蒼の葬列

by yu-jin & Ri


 切り取られた銀の世界 広がりのない空間。
 その内に住む青白い顔をしたお前は、そこから出ることが出来ない。
 閉じ込められたまま、一生……… 一生?
 叩きつけられた拳は、叩きつけられたお前の顔を潰す。
 表面を放射状に走った傷からは一滴の血も出ず、その内には崩れた顔のまま、
まだ、お前が在る。
 出なければ。
 幽かに脳裏を過った思考は、次第に脹らんでゆく。
 出なければ。
 そうだよ。お前だって出たいんだ。
 再び降り下ろした拳は、隔りを衝き崩した。
 目の前で光が舞った。
 鱗粉をまき散らした様な、暖かな光の乱舞の中、やがてそれは、一つ一つの小
さな冷たいただのかけらに戻る。
 そして、お前は。
 血に濡れ、こなごなになってなお、閉ざされた空間の中に在(い)た。


 腕がコンクリートになってしまった様だ、とジョーは思う。全身の感覚が低下
し、腹這いになっている床と同化している気がする。
 持っている銃は既に自分の腕と変わらない。硬質の匂いも暖かみもない銃、そし
て腕。
 やがてスコープに黒い車が入って来る。ジョーは舌をゆっくりと動かして唇を舐
めた。昔は唇の乾きが気になり湿りけを与える為だったが、今は単なる習慣となっ
ている。
 車が止まり、ドアが開く。男の背がボディーガードに遮られるほんの一瞬前、
ジョーの指は引き金を引いていた。
 スコープの中では、男が万才と手を上げて頭から地面に倒れ落ちる。ジョー専用
の特殊銃(ガン)は五千度の光球(レイ)を音もなく噴き出し、男の背に子供の頭
が入る程の黒々とした穴を開けた。瞬間の炭化の為血も出ない。この銃で既に五人
だ。五人とも平和運動推進者である。同じ手口、共通の被害者。守りも固くなる筈
だ。今度の獲物は三日もかかった。
 コンクリの床から体を引き離す。三日間−−同じ姿勢で獲物を待っていた。普通
の人間なら筋肉がどうにかなっている。
 そして、どうにもなっていない自分の体をジョーは嫌悪する。戦闘用−−殺人用
−−言葉はどう変わろうが所詮はサイボーグ、試作アーマノイド(TN−A01)
さ。
 階段を降り、ビルから出るとサイレンをわめき散らした車が目の前を過った。自
分の射った男の許へ行くのだろうか。
 男は現職の大統領だった。平和主義者として高名な男だった。タカ派の台頭を抑
えて来た彼がいなくなれば、この国も今まで殺った男達の国同様、軍国主義に傾く
だろう。
 ジョーは思って、そして頭を振った。
 そんな事は、俺には関係ない。人間一人殺(や)ったからって、それによって世
界がどうなったからって、俺には関係ない。
 (ケン………)
 ジョーは呟く。
 お前だけ。お前だけだ ケン。俺の銃がお前の平穏を支えているなら、俺はそれ
でいいそれだけで−−。
 冷たい風が髪をなぶる。今年は夏が短かすぎた。
 風の向かう方へジョーは目をやり、はるかに想いを彼の愛する者の上へはせた。


 八枚の写真を見せられた。ジョーもよく知っている顔があった。
 「この連中を?」 目の前に座る白髪の男を見上げる。
 「殺してもらいたい。今年中に」
 白髪の男は両手を机の上で組み、ジョーの瞳をみつめ返した。淡い色の瞳は魚の
様に動かず、感情が無い。
 こんな風にしてジョーと、ISO長官グラムザン=シルバーの取り引きが始まっ
た。
 「いやだね。理由も教えない、目的も解らない、結果は混乱を引き起こすだけの
 仕事なんて、俺の性に合わん」
 「君は、仕事を選べる立場にはいない筈だがね。南部長官の亡くなられた後、君
 達の身柄は私のものの筈だ」
 「人権まで預かってもらった憶えはないはずだぜ………」
 グラムザン=シルバーの目がすっと細められる。ジョーは椅子の背もたれに背を
押し付け、顎を引き次の言葉に備えた。彼がこんな表情になる時は注意しなければ
ならない。
 「ところで」
 案の定話を変えて来る。
 「君のケンの事だが」
 ジョーは眉を寄せた−−−俺のケンね−−−。
 「君が私に協力してくれるならば、ケンを今の状態から救う事が出来るが」
 「救う?」
 「ケンは救いを求めるいるだろうからな」
 「………何をした………!」
 ジョーは椅子を蹴って立ち上がった。
 「ケンには−−!。指一本危害を加える事は許されて無いはずだぞ!。充分な治
 療と安静!。それが条件だったはずだ。南部の−−」
 「おお。確かに」
 グラムザン=シルバーは大袈裟に手を振ってみせた。
 「ケンの治療は絶対に必要だ。だが細胞破壊というのは特殊な症状でね。世界で
も人体においては例を見ない。従ってその症状の研究から始めなくてはならない。
今はまだ研究段階でね。その為には彼の体の肉片がかなり必要なのだよ」
 「貴様……っ」
 掴み掛かろうとしたジョーに、グラムザン=シルバーは静かに言った。
 「ケンに、逢ってみるかね」

 強化プラスチックの窓は戦車の砲撃でさえ破れない、と言われた。
 体当たりしても無駄だった。
 「ケン!!」
 声が届くはずもない。
 手術台の上にベルトで固定されたケンの体。血に濡れていないところなど無かっ
た。胸も腹も腰も足も、顔さえ口から溢れたらしい血で汚されていた。肩のところ
に白く突き出しているのは骨か。大きく口を開けた傷口からは、血が流れ続けてい
る。
 ジョーは窓を両手で叩いた。そんな彼の様子を見て、グラムザン=シルバーは手
許のスイッチを押した。
 "ほう………これは………"
 "変色するものなんですね"
 いきなり声が降って来た。目を上げたジョーは、それが内の人間達の会話だと
知った。
 "ここと、ここに電極を繋いでみろ。50ボルトからだ"
 「やめさせろ!」
 ジョーはグラムザンを振り仰いで叫んだ。
 「やめろ!!」
 「私にそんな権利はない」 グラムザンの声は感情がない。「ケンを治療する為
 の研究だ。もっとも研究が完成した時にケンの命がどうなっているかは、知らん
 がね」
 "電流を流せ"
 ビクッとジョーの肩が揺れ、瞬間、体を窓ガラスに叩きつけていた。
 ケンの頭がガクンと仰け反る。開いた唇から、しかし悲鳴は出なかった。
 「声……」 ジョーはその唇をみつめた。 「声が!?」
 「わめかれてはうるさいらしい。声帯をいじった様だな」
 ジョーは呆然とグラムザンを見ていた。
 「や……やめさせろ……」
 絞り出すような声。
 「やめさせてくれ!。何でもする!。お前の言う事は何でもする!。だから…
   …」
 「なんでも?」
 グラムザンは軽く言葉を舌の上にのせた。 「何でもする…か」
 「やめさせろ!」
 「やめさせて下さい。と言うんだな」
 「何……っ」
 「服従を誓えジョー。私の言う事には逆らわない、私の言う通り行動する、と」
 ジョーの青い瞳は怒りに燃えた。かみしめた唇が紙のように白い。
 "やはり外からじゃ解りませんよ"
 別の男の声が響いた。ディスプレイを見守っていた医者らしい。
 "開いてしまってもいいでしょう?。この際、脳細胞の変化も見てみたいし……"
 「や……」
 体中から力が抜けてゆく。
 「やめて……下……」
 崩れ落ちた目の前にグラムザンの靴の先が見えた。
 「やめて下さい……。たのむ……から」
 震える拳が床を擦る。ジョーの目から涙が溢れた。
 「ケンを……。助けて……くれ……」
 グラムザンは実験の中止を手術室の中の男達に伝えた。

 そしてジョーは、八枚の写真の男を一人ずつ殺して行った。一夏の間に彼の仕事
は半分片づいた。その季節の優しい移り変わりも、今のジョーには解らない。
 三度、サイボーグ手術を受け、生体は脳だけになってしまった。皮膚で気温を感
じることもなければ、汗も血も涙も、食物を摂取することもない。今の彼は一人で
武装隊を壊滅させることが出来た。
 こんな化物になってまで……。
 ジョーは自分の体を嫌悪する。
 ケン、お前を抱くことも出来ない。お前の肌を、匂いを、熱を感じることも出来
ない。
 ホルモンさえ作ることが出来ず、それでもケンに対する想いだけは、変わらない
事が不思議だった。
 今でも−−−こんな俺になってでも−−−。
 ケン、お前を愛している。
 はるかな異国で、彼は繰り返す。
  思いはせ 思いはせ 届かぬと知りながら それでも
  愛している 愛していると………


