Scandal Moon 4
WOLFMAN

by トールハンマー



(1)

「なぁ、ユートランドに帰ったらいいコを紹介しろよ」
 海沿いの古い国道のガードレールに腰掛けて、そいつは言った。
「呑気だな、あんた。情報は取れなかったんだぜ、任務は失敗したんだ、わかってんの
 か!」
 睨みつけて吐き捨てると大仰に肩を竦め、火の点いていない煙草を口寂しげにそいつは
唇で弄んだ。
 直下型の太陽が、今はもう水平線に近づいている。
 「ちぇ」と、溜息と共に蹴った小石が、アスファルトを跳ねて海に落ちた。
 「火〜」と情けない声を上げたのは、CIAの腕利き?だろうエージェント。
 そして、そいつの手にライターが無いのは、敗戦の証。逃がした敵のスパイとの格闘戦
でクルーザーから投げ出された時に失った。
「ほらよ」
 しょうがねぇな、と上着のポケットを探ってジッポーを差し出す。と、点けてくれとそ
いつは唇を尖らせた。
 ジッ・・・と、小さな火花の後、辛うじて点った炎から嗅ぎ慣れたオイルの匂いがし
た。
 しかし、海に浸かったメンソールシガーはすっかり湿気っていて火が点かない。それで
もそいつはライターを引っ手繰ると、たった1本残った外国煙草を諦めきれず時間を費や
す。
 陽は急速に沈んでいった。が、迎えの車はいつまで経っても来ない。
 焦れて何度も時計を見る。
 ケンの奴はいったい何をしてるんだ・・・・、
「そう急ぐこともないじゃないか、まぁ、ゆっくりドクター・ナンブへの言い訳でも考え
 ようや」
 頬を肩を、赤く染めてそいつが言った。
「あんた、減俸ものだぜ」
 髪に指を突っ込んで、俺は憎ったらしい夕日の滲んだ水平線を睨んだ。
 
 
 信じている訳ではないが今日の運勢は最悪だった。金運、仕事運、異性運共に最低。朝
刊で読んだ星占いは、これ以上ないというような低運だった。
 そしてしっかり不運に見舞われた。だいたい組んだ相手が悪かった。
 髭面の40男、くたびれたネクタイが男やもめのトレードマークとでもいうように、だ
らしなくぶら下がっているのも気にくわなかった。
 それでも、かのCIAの諜報部の腕利きだと聞き、勇んで任務を共にしたのだ
が・・・・、
 情報が取れなかった上にスパイには逃げられるは、おまけに海に放り出されたそいつを
助ける為に海水浴までさせられた。その隙にスパイを乗せたクルーザーは波を蹴散らせ
悠々と大海原の彼方に逃亡した。
 呆気に取られたまま見送った2人を、燦燦と照る太陽がせせら笑っていたという訳だ。


「今頃、奴は勲章をもらう夢でも見てるんだろうな」
 俺は本国に情報を持ち帰ったスパイの上機嫌な顔を思い浮かべた。
「“一夜の夢“さ」
 そいつが言った。
「負け惜しみだな」
 北叟笑んでやると、そいつは「ちっ、」と舌打ちし、とうとう諦めて煙草を足元に投げ
ると、悔しそうに靴底で踏み潰した。そして、
「敵に捕まったスパイがどんな拷問を受けるか知ってるか? 電流を流されるんだぜ、こ
 こにな」
 そいつは股間を指し、「そんなことされちゃ死んじまうぜ」と背中を竦ませた。
「死んだら何も聞き出せないだろ」
「一回じゃイきやしねぇ、昇天するまで何度でもヤられるんだ」
「自白剤より確かって訳か」
 ゾッとさせられて思わず生唾を飲み下す。そして習慣的に懐から煙草を取り出した。封
を切っていない密封フィルムを被った煙草は辛うじて水難を免れていた。
「ずるいぞ!、自分だけ」
「あんた、国産は吸わないんだろ」
 確かにそう言った。
「状況に応じて妥協する」
「げんきんだな」
 その図太さと順応性の良さで生き残ってきたって訳か。なぜだか素直に納得できる。
 そして煙草を差し出し、慎重に1本選んで摘んだそいつの口許にライターの火を近づけ
てやった。
「Thank’s」
 ゆっくり肺まで吸い込んで、そいつは旨そうに国産の煙を吐き出した。
 それを横目に、傍らに腰を落ちつけて俺も煙草を咥える。真夏にしてはひんやりと涼し
い風が海面からしっとりと潮の香りを漂わせた。
「なぁ、相棒」
 スモークリングを吹き上げながら、妙にマジな声が言った。
「こんな仕事はな、適当に手を抜かないと長続きしないんだ。まっ、おまえさんのように
 まだ若い者には難しかろうが。どこまでやってどこで手を抜くか、それがかわるように
 なれば一人前だ」
 年相応の随分悟り切った顔でそいつは言った。内容は感心できねぇが・・・・、
「で、今回は手抜きが過ぎたってことか?」
「いや、相棒が悪かったな」
「何だとぉ! 海に落ちたのはあんただろ」
「あのままクルーザーにいたら、2人共お陀仏だったさ」
 えっ?・・・・、
「気がつかなかったか? 爆弾が仕掛けてあった。遠隔操作の出来るヤツだ。敵は身内の
 1人や2人何とも思っちゃいないのさ、それだけ大きな組織なんだ。俺たちがおとなし
 く引き上げてやったおかげで奴は命拾いしたって訳だ」
 そうだったのか・・・・、しかし、
「わかってりゃ、一緒に海に引き摺り込んでやったのに、何で言わなかったんだ」
「そうすりゃ、その時にドカン!だ。わかってんだろ。素直に俺の手抜きを称賛しろよ」
 ちぇ、こういうのを年の功って言うんだな・・・・、ぼそぼそと口篭もると「何だ?」
と言いたげに、そいつは俺の顔を覗き込んだ。


