TWINKLE NIGHT -Lonely 3-

by yu-jin

 “おっせぇなぁケンの奴。まさか来ないつもりじゃねぇだろうなぁ”
 待ち合わせの時間を過ぎても姿を見せない相手に、ジョーはさっきからイライラと何度
も自分が寄り掛かっているポールの先に付いている時計を見上げていた。
 “ったく、時間にルーズなヤツだな”
 そう思ってふと気がつく。
 “あいつの生活の中に時間ってあるのか?”
 本日只今今すぐ来い。という指令は多々あれど、何日の何時何分に来いという指令は無
い。任務中は別としても、そもそも時計をする習慣もなければ、ケンが時間を気にする生
活をしているとは思えない。
 “そういや、あいつの家に目ざましなんてものはなかったよな”
 ジョーは嫌な予感を覚える。
 “寝てるなんてことはねぇよな”
 別に早朝という時間ではない。むしろ辺りはすっかり薄暗くなっている。
 ジョーはまるでそれが癖になってしまったかのように、時間を確認しようと視線を動か
した。
 “え?”
 視界の端に入ったその光景に、ジョーは行き過ぎた視線を思わず戻していた。
 微かに発光するぼんやりとした光の球体。
 それに包まれているように見えた少女は、ジッと何かを見上げている。ジョーはその姿
に視線を奪われた。
 ふわふわと背中で踊る長い髪、白いドレスはふんわりと裾が広がり、控えめなリボンが
腰の後ろに結ばれている。
 ブルーのクリスマスイルミネーションに縁取られた街路樹が彼女の両脇沿いに伸びてい
る。その神秘的な光景に、ジョーは一瞬自分がどこにいるのか忘れた。
 彼女の横顔がゆっくりと動き、見つめるジョーの視線を捕らえる。
 大きな瞳がジョーを見つめる。
 視線を逸らすこともできずに、ジョーは彼女のその瞳に吸い込まれるような錯覚を覚え
た。
 光の中で彼女が微笑む。
 引き込まれるようなその微笑みに、ジョーは我知らずの内に微笑み返していた。
 「へえぇ」
 背後から気配も感じさせぬまま声が降ってくる。振り返るまでもなく、声の主は待ち合
わせの相手であるところのケンだと判っていても、ジョーは飛び上がりそうになるほど驚
いていた。
 「何を驚いてるんだ?。後ろ暗いことでもしてるのか?」
 実際のところ、ジョーは飛び上がった訳ではないが、ほんの僅か動いた肩に、ケンは
ジョーの驚きを読み取っていた。
 「いきなり驚くだろ」
 「今度の彼女か?」
 ジョーの抗議の声を無視して、ケンはジョーの視線の先に目を向けた。
 「あの歳じゃ、犯罪だぞ」
 「そうか?。ジュンとたいして違わないだろう」
 ついうっかり答えてしまい、ジョーは慌てて否定する。
 「バカっ。たまたま目が合っただけだ」

 「どう口説こうか考えてたってわけか」
 「違う!」
 何をむきになってるんだというケンの視線を感じるまでもなく、ジョー自身、妙にむき
になっている自分を自覚する。
 「お楽しみ中悪いんだが」
 「楽しんでねぇ」
 「時間が無いんだ。付き合えよ」
 「遅れて来たのはおまえだろう・・ちょ、待てよ。金はどうしたんだ」
 「だからその金を取りに行くんだよ」
 金を返すからと時間と場所を指定してきたのはケンの方だ。それを時間には遅れて来る
は、金はこれからだと平然と言うケンに、ジョーはいささか呆れたが、貰ったその場で返
そうという殊勝さに免じて何も言わずに従うことにした。
 待ち合わせの公園の奥へ向かうケンの後ろ姿を追いながら、ジョーはもう一度さっきの
少女を振り返る。
 彼女はまるでジョーを見送るように、その大きな瞳を向けたまま立っている。
 何かを訴えかけるようなその姿に、ジョーは思わず立ち止まっていた。
 「おい。ちょっと待てよ」
 先を歩くケンの背中に呼びかける。
 「何だ?」
 振り返ったケンに『ちょっと待っててくれ』と言葉を繋ごうとして、再び後ろを振り
返ったその場所には、もう彼女の姿は無かった。
 “あ?”
 ついたった今までそこに居たはずの姿は、その後ろ姿さえも見つけることができない。
 消えた?。
 「何だ。ジョー」
 「あ。いや。いい」
 からかわれたのかと一人納得して、ジョーはケンの後を追った。

