガービィが聞いた。
 まったく、呑気な野郎だ。
「そんなものマーサに任せときゃいいだろうが!」
 短くなった煙草を灰皿に押しつけてそう言ったものの、2秒とたたない内に俺は思い出
した。マーサというのはここのメイドのバアさんだが、今日から1週間休暇を取ってカリ
フォルニアにいる息子の家に行っているのだ。1年振りの長期休暇だと嬉しそうに皺を綻
ばせて、荷物を纏めていたマーサの顔が恨めしげに浮かんだ。
 俺はここ2年程、ろくな休みを貰っちゃいないんだ。
「マーサには敵いませんが、シチューなんかいかがですか?」
 俺の舌打ちが聞こえるはずもないガービィが雑誌を捲って見せたページには、旨そうに
湯気を立てたクリームシチューが載っていた。
 どうやら、さっきから熱心に読んでいたのは、初心者向けの料理雑誌だったようだ。
 しかし、誰が作るんだ?
 俺は頭数を確認する。現在ここに住んでいるのはマーサを外して4人。クックレスの料
理になら凝ったことのある俺と”男子厨房に入らず”だったか?で育った博士、牛乳パッ
クの開け方も知らないケン、
 それから・・・・、
「もしかしてガービィ、おまえが作るのか?」
「ええ、始めてでも簡単に出来ると書いてありますから」
 さらりと答えてみせるガービィに、俺は早、胃の辺りが凭れてきた。これだから学者っ
てのは困るんだ!。本に書いてりゃ何でも信じ込んじまう。料理ってのは”腕”がいるん
だ。頭で作るんじゃないんだ。
 それに貴様は医者だ、メス捌きは得意だろうが、キッチンナイフも持ったことのない奴
が、どうやってジャガイモの皮を剥くんだ!!
 俺はなんとか事態を回避するべく考えたが、ここからでは外食するにも街までは結構な
時間、車をとばさなければならない。
 俺はもう1本、煙草に火をつけた。その間にもガービィは材料の買い出しのメモを書き
始めている。漸く、俺は思いついた。冷蔵庫にはマーサが留守中にとフリージングして
いったチキンのグラタンやボルシチなんかがあったはずだ。
「面倒なことしないでも、フリージングしたのがあるだろう」
 しかし、
「電子レンジで解凍した物より、作り立ての方が美味しいに決まってます!」
 ガービィは断言した。そして俺が救急箱の中の胃腸薬の心配をしだした時だった。玄関
のドアチャイムが鳴った。
 この“非常時”にいったい誰だ!。もう1度チャイムが鳴った。玄関まで走って出た俺
の前に、フランスパンとワインの瓶の頭を覗かせた大きな紙袋を持ったジュンの姿があっ
た。
「マーサが留守だって聞いて。夕食、シチューでいいかしら?」
 その言葉とジュンの笑顔に、俺の胃の凭れは一気に晴れた。
「ありがたい、シチューは大好物さ。特にジュンの作ったやつはな」
 ”特に〜〜〜”に、どんな意味が含まれるのか知る由もないジュンは、その言葉に満面
の笑み湛え、早速キッチンへと向かった。
 荷物を預かった俺は赤と白のワインとデザートの洋梨を冷蔵庫に入れ、彼女の助手をさ
せるべく、ガービィを呼びにいそいそと部屋に向かった。


