上弦の月

by yu-jin



 帰還した別荘の指令区画は、国際科学技術庁から派遣された職員と技師達が走り回り、
騒然としている。隅の一角では、南部が痛めた足を引きずりながら事後対策に追われてい
た。
 何か手伝えることはないかと思って降りてみたものの、ただでさえ事態の大きさ故の混
乱に、指揮系統が統一されていないらしいフロアは、あちこちで大声が上がっている。
 その喧騒の中で、時折ふと手を止めて何もない空間に視線を向け吐息をつく南部の様子
に、ケンは黙ってその場を後にした。
 ザックリと切り裂かれたような痛みを感じる。
 口の中が苦い。
 ケンはパンツのポケットに両手を入れたまま、居住区内にあるラウンジへ上がった。
 ひっそりとした空間は、青白い月明かりが差し込み、サンルーフ越しに見える海は、そ
の月の光を映して静かに凪いでいる。
 まるで今日の出来事が嘘のようなその光景に、ケンは引き寄せられるように窓辺に立っ
た。
 あれは予感だったのだろうか。
 気がすすまなかった。
 ”毎度毎度同じことの繰り返しが嫌になったのさ”
 それは確かにそうだった。だが、あの時そう口に出した時の不快感の実体は違うもの
だった。
 不安とも違う。
 危機感だったのかもしれない。
 時の中に潜む歪みが、ほんのわずか先に起こることを警告していたのかもしれない。
 『行くな』と。
 今日、三日月基地が深海に沈んだ。
 その事実に押しつぶされそうなほどに辺りは静かだ。階下の喧騒も、物音もここには聞
こえてこない。その代わりのように、ケンの耳には鳴り響き続けるエマージェンシーと、
緊急事態を伝え続けた職員の声が残っている。
 ”第一機関室破損”
 ”第一機関室浸水”
 ”メインエンジンルーム破損”
 ”第二コンピュータ室破損。浸水を始めています”
 窓辺に寄ったケンは、大きなガラス戸を開いた。
 空気が流れる。
 その瞬間、ざあっと流れ込んだ風が潮の匂いと共にケンの髪を撫で上げていった。
 未だ深海にいるのかと錯覚するほどに無音だった辺りが寄せ返す波の音に、木々を渡っ
ていく風の音に包まれる。
 その音にケンは小さく吐息をついた。
 完全な敗北だった。
 次々と撃ち込まれる魚雷群に、成す術もなかった。
 今自分がここにこうしていられることは、ただの偶然に過ぎないのかもしれない。
 耳に残る声の主は助かったのだろうか。
 潜航艇で脱出できたのは全職員のほんの数割だった。
 『我々が退けば、それだけ世界平和とマントル計画の達成は遠ざかるんです』
 スピーカー越しに聞いた声の持ち主は、あの時殴って潜航艇へ連れ込んだ男なのだろう
 か。
 皆必死だった。
 必死に基地を守ろうとし、そして亡くなっていった。
 何もできない無力感をあれほど強く感じたことはない。
 ケンはテラスに出ると、フェンスに肘をついて風を吸い込んだ。深い闇が月に照らさ
れ、青白い光の中に浮き上がっている。ケンはその光に誘われるまま、ぼんやりと辺りを
眺める。
 各自が使っている部屋の明かりは消えている。
 ジョーも、竜も、ジンペイも、ジュンも今夜はここに泊まっていた。一人で抱え込める
ほどに今夜はタフではいれらない。
 在って当然と思っていたものを失った衝撃は大きい。だが、ケンにとっては、それ以上
に崩壊していった過程に心を乱される。
 見えない敵に手も足も出せず、ただ呆然と立ち尽くしていただけと同じだ。
 自分達だけが戦っているつもりだったわけでも、自分達だけが命をかけているつもり
だったわけでもない。それは判っていたはずだ。だが繰り返される目の前の戦闘に、何時
の間にか自分の意識からその事実が抜け落ちていたのかもしれない。
 『平和』という当てにはならないもののために、いつまでこんなことを繰り返すのだと
思い続けていた。虚しさに襲われ、何時の間にか人々の願いを忘れかけていた。
 皆、戦っている。
 それが当てにならないものであったとしても、脅かされることなく安心して暮らしてい
ける世界を願って。
 その象徴が今日一つ消えた。
 