 ケンの後を追って辿り着いた先は、『金を取りに行く』という言葉とはまったく縁のな
さそうな場所だった。
 待ち合わせの広い公園を抜ける。その奥には頑丈なゲートに阻まれた公園とは不似合い
な建物がある。ケンはゲートをパスするとどんどんその建物の中に入っていった。
 国際警察科学研究所。
 “お、おい。おい。おい。おいっ!”
 とジョーは声に出さずに呟き続ける。声を発しようものなら数十メートル先まで響き渡
りそうなほど、あたりはシンと静まりかえっている。
 長い廊下に面した幾つ目だかも判らない扉のセキュリティフォンを押して、ケンは開い
た扉にジョーを招き入れた。
 入口にはその部屋の住人の名前がプレートに収まっている。
 ”レッド・ウェールズ”。
 見るともなくその名前を見ながら、部屋に入ったジョーは一瞬呆然とする。
 何だ。ここは?。
 一言で言ってしまえば、ごくごくありふれたオフィス風の個室なのだが、妙に細長く部
屋の主と思われる紳士の座るデスクが入り口から遠い。
 「そこにいてくれ」というケンの言葉に、ジョーは扉の横に立って、その紳士とケンが
何やら会話を交わしているのを見ていた。
 途中一度、ケンとその紳士がジョーを振り返ったが、細長い部屋の奥と入口とではその
話の内容まで判らない。
 「それじゃよろしく頼むよ」
 「はい。おまかせ下さい」
 最後に聴こえた声はそれだけだった。
 ジョーには何を『よろしく』されて、何を『おまかせ』されたのかは判らなかったが、
ケンがその紳士から茶封筒を受け取ったのが見えた。中に何が入っているのかは判らない
までも、どうも厚みのある長方形のものが入っていることだけは判る。後生大事に金庫か
ら取り出したことと言い、サイズといい厚みといい、『札束』が入ってますの大きさだ。
 “へぇ、景気がいいじゃねぇか”
 なるほど、これならケンが『金を返す』と偉そうに人を呼びつけるわけだと、ジョーは
ケンが受け取った袋を解釈していた。
 「いくぞ」
 「ああ」
 まるでボディガードか何かだと思っているかのようなケンの言いぐさにも、今日は不思
議と腹は立たない。
 再び来た道を戻る道すがらも、来た時とは違ってジョーの心が弾む。
 元々は自分の金だと思いながらも、思わぬ臨時収入が手に入る心境に近い。
 “何だ何だ何だぁ。まあ、返済が長引いた詫びってやつか?。これからどこかに繰り出
すつもりなのか?。ケンのヤツも結構律儀じゃねぇか”
 ジョーの頭の中には、当然今までの借金は全額返済、その上で返済遅延のお詫びに、ケ
ンが奢るために自分を呼んだのだという構造が瞬時に出来上がる。折しも明日はクリスマ
スイブ。これは景気よくパアっと行けそうだと顔が綻ぶ。
 “まぁ。何だな。貰ってすぐに廊下で金勘定ってのは、品がなくていけねぇ”
 来た時と同じように、どんどん一人で先を歩くケンの後ろ姿を、ジョーはこれまた自分
本位に解釈していた。
 “おい。どこへ行くんだ?”
 と言い出せないまま付いて行った先は、地下の駐車場だった。
 「これだな」
 ケンはナンバープレートを確認して、一台の車の横に立ち、サイドドアのロックを解除
するといきなりキーをジョーに投げた。
 「運転。よろしく」
 条件反射でつい投げられたキーを受け取ってしまったジョーは、その瞬間嫌な予感に襲
われた。
 「よろしくって、おまえ、まさか」
 「まさか何だ?」
 ケンはもう車に乗り込もうとしている。
 「断る」
 「断る?」
 いかにも意外だという表情で、乗り込もうとしている体勢のままケンはジョーの顔を見
上げた。

 「ああ。断る」
 ジョーはもう一度そう言って受け取ってしまったキーを投げようとした。
 「いいのか?。ジョー」

 不敵に笑うケンの表情にジョーはドキリとした。
 “いいのかって、何がだ”
 そう問い返そうとして今一度自分の頭の中でケンの言葉を反芻する。ケンがあの手の顔
をする時は、絶対に勝てる自身がある時だ。いや、負けるつもりなどはなからない時だ。
 “まずいな。何か握られるようなへましたか?”
 ケンの勝ち誇ったような微笑みの根っこにあるはずの自分の『弱み』を、ジョーは必死
に思い起こしてみる。どうせ博士に告げ口されて困るものだとは思うものの、心当たりが
あり過ぎてどれだか判らない。
 “この間博士が大切にしてる壺を割ったやつか?”
 “それとも博士の日記を盗み見したやつか?”
 “いや、博士の秘密のコレクションを見ちまった方か?”
 それにしても、とジョーは思い直す。
 “なんでそれをこいつが知ってるんだ?”
 「何百面相してるんだ。いくぞ」
 ケンは中からドライビングシート側のドアを開いて、突っ立ったまま困惑している
ジョーを見上げた。
 「あ。ああ」
 済し崩しというのはこういうことを言うのだろうとジョーが気付いた時には、車は街の
中心へ向けて走っていた。

 「で、どこまでいくんだ今度は。シリコンバレーは御免だからな」

 「シリコンバレー?。何だってそんなところへ行くんだ?」
 しらっとしたケンの答えにジョーは小さく舌打ちする。記憶力がやたらといいケンが、
去年の年末のことを忘れているはずがない。
 「で、どこまでいきゃぁいいんだ」
 はぐらかすように答えるケンに、イライラしながらジョーは前方を見つめたままアクセ
ルを踏んだ。
 「行き先はポートフューチャーアイランドの国際警察本部だ」
 サイドミラーを見ていたケンが、シートに沈めていた身体を起こしながら、早口に告げ
た。