 ジョ・オ。
 そっと手を伸ばしてみる。呟く様に口を動かしたケンの指に、硬いガラスの感触
が鈍く伝わって来る。それはジョーの髪に触れても、唇に触れても変わらず、蛍光
グリーンの文字が作ったジョーは、ディスプレイパネルの内でピクリとも表情を動
かさない。
 ジョーがどういう風に笑ったのか、ケンには思い出すことが難しくなって来てい
た。
 今ディスプレイさせているジョーの顔でさえ、本当にこういう顔だったのかと問
われれば答えることが出来ない。何度も何度もプログラムを消され、それでもケン
はジョーを創った。
 例え、ただの文字で出来た絵であっても、ISOの医局専用研究所の一番奥の部
屋で、満足に動き回ることも出来ない躯を横たえたまま、壁に天井にジョーを思っ
ていた頃よりは形になって目の前にある分現実感があった。
 時計も窓もない白い部屋。準備室を一つ隔てた向こうは手術室。
 それが、三カ月前主治医のリチャード=コーリスと共にこの海沿いの別荘に移さ
れるまで、ケンに与えられた全ての空間だった。訪れる者は白衣を着た医者ばか
り。待っても待っても、ジョーは来ず、会わせて欲しいと幾度頼んでみても誰も返
答をくれなかった。
 ジョーが今何をしているのか、どこへ行けばジョーに会えるのか……
 ジョーは生きているのか、本当に存在しているのか。
  存在していたのか−−−。
 あれから一年半。それらのことを尋ねる声も奪われた。そして、細胞破壊と、何
の為か教えられもせず重ねられた実験まがいの手術のせいで、衰弱しきった躯と精
神を抱えているケンには、訳の解らなくなった現実と妄想との狭間を、ただジョー
を待ちながら漂っていることしか出来なかった。
 ア・イ・タ・イ
 声に出したつもりの言葉は、空気の漏れる様な音にしかならない。
 会いたい・会いたい・会いたい・会いに来て欲しい……ジョー
 会いには行けないから、どこへ行けばいいのか解らないから……ジョー……
 ジョオ!
 ケンの目から零れ落ちてゆく水色の粒が、ディスプレイの中のジョーを隠す。
 いやだ。これだけなんだ。これだけしか、もうおまえを見れないんだ。
 閉じ込められている錯覚を覚え、ジョーに会うことを阻止されている様に見えた
鏡や窓を叩き割った包帯だらけの手で、ケンはディスプレイのガラスをなぞる。
 これだけでしか………おまえに会えない………
 もう……これだけでしか−−−
 今のケンにとっては、そのちっぽけなマイコンのディスプレイパネルが、ジョー
の存在を、自分の存在を信じていられる唯一の世界だった。


 「アフリカへ?」
 ジョーは、グラムザン=シルバーのセリフを反芻した。
 「アフリカだ」
 旅券と金が机の上に置かれる。六人目の男の殺しを遂行中に、急に呼び戻され
た。
 「バンビアとモビルザークの戦闘を知っているだろう」
 「はい」
 「バンビアの主力部隊が第一線から引きナイロビに滞留している。それを粉砕し
 てもらいたい」
 グラムザンは、黒いファイルを机の上に投げ出した。捲ってみるとバンビアの兵
力の資料だった。
 「それなりの用意はする。武器と乗り物は手配した。どちらも試作品だ。データ
 は欲しい。生きて戻れよ……」
 「解りました」
 ジョーの返事に満足したのか、グラムザン=シルバーは目を手許のレポートに移
した。しかしジョーは、ファイルや金を取ろうともせずに、机の前に突っ立ってい
る。
 「どうした」グラムザンは片眉を上げた。「何故行かない」
 「頼みがあります」
 「頼み・だと」
 「ケンに会わせて下さい」
 グラムザンは視線を窓へ向けた。空は曇り、秋らしい青の色が見えない。
 「もう半年も会っていない。確かめたいんです。本当に無事か。さもなければ
 ……」
 「さもなければ?」
 「死んでるんじゃ ないか」とは、ジョーは言わなかった。ただ黙って、グラム
ザンの薄い色の目を見つめた。


 かすかに聞こえる波の音は、冬にしては珍しく優しい穏やかな歌を奏で、窓枠や
ベランダに積った雪が、冬の太陽に照り返ってキラキラと柔らかな光を部屋に投げ
込んでいる。
 ケンはそんな暖かな光と音に包まれて、大きな南向きの一枚ガラスの前に座って
いた。
 「ケン。食事……」
 昼食を運んで来たリチャードは、美しい一枚の聖堂の絵の様なそのケンの姿に、
一瞬、言葉を忘れ見とれてしまった。目に映るケンはさながら陽に向こう天使のご
とく、まさに翔びたたんと、白く透けるような羽根を広げ−−−。
 その姿は見る者(リチャード)を魅了すると同時に、己の手を摺り抜けて行って
しまいそうな不安の渦を巻き起こさせる。
 ちょっとでも音を立てようものなら、たちまちの内に、羽ばたいてしまうだろう
……。
 逸る心を抑えて、極力音を出さぬ様、そっと持っていたトレイをテーブルに置
き、リチャードは息を殺してケンに近付いた。
 日溜まりの中、ケンはガラスに手を突いて、どこへ翔ぼうかと見定めている様
に、すぐ後に立ったリチャードにも気付かず外を見ている。
 リチャードは口に溜まった冷たい不快を咽の奥へ送り、一気にその広げられた薄
羽根ごと背を抱きしめた。
 「いくな!。ケン!」
 手の中でケンの躯がビクリと震える。伝わって来るその気配に、リチャードは更
に強く抱きしめた。
 「いくな。お前は、私のものだ」
 腕の中にすっぽりと収まってしまう細い躯を抱きながら、リチャードはケンの存
在を確かめるように、髪を、首を、肩を、背を、唇で触れていく。
 いきなり後から抱きすくめられたことに、よほど驚いたのか、ケンは、あらがい
もせずじっとしている。
 リチャードの熱い息がケンの躯に絡み付く。やがて、その唇が首筋へと移った
時、リチャードはそこに、ケンの生命の存在を認めることが出来た。
 唇の薄い皮膚を通して、拍動が幽かに伝わって来る。それは、己の生を主張する
かのように、トクットクッと、リチャードの唇を押し返した。
 「ケン……ケン……いくなよ」
 ケンの首筋に顔を埋めたまま、リチャードは繰り返し、繰り返し呟き、幾度とな
くキスを送った。そうすることによって、リチャードは漸く自分を捕らえて放さな
い重苦しい不安から解放されることが出来た。
 そろそろと顔を上げたリチャードの目に、驚きを浮かべているケンの瞳がとび込
んで来る。それは、リチャードを急速に現実へ引き戻していくと同時に、そのケン
の瞳が、あれ程慌てさせられた自分(リチャード)を笑っているかのように見えて
来た。
 ただ外を見ていたケンの姿に振り回された自分に対して、振り回したケンに対し
て、リチャードの心の中に怒りが芽を出していった。
 「食事だ。こっちへ来なさい」
 苛立ったリチャードの声に、ケンはまだ座ったまま驚いた顔を向けている。それ
が、リチャードの目には、まだ見たことのないケンの笑い顔にさえ見えて来る。
 「聞こえないのか!。食事だ」
 ノロノロと緩慢な動きでテーブルに着いたケンは、まるで今あったことを忘れて
しまった様に出されたコーンスープを口へ運んでいる。あれだけ驚いた顔をしてい
ても、数分後にはもうリチャードの方を見向きもしない。リチャードが怒ったり、
怒鳴ったりという強い感情を見せた時だけ、ケンは彼に反応を示すが、後はまるっ
きりリチャードが居ることさえ忘れているようだった。
 それは、患者と医者という立場においても同じだった。
 ケン自身には知らされていないとはいえ、人体実験のモルモット−細胞破壊体
No.1(CC1)−として扱われた躯は、片肺、胃の半分、小腸の一部、更には片方
の腎臓まで実験の繰り返しの挙句、研究用に摘出されてしまっている。満足に栄養
も吸収出来ず、ちょっとでも無理をすればたちまち貧血を起こす躯だというのに、
ケンは一度として自分から気分が悪いとは訴えたことがない。会話用にと置いてあ
るマイコンは、来もしない者の顔を作る道具にしてしまい、声の出ぬ唇が形にする
言葉"ジョー"ばかり。能のないマウスでさえ、一カ月も世話をしてやれば懐くとい
うのに、このリチャードの愛しいモルモットは一年半もの間側に居るリチャードに
懐くどころか、存在さえ決して認めようとはしない。そればかりか、持主(リ
チャード)の手に噛み付くようなことばかりする。
 今もそうだ。スプーンを動かしているケンの手は時々止まり、誘われるように窓
の外へ視線を向けている。
 「こっちを向いて食べなさい」というリチャードの言葉にも、その直後だけは従
うものの、しまいには半分も食べぬ内にスプーンを置いて、ただじっと来ない者を
待つ瞳で外を見ることだけに専念してしまっていた。
 「きちんと食べないのなら、点滴にかえるぞ」
 三度目のリチャードの忠告は遂にケンを振り向かせもしなかった。
 こうしたケンの態度は、一年半無視し続けられたことに対する屈辱感と、それで
も懐かぬケンへの怒りを煽りたてる。
 「ケン!」
 テーブルを思い切り叩きつけたリチャードは、その音に振り向くケンの顔目掛け
て自分のスープをぶちかけた。
 冷めたスープを幸いと思え!
 クリーム色の液体を頭から滴らせたまま、瞬間何をされたのか解らなかったらし
いケンの腕を引き、彼の躯を椅子から引きずり落した。そして、更にその頭に、ケ
ンの残したスープを降り懸ける。
 グリーンの絨毯の上に、コーンスープの溜りが出来た。
 「一滴残らず飲むんだ!」
 訳が解らないといった様にじっとしているケンの頭を上から押さえ付ける。ケン
の長い髪がバサッと音を立てて前に垂れ、反射的にか、押し返そうとする彼の力
が、リチャードの手に伝わって来た。
 じっとりと濡れそぼった髪の隙間から、ケンの嫌悪の表情がのぞく。…いつもそ
うだ。いつも、いつも、ケンの見せる表情は、驚き、嫌悪、諦めと段階を踏み、や
がて全く何もない様な無表情になる。
 「のむんだ」
 リチャードは、絨毯に突いているケンの両腕を足で払って、擦りつける程の勢い
で頭を押さえ付けた。
 ケンの頭は、それでもまだ抵抗するかのように、横向きにスープの中に落ちた。
 「さあ、舐めるんだよ。ケン」
 ケンの側に膝を付き、リチャードは唇を耳元へ寄せた。舌で耳の回りをなぞって
みる。ケンの躯がピクンと戦慄した。リチャードは頭を押える手に力を込める。
 「さあ、ケン」
 言いながら、舌を動かしているのはリチャードの方だ。ケンの耳から首筋へと蛇
のように舌が這う。ケンは固く口を閉じ、既に冷えきったスープの中に顔を埋めて
いる。
 「ケン…」
 リチャードが喘ぎながら空いている方の腕をケンの腰に回した時、部屋の隅に置
いてある電話が高い音を立てて空間を切った。
 一・二度は無視したが、三度目のコールにリチャードは渋々、ケンから躯を離し
た。
 「はい。コーリスです」
 電話を受けながら振り向くと、ケンはまだうずくまっている。
 電話の向こうは、グラムザン=シルバーだった。特有の低い声で「どうかね」と
切り出す。
 「お久しぶりです」
 "今日は頼みがあるんだが"
 グラムザンの次の言葉は、リチャードの頬を強ばらせた。
 「海に……?」
 "連れてきて欲しい。今から一時間ぐらいしたら……だ"
 グラムザンの言葉は多くを追求させなかった。
 "CC1(ケン)を見せたい男がいるんだ"
 その一言で充分だった。
 −−−−−ジョーが来る−−−−−−
 ケンの求めてやまない男(ジョー)が−−−−!
 震える手で受話器を置く。
 ケンは、漸く起き上がっていた。が、目の前に来たリチャードに、ビクリと躯を
竦ませる。
 「そんなに俺が嫌いか」
 長い前髪が顔を隠している。スープは固まろうとしていた。
 「そんなに俺が嫌いか!。ジョーがいいのか!!」
 締め上げた襟首の下で、ケンの咽が鳴り、苦し気に咳き込んだ。
 「いってみろ。叫んでみろ。助けてくれとジョーを呼んでみろ!」
 リチャードは言葉と共に、掴んでいた襟元からケンのパジャマを一気に引き裂い
た。その反動で絨毯の上に倒れたケンに馬乗りになってリチャードはケンの細顎を
その手に捕える。
 「どーした。叫ばなくていいのか?。ジョーに助けを求めなくていいのか?」
 リチャードの体の下で、顎にかかっている手を振りはらおうと、ケンの腕が動
く。
 「そうか。お前は声が出ないんだよな」
 解りきったことをわざわざ言ってやる。ケンは声を失った時の恐怖を思い出した
のか、一瞬足掻くことをやめ目を伏せた。
 「とすれば、何をされても、悲鳴は出せない訳だな」
 リチャードの骨ばった指が、ケンのパジャマの切れ端の絡まる躯の上をすべって
いく。
 ケンは、自分の躯の上を這う指の感覚にか、リチャードの髪を掴んで何とか引き
剥がそうとする。その引きつれる痛みが、リチャードを更に駆り立てる。
 乳首に歯をたてる。魚のように跳ね上がりかけたケンを押さえ込み、力を入れ
る。
 ケンの口からヒュッという空気のもれる音が流れた。薄すらと血を滲ませたそれ
は、唾液に濡れて、艶かしい。リチャードの欲求に、今、はっきりと火が付いた。
 一年半−−−!
 一年半、お前の体は私の手の中にあったんだ。
 一年半、それは、リチャードにとっても、ケンにとっても、あまりに長い歳月
だった……。お前はもう、私のものだ……。
 リチャードの動めく指が、今だかつてジョー以外、他人の触れられたことのない
箇所へと伸びていった。


