WISH STONE

by トールハンマー

上層部からの強引な配置換えに合って、内部勤務・・かごの鳥・・となった時にまず最初に覚えたのは煙草だった。
パイロットが地上勤務を言い渡されたような、羽をもがれた毎日はそれでも一見忙しなく過ぎていくように見えるが実に退屈な、そして居心地の悪い時間だ
ケンはやり残した仕事を前にデスクで溜息をついた。そして煙草を摘む。ツンと鼻につく燻ったスパイスの香りに顔を顰め、またキーボードに向かう、そしてまた煙草を摘む、それの繰り返し、とうとう諦めて、いつまで経っても吸い慣れないそれを灰皿に置くと、ゆるゆると立ち上る紫煙が窓の外の灰色の景色と溶け合った。
ニューイヤーの、不自然に喧騒をなくした街は、冷えた空気の中でしとどの雨糸を引き、群れなすビルの輪郭を薄い靄に包み込んでいた。
「ジョー、あの日もそうだったよな」
 ケンは応える相手のいない部屋で、そっと呟いた。と、デスクの上に置いたあった時計が小さな電子音を発した。
 午後のミーティングの時間を知らすアラームだが今日は必要ない。ケンはデスクを離れ窓辺によると、ロックを外して密着したフレームから剥がし取るようにして窓を開けた。
 そして、雨の中に腕を伸ばす。指先に落ちた雫は手首から肘を伝い、やがて表面張力した小さな涙の形になって灰色の摩天楼の底に落ちていった。


「なんだ、ケン、来たのか」
「随分なご挨拶だな、ジョー」
 新しい年の午前0時を回ったというのに、その店にはシャンペンシャワーもクラッカーも、お決まりの活気はなかった。聞きなれたBGMも昨夜からの持ち越しで代わり映えはない。だから、
「Happy New Year、ジョー」
 律儀なケンのその言葉が、妙に浮いているように聞こえる。ジョーはカウンターでツイとグラスを掲げただけで唇を少し綻ばせたが、直ぐにまた視線を手元に戻した。ケンはちょっと肩を竦めて隣の席に座り「Congratulations!ケン」と返してくれたマスターに笑顔で応えた。
「外は、雨なのか?」
 ケンが濡れた上着の袖を抜いたのを見てジョーが尋ねた。
「ああ、酷くはないがバイクで来たからな、濡れちまった」と、雫の乗った髪を払ったケンに「オイ!」とジョーは片目を瞑って顔を顰める。
 その雨のせいなのかどうかは知らないが、店に客は数えるほどしかいない。
「ここ、そろそろヤバいんじゃないのか?」
 バーボンを注いでコースターに乗せたマスターが、カウンターの裏に消えるの待って、ケンが耳打ちした。実際、土砂降りになろうが大雪になろうがこういう場所は、こういう日には賑うものだ。カウントダウンパーティーを楽しむ若者や恋人たち相手に、店は放っておいても活気づくのだ。
「そう思うなら、精々売り上げに協力してやるんだな」
 面倒臭そうに言うと、ジョーは指に提げたグラスを小さく揺らして、カランと角氷が琥珀の液体の中で澄んだ音を立てるのを楽しんでいる。機嫌はそう悪くはなさそうだ。
「博士は、よく解放してくれたな」
 そして、ぽつりと言った。
「何? ああ、パーティーのことか?」
 今夜は従来どおりの恒例行事となっている政府主催のニューイヤーパーティーが官低で催される。ケンは南部博士がその席に出席するようになってからは、毎年ボディガードを務めていたが、ISO長官を始めとする各界のビップたちが打ち揃う会場の警備は、ともすればISO本部ビルより厳重だ。南部がわざわざケンを指名することもない。
「ジュンに代わってもらったよ」
「夕食を食べ損なったな」
「フン、このご時世に派手なこった。その費用を救済キャンプに寄付してやれば、1週間 はホームレスが食い繋げるっていうのに」
 ケンはグラスを口に付けると、ピリッと舌を痺れさせたバーボンを喉に流し入れた。
 大方、こんな時だからこそ各方面の懇親を図るためだとか言って催されるのだろうが、立派な征服や高価な夜会服、煌びやかなドレスに身を包んだ紳士淑女たちの自慢話と、勲章や宝石の品評会のための浪費であることに変わりはない。
「俺たちも、そろそろ腹を決めなきゃならねぇってことさ」
「潮時ってことか?」
「ふふ・・・、いや、おまえにゃ、関係ねぇな」
 グラスを運びかけた手を止めてジョーは煙草を摘んだ。赤いルビーの火が先端に点ると一息深く吸い込んだ。
「なぁ、ジョー」
 妙な言い方をしたジョーが気になって、ケンは頬杖を付いた拍子に・・・というふうに視線を傍らに向けた。と、その視線を遮るようにして、ジョーの拳を握った手が鼻先に差し出された。
「手を出してみろ」
「手を?」
 口の端で笑ったジョーに、小首を傾げながらもケンは言われたとおりに手を出した。なぜだか見慣れたジョーの微笑が、その時は、何かを期待して(・・・まるで仕掛けた悪戯が成功するのを物陰に隠れて伺っているような)じっと待っている子供の笑顔のように見えた。
「やるよ」
 そう言って開いたジョーの手の中から出てきたのは、透き通ったアイスピンクの小さなガラス珠だった。
「何だ?」
「Wish Stone だとよ」
「Wish Stone?」
「ああ、願いを叶えてくれるのさ」
 ケンの掌に落ちたガラスの珠を人差し指で転がして、ジョーはその言い伝えを話した。
「満月の夜に一番明るい場所に行って、願いを託しこの珠を投げるんだそうだ。真っ二つに割れれば、そこから不思議な力が噴き出して願いを叶えてくれるんだとよ」
「へぇ、面白いな・・・、女に貰ったのか」
 からかうように言うケンに、ジョーは唇の端を片方上げて笑っただけで、否定はしない。琥珀のグラスがカラン・・・とまた、透きとおった硬質な音を奏でた。
「貰っとくよ」
 ポンと一度掌の上で投げると、ケンはシャツの胸ポケットにそれを収めた。と、カウンターについた左手首に巻きつけたブレスレットが、急かすようにコールサインを発した。
「ジュンじゃ役不足だったんじゃねぇのか?」
 ジョーの言葉に嫌な予感がしたが、応答しないわけにはいかない。ケンは小さな溜息を一つ吐き出してから通話をオープンにした。
 案の定、通信は南部博士からだった。ガードはやはり交代した方が良さそうだ。
「ちぇ、今来たばっかりなのにさ」
「文句を言わずに楽しんで来いよ、ご婦人方の相手は苦手だろうが、いいワインと美味い食い物が、たんまりあるってのは悪くないだろう」
「言ったろ、ジョー、その金でホームレスが一週間は食い繋げるって」
「ああ、解ってるよ。でもその後の一週間はどうするんだ、今度はどこのパーティーを中止させるんだ?」
「ジョー・・・?」
 カウンターを立ったケンは上着を掴んだまま踵を返せずにその場に立ち竦んだ。ジョーは俯いたままグラスを弄んでいる。
「すまねぇ、ちょっと酔ってるみたいだ、気にしないでくれ」
 そう詫びるジョーの指は今にもグラスを砕きそうなほど、白く関節を浮き上がらせている。そして大丈夫なのか?と尋ねる声に頷いて交わした言葉は微かに震えていた。
・・・・時間が、無い・・・んだ。
「えっ?」
 唇の内で発せられた呟きは、言葉にはならなかった。
「ジョー、気分が悪いんだったら今日は早く引き上げて寝ろ」
「ああ・・・」
 ジョーは詰まっていた吐息を、眉根を寄せて喉から押し出すと、灰皿の端で短くなっていた煙草を捩り消した。
「じゃ、行くぜ」
 短く言ってケンは背を向けた。だが、その身体はグイッと後ろに引き戻された。左の手首にジョーの長い指が絡んでいた。
「どうした・・・?」
 振り向いたケンにジョーは何かを伝えようとして動かしかけた唇を、まるで脅えるかのようにして閉ざした。
 一瞬の、だが、酷く長い沈黙がケンを引き止めた。握られた手首が火に翳されたように熱かった。だが、その熱量とは反対に冷やりとした訳の解らぬ胸騒ぎが、闇雲に突っ走るかのように全身を貫いた。
「ジョー・・・」
 呼ばれてジョーは大きく息をついた。彩度の高い澄んだ水色の瞳が、潤んで見えるのはアルコールのせいだろうか?
「あ、ああ・・・、雨が酷くなってきたようだ、車を使って行け」
 咄嗟にケンを避けた瞳は、色褪せたオーク材で出来た店のドアの方に向けられた。見れば濡れ鼠になりかけた数人の客が雨宿りに駆け込んで来たところだった。
 ジョーはスツールから腰を浮かせて、ジーンズのポケットに指を突っ込み車のキィを出すと、ケンの左手を開いてさっきのアイスピンクのガラス珠と同じようにして、その掌の上に置いた。
「俺はもう少しここにいるから」
「そうか、すまないな」
 代わりにケンはバイクのキィをジョーに渡した。そして「気をつけて帰れよ」という自分に、片手を上げて応えるジョーを見て、気の所為さ・・・と胸騒ぎを振り払った。しかし、手首に残った熱はドアを出て雨に濡れても冷めはしなかった。
「ケン・・・」
 自分を呼ぶ声が耳を掠めて足を止める。振り返ってみたがジョーの姿は雨の中にはなかった。