 「警察?」
 「ああ。一応な」
 「一応ってぇのは何だ?。何で行き先が一応なんだ?」
 ジョーはますますいや〜な予感が背筋を這い上ってくるのを感じる。
 「ん?。多分お客さんが歓迎してくれるだろうからな」
 ケンはジョーの予感を裏付けるように、バックウインド越しに後ろを見つめている。
 “この展開。まさかな…”
 「おい。またこの車の性能試験とか言うんじゃねぇだろうな」
 「言わない。だいたいしつこいぞおまえ。そんな11カ月と30日も前のことを」
 「11カ月と30日って、そういうのは普通一年前っつぅんだ」
 「ごちゃごちゃ言ってないで振り切れ。後方2台、サイド2台だ」
 「よ、4台?」
 バックとサイドミラーに視線を走らせたジョーの目がいっそうきつくなる。
 「ふざけろよ」
 ジョーはケンの言った台数の追跡車を確認するとアクセルを踏み込む。
 「真面目なんじゃないのか?」
 ジョーの加速に合わせるように速度を上げる車を見ながらケンが呟いた。
 「運転してるのは俺だ」
 「何を分かり切ったことを言ってるんだ?。来るぞ」
 サイドを並走していた車が速度を上げる。前に回り込まれたらやっかいだ。ジョーは踏
み込めるだけアクセルを踏んでいた。
 「やばいな」
 「判ってる」
 車の性能の違いなのか、いくらスピードを上げても追いつかれる一方だ。前を走る車と
の距離が広がった瞬間だった。一気に加速したサイドの車が両脇から前に周り込み、完全
に行く手を阻まれた。ブレーキのタイミングが後数秒遅ければ突っ込んでいたのではない
かと思う勢いでノーズヘッドを掠めて車は止まった。
 「ふぅ。あっぶねぇなぁ」
 フロントウィンド越しに男が二人銃を構えて降りてくる。
 「奴ら何者なんだ」
 「さぁな」
 ”さぁなじゃねぇだろ。さぁなじゃ”とジョーは怒鳴りたかったが堪える。
 「降りて来い!」
 窓越しに男の一人が怒鳴った。
 こいつらが何者で、いったい何の目的があるのかさっぱり判らない。
 「どうする?。降りるか?」
 「強行突破できるか?」
 「無理だな。性能が違う」
 「じゃあ仕方ないか」
 ケンはあっさりとドアロックに手をかけた。降りてどうするつもりなのかは判らないが
いずれにしてもジョーは増幅されきった予感が今や確信と化したことを感じた。

