Mislead

by yu-jin




-1

 「な〜んにも無いね」
 冷蔵庫の中に頭を突っ込んでいた甚平が呆れたような声を上げる。
 「いつ食うかも判らんものを入れとくわけにはいかないだろ」
 ケンはソファーの上に散乱している本と書類を拾い集め、ドサリとデスクの上に積み上
げた。
 その音に一瞬飛び上がり、甚平が冷蔵庫から顔を出す。
 「ああ。駄目だよ。そんなとこに置いちゃあ」
 「何がだ?」
 ケンは甚平の声に振り返りもせずに、ソファーの上の本を更に集め、今度は床の上に積
み上げる。
 「だから〜、そんなとこにただ積んだって片づけてることにはなんないの。元あった場
所にしまう。それが片づけの基本だよ」
 甚平は自分の言葉に満足気に一人で頷いている。
 「じんぺ〜い」
 ケンは甚平の言葉を無視したように、最後の束を床の上に積み上げると、ようやく顔を
向けた。
 「何?」
 ケンの声のトーンから、『不機嫌』をすばやく読み取った甚平は、さっきまでの自慢気
はどこへやら、上目遣いにケンを見上げる。
 「文句があるなら自分でやれ。ソファーの上に本があろうが、書類があろうが俺がここ
に寝るわけじゃないからな」
 「え?。おいらがここに寝るの?」
 甚平は、おずおずと年代物のソファーに視線を向けた。
 この飛行場にケンが住むようになってから一度も替わっていないことは知っていた。そ
の時でさえ、座ると薄くなった生地を通してスプリングが当たる気がしたのだから、値打
ちのない骨董品、別名粗大ゴミの部類かもしれない。
 「不満なのか?」
 そのケンの口調の言外には、『嫌なら出ていけ』という言葉が含まれているような気が
して、甚平は慌ててかぶりを振った。
 「泊めてもらえるなら、粗大ゴミの上だって」
 「何だって?」
 「何でもない。何でもないよアニキ」
 甚平は慌てて目の前で手を振る。ケンはそんな甚平を軽く睨むと、黙って寝室へ消えて
いった。そのケンの後姿に甚平は小さく肩を竦める。
 やっぱり竜が帰ってくるのを待っていればよかっただろうかと、今更ながら思う。
 ジュンと口論になり、勢いで飛び出してはみたものの、行く当てもなく、取り敢えず竜
のヨットハーバーへ行ったのだが、竜は留守だった。『どこにいるんだ〜』とブレスレッ
ドに呼びかけようかと思ったが、私用で使うと後で博士に叱れる上、通話は筒抜けになっ
てしまうことを思い出して諦めた。
 『まったく竜の奴どこにいるんだよ』とひとしきり罵りながら、ドアの前をうろうろし
てていたが、日がどっぷりと暮れるに至って諦めた。
 『まったくぅ!。竜の役立たず〜』
 自分の侵入を拒絶するように閉じられたままのドアに向かって、甚平はそう怒鳴ると、
仕方なく行き先をケンの家へ変更した。
 「これ使え」
 ケンは寝室から、毛布とシーツ、それに枕を持ってくる。
 「アニキぃ」
 てっきり無視されたのだと思っていた甚平は、ケンの差し出したものを見て感極まる。
やっぱりアニキはおいらのことを見捨てないんだと、一人で大いに納得する。
 「何でもいいが、俺の邪魔はするな」
 「判ってるって」
 得意気に頷く甚平をケンはチラリと見ただけで、そのままデスクに向かった。
 邪魔はするなと言われた手前、取り敢えず大人しくしていようと、別名粗大ゴミのソ
ファーに腰を下ろす。案の定不均等なスプリングを感じる。このソファーでどうやって寝
たものだろうかと、身体を横にしてみる。手前よりも奥の方は、さほどスプリングも痛ん
ではいないらしく、背もたれに密着して眠れば寝れないこともなさそうだ。いっそのこ
と、持ってきた寝袋で床の上で寝ようかとも思ったが、ケンはソファーの上しか片づけて
いない。床の上にはあちこちに本が積み上げられている上、雪崩を起こしたように崩れた
山はそのままになっている。この山を片づけなければ床の上に寝ることもできない。仕方
なく甚平は、床の上を片づけることにした。
 どうせやることもない。
 今頃おねえちゃんは一人で困っているんじゃないかと、一瞬心配してみたものの、甚平
は慌てて首を振る。
 自業自得。少しはありがたみを思い知れ。


