Scandal Moon, the last story
聖戀の咲く庭

by トールハンマー



『海が見たい』
 と、夏になったら必ず健は言う。それもストロマトライトの群のある。
 なぁ、ジョー・・・と、俺の肩に腕を回して子供のようにせがんでみせる。
『星が見たい』と、数多流星降る幾億と瞬く星空を強請ったのはいつだったか忘れたが、
当然、冬には健は言う、
『雪が見たい』
 が、それは叶わぬ望みだ。なぜならここ十数年、温暖化の進んだ地上に雪は降らない。
見たければチョモランマにでも登らない限り無理だ。
 そして、
『セイレーンが見たい』
 例の如くに健は言った・・・・。しかし、今は花の季節じゃない。
 それに!いくら美人でも、俺は魔物の歌を聞いて狂い死ぬのはゴメンだ。だいたい碌に
休みもないのに海だの山だの、ましてや宇宙になど行ける訳がないんだ!と、ぼやく俺を
ものともせずに健は言う。
『どうしても見たい』

 ・・・・で、せっかくの宵っ張りの朝寝を棒に振って、俺はブレスレットも外せずに、
見飽きた顔をナビシートに、車を走らせている。
「おい、ジョー、まだ怒ってるのか?」
「別に・・・」
 少しは悪かったと思ったのか遠慮がちに尋ねてきた健に、曖昧に答えてやる。
「なら、もう少し楽しそうな顔をしろよ」
 ・・・・だが、甘かった。
「俺はこういう顔なんだ」
 ちょうど右折する角に差し掛かったので乱暴にハンドルを切る。俺には理解しがたい。
野郎2人でドライブして何が楽しいんだか!
 思いっきりふて腐れて見せると「そうか」と言って健が小さく笑った。
 まったく、こいつは人使いの荒い野郎だぜ・・・・・、
 それで朝から一悶着あった、事が至った次第はこうだ。

 溜りに溜まった未完成の報告書を2日がかりの徹夜で仕上げて、やっと迎えたオフの
朝、と言っても陽はとっくに昇りきっていたが・・・・、
「聖戀が見たい」
 健は言った。俺は鼻で溜息を付いた。
「セイレーン?」
 ぶっきらぼうに答える俺。そして付け足す。
「深海艇で水没遺跡の調査なんて、俺はごめんだからな」
 “聖戀”はアトランティスだがムーだかレムリアだか知らないが、大西洋だか太平洋だ
かに沈んだ古代大陸に生息していたと言われる白い花の咲く大樹だ。
 数年前に大陸移動説なんぞに従って、ヒマラヤ山頂の地層だか、南極大陸の氷山だかか
ら発掘された種子をバイオテクノロジーで現代に甦らせたという触れ込みで、当時、世界
最大規模で開園した考古学博物館に記念樹として最初の1株が根を下ろした。
 だが断っておくが、ここはユートランドだ。俺はこの方、この街で聖戀の木になどお目
にかかったことはない。勿論、郊外に出てもだ。それに今頃の季節、どこに花が咲いて
るっていうんだ。
「ふぁー、寝るぞ・・・」
 俺は腕を伸ばして一頻り大きく伸びをした。窓の外、久々に晴れた青い色の空が目に染
みた。ドッとソファに凭れ込む。俺が心地好い睡魔と微睡み始めても、健はまだブツブツ
言っていた。
「ムーン・パークに、確か聖戀の木があると聞いたな」
 その一言に、俺の愛すべき睡魔は跡形もなく消滅した。が、健は上機嫌で早々デスクス
テイションのネットワークでコンピューターと対話し始める。
 ムーン・パークというのは、ISOが手掛けているバイテク研究所の広大な実験グラウ
ンドの中で、鑑賞用の植物プラントなどが一般に開放されている場所なのだが・・・、
 どうも俺は気味が悪くて近寄りがたい。バイオ改良された植物なんてものは頂けない。
季節や風土、環境を問わず狂い咲く花々。1本の幹に多種多様の果実を実らせる樹木。想
像力豊かな俺には、どうしても不気味で仕方ない。真夜中に咲いた真っ赤な薔薇が棘の生
えた蔓を伸ばして食肉植物さながら、もそもそと這い出してきそうでたまらない。
 俺はゾッと背筋に悪寒を走らせた。その俺の鼻先に健がプリントアウトの終ったムー
ン・パークのインフォメーションを差し出す。
 俺は、しかし、見もしないでそれをテーブルに放り投げた。
「徹夜で報告書を仕上げたんだ、2日がかりでだ! 俺はこれからゆっくりと寝たいん
だ」
 少々語尾を荒げた俺だったが、当然健も負けてはいない。
「言っておくが、ジョー、報告書を仕上げたのは俺だ」
 その一言に俺は怯まなければならなかった。言われた通り、報告書を仕上げたのは健
だ。俺はというと資料を整理しただけで、後は灰皿いっぱいの煙草を吹かし、F1雑誌を
読み耽っていただけだった。それでも強引に俺は突っ撥ねた。
「行くんだったら、ジュンを誘えよ。車なら貸すぜ」
 ズボンのポケットから車のキィを取り出してテーブルに投げる。銀のプレートに小粒の
ブルーダイヤをあしらったキィホルダーは、シルバーメタリックの俺の愛車によく似合
う。最近買ったばかりの新車だが、まあ、仕方ない。ところが、
「女は苦手だ、おまえと違って」
 なんだとぉ!!・・・・、俺は大事な新車まで貸すと言ったんだぞ!!
 百歩も千歩も譲ったつもりの俺は、そう怒鳴りそうになるのを必死で押さえて、聞いて
やった。
「なんで苦手なんだ。おまえ程の奴が?」
 しっかり、嫌味を含んで。
「女は気を使わなきゃならない」
 俺は深く考え込んだ。こいつがジュンにいったいどんな気を使うというんだ。彼女の口
紅の色が変わったのさえ気づかない鈍感が! まったく、おまえに女が言い寄らない訳が
よく解るってもんだぜ。
「なら、リュウでも誘え、とにかく! 俺は寝るんだ」
 クッションを抱いて身体をソファに投げ出す。健は短い溜め息をついた。
「ちぇ、わかったよ」
 諦めた健は態とらしく寝息を立てて見せる俺を見て、少し笑いながらも残念そうに呟い
て、完成した報告書のファイルを纏めると、散らかった書類の山を片付け始めた。
「無理言って悪かったな」
 俯いたままで力なく閉じられた瞼に、深い疲労の影が浮かぶ。
 それを横目で見ながらも知らん顔をした俺を、俺の良心が責めやがる。
「しょうがねぇ、コーヒーでも飲んだら付き合ってやるぜ」
「ジョウ!」
 俄かに瞳が輝いた。げんきんな奴だと思いながらも、疲れた顔の健を見るのはいたたま
れない。俺は根っから人間が甘く出来ているようだ。
 ISO特別諜報部第1課・特殊作戦部隊戦略室チーフなどと、ご大層な肩書きを貼り付
けられれば、色々と俺の知らない苦労もあるんだろうさ・・・・、
 俺は俺の眠気に言い聞かせた。