 重いカーテンの垂れたテラスの向こうに、バイクのエンジン音が聞こえたのは、それか
ら間もなくだった。
 今度はドアチャイムが鳴らず、その代わりに聞き慣れた足音が部屋の前で立ち止まっ
た。
「只今」
 プライベートルームではないのでノックはない。
「遅かったじゃないか」
 レザーの上下をぴっちりと着込んだケンに俺は言った。
「ちょっと、面倒なことになった」
 そう答える唇は冷たい風にあたったせいか血色がなく、同様に顔色も青ざめていた。俺
は少し暖房を強め、ジャケットを脱がせてポールハンガーに掛けた。
 今回俺たちが追っているのは、ベノビアの中央都市にあるダウンタウンに大量に出回っ
たCAS、精神強化剤の流通経路だ。恐怖心を薄れさせ闘争心を煽るその薬は、ほんの
10グラム程で人間を完全な廃人にしてしまう効力をもつのだが、巷の不良少年たちの間
ではひっぱりだこで、薬を奪い合っての障害事件が多発していた。ケンは病院送りとなっ
た常用者から詳しい事情を聞き出そうとしたのだが、病室の前では既に警官によるガード
が固められ、関係者以外はシャットアウトされた。どうやら事件は我々の介入を拒んだ様
子だ。
「流通経路に怪しげな影ありってところか」
「ああ、だが、こっちは暫く動けない」
 ソファに掛け、いくらか赤みの戻った顔色で、ケンはテーブルの上に整えられたトレイ
から新しいカップを持ち上げた。ポットを傾けてやる手元からいつものブレンドが仄かに
香り立つ。
「キッチンを覗いて来たか?、ジュンが夕食を作りに来てくれてるんだぜ」
 俺は胃腸薬のことなどきれいに忘れて、冷えたワインと湯気の上がったシチューと焼き
立てのフランスパンの並んだ食卓を思い描いた。
「ああ、シチューは俺のリクエストだ」
 形の良い指でカップを口に運んだケンの上目遣いの瞳がこちらを見た。
「なんだ、おまえが頼んだのか。どうりで」
 と、そこまで言って俺は口を噤んだ。「どうりで、嬉しそうにやって来るはずだ」と、
言おうとしたのだが、鈍感なケンは未だにジュンの女心を解していない。俺の言葉に真面
目な顔で聞き返してくるのは目に見えている。「どうりで、ってどういう意味だ?」と、
そこで無粋な説明をしてやる程、俺は親切じゃない。
 ケンが噤んだ言葉の続きを催促しないのにほっとして、俺はそそくさと話題を変えた。
 ちょうどデスクの上に乗っていたニューズペーパーの第一面が、例の人工降雨の第ニ段
階を報告する記事だったので、手頃なところを話のネタにする。
「今度はカリフォルニアだってよ、雨降らせるの」
「大変だな」
 気のない返事のように聞こえたが切実なものが見て取れた。ここ数年、地球規模で起
こっている地殻変動が、徐々に惑星を変革し始めていた。
 パンゲアを分裂した地球のエネルギーは、今もその活動を営み続け、地を裂き、火山を
噴火させて、自然の猛威を知らしめる。
 宇宙の摂理に従って星の一つが、まるで意思を持ったかのように強大な力で自身を改造
していくのだ。
 そして、そんなとてつもない力に対抗しなければならない人間は、しかし、太古に滅び
た恐竜たちのように、大地と種が失われていくのを指を咥えて見ている訳にはいかない。
曲がりなりにも有史以来最高の頭脳を与えられた我々は、たとえ敵わぬ敵でも、せめて悪
足掻きぐらいはして見せなければならないのだ。
 が・・・・、だからと言って俺たちに出来ることはない。
「無公害エネルギーより空をどうにかしろ!」と、ぼやいたところで手の届く問題ではな
い。俺は政府の官僚でもなければISOの高官でも、ましてや科学者でもない。
 俺たちに出来ることは、未だ隣国を出し抜くことだけに行われるスパイ行為ぐらいなも
の。敵国の戦力を知るために、たった5センチにも満たないボルトを命がけで奪い合う類
いだ。
 CASの流通経路を押さえることも、未来ある青少年を守るためではない。薬を手土産
に二重スパイに寝返った輩を捜し出すためだ。
「カリフォルニアの青い空か」
 カップを離れた唇がぽつりと呟いた。
「古い歌を知ってるな、リバイバルでも絶対聞かないぞ」
「おまえこそ」
 一息ついてケンは身体をソファに伸ばした。俄かに眠気が襲ったのか、気持ち良さそう
に立てる寝息が耳を掠める。