-2

 「アニキぃ。本棚どこ?」
 「無い」
 「え゛?」
 床の上に山積みにされている本を、大きさを揃えて持ち上げた甚平は、ケンのそっけな
い言葉にそのまま固まる。
 「え、もくそもない。無いものは無い。だいたいおまえ何やってるんだ。さっきから」
 「見ての通りだろ。片づけてるんだ」
 ようやく振り返ったケンは、床の上に整然と積み上げられた本を見る。その瞬間、ケン
の眉がぴくりと動いた。
 「何?」
 甚平はすばやくケンの表情の変化を読み取って、思わず一歩後へ後退る。何故だか理由
は判らないまでも、ケンが怒っていることだけは、判りたくはなかったがよく判った。
 やばい。
 甚平の背中に冷たい汗が一筋流れた。
 アニキぃ。おいらはギャラクターじゃないからねぇ。
 そう叫びたくなるほどの、異常な緊迫感に甚平はゴクリと喉を動かしていた。
 「お〜いケン。いるか?」
 まさにケンの雷が落ちるかと思った瞬間、鍵などかかったことのないドアを勝手に開け
て、呑気そうな口調とは真逆にドスのきいた声をかけてジョーが顔を出す。
 「助かったぁ〜」
 つい口から本音が飛び出す。
 「甚平ぇ」
 ケンの声は異様はほどに低く、そして透き通っている。背中に氷を突っ込まれたような
悪寒が走り抜け、甚平は背を縮めた。
 「何だ?。取り込み中か?」
 ジョーは対峙している二人を交互に見比べると、ますます呑気そうな口調で問いながら
家主の意向を確かめぬままに勝手に中に入ってくる。対峙しているというよりは、蛇に睨
まれた蛙状態と言った方が正しい甚平の格好を上から下まで眺め、
 「甚平。おまえ何持ってんだ?。重くねぇのか?。下に置きゃいいだろ。どうせこの家
にゃ本棚なんて気の利いたもんはねぇんだから」
 と、持ち上げている本人さえも忘れてしまっていた本の山を指摘する。
 「あっ。あぁ。そうだね」
 そろそろと持っている本を床の上に置きながらも、甚平はケンから目を離すことができ
ない。目を離した隙に飛び掛かられそうな気がするのは、断じて気のせいなのではない。
 「なんだぁ?。妙に片づいてるじゃないか。甚平。おまえが片づけたのかぁ?」
 「う。うん」
 「この家に足の踏み場があるなんて、滅多にねぇからな。で、何で甚平がここにいるん
だ?」
 ジョーは粗大ゴミソファーにドサリと腰を降ろすと、部屋の中を見回して、感心してい
る。
 「うん。ちょっと」
 射る様な視線を感じるケンに気を取られている甚平は、気もそぞろで応えていた。
 「しかし。こうやってみると結構広いんだな。この部屋」
 「何しに来たんだ。ジョー」
 ケンは甚平から視線を離さぬまま、相変わらずの冷えた、いや、冷えきった声をジョー
へ浴びせる。
 投げ出すように足を組んで、ソファーの背に凭れ掛かっているジョーには、スプリング
が飛び出しそうな座り心地は気にならないらしい。
 「何って。期日は今日だぜ。約束のものをもらいに来たんだよ」
 その瞬間、ケンから冷気が消えた。
 「取り込んでるんだ。明日にしてくれ」
 「なぁにが取り込んでるんだよ。どうせ、甚平に勝手に片づけられて、どこに何がある
か判らなくなったってぇんで怒ってるだけだろ」
 「えっ。アニキそれで怒ってたの?」
 「何だ甚平。ケンが何を怒ってるのか判らないでびびってたのか?」
 「うん。まぁね」
 あまりにもケンから発せられる怒りのオーラが凄まじく、まさかそんなことを怒ってい
るとは露とも思わなかった。
 「当たり前だろ。勝手に人ん家の中のものをいじくるな」
 まぁ、そういう言われ方をすれば、確かにそうだとも思えるものの、別に仕舞ってある
ものを引っ張り出したわけではない。
 「そうだけどさぁ。でも、だからってあんなに怒らなくなって」
 「俺はまだ何も言ってない」
 それも確かにそうだ。ケンはまだ一言も文句は言っていない。
 「で、ケン。そんなことより、早くよこせよ」
 「そっ。それが、ちょっと予定が狂ってな。悪い」