 「預かったものを渡してもらおうか」
 ”やっぱりな”
 ジョーは思わず空を見上げていた。ここまで盛大にお客が来るということは、あれは札
束じゃなかったということだ。
 「これか?」
 ケンは茶封筒の中からその箱を引き出した。白いプラスチックケースに見えるそれは、
まさに札束サイズだ。勝手に金だと思い込んだおめでたい自分が情けなくなった。
 ”紛らわしい箱に入れやがって”
 「気にいらねぇな」
 ジョーがそう言おうとした瞬間だった。
 「何だその箱は?。んなものにひっかかるか。女だ。その女をよこすんだ」
 その?
 どの?
 思わず見合わせてしまった顔にはお互いに特大の疑問符が貼り付いている。
 女を預かった覚えはない。
 女を車に乗せた覚えもない。
 ケンもジョーも何を言われているのか判らないという顔のまま、自分達がたった今下り
たばかりの車をそっと振り返る。
 その後部シートには、「女」と呼ぶにはあまりに幼い、公園で見た彼女がいた。
 「「おまえ」」
 セリフが完全に重なる。
 一瞬お互いに沈黙し、そしてもう一度発せられた言葉も重なった。
 「「何時の間に乗せたんだ」」
 人が乗っている気配さえ感じなかった。それも揃いも揃って二人共というわけだ。
 「おまえが口説いたんじゃないのか?」
 立ち直りはケンの方が早かった。おそらくは考えていることとはまったく違うことを口
にしているのであろう軽口を吐きながら、降りたばかりのドアを開く。
 「そんな暇がどこにあるんだ」
 「暇がなくたって口説くだろ」
 思っているまんま言ってるのかもしれないとジョーは思いなおす。
 「そういう問題じゃねぇだろ」
 ジョーはサイドウィンド越しに見える彼女が、公園で見た時と同じように発光している
ような気がした。
 「何をごちゃごちゃ言ってるんだ。さっさとその女をこっちによこすんだ」
 黒いコートに黒いサングラス。どこから見ても時代後れの悪役といったいでたちの男達
に、「よこせ」と言われて「はい。そうですか」と引き渡す訳にもいかない。だいたい
「女」「女」と言うほどの歳にも満たない女の子をこの男達に引き渡すのは忍びなかっ
た。
 そう思っているジョーの反対側で、ケンが身体を屈めてアシスタントシートを前に倒し
ていた。
 「おい。渡すのか?」
 「ああ。俺達には関係ないからな」
 ケンの視線が用心深く間合いを確認している。前に車が二台。後ろの二台はこの車が邪
魔ですぐには出せない。奪うなら先頭の車だ。ケンの視線がその車をジョーに示す。
 「物分かりがいいじゃないか坊や。そうだ。大人しく渡してもらおう」
 ケンの言葉に満足げに頷いた男の言葉がジョーには妙にひっかかった。
 坊や?。
 女?。
 ケンの差し出した手に彼女は黙って従っている。ケンの手が彼女の身体を抱き抱え軽く
飛び上がる寸前に、ジョーは前方の二人を同時に蹴り倒していた。車のボンネットを踏み
台にして、更に前方の二人をなぎ倒すと、ケンが飛び乗った車のドライビングシートに潜
り込む。
 エンジンがかけっぱなしになっていることは充分承知している。ジョーはタイヤを鳴ら
して方向を変えると、一気にアクセルを踏み込んで車をスタートさせた。
 「性能が同じなら逃げきれるぜ」
 「何で逃げなきゃならないのか判らないけどな」
 後ろを確認するまでもなく、追跡者はまだ追っては来ない。
 「で、どこに送り届ければいいんだ?」
 ルームミラー越しに見た彼女は、車内をひとしきり見回し、それから鏡の中のジョーに
気付いて微笑み返した。
 「あなた達の行く所と同じでいいわ」
 見た目清楚なお嬢様らしからぬ言いように、思わず二人とも同時に彼女を振り返り、
ジョーは慌てて視線を前に戻す。
 「いいわってなぁ。家出の手伝いならまっぴらだぜ。だいたい俺達がどこに行くのか
知ってるのか?」
 「ポートフューチャーアイランド。でしょ?」
 明らかにさっきまでの自分達の会話を聞かれていたと思える答えに、嫌でも驚く。どう
思い返してみてもこの子が同乗していた気配はなかった。
 「いつからあの車に乗ってたんだ?」
 「そうねぇ。最初からかな」
 「どうしてあの車に乗ってたんだ?」
 「そんなこと、どうでもいいじゃない」
 彼女の答えは要領を得ない。それは何かを隠しているかのようだ。
 「…なるほどね。そういうことか」
 ジッと後ろを振り返って彼女を見ていたケンは、一人で納得したように正面に向き直
り、つまらなそうにそう呟いた。
 「何がそういうことなんだ?」
 「ん?。この子が…」
 「この子じゃないわ。キャンディよ」
 ケンの言葉を遮り勝気そうな声が飛んでくる。
 「この子が車に乗っていた理由だよ」
 ケンは彼女の抗議を軽く無視して話を続ける。
 「キャンディ!」
 いくら主張してみたところで、ケンは彼女の声に耳を貸していない。
 「俺たちが車を降りた時に乗ったんだ。ようするにあいつらとグルってことだ」
 「違うわよ」
 「なるほどな。で、目的は何だ?」
 「違うって言ってるでしょ」
 「おまえが預かったあの箱か?。だったらこんな回りくどいことしなくても奪えるだろ
う。ってぇかだいたいあの箱は何なんだ!」
 ジョーは突然の彼女の出現ですっかり忘れていた苛立ちを思い出す。
 「そもそもおまえは俺に金を返すから付き合えって言って呼びつけたんじゃないの
か?」
 「あ?。ああ。あれ。あれね」
 「あれねじゃねぇだろぉ。箱の中は何なんだ。まさか今度も知らないとはいわねぇだろ
うな」
 ジョーの中では、いくら後ろから叫ばれていてもすっかり種明かしの済んだ彼女の存在
は消え、代わりにさっきケンが茶封筒から取り出した白い箱が占拠している。
 「しつこいなおまえも。知ってるよ。国際科学技術庁と国際警察とが共同開発した特殊
金属製の…」
 言いかけたケンの目が鋭くなる。
 「ジョー。お客さんのお出ましだ」
 ジョーはケンの言葉を聞くまでもなく、サイドミラー越しにさっきの奴らとは違う車種
の追跡車を確認していた。
 「さっきとは車種が違うぜ。どうなってるんだ?」
 「さぁな。キャンディちゃんが知ってるんだじゃないのか?」
 「知らないわよ」
 「知らねぇわけないだろ。おまえとグルなんだろ」
 「違うって言ってるでしょ」
 彼女はなかなか強かだ。
 「ようするに狙いはその特殊金属ってわけか?」
 「おそらくな」
 ”で、どの辺が金を返すなんだ”とジョーは言ってみたい衝動にかられたが、とりあえ
ずそんな状況ではない。
 「で、どうするんだ?」
 「キャンディがあいつらの仲間だっていうなら逃げる必要もないだろう。相手がどこの
組織なのかも知りたいしな。適当な場所に誘い込め」
 「ラァジャー」
 口調が完全に任務の時のものに変わっているケン相手に「金」の話をしても無駄なこと
ぐらいジョーはよく判っていた。その上、この状況が任務であろうがなかろうが、スイッ
チの入ってしまったケンには逆らっても何の意味もないことも、ジョーにはよく判ってい
た。
 「違うって言ってるのに。勝手にすればいいでしょ」