 ジョーは目隠し(アイカバー)と、ヘッドフォンをつけて車に乗せられた。
 体が何度も傾くので、かなり方向転換してるな、と解った。
 少しでも、ケンの居る場所を知らせないようにする為に、こんな運転をしている
のだろう。
 やがて、車が静かに止まる。
 「カバーを取っていいぞ。ジョー」
 グラムザンの声が、ヘッドフォンの中に流れ込んで来る。
 着いた所は、見も知らぬ海辺の道だった。
 「あれが、ケンだ」
 指さす方に小さな白い人影が見える。
 「見えねェよ」
 ジョーの言葉にグラムザンは、オペラグラスの様なものを渡す。
 その小さなレンズ一杯に懐かしいケンの姿が入って来た。
 「ケン……!」
 思わず洩れた声にグラムザンはちらりとジョーを見たが、何も言わなかった。
 ケンは幾分痩せたようだ。長く伸びた髪は毛先の方が明るい茶色に変色してい
る。フワフワとそれをなびかせ、ケンは海岸を歩いていた。
 線が細くなった。とジョーは思う。昔の覇気が感じられない。
 遠くを見る瞳は、昔からともすれば夢みがちのように見えたが、今は全く夢の中
だ。
 −−−−−どうしたんだ。ケン−−−−−
 傷はほぼ治っているらしい。それなのにケンの影が薄い。
 視界に白っぽい金髪の男が入って来た。男は後からケンの両肩を掴むと、何か話
し掛けているようだ。ケンはそれをうっとおしそうに緩慢な態度で振り払うと波打
ち際にしゃがみ込んでしまった。裾の長いパジャマを濡らし、尚、立ち上がろうと
しない。
 男が乱暴にケンの腕を掴み立ち上がらせた。そのまま抱きしめて……。
 「なんなんだ!。あいつは!!」
 ジョーは思わずグラムザンに向かって怒鳴っていた。グラムザンのグラスにも、
男がケンを羽交い締めにして口付けている図が映っている。
 「彼は医者だ。ケンの世話をしている」
 「医者が患者にあんな……」
 グラムザンは敬語を忘れているジョーに、この時は何も言わなかった。
 「嫉妬か?」
 両肩を持ち上げて不思議そうな顔を作ってみせる。
 「ああ、そうだよ!。おかしいか!!」
 グラムザンはジョーを見て、それからまた、グラスを目の前に持ち上げた。
 「彼はケンを愛しているよ。お前が彼の立場なら、病人のケンをどう扱う?」
 ジョーは答えない。
 「大切に、扱うだろ?。ケンの看護人として、彼程適している人間はいないさ」
 グラムザンは一人で納得したように頷きながら言った。
 「車を出してくれ」
 ジョーは呻いた。
 「もういいのか」
 「出せよ!。仕事をさせたいんだろ!!」
 目の前のこの男をぶち殺せたら、どんなに気分がいいだろう、とジョーは思っ
た。何もかも投げ出して、今すぐケンの許へ行けたら……。
 ケン、お前を離しゃしねェ。
 車の振動が全身を包む。アイカバーに覆われた闇の中で、ジョーはケンの白い姿
を追っていた。


 煌々とした人工の光が、ケンにあの時の恐怖を思い出させる。
 手術台に固定された躯。振り降ろされるメス。
 なくした声。
 夜は嫌いだ。
 螢光燈の明かりも、全てを溶かし込む闇も、そのどちらもが恐い。
 一人でいるのは恐い。
 ジョー…。
 ベッドに横になったまま、ケンはマイコンのディスプレイを見つめた。
 何か話をして……少し眠りたい。
 ジョーに、ケンのブルウの瞳が話しかける。
 何でもいいよ。声を聞いたら安心して眠れるから……。
 ジョー……オ?。
 ジョーは黙ったままケンを見ている。何も答えぬジョーに不安を浮かべるケンの
瞳を、ケンの顔を、そのまま映してニコリともせずにケンを見ている。
 ジョー……。やせちゃったからわからないのか?。俺だよ……。俺だよ、
ジョー。
 毛布から出した細くなってしまった腕を、ケンはジョーの方へ伸ばす。
 伸ばした手は、ジョーに受け入れてはもらえず、ケンの指先にはいつもの感触し
伝わって来ない。
 握ってもらえなかった手が力無く落ちた。
 いつも、いつも、ジョーはガラスの中。……そこから出て来てはくれない……。
手をとって、抱きしめて、語りかけてはくれない。
 ………こんなのはジョーじゃない!。ジョーだ。ジョーじゃない。ジョーだ。
ジョーだ!!。
 ガラスの中にいるジョー。ガラスの中にいる自分…。ガラスの中に閉じ込められ
ているのは…どっち…。
 思考が翻弄される。
 目が醒めた時から続いている息苦しさが脱けず、躯が船に乗っている時のように
右に左に揺れている。
 ジョーの腕の中で眠りたい…一人は嫌だ…。もう嫌だ…。
 胃から突き上げられるような嘔吐感に、今日もケンは何も口にしていない内から
戻していた。リチャードが射った薬はそれを緩和させるどころか、頭痛や目眩を引
き起こさせ、呼吸を苦しくさせる。吐くものがなく、黄色い胃液ばかりが排水口へ
と流れていくその様を見ているケンの心に、溢れんばかりのジョーへの思いが募っ
ていった。
 苦しい……一人でいるのはもっと苦しい…。ジョー。
 抱いて……少し眠りたいんだ……抱きしめて、ジョオ……。
 叶わぬ想いに、自分自身の躯を抱いた腕が哀しく、ケンは堅く目を閉じた。
 目の中で溢れそうになっていたものが、頬を伝って零れていく。
 ジョー。髪がのびたよ……。
 指で梳いた時、まとわりつく感触が好きだ……っていってくれた髪が……。
 のびたよ……。
 だから……ジョー、来て。会いに来て。