「あれ、いつの間にケン、帰ったんですか?」
 料理の合間に盗み酒でもしたのだろうか?、ちらっと冷蔵庫に入れたワインを頭の端で
心配しながら、ほんのり頬を染めて戻って来たガービィに、俺は「シッ」と唇に人差し指
を立てて合図する。すると、
「いつ帰ったんですか・・・?」
 と今度は耳元で小声で聞いてくる。「たった今だ」と答える俺に、「で、もう熟睡して
るんですか?」と呆れた顔でケンを覗き込んだ。
 おまえのように毎晩ぐっすりと眠れるような身分じゃないんだ、俺たちは!。と言いた
いのを押さえて尋ねる。
「シチューは出来たのか?」
「まだです、煮込むのに少々時間がかかるので・・・・」
 ガービィは優雅に身体を伸ばすケンの向かい側の、1人掛け用のソファに腰を下ろす
と、また”初めてのクッキング”を読み始めた。
 熱心な奴だ。しかし、
 追い出されたって訳だな・・・・。俺は、北叟笑んだ。
 こいつは知らないんだ、料理にも秘密兵器があるってことを。今頃はジュンが野菜をぐ
つぐつ煮た鍋に“シチューの素”を入れていることだろう。小皿に掬って味見をする彼女
のニンマリ笑った顔が目に浮かんだ。
 シチューが煮えるまで15分ってところか、博士もそろそろ帰って来る頃だろう。美人
の秘書が助手席にいたら晩餐に誘ってしまおう。ドライバー兼ボディガードの博士のゴリ
ラは追い返すとして・・・、
 そんなことを考えながら煙草に手を伸ばす。ふと、視線を向けたケンの寝顔は安らか
だ。
 ここは安住の地とは言いがたいが、いつの間にか、俺たちのかけがいのない拠り所と
なってしまったようだ。クックレスの料理になら凝ったとこのある俺と“男子厨房に入ら
ず”だったか?、で育った博士、牛乳パックの開け方も知らないケン。それからメスを
キッチンナイフに持ち替えた医学博士。当分はエプロン姿のガービィに我が家のキッチン
は占領されることだろう。胃腸薬はしっかり確保しておかなければならない。
 ワイフ思いの薄情な息子より、俺たちの方がよっぽど可愛いと、いつものように愚痴を
土産に、マーサが休暇を返上して帰って来るのが待ち遠しい。

「ガービィ、ジョー、食卓の支度を手伝ってちょうだい」
 きっかり15分後、ジュンが俺の名前まで伴って呼びに来た。
「あら、ケン、眠っちゃったのね」
 ちらりとソファを覗いて見る。「起こそうか?」と尋ねる俺に、彼女は首を振った。
「どうせ役に立たないから」
 ツンと肩を持ち上げて見せて諦めたようにして言う。
 ククッと含み笑いをするガービィを、俺は横目で睨んでやった。


 ダイニングルームのテーブルには、大きめのタンブラーに水を打ったパセリが花の代わ
りに飾られていた。ランチョンマットは何処かと尋ねるジュンに、そんな気の利いたもの
はないと答えると、ガービィが絵皿を並べた飾り棚の引き出しから、ナフキンと一緒にラ
ンチョンマットを探し出してきた。
 たかがシチューにごたいそうなこった、と俺は呆れたが、知る由もなく「ローストビー
フもあるのよ、ペッパーのきいたグリーンアスパラのサラダもね」と、ジュンはケンの好
物を並び立てた。
 俺の好物のスモークサーモンは無いのか?と、嫌味でも言ってやろうかと思ったが、大
人気ないのでやめておく。
 ワインを冷蔵庫からワインクーラーに移し、グラスを並べたところで、また玄関のチャ
イムが鳴った。ゆっくりと2度、どうやら博士のご帰還らしい。鍵を外してドアを開けた
俺は「お帰りなさい」の言葉と共に美人の秘書の姿を探した。しかし、彼女は居らず、厳