 建設途中のビルの工事現場に誘い込んだまではよかったが、相手は想像以上の歓迎ぶり
だった。
 「派っ手なやつらだなぁ」
 燃え上がる車を見ながらジョーは呆れながら呟くと、腰の後ろのベルトに挟んでいたガ
バーからカートリッジを引き出して装填弾数を確認する。
 「どこから持ってきたんだ?。そんなもの」
 「ん?。さっきの奴らから拝借してきたんだよ」
 カートリッジを叩き込むと、ジョーはそのまま腰のベルトに戻した。
 「手癖の悪い奴だな」
 「道に落ちてたのを拾っただけだ。まっ、使う必要もないだろうがな。で、何だってい
きなりマシンガン浴びるんだ?。さっきより過激じゃねぇか」
 車を停めてそのままキャンディを抱えて物陰に飛び込んでいなければ、横っ腹から浴び
せられたマシンガンの餌食にならないまでも、爆風ぐらいは浴びていた。
 「さぁな。俺にも判らん」
 「ひょっとしてその特殊金属とやらと一緒に俺たちを葬ろうとか思ってねぇのか。あい
つら」
 「俺達はともかく、あの程度の熱でどうこうなるような物じゃないらしい」
 エンジンが爆発したのか、大きな音を立てて目の前で燃える車から火柱が上がる。
ジョーはその瞬間に自分の腕を掴む小さな手に力が入るのを感じた。
 「こいつが奴らの仲間だったとしてもお払い箱ってことか」
 ジョーは自分の腕を掴んだまま脇でしゃがみ込んでいるキャンディを見る。
 「だろうな」
 小声で話しながら、二人は左右の気配を窺う。
 「面倒くせぇ。やっちまおうぜ」
 「待てジョー。奴らが何者なのかも判らない内に手荒なことをするな」
 まったくもって優等生のお答えにジョーはうんざりしながら、この手の返答をしている
ケンは任務モードだということに気付く。
 「だったらどうするんだよ!」
 「そこにいるのは判ってるんだ。大人しく出て来いギャラクター」
 ジョーの押さえた怒声を遮るように、その声が降って来た。
 ギャラクター?
 いったい誰のことを言っているのか一瞬判らなかった。
 他の何に間違われても、よりにもよってギャラクターに間違えられているというこの現
実はそうそう容認できるものではない。
 「ざけるな!」
 瞬間芸で切れたジョーは、「使う必要もない」と自ら言ったガバーを抜くと声のした方
角に向けて立て続けに3発打ち込む。
 「おい!。ジョー」
 ケンの声は、「おつりだ」と言わんばかりに降り注ぐマシンガンの音にかき消された。
 硝煙と土埃が舞う。
 「バリバリバリバリ撃ちやがって」
 咄嗟に伏せたジョーが顔を上げると、自分の横でキャンディに覆いかぶさっているケン
の姿が飛び込んで来た。
 「おい!。ケン!」
 「大丈夫だ」
 何だかんだ言いながら結局ケンは彼女をかばっている。

 「ギャラクターってどういうことなんだ?」
 「俺達がギャラクターだと思ってるってことじゃないのか?」
 「んなことは判ってる!。何だって俺達がギャラクターに間違われるんだ」
 「俺に聞くより、あいつらに聞いた方が早いだろ」
 ケンはそう言うなり、キャンディをジョーの方へそっと押しやって立ち上がった。
 相手の姿は闇に紛れて視認できない。ただ数人の気配は感じる。
 「我々は国際警察に頼まれたISOの者だ。ギャラクターじゃない」
 マジになればなるほどどうしてこいつは堅物になるんだと思いながら、ジョーは相手の
動きに注意深く視線をこらす。
 「ISO?。どうせつくならマシなウソを付け。俺達がそのISOだ」
 その言葉と共にケンが立つ数センチ前方にマシンガンが着弾する。ジョーは咄嗟にキャ
ンディを庇い、ケンは素早く身をかわしてその真横に滑り込んで来た。
 「ISOってどういうことだ?」
 相手が言っていることはすでに理解の範囲を超えている。
 ようするに相討ち?
 「さっさと預かった物を持って出て来い!。でなきゃここで蜂の巣だ。ブツさえおまえ
達の手に渡らなければそれでいい」
 やってることが過激ならば言っていることも過激だ。
 「ISOが何だってこんなに過激なんだ?」
 「おまえだって過激だろ」
 「あいつらと一緒にするな!」
 「取り敢えず逃げるしかないな。間合いを詰めるぞ。ジョー」
 ケンはそう言いながらキャンディの身体を引き寄せる。
 「車はオシャカだからな。現地調達するしかないな。あれをかっぱらうか」
 ジョーは相手の車の中で一番出口に近い車を顎で示す。
 「判った。奴らが言ってることが本当だったらやっかいだ。殺すなよ」
 「ああ」
 不承不承了解するしかない。相手の言っていることを全面的に認めるつもりはないが、
万が一仲間内だった時には目も当てられない。
 「キャンディは?」
 「俺が連れて走る。援護しろ」
 「判った」
 ケンが左に展開するのを目で追いながらジョーはその方向に威嚇射撃する。ケンはキャ
ンディを半ば抱き抱えるようにして走りながら、器用に着弾を避けている。
 まぁ。がんばれよ。
 建設途中の建物の足場を走り抜けていくケンの後ろ姿に、そう呟いてジョーはケンとは
反対方向に展開した。
 追手は分散されている。
 このまま現地調達を決めた車に潜り込めると思った瞬間、真横から現れた気配に気をと
られたケンは、自分の腕の中からキャンディが擦り抜けていく感触に思わず立ち止まって
いた。
 「大人しく渡してもらおうか」
 キャンディの頭部に鈍い光を放つ銃口がつきつけられる。
 「しまった」
 「ドジ!」
 ジョーはケンの横に滑り込むと第一声そう耳元で怒鳴っていた。
 「仕方ないな」
 ケンはジーンズの尻ポケットから例の白い箱を取り出す。
 と、同時にいきなりジョーの右腕を掴んだ。
 ジョーが右手首に冷たいその感触を感じ、「おい!」と呼びかけた時には、ケンの右手
がジョーの口を覆っていた。
 飲んじまった。
 ジョーは自分の食道を冷たい硬質な小さい断片が通り過ぎていくのを感じる。
 「どうする?。カギはこいつの胃袋の中だ。俺達ごと連れていくか?」 
 ケンはぞっとする笑みを浮かべて、自分の左腕に金色の輪っかをはめていた。