 腕を伸ばした先で雨糸が斜めに走った。渦を巻いたビル風に煽られて冷たい雨が吹き込んで来る。ケンは窓を閉めると書きかけの報告書を仕上げるためにデスクに戻った。
 煙草はいつの間にか長い灰を残して消えていた。ケンはそっと手の中に持っていたものをデスクの上に置いた。
 直径1センチほどのアイスピンクのガラス珠。人差し指で転がすと室内の照明を反射してキラキラと光を放った。
 化学組織ZrO2、屈折率2.15、硬度8.5、比重5.8、
「これはジルコニアだ。ジョー、おまえ騙されたな」
 ケンはWish Stoneを掌に乗せた。珠は屈折の具合で透き通った水色に変化した。それはとてもジョーの瞳の色に似ていた。
「これは真っ二つになんか割れやしない」
 ジルコニアは人工ダイヤだ。屈折率も硬度もそれに近い。
「こいつは願いを叶えてはくれない、いや、願いなど決して叶わないと嘲笑ってやがる」
 そのとおりだ・・・・、
ジョー・・・、
 あの日、雨の中で振り返った自分、もう一度あの日、あの場所に立ち戻れるなら、俺は引き返してドアを開け、閉ざされたジョーの言葉を聞き出すだろう。たとえ拒絶されようが殴ってでも。
Wish Stone、おまえに誠力があるのなら、
ジョーの言葉を俺に返してくれ、
ジョーを俺に返してくれ・・・・・、
その身を砕き、おまえの力を見せてくれ・・・、

ル・・・、と短い1拍をおいて電話のベルが鳴った。
ケンは受話器を取って明日からの仕事の内容を確認する。直ぐに電話は切れて静寂が戻った、雨の音だけが聞こえている。
「ケン・・・」
 いくら耳を澄ましても、もうそう呼ぶ声が聞こえるはずもない・・・・。



                  END


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