 市街地を抜け郊外へと車を進めると、景色は一変して鮮やかな緑の街路樹を携えた平坦
な一本道となった。俄かに睡魔が鼻先を擽り、俺はバックミラーの中で欠伸を噛み殺す。
ふと横を見ると、先程から大人しくなったと思った健が、リクライニングさせたナビシー
トで、腕を組んだまま気持ち良さそうに目を閉じていた。
 この野郎!・・・・、俺は今日何度目かの怒りに見舞われた。
「おい、健!」
 ところが怒鳴った俺の予想に反して、健の瞳は静かに開き、不思議そうに俺を映し出し
た。
「どうかしたのか?」
 俺を吸い込むデジィー・ブルー。
 「あ、いや・・・・、何でもねぇ、眠ってたんじゃなかったのか?」
 僅かに開けたサイドウインドゥの隙間から吹き込む風が、伸びた健のブルネットを額と
肩に踊らせて白い首筋に絡めていた。
 俺は今更ながら納得する。こいつに女が寄り付かない訳を。
「少し考えていたんだ」
「何を?」
 健は答えなかった。
 車がユートランドシティを出てから、既に2時間が経過していた。

 フロントグラスにこれ見よがしに広大な緑地帯が広がったのは、それから20分程走っ
てからだった。
 ユートランドシティから南に街を3つ抜け、4つ目の街のほぼ全域が通称ムーン・パー
クと呼ばれるISOのバイテク研究所だ。俺はやはり気が進まなかった。
「あいつら腹空かせてねぇかな」
「誰?」
「真っ赤な舌を何枚も重ねた奴らだ・・・・」
 想像力豊かな俺の心配が健には解らないらしく、頻りに首を傾げていたが、俺はそれ以
上は言わなかった。