 電話でのグラムザンの言葉が耳に着いて離れない。
 "一時間ばかり、ケン(CC1)を連れて海岸を散歩してくれ"
 全てを包み隠したようにそう言ったグラムザンに、リチャードは"何故"とは聞か
ずにはいられなかった。
 "どうしてもケン(CC1)に会いたいというのがいてね。遠目に見せるから"苦
笑まじりにそう言ったグラムザンの言葉に、リチャードはあの男の存在を感じてい
た。
 ケンが追い求めている者(ジョー)……の存在。
 どーせ叶わぬ夢物語とたかをくくっていたものが、ハッと気付くといきなり目の
前に現実として突き付けられている。
 それは、ケンが翔ぼうとしている天使(トリ)に見えた時から、リチャードの中
に燻り始めていた−−−あるいは、もっと以前から抱いていたのかもしれない−−
不安を、より確かなものへと近付けた。
 あの大切な実験体(ケン)が、もうすぐ自分の手から摺り抜けてゆく。
 何よりも恐れていたものが、今、リチャードの中に、どっかりと根を降ろしてい
た。

 全身に及ぶ細胞破壊という、前例のないケンの躯は、誰もが強い興味と研究心を
駆り立てられた。一時的には、ある程度良くなったものの、既に手遅れで、完治は
あり得ないと結論が出された時、ケンの躯を、研究体−細胞破壊実験体No.1
(CC1)−とすることに、スタッフはリチャードを含め誰一人として反対しな
かった。それ故、約一年掛かりのデータ収集実験段階を経て、生体解剖へと移され
た直後、ISO長官であるグラムザン=シルバーにより掛けられたストップは、納
得のいくものではなく、一時期、医局とISOの分裂騒ぎにまで発展した。
 が、結果として、リチャードにとってその解剖中止命令は、正に幸運の女神のキ
スとなった。
 破壊された細胞が猛毒であるアブゾ・ノールに対して異常活性を見せ、その活性
した細胞が、新種の病原体となり得ることを発見したリチャードは、グラムザンに
取り入り、ケン(CC1)に於ける全管理権を握ることに成功した。
 そのことで、ISOの医局を追われるような型になったが、大発見を目の前にし
たリチャードには、それはあまりに小さい出来事だった。
 そしてこの半年間、ケンの躯そのものを細菌媒体へと化えるべく、少量づつのア
ブゾ・ノールを注入し続けた。
 殺してしまわぬ様、細心の注意を払って一日1ccから注入を始め、漸く5ccに辿
り着いたばかりだという今、せっかく苦労して手に入れたいとおしく、貴重なモル
モットを奪われるなぞ、リチャードには断じて許せないことだった。
 しかし、危機は目の前に迫っている。それ故、リチャードは焦っていた。
 急がなくては−−−−。
 追い詰められた者は、理性も何もかも吹きとんでしまう。正に今のリチャードが
そうだった。
 ケンは奪う者(ジョー)への憎しみ、それを望む者(ケン)への怒り。それら
が、しだいにリチャードを狂気へと駆り立てていく。
 リチャードは、グラムザンから電話のあったあの日以来、ケンに与えるアブゾ・
ノールを一気に今までの三倍へ増やした。
 一日一回、ケンに極力苦痛を与えぬ様にと彼が眠りにつく前に打っていたもの
を、朝と昼と夜と、5ccずつ射つ。薬(アブゾ・ノール)に慣れ始めていたケンは
死にこそしなかったが、弱っていた躯は、かなりのダメージを表した。
 アブゾ・ノール本来の毒性が、ケンのまだ残っている正常細胞を食い荒らすらし
く、たちまちベッドから起きられなくなってしまった。一日中、食事も咽を通らず
吐き続け、熱が下がらなくなり、白い枕に憔悴した蒼白い顔を埋めているケンを見
ると、少しかわいそうにも思えて来るが、横になったまま、マイコンのジョーを見
ている姿にぶつかると、却ってリチャードを苛立たせ、焦りを逆撫でされた。

 注射(アブゾ・ノール)を射ちに部屋に入ると、ケンは眠っていた。熱のせい
か、少し汗ばんだ額に長い髪がへばりついている。手術の時邪魔だからと何度も切
ろうとしたが、ケンは絶対に切らせなかった。泣いていやがるのを無理に切るのも
気が引けて、放って置いたら、今はもう背中の中程までに達している。
 ベッドの端に腰を降ろし、リチャードはそっとその髪を掻き上げてやってから、
ケンのパジャマの袖を捲くった。
 かなりの本数を注射し続けているせいで、ケンの肩口の箇所は固くなり薄黒く色
づいている。
 それは、ケンの躯が確実に細菌媒体として変化している証拠とも言えた。
 もう、私のものだ。私だけの……。
 久しぶりの満足感の中で注射を終えたリチャードの目に付けっぱなしのマイコン
が映った。ディスプレイには珍しくジョーの顔ではない文字が打ってある。自分へ
のメッセージかと思い読んだリチャードは一勢に体中の血液が頭へ昇っていくのを
感じた。
 一面、23行、1000カラム、全てがJOE JOE JOE JOE。
 嘲笑と、ケンに対する愛しさの中に許せた時期もあったが、今は、"JOE"とい
う一文字、一文字が、リチャードを憎悪の炎へと引き込んでいく。
 そして何よりも、その中の一行が、リチャードを怒りと憎しみ、そして嫉妬のみ
の感情で支配した。
 髪がこんなにのびたのに……ジョーは会いに来てくれない……。
 髪がこんなにのびたのに……。ケンが髪を切らせない理由、長く伸びた髪が、こ
のマイコンが、ケンとジョーをつないでいる。ケンに過去をつなぎ止める役割をし
ている。
 すててやる。すててやる。すててやる!!。こんなマイコンなど、こんな髪な
ど、切りすててやる!!。
 振り降ろされたリチャードの手がコンソールキーにぶつかって甲高い音を立て
た。
 それは、憎悪と嫉妬の炎に飲まれたリチャードの呻きなのか。
 これからされることに、声の出ぬケンに変わって上げた悲鳴なのか。

 いきなり頬を叩かれる痛みに、漸く辿り着いた眠りの底から引きずり出されたケ
ンは、そのぼんやりとした視界に、目だけが異様に輝いたリチャードを見た。
 「ケンおきろ!。おきるんだ!!」
 平手と共にとんで来たリチャードの次の言葉はケンをはっきりと現実に引き戻し
た。
 「髪を切ってやるから、おきるんだ!」
 リチャードの右手に握られた鋏が不気味な光を湛えている。何よりも、リチャー
ドの表情(カオ)が、ケンを言い知れぬ恐怖へ駆り立てた。薄笑いを浮かべた唇、
爛々と光を放つ瞳、それは正しく、絵本に出て来る獲物に鎌を振り降ろす瞬間の死
神の形相だ。
 そして……あの時、麻酔もかけてもらえない躯に、メスを振り降ろしたあの医者
達の顔だ。
 ケンは恐怖に震える躯で、ベッドの上の方へとずり上がっていく。が、やにわに
リチャードはケンの長い髪の一房を捉えた。
 (嫌だ−−−−−−−!!)
 ケンの声の出ぬ口が絶叫を型どる。リチャードは、それを軽く無視した。
 「見てるんだ」
 鋏が凶暴な口を開ける。
 その瞬間、病人のケンのどこにそんな力があるのかと思う程の勢いで、リチャー
ドは撥ね飛ばされ、手から弧を舞ってとんだ鋏の刃が彼の頬を引っ掻いた。
 ベッドから転がり落ちたリチャードは、一瞬、呆然としていたが、手に付いた頬
から流れた血の朱が油となって、燃えさかる彼の憎悪の炎に、勢いを加えた。
 しかし、ベッドの上で髪を押え、肩で息をしながらうずくまっているケンがそん
なことに気付く筈も無く、もう、いつのことだったか解らないくらい昔の光景を脳
裏に見ながらケンはただジョーの名前を呼び続け震えていた。
   "のびたな。髪"
  ケンの膝を枕にして寝ころんでいるジョーの指が髪にからむ。
   "切ろうかと思ってるんだ"
  毛先を弄ぶように動いていたジョーの指が止まった。
   "よせよ。俺はこの髪が好きなんだ"
  真面目な顔で、ジョーの瞳がケンを見上げ……
   "髪だけか、好きなのは……"
  ケンの言葉にジョーが笑う。
   "バ−−−カ……"
  首に回されたジョーの両腕が、ゆっくりとケンを引き寄せ。
   "−−−−−愛してる……"
   "愛してる……"
  ジョーの言葉に、ケンが答え、それは言葉遊びの様につづき……やがて、
  ジョーはそっとついばむ様なキスをケンにくれた。
 (ジョー ジョー ジョオ!)
 声の出ぬ口で、ジョーの名を繰り返すケンの胸に優しかったジョーの想いが哀し
くしみ込んでいく。
 忘れてしまいたくない昔、失くしたくないジョーへの思い。
 それらを全て託して伸ばした髪を切られてしまったら……。
 この髪を切られてしまったら……昔を断ち切られてしまう。ジョーを断ち切られ
てしまう。
 強い力で襟首を引っ張られたケンは、残っている全ての力で足掻いた。しかし、
それも病身のケンでは健康体のリチャードに適う筈もない。
 強引に上げさせられた目に頬から血を流している鬼の顔が映った。
 「見ているんだ。お前のジョーを断ち切ってやる」
 今まで聞いたこともない様なリチャードの低い冷たい声が、ケンの心を鷲掴みに
した。
 (いやだ!。いやぁ−−−−!!)
 ジャキと音を立てて断ち切られた過去が一つ、ベッドの白いシーツの上へ散ら
ばった。