(2)

「いや、俺の負けだ」
 素直に認めてやると満面の笑みを浮かべて、そいつは胸を張った。
「仕事の為に命を落とすなんて割りに合わねぇからな。残った者にも辛い思いをさせる」
「俺には“逃げられる”妻も子もいないぜ、ついでに両親もな」
「逃げられるってどういう意味だ?」
 ふん、しらばっくれやがって・・・と思ったが、俺は知らん振りをしてやった。
「だったら、恋人か、親友か、家でおまえを待っている可愛いペットの為に命は大切にし
 ろ」
「んなもん。いねぇさ」
「なら、ベッドの相手だ。ベッドシーンをヤる相手ぐらいはいるだろ。えっ?・・・、何
 だ、いないってのか? おい、坊や、おまえ若いのに、そんなとこで手を抜くなよ」
 「うっ・・・」と、言葉を濁した俺に、そいつは執拗に言い寄った。
 うるっせーな!
「手抜き人生やってる奴に言われたくねぇ」
 ドスを利かせて下から睨め上げる。だが、強か笑ってそいつは宣言した。
「お言葉だが、坊や。俺はベッドじゃ手を抜かない完全主義者だ」
「な!!」
 んなこと、力んで言うことかぁ。
 赤くなった俺を見て「フン、ガキが」とそいつはニンマリ笑った。だが、ここで怯んで
などやるものか。
「ハン、40男がベッドでそんなに役に立つのかね。手を抜かれる方じゃないのかい?」
「何だと!!」
 怒鳴った拍子に咥えていた煙草を膝の上に落として、そいつは悲鳴を上げた。
 どっちがガキなんだか・・・・、と呆れた時、道路の先にヘッドライトが見えた。
 やっとケンが来てくれたようだ。

「悪い、遅くなった」
 と、言う割には悪かったと反省しているふうには見えない。
「真冬だったら凍死してるところだぜ」
 だからつい八つ当たりだとわかっていながら言ってしまう。しかし、ケンは少し困った
ように小首を傾げただけで、「帰ったら熱いミルクを奢るよ」と、嫌味の後に笑顔をくっ
つけた。
 この笑顔が曲者なのは十分承知。毒気を抜かれてしぶしぶ迎えのアルピーヌのドライ
バーズシートのドアを開ける−たとえ、ボロボロに疲れていようと運転席は譲れない−
と、後ろから、
「美人だな。もしかしておまえのコレか?」
 含みのある声がして肩越しに振り返ると、小指を立てたそいつの顔が間近にあった。
 何なんだ? その指は・・・? 考えること約3秒、咄嗟にケンを庇ってそいつの前に
立ちはだかる。
「あんた、いいコを紹介しろって・・・・」
 ゾゾッと震えが走る俺の後ろで、キョトンとしたケンの顔。
「俺は女と限定した覚えはないぞ」
 状況を把握しきれないケンとしっかり把握した俺に、そいつは落ち着き払ってそう言っ
た。
「その性癖が妻子に逃げられた理由だな」
「おいおい、プライバシーに突っ込むなよ」
 言うが早いか、スッと立ちはだかる俺を擦り抜けて、そいつは馴れ馴れしくも初対面の
ケンの肩に腕を回した。
「ドクター・ナンブはお怒りか?」
「ええ、とても。でも、ちゃんと手は打ってありますから」
 嫌がるでもなく鼻先3センチに迫った髭面に、ケンは微笑さえ含んで見せた。しかし、
次には、しかと腕を払って俺に命令する。
「準備が出来次第、奴らの懐に潜り込む。ジョー、失敗は償ってもらうぞ」
 ケンは未練たらしく赤く染まった水平線を睨んだりはしない。
「ラージャ」
 俺は乾いたシャツに噴いた塩をはたき落とした。
 ナビシートのドアを開けるケンの背に流れた茶色いはずの髪が、夕日の残照を浴びて赤
く燃え立って見える。緩やかに曲線を描いて成すその動作に、逆光の中、しなやかな肢体
の輪郭が金色にけぶる。
「若さに敵無しってところか」
 見惚れた様子でそいつはそう呟いた。さも、羨ましそうに。
 だから俺は言ってやる。
「俺たちには俺たちの手の抜き方ってのがあるんだ。死なば諸共ってな」
 驚いたように、だが、そうだったなと何かを思い出したような貌で、
「なるほど、そりゃ手っ取り早くていい」
 そいつは髭を擦って微かに笑った。
「ミスターどうします? 付き合いますか、それともこのまま本部までお送りしましょう
 か?」
 ドアに手を掛けたままでケンが振り返る。
「何の、乗りかかった船だ。しっかりガキのお守はさせてもらうぞ。俺のいる前でその手
 の手抜きはさせねぇからな」
 ウィンクを寄こしながら、ケンの肩を抱くように引き寄せたそいつが、ふと、頭上を見
上げた。つられて俺も顔を上げる。
 憎々しげな陽は落ち、代わりに白々としたフルムーンが見下ろしていた。
 だが、1日はまだ終わっちゃいない。

「今宵、月は満月・・・・」
 髭面の、年の功か、どこか余裕に満ちた男の声にゾクッと俺の背中が敏感に反応した。
 そして、さり気なく、だが、此方に見せつけるようにケンの耳元に唇を寄せ、
 ニッ・・・と舌なめずりするように、そいつが笑った。
 
 
 
 To be continued

 


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