 聖戀は咲いていた。
 休日明けで訪れる人もいないこの庭で、まるで俺たちが来るのを待っていたかのよう
に、樹齢数百年を気取った立派な聖戀が、咲き誇る白花を見事な枝に湛えていた。
「綺麗だな」
 見上げて健が言う。温室の硬質ガラスを通して差す陽の光が、梢の間で戯れて健の髪に
肩に零れて落ちる。
「ああ、きれい、だ・・・・」
 俺が言う。
 研究所が建って3年、この樹もおそらくここに根を張ってから幾らも経たないだろう
に、堂々たる風格を備えたその姿には“壮麗”というような言葉がよく似合った。
 健は腕を伸ばして深呼吸をすると、その高木の根元に腰を下ろし、優しい腕に抱かれる
ように幹に凭れて目を閉じた。頭上で開け放たれたルーフウィンドゥから漣のように繰り
返しながら吹き込む風が、風力計の風車をカラカラと音を立てて回している。
 白い花弁が舞い落ちる、ザッーーと梢を鳴らす吹雪となって、
 それは、まるで雪・・・・、
 降りしきる雪、光を遮り辺り一面に乱舞する・・・・、
「今日限りだな、明日には散ってしまうだろう」
 腕を伸ばし、花びらを掌に掬いながら健が言う。白い花びらは指の隙間から零れ落ち
る。まるで、氷晶が溶けて消えるように・・・、
 ちがう・・・・、
 雪は・・・降らない、ここ十数年・・・それなのに、
 俺は、何故だか無性に不安になった。
「健!」
 近寄って隣に膝を付く。花びらが俺の肩にもはらはらと降った。
「何だ、どうかしたか?」
「あ、いや・・・・、その、立派な木だな・・・」
 間直に瞳を捕らえてしまい戸惑う俺の気持ちも知らず、欠伸を一つ、健はその場に身体
を伸ばして寝転がった。
「おまえ、聖戀に取って喰われると思ったんだろう」
 なっ!なに? こいつは!俺の気も知らないで・・・・、と、腹は立ったが当たらずも
遠からず、しっかり見透かされて俺は絶句した。

 聖戀が見ていた。
 聖戀が俺たちを見ていた。まるで小さな子供を見守るように。
 寝そべった健の横に座って、俺は無意識に取り出した煙草を又、ジーンズのポケットに
押し込んだ。
『マナーを守りたまえ』ってのは煩い博士の言いつけだったな、などと考えながら、ふと
健を見下ろすと、腕を枕にうとうとと瞼を微睡ませている。
「おい、健。おまえ、聖戀を見に来たんじゃないのか?」
「ん・・・? 寝に来たんだ」
 虚ろな瞳を擦りながら健が答えた。
「なんだとぉ!俺に2時間半も運転させておいて、ここへ寝に来たってのか?!」
 出がけに飲んだコーヒーが、すっかり俺の心地好い睡魔を葬り去ってしまったというの
に、健はというと、さも気持ち良さそうに昼寝を楽しんでいる。
 俺はとうとう怒る気も失せて、大きな溜息をついていた。
 その溜息が聞こえたのか、
「・・・なあ、ジョー。俺、さっき車の中で何を考えてたと思う?」
 腕を枕に横を向いたまま、健がぽつりと言った。
「眠っちまいな」
 俺はそっぽを向いてやった。
 健は笑ったようだったが、続けた言葉は真剣だった。
「俺たちもいつか、それぞれ違った道を選ばなければならない時が来る。そうしたらこん
なふうに、おまえに我儘も言えなくなる、寂しいものだなと・・・・」
「軍との共同プロジェクトのことか?」
「そういう訳でもないが・・・」
 仰向いて健は眩しげに掌を翳ざした。
「ISOが全面的に軍のプロジェクトを援助することになれば、俺たちの身の振り方も決
まるってことだな」
 南部博士が今回推し進めている計画は、俺たちをまったく新しい方向へと導いて行くの
だろう。
 時が流れていた。月の庭に一時止まった時間が、ゆっくりと流れ出した。
「我儘言うんだったら、今のうちだぜ」
 告白にも似た俺の台詞。
「生きていれば、何処にいても会えるな」
 儚いような健の言葉。はらはらと降っては消える雪のように。
 健?・・・・・、
 沈黙が俺の不安を掻き立てる。
 聖戀が咲いている。
 聖戀・・・・、
 月の庭に咲く聖戀[花]よ、願わくは永遠に散り行くな。
 
「健・・・」
 呼んでみたがもう返事はない。肩を揺すってみても俺の手に触れたブルネットが揺れた
だけで反応はない。
「おい、本当に眠っちまったのかよ」
「おい、健・・・・」
 ちくしょう!完全に熟睡してやがる。ISOの精鋭を誇る戦略室のチーフともあろう者
が、こうも無防備でいいものだろうか? 聖戀に喰われちまっても知らねぇからな!


 ・・・・そして、
 季節が移り、冬が訪れようとする頃、俺たちはそれぞれの部署へと移籍になった。それ
きり俺はあいつの姿を見てはいない。
 だが、噂だけは風の便りよろしく俺の元にも届いた。
 “戦場の鷲”それがあいつの呼び名で、その翼が舞い降りる所には、ことごとく戦火が
上がり、跡形も無く焼き尽くすと。
 鷲は生粋の戦士だ、その誇りがあいつを駆り立てる。命令という甘い呪縛に酔いなが
ら、あたかも、白い大きな翼を自ら血に染めるが如くに・・・・、

 時が流れていた。
 様々なものを残影と化しながら、
 その中で、人の心も移ろいゆかねばならないのか。
 俺は二度と聖戀を見ないだろう、
 それでも、俺のなかで花は咲く。
 止まった時間の中で蒼白と、
 月の聖戀[花]が狂い咲く・・・・・。
 
 聖戀・・・・、誰が名付けたものか、聖なる恋の花よ。
 
 
 
 END


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