 甚平はその瞬間、背後から冷気を感じた。
 「おいケン」
 今度は本当にドスが利いた声が飛んでくる。自分に向けられていないとは判っていても
思わず肩を竦めたくなるような声に、甚平は恐る恐る振り返る。
 ちらりとジョーはさっき甚平が置いた本の山に視線を向けると、いっそう残忍な気配を
その身に纏った。
 「そういうことか。ここにあるこいつはおまえが前から欲しがって写真集だよな。高い
から手が出ないとかなんとかほざいてたやつだ。どうしてそれがこの家ん中にあるん
だ?」
 ジョーはこの部屋の中に甚平が存在していることさえ忘れたように、ギラつく視線をケ
ンに向けている。
 「か、借りたんだ」
 さっきまで甚平を圧倒していた気配が嘘のように、ジョーの詰問の前にケンは後退る。
 「誰に?」
 「は、博士に」
 甚平が聞いていても、苦し紛れの嘘だとしか思えない。
 アニキがたじろぐことはどうせ金がらみだろうと、甚平は小さく吐息をつく。
 うちのツケだって払わないでお姉ちゃんにイヤミを言われているのに、何でこうアニキ
は学習しないのだろうかと、感心する。
 「博士にね。まぁ、別にそれが誰のものであろうが構わねぇさ。もらうものさえもらえ
ばな」
 「いや。だから。それは」
 みっともないぜアニキ。
 ジョーはもうケンの襟首に手が届くほど間近に迫っている。
 「おまえが今日だって言うから、俺は彼女との約束を今夜にしたんだ。金も持たずに女
とデートできるか。どうしてくれるんだ」
 甚平はケンに同情の余地はないと思って聞いていたが、ジョーの言葉に気が抜ける。
 論点がずれてる。
 「それとこれとは関係ないだろう。だいたいおまえが俺を当てにしなきゃならないほど
金がないってどういうことだ」
 「余計なお世話だ。そういうことは、返すもの返してから言え」
 案の定すばやくケンに突っ込まれている。
 「俺を当てにするからそうなるんだ」
 こうなると完全に開き直りだ。甚平はジョーに同情する。確かにケンが『返す』と言う
金を当てにするぐらいなら、宝くじを買った方がまだ確実に手に入りそうな気がする。そ
んな金を当てにするほどジョーも困っているということなのかと、甚平はそれにも同情す
る。
 「おまえ。自分の立場判ってるのか?」
 「…たぶん」
 「何ならはっきり教えてやってもいいんだぜ」
 危ない金融会社に手を出すと、こういうお兄ちゃんが取り立てに来るんじゃないかと思
うような構図に、甚平は床に座り込んだまま両手を頬に当てて成り行きを見守る。
 この二人で殴り合いをやってみたところで決着は付くのだろうかと、今にも手を上げそ
うなジョーの様子に甚平は興味を隠せない。
 「そ、そんなことより、いいのか彼女。待たせてるんじゃないのか?」
 「金もなくてどうやってデートするんだ」
 「身体で」
 「おまえなぁ。だったらおまえが身体で払ってみるか?」
 「え゛」
 声を出すつもりはなかったが、思わず声が漏れてしまった。甚平は慌てて両手で口を押
えたが、どうやら二人に存在を思い出させてしまったようだ。
 「甚平」
 ジョーがジーンズのポケットから鍵を取り出すと甚平にそれを投げる。
 「俺のトレーラーハウスの鍵だ。ジュンに追い出されて行くとこないんだろ。今夜のと
ころはそこで泊まるんだな」
 「え?。何で?」
 「邪魔なんだよ。おまえがここにいると」
 まさか。
 まさか本当にジョーはアニキを…。
 「甚平。ここにい…」
 ジョーがケンの口を手で塞ぐ。
 「早く行け。甚平」
 「あ。ああ」
 本当に出て行っていいのだろうか。
 本当の本当にいいのだろうか。
 甚平は腕を捩じり上げられ、口を塞がれているケンの姿から目を離せぬまま、立ち上が
る。
 「さっさと出てけ!」
 ジョーのものすごい怒鳴り声に飛び上がってしまった。
 「ごめんよ。アニキ」
 甚平は思わずそう呟いてケンの家を飛び出していった。


