Scandal Moon 5
Friday Night Melancholy

                       by トールハンマー



「今日は坊やのお守はいいの?。」
 ベッドに腰掛けて胸のボタンを外しながら女が言った。
「ああ?。」
 意味を解さないまま、琥珀の海に氷山の一角を残して、俺はグラスに半分残ったバランタ
インをテーブルに置いた。
「坊やって?。」
 ふっくらとした赤い唇に重ねて、俺は女をベッドに押し付けた。
 はだけた襟から白い乳房が零れた。掌をつけると女は軽く身を反らせた。
 ・・・・・おとなしくしてろよ。
 俺は左手首のブレスレットに、言い聞かせるように呟いた。
 金曜の夜、巷じゃ浮かれ気分の男と女が身体を合わす。煩わしかった昨日と疲れきった
今日を忘れて束の間の饗宴に興ずるために。
 ワインと音楽[バラード]と甘い囁きに酔いしれ、一時の悦楽に現実を葬り去る。
 ・・・・・だから、今だけは。
 唇から漏れる吐息は心地好く俺の肌を刺激し、囁きは優しく耳元を擽る。
 俺は女の腰に腕を回した。以外に華奢な手応えに満足しながら、そっと胸に唇を這わせる
と、女は微かに唇を開き、小さな喘ぎを発した。そして、
「私と坊やと、どっちがいい?。」
「なっ・・・・☆☆☆!!」
 俺はぶっコケた。
「坊やって?、俺は男を抱く趣味はないぞ!。」
「あら勿体無い。彼氏なかなか魅力的じゃない。それとも他に愛人がいるのかしら?。」
「何言ってるんだ。」
 惚けながらも女が誰のことを言っているのかは直ぐに解った。
 ケンが聞いたら卒倒するぞ、と俺は冷や汗が出た。
「ああいうタイプって、その手の男性がそそられるって聞くけど、彼氏ならノーマルな男でも惑
わされるんじゃないかな。」
 それ以上は言うな・・・・・・・、
「その気になったことってない?。」
 俺は女の口を塞いでいた。強く吸って舌を搦めた。
 冗談じゃない、俺がケンをだって!。あいつのパンチをまともに受けて無事で済んだ奴は
いないんだ。いや、下手すりゃ病院送りにもなりかねない。あいつは男どころか女にだって
固いんだ。今まででもジュン以外には手を出しちゃいないはずだ。
 唇を貪りながら俺は女の言葉に抗議した。と、その時、幸か不幸か、たぶん後者だろう
 ・・・・・・ブレスレットが鳴った。
 慌てて唇を放し身体を起こした俺を、女の目が怪訝そうに見る。
「どうしたの?。」
「あ、なんでも。アラームを解除するの忘れてたんだ。」 
 ・・・・ったく、こんな時に。少しはTPOを弁えろ。
 と愚痴ってみても仕方ない。
「リストウォッチ?。」
 髪を掻き上げながら俺について身を起こした女は、催促するように白い腕を首に巻きつけ
てきた。
「悪い、急用だ。」
 その腕を解いて俺はベッドを降りた。急いでTシャツを着てガンベルトを装着し上着を羽織
る。我ながらこの変わり身の早さには感心する。
「まさか!、このままにして行くっていうの!!。」
 ベッドで女が喚いている。
 当然だ、俺は彼女に恥をかかせるつもりなのだ。
「埋め合わせは必ずする。」
 言って接吻[くちづ]ける。白けたムードが苦笑を誘って、俺は「ククッ」と込み上げるものを
唇を噛んで堪えた。


                       *

「遅いじゃないか。」
 車を付けるといきなりケンが文句を言った。
「無理言うなよ、これでもすっとばして来たんだ。」
 ナビシートのドアを開け、俺は密かに弁解しながら答えた。滑り込んで来たケンは仏頂面
をしていたが、俺の顔を見ると暫くじっと視線を止めた後、小さく笑った。
「それならそうと言ってくれれば良かったのに。そうすりゃ迎えになんか来いとは言わなかっ
た。」
 何を言っているのか一瞬解らなかったが、視線の先に思い当たる節を見つけて俺は赤面
した。Tシャツの襟元に口紅がついているのだ。
「バカ!、やってる最中ですってか?、んなこと言えるかよ。」
「えっ?、」
 今度はケンが赤くなった。墓穴を掘ったと俺は口を噤んだ。
「で、情報は取れたのか?。」
 クスクス笑いを堪えているケンに、気を取り直して尋ねると「いや、」と首を振った。
 仏頂面はそのせいだったのかと、俄かに俺はほくそえんだ。
「何やってんだ、逃がしちまったのか。」
 反撃だとばかりに攻めてやる。
「博士になんて報告するんだよ。」
「失敗しましたって、正直に言うよ。」
「水爆が落ちるぞ。」
 ケンは上目遣いに俺を睨むと、それきり言葉を閉ざした。
 ・・・・・ちょっと応えたかな。
 肩を竦めてハンドルを握る。
 水銀灯のアーチを潜ってハイウェイを北に向かうと、フロントグラスの端に北極星[ポール
スター]が見えた。博士の研究室までのほんの束の間の夜を疾走する。
「ケン、」
 呼ぶと軽い寝息が返事をした。
 ・・・・・なんだ、寝ちまってるのか。いい気なもんだぜ、人が心配してやってるってのに。
 今度の山はシティで多発している暴動事件の火付け役となった出所不明のマッドドラッグ
の流通経路を暴くもので、尻尾を掴んだ組織のバイヤーから情報を取ることが、今回のケ
ンの任務だった。
「やばいな、」
 俺はひとりごちた。
 一人逃がせばその周囲全体が警戒する。マッドドラッグはシティから姿を消し、組織は暗
躍の場を他所に移すだろう。そうなれば仕事は1からやり直しだ。
 車の中に自分でついた溜息がやけに大きく響いた。が、きっとどっと疲れたのだろう、ケン
は目を醒まさない。
 シティへ出る1つ目の標識を過ぎ2つ目の出口に差しかかった時、車は渋滞に巻き込まれ
た。頭上の電光掲示板は2キロ先の事故を表示している。
 ・・・・・ちぇ、ついてねぇ。
 ナビをつけて事故情報をピックアップすると、車線オーバーした飲酒運転の車が対向車3
台と後続車2台を巻き添えに大破炎上した様子だ。
 死者5名と4人の怪我人、ちょうど傍らを慌てふためいた救急車が走って行った。
「人間、何をしてたって死ぬ時は死んじまうんだな。」
 不意にそんな思いが口をついて出た。
 自分たちのような仕事をしている者ばかりが命を落すとは限らない、危険は何にでも付き
纏う。罪もない一般市民でさえ、避けられないアクシデントは待ち構えているのだ。
 運命なんてものは信じちゃいないが・・・・・、
 俺は諦めてハイウェイを降りるべく車をシティへの出口に向けた。バックミラーの中で後を
ついて何台かがそれに従った。