つい顔をしたそのもののゴリラが1頭いるだけだった。
「ご苦労だった」
 ドアの前で書類の入ったケースを受け取りながら博士が言うと、ゴリラはチラッとガン
付けがましく俺に睨みをきかすと、調教の行き届いたお辞儀をして、その場から立ち去り
門扉に寄せて止めてある車の中に姿を消した。
 そして、博士を家に入れヘッドライトが遠ざかるのを見送ったと同時だった。入れ替わ
りに荒っぽい運転でタイヤを軋ませたバギーが門扉に止まった。
「博士、ジョー!」
 ルーフの無いバギーからドアも開けずに飛び降りて、ジンペイが走って来る。
「セーフ! どうやら夕食に間に合ったようだな。うー、寒い」
 気温は更に下がったらしく、鼻の頭を真っ赤に染めて玄関に滑り込むと、勢い余って博
士の懐に突っ込んだ。
 ちぇ、美人の秘書が煩いガキになっちまったか。
「ジンペイ、夕食に誘った覚えはないが」
「なに言ってんだよ、お姉ちゃんが来てるはずだぜ、オイラを除け者にする気かよ」
 言うが早いか、シチューの匂いを嗅ぎつけてキッチンへと直行する。
 途中、声に気づいたのか部屋から出て来たケンに「もう、兄貴、眠そうな顔は朝だけに
してくれよな」と、生意気を言った拍子に反対側から来たガービィと正面衝突した。
 まったく・・・・、いつまでたっても落ち着きのない奴だ。これが任務に差し障らない
かと俺はいつも不安になる。
『ダメよ、ジンペイ、摘み食い! ん、もう、手も洗わないで!』
 キッチンからはジュンの声。俺がこめかみを押さえた傍らで、博士の溜息が漏れた。
「どうやら賑やかな晩餐になりそうだな。お帰りなさい、博士」
 欠伸を押さえてケンが言う。
 世界的権威を持つ科学者でありISOの実権を影で握る実力者、そんな博士もここでは
一家の主でしかない。それ故、ジンペイに頭突きをくらわされようと、寝ぼけ顔でケンが
出迎えようと笑って許してくれるのだ。
 そして、たとえ一番最後に出て来たエプロン姿の居候が、“お帰りなさい”の言葉を忘
れようとも・・・・、
「博士、直ぐに食事になさいますか?」
 シチューは思いの外いい出来のようだ。ガービィが興奮したような声で言った。ほんの
り頬まで上気させて、いや、これはそのせいではないかも知れない。
「ああ、急いで着替えるとしよう」
 そう言って2階への階段を上がりかけて博士は、つとケンを振り返った。
「ケン、明後日の夜は空けておいてくれたまえ。アンダーソン長官のバースディパー
ティーに出席してもらう」
「了解です」
 寝乱れたままの肩にかかった髪を煩わしげに払いながらケンが答える。そして博士の後
姿が回廊の奥のドアに消えるのを確認してから、小さな溜息が一つ。
 俺は聞こえなかった振りをした。
 長官のバースディパーティーだと? このご時世に派手なことだ。その費用を救済キャ
ンプに寄付してやれば、1週間はホームレスが食い繋げるだろうに。おおかたこんな時だ
からこそ各方面の懇親を図る為だとか言って催されるんだろうが、立派な制服や、煌びや
かなドレスに身を包んだ紳士淑女達の自慢話と、勲章や宝石の品評会の為の浪費であるこ
とに変わりはない。
 それにしても・・・・、お偉方が一堂に会するパーティーなんぞ、考えただけでもゾッ
とする。気の毒に思うが代わってやる訳にはいかないと思いつつ、ちらりとケンを盗み見
る。
 うんざりといった様子だ。
「スーツの用意、しておけよ」
 こんな時、俺はケンに同情してやることしか出来ない。しかし、
「これで明後日の夕食は確保出来たな」
 ダイニングルームから呼ぶジュンの声に踵を返しながら、皮肉か本気かケンは言った。
皮肉ならば、健気な奴だ。本気なら図太い神経をしてやがる。俺はケンの真意を計りかね
た。
 そして、
「あの・・・、不思議に思っていたんですが、なぜいつもケンだけなんですか?、貴方も
ジュンも博士の部下でしょう」
 後に残ったガービィが、怪訝そうな顔をしてそう聞いた。こいつは時々立ち入った質問
を平気でする。なぜ、ケンだけか? そんなことは決まってるじゃないか。奴は博士のお
気に入り、大事な親友の忘れ形見だ。そして、ゆくゆくは南部の後継者となる身分だ。
 もっとも、ケンが承知すればの話だが・・・・、この事実はもうずっと以前から俺たち
にとっては公然の秘密になっているが、新参者のガービィはまだ知らない。俺はささやか
な優越感を感じながら、彼に言ってやった。
「ああいう場所じゃあ、あいつが一番見栄えがするのさ」
「見栄え・・・、ですか」
 納得がいかないという風にガービィはぶつぶつと口篭もった。きっと“見栄え”なら女
性のジュンの方が適役だと思っているのだろうが大きな間違いだ。ああいう場所では得て
して同伴の御婦人方の方が主役なのだ。若い美人の部下を伴って行って彼女らのご機嫌を
損なうより見目麗しい好青年を提供してやる方が場も盛り上がるというもの。博士がそれ
程策略家だとは思えないが、ケン程、適任者はいない。
「さあ、飯だ、飯だ」
 腹の虫が鳴きかけたのを合図に、俺はダイニングルームに向かったケンの後を追った。
 美人の秘書が来なかったのは残念だが、ジンペイが竜を連れて来なかったのは幸いだっ
た。後で知ったら怒るだろうが、あの大食らいが現れた時にはシチューどころか、冷蔵庫
の貴重なフリージングも跡形もなく平らげてしまうだろう。俺は見慣れた顔が並んだ騒が
しくも、だが平和な食卓を想像し満足したのだが、ガービィは、まだどうも気がかりがあ
るようだ。
「何だ、まだ聞きたいことがあるのか、なら食ってからにしろ」
 俺はさっさと背中を向けた。人間腹が減ると怒りっぽくなるという通説に従ってか少々
声を荒げた俺に、ガービィは言葉の先を躊躇した。
「何だ?」
 空腹ぐらいで人間性を疑われるのもしゃくなので、応えてやる。
「セキュリティシステムの調子が少し悪いんです。ちょっと門柱の監視カメラの具合見て
来てくれませんか?。俺、メカの中身はまるっきりダメなんで」
「悪いって、いつから?」