 「これでどうしろってぇんだよ」
 苛立たしげに持ち上げたジョーの右手にケンの左手が引っ張られる。
 「いっ。痛いだろ。引っ張るなよ」
 ジョーの右手首と自分の左手首を繋ぐ金属の輪を、ケンは吐息まじりに見つめる。
 「うるせぇ。俺の手に動きぐらい合わせろ」
 ジョーの右手はケンの左手が繋がっているという事情を無視するように乱暴にハンドル
を切る。ケンはジョーが右手を動かす度に左手を引っ張られその度に擦れる痛みに顔を顰
めていた。

 「お。おいっ。痛いってば」
 車体の動きに体はシートに沈み、左手は力任せに引っ張られるのだからたまったもので
はない。
 「ドジね」
 さっきの銃撃戦で開き直ったのか、妙に態度がでかくなったキャンディの冷やかな声が
後部シートから浴びせられる。
 「誰のせいでこうなったと思ってるんだよ」
 ジョーの口調はこれ以上不機嫌にはなれないというほど機嫌が悪い。
 「別に俺のせいじゃないだろ」
 「別に私のせいじゃないわよ」
 右と後ろからステレオ放送でそっけない答えが返ってくる。見ればケンはサイドドアの
フックを右手で掴み、左手から力を抜いてジョーに引っ張られるに任せながら、シートの
中で体勢を崩している。シートに左足を乗せ、くつろぎきったその格好がジョーの神経を
逆なでる。
 「おまえなぁ。これがお前らのせいじゃなくていったい誰のせいなんだよ。だいたいそ
のどこでもかしこでもくつろげる鋼の無神経どうにかならないのかよ」
 「どうにかって?。普通だろ。んなことより」
 「付いて来てるわよ」
 後部シートの上に完全に座ってバックウィンド越しに後ろを見ていたキャンディがケン
の言葉を引き取る。振り返って見るまでもなく、自分達を追跡する2台の車があることは
判っている。
 「んなこと判ってるよ」
 バックミラーの中を覗き込んだジョーは、信号が変わりかける交差点に突っ込み、左に
ハンドルを切る。後ろでキャンディの小さな悲鳴が上がり、ケンは車の勢いに体ごと引っ
張られそうになりながら、何とか踏みとどまった。
 こうなったら何としても目的地に辿り着くしかない。
 相手に国際科学技術庁だと言われてしまっては、仲間うちで争うわけにもいかず、かと
いって身分を明かすわけにもいかない。相手を信用できないことはお互い様だ。万が一相
手が本当に国際科学技術庁ならば、警察に辿り着けば信用するだろうと判断したものの、
それにしてもしつこい。
 この何が何だか判らない状況で追いかけまわされるよりは、まけるものならまいてしま
おうと、ジョーは右に左にハンドルを切り、相手を振り切ることだけに専念している。
 そのジョーをじっと見ていたケンが、いきなりジョーの右手首を左手で掴む。
 「おい。何だよ」
 いきなり腕を掴まれ驚いたものの、脇見をしている余裕はない。
 「あ?。この方が楽だろ。お前も俺も」
 確かにケンの言う通り、掴んでいるだけで力を入れていないケンの左手は、重さが軽減
された分だけ、気にならなくはなっている。もっとも腕を掴まれている煩わしさはある
が、この際贅沢は言っていられない。
 前方とサイドを塞がれないように、常に相手が追いつけない速度を保ちながら、ジョー
は走り続けた。
 「それにしてもしつっこいな」
 「本当にお仲間なの?」
 「それはこっちのセリフだ。おまえの仲間じゃなかったのか?」
 「だから違うって言ってるでしょ。最初から」
 「キンキンキンキン吠えるな。だいたいあいつら本当にISOなのかよ」
 「多分違うだろうな」
 「だったら何でさっきケリつけなかったんだよっ!」
 「多分って言ってるだろ。万が一のことを考えたら迂闊なことはできない」
 ジョーは、相変わらず寛ぎきった格好で自分の右手を掴んでいるケンを見る。その格好
でそんな真面目なことを言われてもピンとこない。
 「へぇへぇ」”優等生のお答えで”とはとりあえず付けないでおいた。