 ナイロビに着いたのは夜だった。
 その日は星の一つも見えなかった。
 逗留している部隊は市街地から少し離れた部落にいる。近代都市の様を呈してい
るナイロビも一歩離れれば荒地が広がっているだけだった。元は豊かな草原地だっ
たはずだが、何年か前の細菌兵器の投下により草一本として生えない−−と言われ
ていたが、よく見ると、小さな緑色の草がへばりついている。それは鮮やかな色
だった。
 こんな自然の美しい強さに比べたら、俺のこの人工的な強さなど醜悪極まりない
ものだろうな、とジョーはそれを見て思う。
 資料によると、相手にすべき部隊は完全装備されていて、面倒なことに、破動砲
を備えた戦車(タンク)が付いている。生物の細胞以外は狙った半径100Mのもの
を、全て分解してしまうという代物だ。ただ、高破動を出す為のエネルギーを蓄え
る時間をかなり喰うという欠点がある。照準を定めさせず翻弄し、放射までの内に
粉砕出来れば何とかなるんだろう。
 本格的な武装小隊を相手にするのは初めてだった。
 だが−−−。
 俺は生きて帰る。ケン、お前の為にも……。

 夜更け、攻撃前のほんの一瞬、大きな星が一つだけ見えた。


 切り捨てられた過去が、ベッドの中で揺れている。
 掴もうとした手からサラサラと溢れ落ち、もう二度と元には戻らない……
 戻れない。
 ジョオ……。
 かすかに頭を動かして向けた目には、もうジョーは映らない。
 ……ジョーはいない……
 リチャードの略奪者への憎しみと嫉妬は、ケンの髪を切り捨てただけでは収まら
ず、マイコンのコードを引きちぎり、ディスプレイの中のジョーを二階の窓から叩
き投げた。
 ケンからジョーをつなぐ最後のものまで奪い取り、その上リチャードは、茫然と
窓辺に崩れたケンを、切った髪の散らばるベッドに放り出し、強引に所有した。

 ………ギシリとベッドが軋む………
 頬を幾筋も流れる涙さえ気付いていない虚ろな瞳で、ケンはリチャードが動く度
にふるえる。
 深々と差し込まれたリチャードのものが、ケンを責め苛む。つきあげられる腰の
痛みよりも、その度に上手く出来ない呼吸に悲鳴を上げる肺よりも、思いを断ち切
られた事が苦しい。
 雪の残る地面につぶれたのはジョーの存在、ケンの心。
 断ち切られた過去が、汗に濡れた腕に、胸に、腰に、首にまとわりつき、ケンを
しめつけてくる。
 助けて……苦しい ジョー……。
 ジョーはもういない。待っても待っても来てくれはしない……もうこんな自分の
ところへは……。
 苦しげに咳き込むケンのその様を見降ろしながら、リチャードはよりいっそう強
く突き上げる。
 ケンの頭がガクンとのけぞり、涙がシーツにしみ込んでゆく。
 そうだ、ケン、お前は私のものだ。私だけのものだ。泣こうが怯えようが、苦し
みにのたうちまわろうが、お前は私だけ見ていればいい。
 リチャードの高笑いが部屋の中に響く。そして更に自分の存在を主張するかのよ
うに、リチャードはケンの中で動き続けた。
   "…………のびたな………髪………"
 意識が遠のいてゆく。
   "よせよ……俺は……この髪が……"
 ジョーの声が遠のいてゆく。
   "………スキ……ナンダ……"
 ジョーが遠のいてゆく。
   "   バ…… カ……"
 ジョ……オ……。
 切り捨てられた過去は、掻き集めてもつながらない。
 リチャードの腕の中で動かなくなったケンには、もうジョーの笑い顔は見えな
かった。


 バンビアへの奇襲は、三時間もかからず完了した。ジョーの能力を最大限に引き
出すF(フォース)・スーツと変形単車(マシン)は、彼を正しく "思考する戦
車"へと化した。
 三台の破動戦車は、駆け回る対象物に照準を合わせることが出来ず、あっけなく
ビーム砲の餌食となった。妨害用電波により、本隊との連絡もとれず、空間遮断効
果(バリア)を生み出すスーツは、弾丸も熱光線(レイ)も利き目がなかった。銀
色に輝くマシンが、トーチカを占拠し破壊しつくした。

 任務が終わってホテルに戻る。ベッドに横になった体が疲れている筈もなく、睡
眠に対する欲求も忘れて久しい。
 このホテルは海に近い。波音がかすかに聞こえてくる。潮の匂いは一昨日のこと
を思い出させた。
 (ケン……)
 波打際を歩いていた。長く伸びた髪、白い手足、青い顔。
 遠くを見つめる瞳は、羽根を失くした天使のものだ。つきせぬ思いをはるか彼方
へとばし、心は、地上にない。
 (ケ……ン……)
 その姿とあの医者だという男の姿がだぶる。あわさった唇。目を閉じていたケ
ン。両肩は男の手の平に入る程、細くなっていた。
 押しつけていた唇。薄い口髭。白っぽいブロンド。
 身体が熱くなるような気がする、もうない筈の血液が音を立てて逆流する思い
だ。
  (嫉妬か?)
 グラムザンの冷たい声。
 ああ、そうさ、気が狂いそうなくらいさ… !
 叩きつけた手の下で、机に斜めの罅が入る。力のセーブを忘れていた。
 気持ちは抑えようがない。
 アフリカでの滞在期間はあと一日。明後日にはヨーロッパ。
 自由行動は、あと一日−−、
 ジョーはもう一度、両手を机へ叩きつけた。バキッと大きな音がして机はまっぷ
たつに床に落ちる。
 ジョーは心を決めた。
 −−−ケン!お前に会いに行く−−−


 ジョーは行ってしまった。
 髪と一緒に……過去と一緒に窓から捨てられてしまった。指で梳く髪はからまり
もせず、隙間からこぼれてゆく。
 触れるガラス窓は冷たく、指先を拒んでいる。届かない想い。届かない…
  ジョー
 窓の外は荒れ狂う黒い夜が見える。風に舞う薄い雪がその波にのまれ消えてゆ
く。
 海に溶ける雪… 
 そうだ、いつだったか、同じ光景を見ていた事があった…
   過去とのつながりを切られてしまったケンには、過去の中にもぐり込み、その
中で手足を縮めて丸くなっている事しか出来なかった。

  " 何してるんだ "
  それは冬だった。二人で泊った旅先の小さなホテル。海辺によくあるような白
  いホテル。
   " 海、見てるんだ "
  ベッドの中のジョーを振り向きもせず、のぞきみる窓ガラスはしっとりと汗を
  かき、 何度ふいても、たちまち白くなる。
   " おもしろいか "
  ベッドの中でジョーが起きあがる気配。
   " 雪がね… "
  ゆっくり振り向いて、
   " 雪が海に降って溶けるんだ "
  立ち上がったジョーの白い裸身を見て、ミケランジェロのダビデのようだな、
  と思う。 バランスのとれた美しい肢体(からだ)が、こちらへやってくる。
   " 手が冷えきってるじゃないか "
  ジョーは横に座り、指を手にとり唇にもっていった。柔らかい圧迫。
   " 雪が溶けてゆくよ、ジョー "
  爪先をなぞるジョーの舌は熱い。
   " みんな溶けてゆく…  "
   " こっちを向けよ、ケン "
  ジョーは強く肩を掴んだ。顔を首筋へ埋め、抱きしめる。
   " そんな瞳(め)で遠くを見るなよ… "
  押し倒された絨毯が暖かい。
   " ジョー… ?"
   " お前の方が溶けていきそうだ… "
   " ジョー… "
  上げさせた顔は、一瞬子供のように頼り無げだ。
  ジョー、お前はそんな表情(かお)をして、時々俺を困らせる。
   " いかないよ、どこにも… "
   " 俺の側にいるか?俺だけを見るか… ? "
  わがままなジョー、よくばりなジョー、俺だけを愛しているジョー…、
  ジョー… 
 ケンはガラス窓に爪をたてた。耳を軋ませるような疳高い悲鳴をたてて、それで
もガラスはそこにある。
 ジョー!!……!
 お前の事しか考えてない。お前の事しか思い出せない… ジョー!!