「昨日からです」
 昨日からだぁ? ならなんで早いとこセンターに通報しないんだ!
 怒鳴りそうになるのを押さえて俺は玄関を出た。
 まったく、呑気なのにも程がある。居候と言えど庭の水撒きとハウス・メイドシステム
の管理はガービィの役目だ。それを怠ってもしものことでもあったら! あいつはここを
いったいどこだと思っているんだ。金の使い道に困った独り者の富豪が道楽で立てた家
じゃないんだ。ここの地下にはISOのマザーコンピューターとアクセスする端末を備え
た博士の研究室があるんだぞ。狙われて当然の場所なんだ、もっと自覚を持ってもらわな
いと困るじゃないか!
 門扉にたどり着いた俺の脳裏で、この時程、さっきのゴリラの姿が頼もしく思えたこと
はなかった。彼は訓練された超一流のボディガードなのだ。ここにも彼らのようなガード
が必要なのではないだろうか?
 今はセキュリティシステムだけに頼っているが、これからはそういう訳にもいかなくな
るだろう。治安が悪くなればいらぬことに頭を使う輩は増える訳で、・・・・しかし、四
六時中、家の中をゴリラが歩き回っているというのも、たまったもんじゃないな。
 ぶつぶつと独り言を言いながら、門柱の彫刻にカモフラージュされた監視カメラを点検
する。見たところは正常に作動しているようだ。オン、オフと2度、3度スイッチを切り
替えるが、まともなところを見ると配線系統に異常はなさそうだ。次にコンピューター系
統を確認する。こっちも異常はない。となると本体か? 念の為ガービィに確認させてか
らセンターに通報するとしよう。
 カメラを元通り彫刻の中に隠し這い登る蔦を払って、俺はふと頭上を見上げた。
 星も月も見えない、ただ闇があるだけだった。それがとてつもなく恐怖を感じさせる。
 成層圏で沈殿した火山灰の向こうに宇宙はあるのだろうか? 空を臨めないことが、こ
んなにも絶望感を呼ぶものだとは知らなかった。
 人類の夢や希望は地を這うアスファルトと高層ビルの間で、既に死滅してしまったので
はないだろうか。太陽系探査、外宇宙進出、銀河への跳躍。果てしない人類の進歩の象徴
と称される夢が、未来と過去と現在を一纏めにして朽ちていくようだ。もう、手を伸ばし
ても届かない。
 世界は閉鎖し、文明と種は進化の袋小路への一途を辿り始める。
 まるで、置き去りにされたようだ・・・・。
「ジョー」
 声に、驚いて振り向いた俺の目の前に、突然、青い空が広がった。
「何やってるんだ、みんな、もうテーブルに揃ってるんだぜ」
 いつの間に出て来たのか、肩を竦めて寒そうにケンが立っていた。
 俺は一瞬、釘付けになった視線を外すタイミングを逃してしまった。
 見つめ合った形で、どれくらい経っただろう。ケンがぎこちなくその瞳を逸らせた。
「どうか・・・、したのか・・・?」
「いや・・・・」
 訝しそうな瞳のブルー。言葉を見つけられずに黙り込む俺に、「おかしな奴だな」と、
いつもの笑顔が不安を追い払ってくれる。
 ふぅ・・・と、思わずついた安堵の溜息に、ケンは俺の顔を覗き込む。
「何でもねぇよ」
 その言葉に、再び対峙した瞳は、しかし、今度は逃げなかった。