 「にしても過激なやつらだぜ。その内またバズーガ砲でも持ち出してくるんじゃねぇの
か?」
 対向車がなくなるとすかさずタイヤを狙って撃ってくる相手は、ジョーに思い出したく
もない一年前のやつらを思い出させる。あの時も意味不明に理不尽に訳の判らない相手に
追いかけまわされていた。
 「バズーガ砲?…」
 ケンはジョーの言葉に何かを思い出したように考え込んでいる。
 「おい。考えるのは後にしてくれ。どうするんだ?。このまま行くと海底トンネルだ。
前に回り込まれたら逃げきれなくなる」
 「そうか…。そういうことか」
 「何をぶつぶつ言ってやがるんだ」
 「ジョートンネルに入れ」
 ケンはそう命令を下すと、ジョーがもっとも聞きたくなかった言葉をブレスレットに向
かって口にしていた。
 「博士。奴らかかりました。海底トンネルに入ります。予定通り特殊警察の出動要請を
お願いします」
 「おい」
 思いっきり急ブレーキを踏みたい衝動を必死に堪えてジョーは前方を見つめたまま低い
声でケンに声をかける。
 「何だ?」
 「一つ聞いておきたいんだが、この状況はいったい何なんだ」
 ジョーはゆっくりと、確認するように丁寧な発音でその言葉を口にする。
 「任務だよ」
 「に、任務だぁ?。何が任務なんだ!」
 「これを運ぶことだ」
 「これって言うのは、この、ISOと国際警察が共同開発した特殊素材で作ったってい
うこいつのことか?」
 ジョーはハンドルから右手を離して、自分の手首とケンの手首を繋ぐ輪っかを振っりな
がら、さらに言葉を続ける。
 「工具使っても、銃弾で撃っても切れない金属で、特製の鍵が無いと金庫破りのノウハ
ウを持ってしても開かないっていう、この飛び切りおしゃれなブレスレットのことか?」
 「そうだよ」
 ケンはいささかふてくされ気味に投げやりな口調で答えた。
 「鍵のコピーは作れないようになってるって言ったよな」
 「ああ」
 「で、こいつの鍵は俺の胃袋の中ってわけか」
 あの時ジョーが食道で感じた硬質な断片はこの手錠の鍵だった。
 「仕方がないだろ。あの状況でこれを守るためには」
 「俺の胃袋は金庫じゃねぇんだ。で、この状況のどこがおまえのせいじゃないっていう
んだ?」
 「俺は任務を忠実に遂行しただけだ」
 「だったら最初からそう言えばいいだろ!」
 トンネルの中にサイレンの音が響き渡っている。すべてのお膳立ては整っていたといわ
んばかりのその音がまたジョーの勘に触る。
 前方と後方から追跡者の車を特殊警察車両が挟み打ちにする様をサイドミラー越しにみ
ながら、ジョーは腹立ち紛れにアクセルを踏み込んでいた。

 無言のままポートフューチャアイランドの外れにある国際警察本部の入口に車を付けた
時、ジョーはこのままシートにめり込んでしまいそうなほどの疲労感を覚えていた。
 本来ならばそのままケンを置いて車を降りてしまいたいところだったが、自分の右手が
ケンの左手と繋がっている以上、どうすることもできない。人をコケにした相手といつま
で顔を突き合わせていなければならないのかと思うと、険しい顔がいっそう険しくなる。
せめて、この時期のケンからの呼び出しには如何なる理由であろうとも二度と応じまいと
硬く硬く心に誓いながら、シートに凭れるのが関の山だった。
 「これ」
 二人の沈黙に付き合うようにずっと黙っていたキャンディが、自分の胸に下がっている
ペンダントを外して後部シートの合間から差し出す。
 「ん?」
 動く気にもならないジョーは視線だけルームミラーに映る彼女に向けた。そのジョーの
代わりに、ケンが自由になる右手を差し出す。ケンの掌に小さなロケットが乗せられた。
 「何だ?これ」
 「中に入ってる鍵で多分開くわ。それ」
 「え?」
 「パパの作ったマスターキーのはずだから」
 「どういう意味だ?」