 「ケン… 」
 部屋へ入って来たリチャードは、その後の言葉を唇から逃がしてしまった。
 窓ガラスの前に座り込んでいるケン、すっかり痩せた背につかのま薄い羽根が見
える。
 打ちひしがれ傷ついた弱い羽根… 
 そんな背がリチャードのかすかに残る良心…もしくは愛−−を棘でつつく。
 「ケン… カゼをひくぞ… 」
 毛布をもって肩からそっとかけてやる。
 振り返った青い瞳が期待に満ちて輝き−−やがてすぐにそれは絶望の色に変わっ
た。
けだる気に目を伏せ表情を消す。
 そんなケンにリチャードの心は、はじけとんでしまう。限りない憎しみとやりき
れない想いが、リチャードを翻弄する。
 「ケン!来い!」
 無理矢理立ち上がらせると、弱いものではあるが抵抗が来る。ほとんど放る様に
してベッドに投げ出す。ケンは目を閉じ、顔を背けている。牙のない獣に出来る最
後の攻撃…
 その頬に爪を食い込ませ、リチャードは口を開けさせると唇を重ねた。逃げよう
とする舌を追い、からめ、強く吸う。ケンの全身が硬直し、腕に粟がたった。
 −−そんなに、この俺が−−!?
 リチャードの怒りは冷たく凍りつき、それは残酷なゲームへと彼を駆りたてる。
 「ケン… 」
 唇を離し、手も離す。頬に三日月形の跡が残っている。
 「いいことを教えてやろうか、ケン。」
 ケンは視線を窓の外に飛ばしている。
 「ジョーが、来てるぞ。」
 青い瞳に光が宿る。リチャードは、その変化がこれから展開する遊戯への色を添
えるものだということを知っている。彼はより冷えた感情でそれを娯しんだ。
 「下に来てるんだ。ドアの外に… お前を迎えにな。」
 ギシリと身体の下でベッドが呻く。リチャードは後ずさりするようにして降り
て、ケンを見降ろした。
 「行けよ… 逢いたがってるぜ、ジョーが。」
 ケンはリチャードを凝視した。が、次の瞬間、鳥がはばたくようにベッドからと
び降りると、ドアへ駆け寄ろうとした。その腕をリチャードが掴んで床に叩きつけ
る。
 「だが、ただじゃあ逢わせないぜ。俺の手から逃げてみろ、この部屋から逃げて
 みろ。そうしたら後はお前の自由だ。」
 見上げるケンの瞳の強い光は失われない。両手を床につき、隙を窺うように身構
えていた体が、いきなり、リチャードに向かって投げ出された。
 不意打ちをくらってリチャードが倒れる。ケンはそれを飛び越え、ドアを叩きつ
けるように開けた。
 「ケ… !」
 階段の上で、リチャードの手がケンの襟首を掴まえる。
 「声が出せればよかったな。助けてと一声叫べばジョーが飛んで来るだろう
 に。」
 青い瞳はドアに釘付けだった。
 あの向こうに… あのドアの向こうにジョーがいる… !
 ケンの足がしなり、膝先がリチャードの腹にめり込んだ。
 「ケ… ン。」
 反動で細い身体は宙を舞う。リチャードの手には布切れが残り、ケンは階段の下
にころげ落ちていた。
 床の冷たさが、失いそうになった意識を取り戻させる。
 ジョー… !
 伸ばした手の向こうにドア−−−
 這うようにしてケンは床の上を進む。
 (ジョー… ジョー… ジョー… )
 背後の気配は殺気に近い。階段の上にリチャードがいて、自分を見ている。
 指でからめるようにノブに触れる。
  ジョー!!
 パシッ!と音をたてるように寒気がケンの顔を打った。瞬間、彼は盲になる。
 外は雪を渦巻いている。白い闇のみが広がっていた。
  ジョー!?
 どこにもいない、どこにも見えない、ジョー!ジョー!?どこに… !?
 握り締めた手の中で、掴んだ雪が溶ける。足の先から凍りついてゆく。
  ジョ… オ!
 くっくっと含み笑いがした。リチャードがドアにもたれている。瞳は狂人の色に
近い。
 「そうさ。」
 リチャードの薄い唇が横に裂けている。
 「うそっぱちだ。」
 リチャードは顎をのけぞらして笑った。
 「うそっぱちさ、何もかも!。ジョーなんか来るものか!!」
 ケンの視界の中で、リチャードの白い髪がぐるぐる回り始める。
 「ついでにもう一つ教えてやろう、ケン。こいつは本当のことだ。」
 リチャードは咽の奥で笑っている。
 「お前はジョーに逢ってるのさ。ほらこの間、海へつれていっただろう。あの
 時、道路に停まっていた黒い車を覚えているか?そうさ、あれにジョーは乗っ
 てたんだ。」
 (嘘だ!)
 ケンは両手を雪に叩きつける。
 「本当さ、車の中にいたんだ。」
 (嘘だ!嘘だ!嘘だ!だってジョーは… !)
 「何故、その時逢いに来なかったというのか」
 リチャードは紅い舌で唇の回りを舐める。まるで獲物を前にした獣のように。
 「おしえてやろうか。」
 (嫌だ!ききたくない)
 ケンは両手で耳を覆った。
 (何もききたくない!みんな嘘だ、何もききたくない!!)
 「きけよ。」
 リチャードはケンの両腕を捻り上げて、顔を近付けた。
 「教えてやるよ!ジョーはもうお前なんか必要じゃないんだ!」
 (嫌だ!)
 ケンはリチャードの両腕を振り払おうと躯を捻った。リチャードは、ケンを羽交
い締めにする。
 「必要じゃないんだ!半分死にかけているお前なんか、いらないんだ!あいつは
 俺に…!」
 (嫌… !!)
 「お前を売り渡したんだ!!)
  絶叫−−−!!
 その……  
 声のないケンの悲鳴は、確かにケンの躯を切り裂いた。頭の奥で、パキンという
音がする。瞳から流れた涙は、ケンの頬を冷らせる。視界の中で、雪の群は静かに
溶けて消えた。


 次の日の夕方近く、ジョーは海岸線の見える道路に単車を停めていた。
 アイカバーとヘッドフォンをつけられていても、車の速度や時間の経過はジョー
の体内で測定することが出来た。そして、ここの砂浜にかすかにだが見憶えがあ
る。たった一つの目印だった。モーターボートの残骸が半分砂に埋もれている。
 (ここだ。)
 ここにケンはいた。
 (病人のケンだ。そう遠くから散歩もすまい。)
 再び単車をふかし、道路を走る。
 (もう直き逢えるぜ、ケン。)
 真近に赤い屋根の小さな別荘らしい建物が見えた。
 
 夜になって忍び込んだその屋敷の一室に、ケンはいた。
 煌々とライトの白い光の中、シーツに埋もれて眠っている。
 気抜けする程あっけなくケンがみつかり、ジョーは最初、罠かとも思った。
 だが、2分3分しても状況になんら変化もない。ジョーはゆっくりとケンに近づ
いた。
 くり色の髪がシーツに散っている。痩せた指は、枕を握っている。
 (ケン… !)
 ジョーはベッドの横に膝をつき、右手でケンの肩をゆすった。
 「…ケン。」
 ケンは一度ピクリと身を震わせ、やがてゆっくりと目を開けた。
 「ケン… 、俺だ… 。」
 だが、ケンの瞳は無表情に、底にかすかな哀しみさえにじませて、じっとジョー
を見るだけだ。
 「ケン?俺が解らないのか!?ケン!!」
 両肩を捉えてゆすぶる。ケンの頭はガクガクとゆれ、その中で瞳が大きく見開か
れた。
 「…ケン… 」
 ケンの指が震えながらジョーの頬に触れる。唇にふれ、首筋にふれ、肩に腕に胸
にふれる。夢じゃないのを確かめるようにケンの指がふれていく。
 「ケン!」
 その指を握りしめ、ジョーはケンを抱きしめた。
 瞳の蒼を溶かし込み、水滴が丸くもり上がる。それは、とめどなく頬にこぼれ
た。
 抱きしめた体の細さに、ジョーの胸が熱くなる。
 おまえ、どうしちまったんだよ、なんで、こんなに−−−
 ケンが腕の中でかすかに体を動かす。それでジョーは自分が力を入れすぎていた
ことに気付き、慌てて体を離した。
 「すまん。苦しかったか?」
 が、ケンは体温が離れるのを恐れるようにジョーの首に縋り付いて来た。唇が動
き、必死に何かを語ろうとしている。しかしそれは空気の擦れる音にしか聞こえな
い。
 声帯をいじられたんだ…… 
 その声が出ない唇がジョーの首筋を這い、上にのぼってくる。ジョーは指でその
薄紅い唇をとめた。
 「ケン、俺はもう人間の体はしちゃいないんだよ。この舌はただの飾りだ。お前
を抱くことも出来ない。それでもいいか?それでも俺といっしょに行くか?」
 ケンはジョーを見つめた。瞳は一度ゆれ、やがて優しい微笑みにかわる。
 お前はお前だろ… ?
 そういっているかのような青い瞳。
 ケンはゆっくり顔をよせ、ジョーの唇に自分の唇をあわせた。
 ケンの熱い舌がジョーの冷たい人工の舌にふれる。
 そうやって幾度も口付ける。
 (ケン… )
 まだ自分が生身だったらきっと泣いていただろうケンの優しさ。
 このお前を離したくはない。
 逢うだけでいいという気持ち既にケンを連れ出すという決意に変わっていた。
 ケンはあまりに弱くなっている。このままここで手離せばもう二度と逢えないよ
うな気もする。
 「いっしょに行こう… ケン… 」
 ジョーはケンを両手に抱き上げて笑いかけた。
 
 ガクリと足の下で砂が鳴いた。
 歩を進める度に、抱いているケンの髪がふわりとゆれる。
 追手の気配はなかった。
 一度だけ振り返った別荘は、閑として黒く闇に溶け込んでいる。
 「こんなことなら、もっと早く、お前を探し出せばよかった」
 呟くジョーにケンは微笑う。ケンの瞳は、闇に尚、青く透く。そして何より雄弁
だった。
 そこにお前がいる。それだけでいい−−−
 そう応える。
 ジョーはケンを抱く腕に力を込めた。
 その時、いきなり右肩に衝撃を受け、ケンはジョーの腕から崩れおちた。
 「な… に… ?」
 振り向いた瞳を射る白い光。
 幾つものサーチライトが二人の全身を捕えていた。
 「そこまでだな、ジョー(T−1)!」
 金属的に拡散された声はグラムザンだ。
 「我々の情報網を甘くみるな。」
 グラムザンの声は響き、どこから聞こえるのか解らない。
 「ケンから離れるんだ、ジョー(T−1)。ゆっくりこっちへ歩いて来い。命だ
 けは助けてやろう」
 「ケン… 」
 ジョーはケンを立ち上がらせた。
 「大丈夫か?」
 ケンは頷く。
 「単車まで走れるか?」
 ケンがもう一度頷くのを見て、ジョーは彼の背を押した。
 「走れ!ケン!!」
 叫び様、自分は横っとびにとび、左手からビームを放射した。ビームは中央の巨
大なサーチライトを破壊し、横の車を炎上させた。
 「無駄な抵抗はやめろ!」
 グラムザンの声が別の方からも聞こえて来る。走るケンの回りの砂がとび散っ
た。
 「チィ!」
 ジョーのビームが、その射った方向に一旋する。悲鳴が上がり人間の形の炎が辺
りを照らした。
 「グウニング攻撃だ。」
 離れた車の中で、グラムザンは無線に向かって叫んだ。
 「ジョー(T−1)の動きを止めろ!」
 シュン!と空を切って、取り囲んだ男達の手から細いガラス繊維のようなものが
とんだ。それはジョーの首に、腕に、足にからみつく。
 「何だ!?」
 振り払おうと跳躍した瞬間、体中に激しいショックを受けた。カクと頭が上が
り、体が海老のように反り返った。
 「な… に… 」
 頭から砂浜につっ込む。エネルギーの急速な低下を察知した。
 「畜生… 」
 立ち上がろうとした背に右肩に受けとめたのと同じ衝撃を受け、ジョーは再び弾
き飛ばされた。背中の人工皮膚がジリジリと音をたてて溶解する。
 「脳は傷つけるな!」
 グラムザンの声、足に肩に腰に、電気的なショックが加わる。その度にジョーは
砂の上をころげまわった。
 「ケ… 」
 ドオッと倒れた逆さの視界の中にケンの白い影が踊った。
 「ン… 」
 ケンが駆けて来る姿が映った。
 「来るな… 」
 ケンの瞳は凍てついた冬の星だ。哀しみに凍りついた樹氷の光だ。
 唇が開く。開いて叫ぼうとしている。
 「ケ… ン… 」
 ジョ… オ−−!!
 薄れてゆく意識の下で、ジョーはケンの絶叫を聞いたような気がした。