 おまえ、知ってるか? ケン。
 俺は、おまえのその瞳が好きなんだ。
 真っ直ぐに見据える青。そう、空の青だ。
 手を伸ばせばそこにある、俺の空。
 人工降雨が見せる束の間の空より、俺にとってはずっと現実だ。

 瞬きすら忘れたようなケンの瞳に、俺の意識は吸い込まれる。危うく止まり、そっと指
を伸ばす。ひんやりと冷たい頬を伝い睫に触れる。
 瞳は、それでも動かず、不思議そうに俺の動作を見ている。
 こういう雰囲気って危険だな。傍から見ても危なそうだ・・・・。
 案の定、思った途端、玄関のドアからジンペイが顔を覗かせた。
「兄貴、ジョー、早く来いよ。オイラもう腹ペコだよ」
 ギクリと震えて慌てて手を引っ込める俺に、
「どうする気だった?」
 ケンは悪戯っぽく笑った。俺は内心焦った。しかし・・・・、
 誤解だ。いや、まんざら悪い雰囲気でもなかったような・・・・。
「兄貴ったら!!」
 ケンのクスクス笑いと俺の真一文字に結んだ唇が、ジンペイに見えただろうか?
「わかった、わかった、今行く!」
 待ち切れないと呼ぶ声に振り向きながら、俺の動揺を軽くあしらってケンは踵を返し
た。
 そして「何やってんだよ」と口を尖らせるジンペイにこう言った。
「ジョーに迫られてたんだ」
 ・・・・って、ケン。だから、誤解を招くような発言は!
「ジョー、兄貴に変なことしたら、お姉ちゃんに言いつけちゃうぞ!」
 言い訳をする間もなく、しっかりと釘をさされた。いや、断じて誤解なのだが。しか
し、これで夕食の話題は決まったようなものだ。
 お喋りなジンペイのことだ、面白がって尾鰭背鰭をつけて、ジュンに誇大報告するに決
まっている。そして・・・・、
 ああ、だから言わんこっちゃない。これで明日からガービィの手料理以外、俺は食事に
は、ありつけない運命となったのだ。
「恨むぞ、ケン」
 ダイニングルームに灯った灯りを見ながら、俺は呟いた。
 星も月もない凍えるような暗闇の中で、その灯りだけが妙に暖かく感じられた。
 クックレスの料理になら凝ったことのある俺と、“男子厨房に入らず”だったか?
で育った博士、メスをキッチンナイフに持ち替えた医学博士、そして牛乳パックの開け方
も知らないケン、それから・・・・・、

 カリフォルニアに雨が降るのは10月。その次はユートランドにも雨が降るのだろう
か?
 システムとプロジェクトの改善はまだまだ前途多難だ。蓄積された火山灰を取り除くの
に必要最小限の雨量の算出、地表に降り注いだ排除物の後始末、そして、何より不安定な
大気の状態で正確な気流を把握するのは困難を極める。それでも根気強く実験を重ねるこ
とで少しずつ空は取り戻せるだろう。そうすれば、少しはましな夢の続きが見られるかも
知れない。
 人類の未来を想像するのは、もう少し後でもよさそうだ。
 俺は肩越しに、もう一度監視カメラを確認してから、みんなの待つ、シチューの湯気の
立つテーブルへと向かった。


                 END




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