 ケンがそう聞き返した瞬間、ジョーはもたれ掛かっていたシートから身体を引き剥がし
て、後部シートを振り返っていた。

 消えた。
 彼女はケンとジョーの目の前で消えてしまった。
 ”パパを助けて”
 その小さな声を残して。

 『言えなかったんだよ。任務だって。この時期にそう言ってもおまえ、信用しないと
思ったから』
 ふてくされたように、はにかむようにそっぽを向いたままそう言ったケンに、ジョーは
思わず吹き出していた。
 曰く
 ケンにあの白い箱を託した国際警察科学研究所の所員は、あのとびっきりお洒落なブレ
スレットをギャラクターに売渡す為に、科学技術密売のルートを使って依頼をかけた。
 売りたい科学技術の運搬をとある掲示板で依頼すると、組織の人間が接触してくる。内
容を確認した上で、実物の引き渡し要員が現れる。当然依頼された物を持ってその要員は
そのままドロン。受け取った相手が実物を確認後に金が振り込まれるというシステムだっ
た。売りつける相手は他国でもギャラクターでも、というかなり大がかりな組織らしい。
ただ、よせばいいのに、その受け渡しの合言葉が「ISOの南部博士の紹介で」。
 そんなこととはまったく知らないケンが、たまたまインタネットでこの運搬アルバイト
の情報を入手して、年末借金大返済計画を目論み、相手を信用させるために使った言葉が
「ISOの南部博士の紹介で」。
 曰く。
 さすがに途中でおかしいと気付いたケンが博士と相談の結果、そのまま受け渡しを演じ
ることにしてみた。当然、自分達の知らないところで運搬アルバイトが進んでいることに
気付いた組織の人間が襲ってくることも計画の内。ところが、接触してきた相手が待って
いた相手なのかが特定できずに逃げ回るはめになった。
 というのがことの真相。
 ギャラクター呼ばわりされたのは、どうやら自分達の組織を無視して動いている相手を
ギャラクターだと思ったかららしい。
 ようするに、今回の任務は囮。ただの囮。
 「で、結局いつおまえはあいつらが組織の人間だって判ったんだ?」
 「おまえがバズーガ砲って言ったからだよ」
 「何だよそれ」
 「去年二度目にバズーガ砲で俺達を襲って来たのもその組織の人間だったんだよ」
 とりあえずは意味不明だった事の成り行きの真相と、ついでに一年前の顛末まで教えら
れて、多少なりともジョーの疑問は解決したものの、最大の疑問の答えは貰えなかった。
 キャンディは何者だったのか。

 ケンの手の中でに小さな花束が揺れている。
 ベビーピンクのバラとかすみ草。
 小さな花束は恥じらうように風に揺れている。
 クリスマスの朝、ケンとジョーが向かった先は、サイドリバーにある病院だった。
 キャンディに手渡された小さなロケットを手がかりに、半日がかりでケンがこの病院を
捜し当てた。
 一昨年のクリスマスイブの晩、父親が起こした事故で二年間眠り続けている眠り姫。そ
れが、彼女だった。
 「超常現象なんて信じないタイプじゃないのか?」

 「さぁな」
 ジョーはこの何日かの間で何度目か忘れたケンの『さぁな』を聞く。
 ”ったく。こいつの『さぁな』はろくでもない”
 「俺には甚平と同じぐらいに見えていた。おまえはジュンと同じぐらいだって言ってた
からな。おかしいとは思ってたんだ」
 「ようするに、俺には今の年齢、おまえには事故にあった時の年齢相応に見えてたって
ことか」
 「みたいだな。それに…」
 「あの時のやつか?」
 「ああ」
 あの時。敵の腕の中にいたはずのキャンディは白い光の輪の中に包まれ、いつの間にか
車の横に立っていた。そして間違いなく彼女目掛けて打ち込まれているはずの弾丸が、そ
の光に吸収されていくのを二人は見た。
 病室のドアをノックする。
 そこに眠っている彼女は、間違いなくあのキャンディだった。

 「奴らにはもっと上の年齢に見えてたみたいだったな。最初は彼女がモノを持ってると
思ってたんだろうな」
 「ロケットに入ってた写真にそっくりだったらしい。彼女の母親だろう」
 「母娘で父親を救おうと必死だったってことか?」
 「かもな」
 キャンディ・ウェールズ。
 あの所員の娘だ。
 眠り続ける娘の治療費のために、悪魔に魂を売ろうとした父親。その父親を救おうとし
た娘は、あり得ない存在としてあの日あの公園に現れた。
 「約束は守ったよ。キャンディ」
 あどけない顔をして眠る彼女のベッドサイドにケンは持ってきた花束をそっと乗せる。
 「おい。そろそろ起きろよ。今日はクリスマスだぜ」
 これで彼女が目を覚ましたら奇跡だ。
 だが、奇跡はきっと起きる。
 父親を救うために奇跡の存在になった彼女なのだから。
 彼女の閉じた瞼が微かに震える。
 「おはようキャンディ。メリークリスマス」
 彼女の頬を一筋涙がこぼれ、そしてつい一昨日見ていた瞳がゆっくりと開く。
 「メリー…クリスマス…。ありがとう」
 掠れた彼女の声は、ちょっと涙声だった。

 奇跡の起きる朝。
 3年目のクリスマスの朝、彼女の枕元はPrincess of Walesの柔らかな香りに包まれて
いた。



-End-


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