 海が鳴く、闇が鳴く… 風が泣く。そして、砂が舞った。
 
 サーチライトの光に照らし出された砂粒の一粒一粒が、もう動かなくなった
ジョーの上へ音もなく降ってゆく。
 あれほど待ち続けたジョーが、目の前で葬られる様をただ見ていることしか出来
なかった。そして、数人の男達がジョーの躯を運んで行くのを、今、その瞳に映し
ながらもケンにはどうすることも出来ない。
  " こんなことなら、もっと早く来ればよかったな "
−−−こんなことなら… ジョー… こんなことになるんだったら…
 来なければよかった… −−−
 風が短くなった髪をくすぐり、何一つ守れなかったケンを笑うように、ポッカリ
と開いた心の中を吹き抜けてゆく。
 髪も… ディスプレイも… ジョーも… 
 何もかもいってしまった… おいていかれてしまった… 
 砂を舞って吹く風が、重い足に、苦しい胸にからみつき、夜風に冷えた砂はケン
の裸足の足を拒絶する。
 おいていかないで、ジョー… 何もないんだ。何も残ってないんだ。ジョー!
 深閑としている海辺には、ただ、波の音だけが漂っている。
 よせてはかえし、よせてはかえし、水の音、水の音、水の音…
   ケンは、その中に幽かに流れてくるジョーの声を聞いていた。
 −−−…いっしょに… いくか… −−−
 ジョオ… どこにいけばいい?
 −−−いっしょに… いこう… ケン… −−−
 囁きかけるように、やさしく… やさしく… ジョーの声が運ばれて来る。
 そこ… ? そこにいけばいい?… つれていってくれる… ?
 −−−いっしょに行こう… ケン−−−
 呼ばれるまま、音のする方へ、ジョーの声のする方へ…
   ケンは手をさしのべる。
  つれて… いって… ジョオ… 
 どこまでも、限りなく蒼の世界へ、ケンは足をふみ入れた。


 ……白い鳥が……
 ジョーは、光る靄のようなものの中で、ぼんやりとそれをみつめていた。
 白い鳥がいる−−−
 鳥はゆっくりとはばたき、降りて来た。波打ち際だ。
 キラキラと回りの光がさざめいて、美しい音をつくる。
 鳥はやがて首をのばし、翼をのばし、白い人影をつくった。
 ケ… ン… 
 くり色の髪、深い色の瞳。
 ドウシテ… オマエ、ソコニイル
 ケンの笑みが光にまぎれてよく見えない。
 ケン… イコウ… イッショニ。
 ケンは笑っている。光が回りではじける。
 ……愛してる…… 
 自分の言葉だか、ケンの言葉だか、わからない…
    愛してる…… 愛して… る… 
 イッショニ… イコウ… ケン… 
 ジョーは泣いていた。そこにケンがいるのに、何故、俺は泣くのだろう。
 ケン、お前が側にいるのに
 ケンがふわりと舞いあがる。両手をのばしてジョーを呼ぶ。
 行ケナイヨ… ソコニハ… 行ケナイ
 ジョーは首をふった。
 降リテ来イ、ケン… 俺… ノソバニ
 ケンが笑う。笑う。笑う。
 光がはじけてジョーをとりまいた。
 キラキラ キラキラ 光のカケラ。
 まぶしすぎてケンが見えない。まぶしすぎて自分が見えない。
 まぶしい… 強すぎる光−−−光
 
 そして、ジョーは
 ジョーは、自分を照らしている白い人工燈(ライト)の存在を知った。


     「ジョー(T−1)の様子は?」
 グラムザンの問いに、手術室から出て来たモリスンは外したメガネをハンカチで
拭きながら答えた。
 「もう目醒めているよ。たいした回復力だ。もっとも彼の場合は意志の力の方だ
 がね」
 Dr.モリスン−−ジョーの三回に渡るサイボーグ手術の指揮をとった男だ。
 「脳手術はうけられるか?」
 「用意にあと60分待ってほしい」
 「30分にしてくれ」
 モリスンが肩をすくめて了解と言う。その肩を叩いて励まし、入れ違いに、グラ
ムザンはジョーのいる部屋へ入った。
 「気分はどうだ、ジョー(T−1)」
 ジョーは火を吹くような目でグラムザンを睨みつけた。
 「仲々、元気よさそうだな」
 「ぬかせ!」
 体を起こそうとして、ジョーは再び硬い台の上に引き戻される。磁気ベッドは最
大の出力をもってジョーの自由を奪っていた。
 「ケンはどうした!?」
 「さあね」
 グラムザンは冷たい表情を崩さない。
 「リチャードは哀しんでいたよ。自分のことを顧みてくれないケンにね。あれで
 彼は仲々デリケートなんだ」
 「ケンにおかしなまねでもさせてみやがれ。俺がぶち殺してやる。」
 「二度と逃げられないように、首輪でもつけとくんだなとは言っておいたが、ど
 うだろうかね。飼犬に手をかまれた主人というのは何をするかわからんものさ。
 ケンの全管理は彼にまかせてしまったからな。」
 「グラム… ザン… 」
 ジョーの形相が変わる。悪鬼の如き顔になる。
 「貴… 様は… 」
 うめく声。
 ジョーの上半身がじりっと持ち上がった。
 グラムザンはぎょっとして一歩下がる。
 「俺の… 生きているうちは… 」
 指がゆっくりとまがり、ベッドの表面をとらえた。頭が次第に起き上がって来
る。
 「ば、ばかな!エネルギーは計算して… !」
 グラムザンが叫び、ジョーの両腕がメキメキと音をたてた。
 「うぉぉぉっっ!」
 野獣のようにジョーは吠え、一気に体をひきはがした。バキッと音がして、左腕
が肩からひきちぎられた。断絶部から火花が散る。残された腕は生きているかのよ
うに磁気ベッドではねまわる。
 「ケンには指一本さわらせねェ!!」
 左腕に内蔵されていたビーム砲は強い磁気に数秒ともたなかった。
 手術室の爆発をDr.モリスンは自室で認めた。


 海から引きずり出したケンは、もうまるきり狂気の中にいた。
 音がする方へ、ジョーと口を動かし、手をさしのべる。
 そして、そのケンの狂気はただでさえ恐れていたことを現実に突き付けられ荒れ
狂っていたリチャードを、いともたやすくのみ込んだ。
 あれほどまでに、かたくなに自分を拒否し続けたケンが、ジョーの腕の中にいる
間、至上の幸福を手に入れたかのように笑んだ。
 大切なこのモルモットが、自分の手に入らぬとみせつけられたリチャードの自我
は、膨れるだけ膨れあがり、憎悪と嫉妬の炎に誘惑され、狂気の炎へと燃え拡がっ
た。
 家の中にある全量のアブゾ・ノールを、使いつくすまで、タバコが三本灰になる
ごとに注入しつづける。
 リチャードには、ケンに対してのいたわりはもとより、拒否反応で殺してしまう
かもしれないという危機を感じる心さえ残されてはいない。
 あるのは細菌媒体への執着心と屈折した愛のみだった。
 自分の吐いた血と胃液の広がる地下室の床の上をころげ回り、酸素がよく送れな
い肺に、蒼黒くなった唇で、必死に何かを言おうとしているケンの姿を、リチャー
ドはタバコをくゆらせ、笑いながら見つめていた。
 

   「ケン!」
 右足を引きずって、ジョーは赤い屋根の屋敷までたどりついた。左肩からは、あ
いかわらず白く火花が散る。
 「ケン!俺だ!!」
 呼んでも聞こえない。頭の横をかすめた砲撃は、ジョーの聴力を奪っていた。
 「ケ… ン」
 足元が定まらない。左肩からエネルギーが漏れている。
 「どこだ… ?」