 「眠れないのか?」
 背後に近付く気配に、ケンは背を向けたまま声をかけた。
 「まあな」
 返ってきた声は、ケンの想像通りジョーのものだ。
 身体が求める眠りを頭が拒絶している。目を閉じれば火の海が広がる。浮かぶ光景の違
いこそあれ、おそらく今夜は誰もがその残像に心を痛めている。
 「なあ」
 「ん?」
 背後に寄った気配はそれ以上近付かないまま声をかけてきた。
 「俺が、…俺がカニ型戦車にバードミサイルを撃ち込んだばっかりに、やつらを基地に
  引き込んだんじゃないのか?」
  思い詰めたようなジョーの声にケンの背がわずかに動く。
 「さあな」
 「さあなってことはねぇだろう!」
 強い語気に振り返ったケンの視界に、月明かりの陰影に縁取られ、幾分疲労して見える
ジョーの顔がある。
 「それが判ったところでどうなるものでもないだろう。もう終わったんだ」
 「終わった?。終わっちゃいねぇ。今も階下では博士や職員の人達が走り回ってるじゃ
  ねぇか。なのに俺には何もできねぇ」
 ジョーの腰の横で握り締められた拳が、微かに震えているように見えた。
 「だからなんだ?。おまえが悩むことが何かの解決になるのか?」
 ケンは穏やかな口調を崩さぬままに、問い返す。
 ”違う”と言っても”そうだ”と答えても同じことだ。
 あの時ジョーが撃ったバードミサイルが敵を引き込んだ。
 それは紛れもない事実だ。
 だが、それは一つの原因に過ぎない。
 もし、誘導装置が仕掛けられる前にやつらを見つけ出せていれば、まんまとやつらを爆
死させてしまわなければ、仕掛けられた誘導装置を探し出していれば。
 もし…。
 分岐点はいくつもあった。
 その全てが崩壊へ向かった。
 そして、全てが終わった今、その一つ一つを思ってみたことろで、起きた事実を変える
ことはできない。
 ハッとしたような表情を浮かべたジョーにケンはゆっくりと背を向けた。
 「おまえは何を考えてここにいたんだ」
 「俺か?。月に誘われただけだ」
 「はん。らしくないことを言うじゃねぇか」
 その言外に”おまえは悩んでいたんじゃないのか?”と問われた気がした。
 背後の気配が近付く。
 ジョーはケンの横に立ち、同じようにフェンスに肘をかけた。
 真っ直ぐに視線を向けるジョーの瞳に、月明かりを映す海面が揺らぐ。そのジョーの視
線が緩やかな軌跡を辿って光の源へと移っていった。
 「上弦の月、か」
 天空の月は、天に矢を放とうとするかのように半円の姿を浮かべていた。
 「ああ」
 弦を引き絞ろうとする月の形に、沈み込もうとする心が引き戻される。
 悩んでいるわけではない。
 ただ、呆然としている。
 そうだ。未だあの深海から浮上することができぬままだ。
 過去は振り捨てねばならない時がある。
 事実は事実として胸に刻んでも、その時の感情は置いて行くしか先へ進めぬこともあ
る。
 立ち止まることはできない。
 「基地を奪われたって、俺達はやつらを倒すだけだ」
 月を見つめていたジョーの目がいつのまにか厳しいものになっている。
 「そうだな」
 月に導かれたのか、そのいかにも彼らしい答えに、ケンは苦笑まじりに同意した。
 風に煽られる髪を押さえる素振りで向けた視線の先に、挑むように月を睨むジョーの横
顔があった。
 ”やつらを倒すだけだ”
 それは確かにそうだ。しかし、ただそれを漫然と繰り返していてはいられない。もうそ
の猶予は無くなったのだ。
 この戦いを終わりにしなければならない。
 もし、散っていった命に報いることが出来るのだとすれば、それだけだ。いや、それも
所詮は生き残った人間の方便なのかもしれない。奪われた命は何をもってしても報いるこ
となどできない。だが、せめてそう思わなければ、明日をも見失ってしまいそうな重圧を
感じる。
 ケンは、ほのかに青白い光の中に浮かぶ月を見上げる。
 もう二度とこの戦いの虚しさを口にすまい。
 例えそれが当てにはならぬものであったとしても、それを願い、願った人達がいる。戦
う術を持っている自分は、それを叶えるために戦い続けるのだと信じたい。
 まだ、夜は明けない。
 だが月は天空にいる。
 光は失ってはいない。
 「寝ようぜ」
 ケンは凭れていたフェンスから身を起こした。
 「ああ。そうだな」
 意外なほどあっさりと同意を返したジョーも、勢いよくフェンスから身体を引き剥が
す。
 そして、そこにそれがあることを確認するように二人は同時に天を振り仰いだ。
 月は女神。
 その言葉通り、その光は全てを包み込むほどに穏やかで、そして青白く冴え渡る。
 眠れぬ夜だからこそ、今は眠ろう。
 その光に抱かれて。
 明日を見失わぬために。
 
 
 
 -End-
 
by Phantom.G
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