-3

 「なぁ、どう思う?。竜」
 ケンの家を飛び出したものの、言われた通りにジョーのトレラーハウスへ向かう気には
なれず、甚平はやっと当初の目当ての場所に転がり込んだ。
 「どうって、何が?」
 竜は甚平の話に興味を示さない。
 「だからさ。ジョーのアニキだよ。あれは絶対にケンのアニキをやっちまう気だよ」
 「殺っちまうって、おまえ。そんな物騒なことするわけないだろ」
 いくらなんでも、二人で殺し合いを始めるかもしれないという甚平の話を鵜呑みにする
ほどバカではない。
 「だって、おいらのこと邪魔だって言うんだぜ。おいらがケンのアニキに加勢されると
困るからだよ。あれは。うん」
 体よく追い出されただけなのだろうが、それに気付いていないらしく、甚平はしきりに
一人で勝手に納得しながら頷いている。
 「おまえに加勢してもらわにゃならんほどケンが弱いわけないだろうが」
 「でもさ。ジョーのアニキすごい剣幕だったぜ。あれは腹いせにケンのアニキを袋にす
るつもりだよ。うん」
 確かにあの二人で殴り合いを始めたら殺し合いに近い状態になりかねないとも思うもの
の、そこまでバカなことをするとは到底思えない。
 「バカなこと言ってんじゃねぇよ。ようするに兄弟喧嘩みたいなもんだろ。おまえと
ジュンがやってるみたいなもんだ。さ、送ってってやるぞい」
 「今夜はここに泊めてくれよ〜」
 「だ〜めだ。家出っちゅうんわ。その日の内に帰らねぇとしこりが残るんだわ」
 しぶしぶと従う甚平を連れ外に出た竜は、ふと浮かんだ自分の考えに可笑しくなった。
 あの二人はどっちが兄貴なのだろうか。
 まぁ、せいぜい遣り合ってみたところで互角ちゅうところかもしれない。

 「なぁ。甚平の奴、誤解したんじゃないのか?」
 年代物のソファーの上に寝そべって、ケンは読んでいた本から視線を上げる。
 「あ?。そりゃしただろうな。何をどう誤解したのかは知らんが」
 勝手知ったる他人の家で、インスタントコーヒーを淹れていたジョーが、マグカップを
両手に持って来る。
 「他にやりようがあったんじゃないのか?」
 ジョーからマグカップを受け取り、ケンは身体を起こす。
 「おまえなぁ。おまえが何とかしろって目で訴えるから協力してやったんだろうが」
 ジョーはデスクの椅子に腰を下ろして、自分で淹れたコーヒーを啜った。
 「はいはい。けど、甚平に鍵渡して、おまえ今夜どうするつもりだ?」
 「あ?。あれか?。あれは甚平ん家の鍵だよ。ジュンに渡してくれって頼まれたんだ。
竜も俺もジュンのところに居たからな。今夜あいつが行くとこは、ここしかなかったって
ことだよ」
 「いい迷惑」
 ジョーの種明かしに、ケンは吐息を付く。
 「どうせおれはここへくる用事もあったからな」
 「用事?」
 のほほんとしたケンの問いにジョーの眉間の端がピクリとつり上がる。
 「おまえ。まさか本当に金がねぇとか言うんじゃねぇだろうなぁ」
 「あ〜。そうとも言う」
 ケンはそのジョーの視線から逃れるように天井を見上げていた。
 「何なら、本気で身体で払ってくれてもいいんだぜ」
 ジョーは持っていたマグカップをデスクの上に置き、唇の端を僅かに上げて微笑みなが
らケンに近づいていった。



 oshimai


 


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