 「リチャードから応答はないのか!?」
 グラムザンは首から吊った白い布に右手を隠して無線技師(オペレータ)に怒
鳴った。あの爆発からかろうじて脱出したものの、右手は手首から先を失った。
 「ジョー(T−1)はケン(CC1)を奪い返しにいった筈だ。既にジョー
 (T−1)のエネルギーは半分ぐらいに減っているというのに!」
 「呼び出しはどうしますか?」
 「そのままつづけろ!こっちから出した工作員はまだ着かないのか」
 「あと30分程で別荘につく筈です。」
 グラムザンは左手で右手を握った。
 「J - TYPE 量産計画(M・Pプロジェクト)は失敗だ。ジョー(T−1)は何
 としてでも破壊しろ。金属、髪の毛の一本たりとも残すな!完全にこの世から消
 滅させるんだ」

 「ケン!どこだ!!」
 声が反響となって人気のない部屋に広がる。それすら今のジョーには聞こえな
かった。
 「ケン!」
 片っ端からドアを開けてゆく。一階(した)にも二階(うえ)にもケンはいな
かった。
 −−−地下か!?−−−
 コンクリで固められた階段をほとんど飛ぶように降りると、つきあたりに大きな
鉄製のドアがあった。
 「ケン!!」
 ドアに体を叩きつける。ギシリと重い音をたててドアが開いた。
 パシ!と軽い衝撃が胸に来る。あたった弾丸は彼の服を貫通しただけでカラリと
足許に落ちた。
 リチャードが銃をかまえて立っている。
 「ケンはどこだ」
 「来るな!」
 リチャードの手の中で銃がぶれる。弾丸はことごとくジョーの体の上ではねた。
 「ケンはどこだ!!」
 「あれは私のものだ」
 リチャードの絶叫もジョーには聞こえない。ただ彼の目の中に狂気の光を見ただ
けだ。
 「どうしたんだ!ケンを!」
 「あれは私のものだ!私だけの…。あの素晴らしい体を手離すものか。私の一生
 をかけた研究なんだ。ケンが必要なんだ。ケンは… 」
 ジョーはゆっくりとリチャードに歩みよった。リチャードは目をギラつかせ、
ジョーの存在を認めていない。
 「ケンは生きた細菌体だ。すばらしい体だ。あれは触れる者を腐敗させる。殺
 す。狂わせる。私の手… 」
 リチャードはうっとりとした表情で皮膚がやぶれ、肉が赤黒くのぞいた自分の手
を見つめた。
 「美しい… 人間の生の姿だ。ケンの体がこうさせる。ケンは生きたベッラ・ド
 ンナ。ケンは… ケンは… 」
 ジョーの右手がリチャードの顔面をとらえた。そのまま壁におしつける。手の平
の下でリチャードが顔を歪めた。黄色い歯がむき出され、唾液が顎を伝って流れ
る。ジョーはゆっくりと力を入れた。
 ゴリッという不快な音は彼には聞こえない。鼻が顔の中に押し込まれ、眼球がも
り上がる。手の下で顔が崩れてゆく。壁がひびわれ、頭蓋骨が音を立てた。
 ジョーはそれを無表情に見ていた。
 

   「工作員が家を取り囲んだそうです。」
 無線技師(オペレータ)が振り返った時、グラムザンは青い顔で左手の書類を握
りつぶした。
 「火炎(ナパーム)放射機で焼きはらえ」
 「そんなことをしたら、Dr.コーリスもケン(CC1)も… 」
 「かまわん!」
 無線技師(オペレータ)の声はグラムザンの怒鳴り声にさえぎられた。
 「リチャード・コーリスはケン(CC1)の躯を生きた細菌媒体へとつくりかえ
 ることに成功しているかもしれん。放っておけば、全世界に拡まる程の罹病率の
 高い新種の伝染病菌だ。必ず死体を確認した上で焼却しろ。リチャード・コーリ
 スもろ共焼きはらうんだ!」


 「ケン…」
 透明な檻の中にケンはいた。一方の壁に眠っているようにもたれかかっている。
 「ケ…ン…」
 その壁をそっと叩くと、ケンはうっすらと目を開けた。
 「むかえに来たんだ」
 ガラス越しにケンは手の平をジョーにあわせる。
 −−−つれていって…−−−
 唇はそう動く。
 ジョーはケンから遠い方の壁へと回り、その一角を叩きこわした。シャラシャラ
と、薄いガラスが床に落ちる。
 ケンは両腕を伸ばす。
 ジョーはその手をとった。
 −−−ジョー……
 ケンの唇が名前を呼ぶ。
 指でジョーの頬に触れる。
 ジョ…オ…
 「行こう… ケン」
 指がゆっくりと下がっていく。瞳が静かに蔭ってゆく。春が暮れるように、蔭っ
てゆく。
 「ケ… !」
 薄紅い唇、くり色の髪、白い肌、青い… 瞳(め)…。
 「ケン!」
 コトンとケンの頭が下がった。冷たい重みが腕に来る。
 「ケン…、お前…!」
 それは静かな表情だった。とても静かな死顔だった。
 「−−−いくなぁ!!」
 ジョーは絶叫した。
 「いくな!いくなぁ!!俺をおいて… 俺をおいていかないでくれ!ケン!
 ケン!!」
 ケンの髪がふわりと舞う。青白い顎がカクンと動く。
 「ケン!ケン!お前… 何故…!何故だ、何故だ、何故だ……!」
 声が出ない。何も聞こえない。何も見えない。
 ケン、俺には お前だけ… お前しか…
 「逝っちゃ… いやだ… 」


 「放射用意!」
 指揮官の声で火炎放射機(ナパーム)が別荘に向けられる。
 「放射!」
 竜の吐く舌のように、炎が空気を焦がして伸びた。たちまち別荘は炎に包まれ
た。
 「出て来る者は誰であろうと殺せ!一匹は狂った機械獣(アニマロイド)、もう
 一匹は細菌体だ!ようしゃはいらん!」
 家を囲む炎は、天まで届かんばかりの勢いで、激しく燃え狂っていた。
 

   「結局、死体は確認出来なかったんですか…?」
 ISOの副長官であるバジンが、グラムザンに言った。
 「ああ、別荘の中に発火性の薬品があったらしくてな…、予想以上の高熱で全て
 灰化してしまった。」
 「まあ、しかしね…、ケン(CC1)だけでも確認したかったですな。かなり強
 い細菌らしかったようだから。」
 「心配することはない。逃げられる筈はなかったのだ。」
 そう言いながら、グラムザンの笑みは 強張っていた。失した右手の先が疼く。
ジョーの憎悪に燃えた瞳が忘れられない。
 「長官!ここにいらしたんですか?」
 秘書がドアから顔を覗かせた。
 「皆さん御集まりになってます。会議場に御急ぎ下さい。」
 「わかった、今行く。」
 答えたグラムザンは、バジンを促した。二人は自動歩道(オートロード)で別館
の会議場へ向かった。本館と別館は約200m離れている。その2つのビルをつなぐ
オートロードは、回りを強化プラスチックで作った空中回廊だった。
 「しかし、おしかったですな。JOE - TYPEのサイボーグ…試作品とはいえ、優
 れていた。理想的な躯と強い精神力…量産したとしても、あれだけのパワーが再
 び出せるかどうか…」
 「いや、やはり脳波コントロールを完璧なものにしない限り、サイボーグの量産
 は控えるべきだ。いずれにせよ、戦争が本格的に起こるのはまだ先だ。それまで
 には…」
 言いかけたグラムザンの声は、凍りついた。視界に、一機のジェットヘリが映
る。
 「あ、あれは…!」
 グラムザンは恐怖した。訳もなく恐怖した。
 −−−ジョーだ……!!!
 そう直感する。
 「オートロードをもどせ!い、いや止めろ!ジョーだ!ジョーが私を殺しに
 …!」
 ジェットヘリは目の前に迫っていた。
 
 「ケン…たのしいか…?」
 膝の上にのっているケンに、ジョーは語りかける。
 ジェットヘリは、セットした目標に向かってまっすぐに飛んでゆく。
 「昔はよくこうやって二人で飛んだっけな…。」
 ケンの躯からは、何か表皮の片鱗のようなものが、キラキラとヘリの外に散って
ゆく。
 「笑ってるのか…ケン…ああ、俺も楽しいよ、もうお前と離れなくていいんだ…
 ずっと、いつまでもいっしょだよ。ケン… ケ…ン…」
 ジョーの腕の中でケンの体が音を立てる。
 力のセーブのきかないジョーの腕がゆっくりとケンの骨を砕いてゆく。
 パキン…パキンと骨のくずれる度に、ケンの体は生きているようにゆれる。
 ジョーはクックッと、喉の奥で笑い声を立てた。
 「そうだ、ケン…歌えよ…とてもきれいな声だ。もっと大きな声で…もっと…
 もっと…」
 ジェットヘリの窓にガラスの回廊が見える。中にいるグラムザンが見える。
 ジョーの腕の中で、ケンは砕け散った。そして巨大なエネルギーによる爆発が
ニューヨーク上空でおこった。


 雪が降る−−−
 燃え上がったジェットヘリの残骸に雪が降る。
 砕けたガラスに、飛び散った肉片に、ころがっている金属体に、雪が降る。
 ケンの体から流れた細菌を地に溶かし込みながら、雪が降る。
 やがて陽が昇り乾いたそれらが風に乗るだろう。ジョーは怒りと狂気を燃やしつ
 くして果てた。だから彼らは知らない。自分達の死が、新しい狂気と混乱を起こ
 すことを。
 罹病率99% 完治見込みのない伝染病が、地球上を席巻するのは間近である。


  ……ケン……楽シイカ
   オ前ノ為ニ、ミンナガ 手ヲタタイテイルヨ
   ミンナガ踊ッテイルヨ
   天国ノ踊リダヨ
  ケン……行コウ イッショニ……
   モウ……二度ト 離レナイ……

蒼の葬列画像
Art by Sayuri

FIN

初出:FIRE BIRD - PERIOD - 1982. 12. 26


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