 市街地の喧騒を抜け郊外のグリーンベルトを走っていると、急に煙草が吸いたくなった。
 ちょうど公園が見えたので、俺はそこに車を止めた。
 ナビシートを見ると、どうやらケンは熟睡状態だ。さっきの救急車のサイレンの音にも、シ
ティの公道の整備の悪さにも気づかず眠っている。
 ・・・・・いいのか、こんな無防備で。
 まるで母親か父親の側で安心しきった子供のような寝顔を見ていると、これが敏腕揃いの
情報部で自分たちのチームリーダーをやっている奴だとは、信じがたかった。
 そして、どういう訳かさっきの女の言葉を思い出した。
 シートに身体を預け襟元のボタンを3つ外した中に見える、男にしては白すぎるかと思わ
れる首筋に、長いブルネットが搦まって妙に色っぽい。
「冗談じゃない。」
 俺はもう一度同じ言葉を繰り返した。いや、或いは戒めだったかもしれない。
 煙草を出して火をつける。と、その前に・・・・、もう少しリクライニングを倒してやろうと親切
心を起こしたのが悪かった。
 レバー操作を誤ったナビシートがガクンと勢いよく90度後ろに倒れた。
 驚いて目を覚ましたケンの身体に重なったまま、俺は身動きが出来なかった。
「何してんだ!、重いじゃないか。」
 訴えるケンの唇に、見境もなくクラッときた。
 ・・・・・畜生!、あの女!、変なこと言いやがるから意識しちまうじゃねぇか。
 と思うより早く、俺の唇はケンのそれに重ねられていた。
 驚いたのはケンばかりじゃなかった。俺もしっかり驚いた。
 が、最早後の祭り。ナビシートのシートベルトに固定されている分、俺はケンより優位にあ
った。そのことが俺の歯止めを少しだけ甘くする。
 ケンの腕を押さえて無理矢理唇をこじ開け舌を探す。
 バシッ!と、頬に熱い痛みが走った。
「冗談ならここまでだ。」
 真っ直ぐに見据えた青い瞳に、僅かに畏怖の色が混ざって見えた。
 それが、また俺の小さな欲望と悪戯心を擽る。
「その気になっちまった。」
 意地悪く言って、俺の頬をぶった手を捩じ上げる。
 ケンは瞬間苦痛の表情を浮かべたが、次には鮮やかに俺の身体から擦り抜けた。
 俺は鉄拳を覚悟して顔の前で両腕を交差させた。が、拳は襲って来なかった。
「頭を冷やすんだな、そのまま走ると事故るぞ。のぼせた頭でハンドルを切り損ねたなん
て、巻き添えを食った奴らは、飲酒運転より救われないからな。」
 車の外で一気にそれだけ言うと、ケンは大きく息を吐き出した。
「なんだ、起きてたのか。」
 恐る恐る腕を下ろすと、ケンはもう踵を返していた。
 公園を出て夜の公道を北に歩き始める。やがて街灯が途切れて、俺はケンを見失った。
「ちぇ、解ってないぜ、ケン。」
 俺はハンドルの上で頬杖をついた。
「いや、解ってないのは俺の方かもな・・・・、」
 火をつけ損なった煙草をもう一度咥えて、ケンの消えた公道の先を見つめると、フロントグ
ラスのさっきと同じ場所に北極星[ポールスター]が瞬いていた。
 小熊座のアルファ星、宇宙なんて冷たいばかりで色気も何もない場所だ。ましてや星が未
来を予測するなんて非現実的なことがある訳がない。だから運命なんかも信じちゃいない
が、それでも・・・・・、
 それでも・・・・、死ぬ時はおまえと一緒にと・・・・、
 そう望む自分の身勝手さに、俺はいつも苦笑する。
「それでも・・・・、なぁ、ケン・・・、」
 煙草の先の紫煙がゆっくりとうねりながら立ち昇る。その中にケンの笑顔が見えたような
気がした。

「さてと、」
 2本目の煙草を吸い終わる頃には、北極星[ポールスター]は消えていた。
 ケンの言いつけ通り、俺はしっかり頭を冷やしてから車を出した。





     to be continued


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